通説にとらわれない新しい歴史解釈
幕末に元与力であった大塩平八郎が起こした大塩の乱の時に配布された檄文の中で天照大神の時代を理想化し、その時代に復帰することは難しくともせめて神武中興の政道に戻したいという強烈な尊王思想が吐露されている。それは要約すると下記のようなものである。最初の「四海云々」は国民が衰亡すれば国運も尽きるというほどの意味であろう。
「四海(人民)困窮いたし候わば天禄(天佑、天の恵み)長く絶たん。小人に国家をおさめしめば災害並び至ると、昔の聖人深く天下後世人の君、人の臣たる者を御誡置かれ候ゆへ、東照神君(徳川家康)にも、鰥寡孤独(やもめ、ひとりもの)におひてもっともあわれみを加うべくは、是仁政の基と仰せ置かれ候。然るにここ二百四五十年太平の間に、追々上たる人驕奢とておごりをきわめ、大切の政事に携わり候役人ども賄賂を公に授受とて贈貰いたし、奥向き女中の因縁をもって、道徳仁義をもなき拙き身分にて立身重き役に経上がり、一人一家を肥やし候工夫のみに智術をめぐらし、その領分知行の民百姓へ過分の用金を申し付け、是迄年貢諸役の甚だしき苦しむ上へ、右の通り無躰の儀を申し渡し、追々入用かさみ候ゆへ、四海の困窮と相成り候に付き、人々上を怨まざるものなき様に成り行き候えども、江戸表より諸国一同右の風儀に落入。
天子は足利家以已来別けて御隠居御同様、賞罰の柄(権力)を御失いに付き、下民の怨何方へ告愬とてつけ訴うる方なき様に乱れ候に付、人々の怨気天に通じ、年々地震火災、山も崩れ、水も溢るるより外、色々様様の天災流行、終に五穀飢饉に相成り候。
2008 02/02 22:50:06 | none | Comment(0)
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