通説にとらわれない新しい歴史解釈
今日見られる形式の雛祭りが出現した時期は江戸時代初期頃のようである。右大臣、左大臣の上席に鎮座する一対の雛人形は内裏雛と呼ばれているが「内裏」とは皇居のことであり、天皇と皇后の別称でもあるから雛祭りとは当然天皇家の婚礼を再現したものであって、その誕生の時点では明らかに皇室繁栄への願いが込められていたのだろう。
江戸時代に作られた内裏雛を見て感じるのは婚礼の雰囲気にふさわしくない厳しいまなざしである。仏像のそれに近いように見える。おそらく雛祭りは天皇家の衰微に対する民衆の危機感と天皇親政への期待を込めて子供を利用し巧みにカモフラージュした一種の尊王運動として広まっていったのだろう。
2008 02/02 22:00:04 | none | Comment(0)
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