大連帰国日記

2005年 08月 の記事 (8件)


↑これ、何に見えるでしょうか??
そう。日本でよくある、ごく普通のドーナツ座布団。
長時間座っているのが疲れるので、父に日本から調達してもらい、これを会社で使っていたら、社員曰く、、、
「なんでこんなとこで便器カバー敷いてんの?」
・・・・・・・・・は??;; べ、、べ、便器カバーですと?ちがうっちゅぅーねん!
確かに中国ではドーナツ座布団は売っているのは見たことない。。知らない人からみると、便器カバーにみえるらしい。。確かに、言われてみればそっくりだ。
うぅ〜ん、、これも異文化?? いや、単なる誤解か。
2005 08/30 18:43:06 | none | Comment(0)
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ここ最近で身近にいた社員が二人ほど辞めた。

一人は同じ営業部にいたお兄さん。と言っても私より年下でまだあどけなさが残る感じの人だった。彼はなんとなく、今旬であるソフトウェア会社を選んだらしいが、3ヶ月で辞めた。
社会経験もほとんどないらしい。だが、ここでは仕事を伝授していく習慣がないため、彼は仕事が分からず、一日中ほとんど何もしていなかったと思う。。
そして使えないと判断され、辞めることになったらしい。「使えない」と言うよりも、正しくは「使わない」と言う感じだった。。。
私にはどうにも出来なく、客観的に一連の流れを見ていた。。情けないが・・・;

もう一人は事務のお姉さん。彼女には来たばかりの頃、割合世話になったので、思い入れが強い中の一人だった。すごく美人で中国女性独特の雰囲気があった。そして気も利くお姉さまだ。日本語も割と熱心に勉強していた。
始めの頃は、これから仲よくなって長い付き合いになるのかと思ったが、仕事以外の個別な付き合いは全くもてなかった。それが普通になり、辞職する日も普段の日と同じように「バイバイ」と言って帰っていった。
始めは人の辞職でいちいち驚き、理由を問い詰めていたが、今では中国の会社はこういうもの、とキッパリ割り切れるようになり、普通に流せるようになってしまった。やはりこれも「慣れ」だ。辞職話に慣れるなんてちょっと嫌だし、日本に戻ったら逆に会社内の集団主義の雰囲気が大変になるかもしれないが、大連に来て一年+一ヶ月、やっとその根幹である異文化に慣れた気がする。
そしてまた次の日からは何事もなかったように、残ったメンバーや新しいメンバーで単調に日々が過ぎていく。きっと私が辞める日もそうなるんだろう。
こういった環境は、決して中国人の性格が暗いからという訳ではなく、中国の会社という位置付けがそういうものなのだ。
2005 08/24 18:57:40 | none | Comment(0)
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この前大連駅付近の通り(天津街)の屋台を回った。日本では今お祭りの時期だろう。お祭りの屋台を連想させたが、特にイベントがあるわけではなく、そこの屋台は夏は多分毎日出ている。ただ衛生面には要注意だ。
大連に住んでいる人にとっては今更珍しくもないが、写真をとって参りました。
まず始めに食べたものは、椰子の実ジュース(10元也)。ドライバーで穴を開け、ストローを差し込んで中の新鮮な汁を飲む。見た目はお洒落でおいしそうだったが、、、あまりおいしいものでも。。なかった。メロンジュースを青臭くした感じかもしれない。


次に食べたのは焼きイカ(6元也)。これはなかなか柔らかくておいしかった。さすが、大連は海産物の宝庫。


お次は焼き豆腐の串刺し(1元也)。こっちでは豆腐は2種類あり、日本のような柔らかい豆腐と、日本にはない硬い豆腐がある。この串刺しは後者の硬い豆腐でございます。


これは、、、名前忘れました。。お団子系です(1元)。甘くてもっちり、おいしかった。ちなみにこれを売っている人は耳の聞こえない方たちでした。


最後に食べたのはタンタン面。四川料理で、ヒジョーに辛い!!涙が出そうでした。値段も写真を撮るのも忘れてしまいました・・・小さなお椀に面と真っ赤なスープが入っているのです。多分3〜5元だったような・・・?

道端の果物売り場。


ちなみにこの日は8月15日。終戦記念日だった。私がここをウロウロしていたのは夜7〜8時過ぎごろだが、ちょうど8時にサイレンが鳴る。。第二次世界大戦を忘れないようにする為、大連では毎年終戦記念日の午後8時にサイレンがなるそう。だがただの屋台街なので、もちろん反日ウンヌンの運動はない。皆普通に歩き、食べている。
とは言え、テレビではやはり最近、戦争に関する番組が多いが。。。

2005 08/23 12:05:21 | none | Comment(0)
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その後、結婚式の会場準備を見せてもらった。今回の結婚式の新郎は中国人朝鮮族、新婦は中国人漢族だそう。結婚式なんて文化の象徴的なイベントだから興味深々だった。。が、見ず知らずの人の結婚式にいきなり参加するなんてなんて厚かましい・・・と思い、そのごに及んで相当気が引けた。
それでも面白そうだし、こっちの人からすれば、失礼には当たらないらしいのでお言葉に甘え、変な外人パタパタは会場をウロウロさせていただいた。日本で言えば「どのようなご関係でしょうか〜?ご用件は?」みたいな状況。。準備を手伝おうかと思ったが、特にやることもなく撤退した。
さて翌日。9:58分という縁起のいい語呂合わせの時間に開式だ。
花で飾った車から新郎と新婦が到着。爆竹が鳴らされる。 人がおめでたいときに、後ろでは車が邪魔だったらしく、一般の車たちがクラクッションをブーブー鳴らしまくっている。。なんて失礼な!って思ったのは私だけみたいだ。。 朝鮮の民族衣装をお召しだ。


さて、その後、新郎新婦さんはお召し変え。私は会場をウロウロキョロキョロ見渡していた。
おもしろい!会場を中央で二つに分け、新郎側では朝鮮語が、、新婦側では中国語が飛び交っている。みんな中国人なのに・・・そして私の半径1メートル以内は日本語だ。


飾りは朝鮮族の習慣だそう。いろいろな食物が並べられている。実は鶏も鯉も本物だ。鯉にはタバコを加えさせている。。面白い案だが鶏や鯉さんにアーメン。

司会は中国語と韓国語の二ヶ国語で話している。結婚式自体は日本みたいにまとまって皆で同じ物に注目したりするのではなく、身内の挨拶などの始めのプログラムが終わると、みんな好きなように行動する。ある人は帰り、ある人は食べる、話す、写真をとるなどだ。そして新郎と新婦は知り合いの一人一人を回り、タバコを渡したりお金を受け取ったりする。
そしてその間、新郎と新婦は高校の同級生にタバコを。親しいもの同士だから最後に回ってきたのだろう。だが彼ら、新婦が火をつけているそばから友達同士で消しあっている。おもしろい結婚式だ。そうしている間、歌と踊りが始まった。朝鮮族の親しい人たちで残って、歌い踊っている。
それが終わると、今度は新郎も新婦も友達たちも踊りだした。すごい盛り上がり様!ちなみに歌は100%、朝鮮語だった。バンドも呼んであり、トランペットやトロンボーン、サックスもにぎやかで、見ていて楽しかった。


盛り上がった式が終わると、高校の同級生とやらに混じってカラオケに行った。皆にとっては得体の知れない外人の私もなぜか参加。歌は全て朝鮮語で、一言も分からなかった。ただみんなの話を聞いていると、おもしろい。中国語で話していても、途中から朝鮮語になったりその逆だったり。。でもみんなの中ではかみ合っている。バイリンガルっていいなぁ。出てきた料理は全て辛い!辛い!お皿は真っ赤に染まっている。。
「中国人の朝鮮族」というより、「在中の韓国人」なんじゃぁ・・・?と思っていた。
盛り上がり様はまぁ日本人のごく普通のマジメな若者と同じだろう。

日曜日の夕方、また電車で大連に戻り、沈陽旅行は無事終了! 
遊び疲れました〜
2005 08/17 12:51:54 | none | Comment(0)
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週末、沈陽に行った。大連から電車で北へ4時間。やはり中国は広い。目的は観光と、知り合いの友達の結婚式を見ること。
沈陽に行くのは2回目だ。3月にも行ったが、そのときは長距離バスで、4時間半くらいかかったか。
聞くところ、バスより電車の方が安全で確実だそう。バスで霧が出た場合はどうにもならなくなるらしく、線路の上を走る電車の方が安全らしい。だがこの電車、予約の際に日本みたいに連れの人数と座席を調整してくれず、予約した順番に適当に座席の番号順に人を埋めていく。その為、家族や友達同士で一緒に予約しても、固まった席になるとは限らない。ちょうど座席の区切りに当たったりするが、乗客たちは左右前後の人たちと交渉し、その交渉の声で社内は大変にぎやかだった。
沈陽は大連より緯度が高いから涼しいかと思ったら、非常に蒸し暑かった。内陸独特のムンムンさが漂う。
街並みもやはり大連とは少し違う。道路がだだっ広く、自転車が多い。大連よりお年寄りや子供も多い気がする。まさに中国を実感させる風景だった。
観光先は、故宮と九一八事件博物館。故宮は、北京とは比べ物にならないほど小さいが、清朝のもとは沈陽の故宮だそう。夏の週末なので、いろんな地方からの観光客でにぎわっていた。私もごく普通の観光をした。ただ、蒸し暑い〜;;




故宮を見た後は、日本軍侵略の九一八事変博物館。臆病な私は恐る恐る立ち入り、惨い写真からは目を背けながら歩いた。現在になっても反日感情が消えないのが分かった気がする。他の観光客は多分全員中国人だと思う。惨い写真の前で私が日本人だと気づかれるのが怖くて、なるべくしゃべらず、団体客とは距離をおきながら見た。展示物の最後には、小泉首相が靖国神社を参拝している写真もデカデカと掛けられていた。頼むよ、首相・・・


その後結婚式の会場準備へ。。。
長くなるので、続きは結婚式編で!
2005 08/16 20:09:19 | none | Comment(0)
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日曜日、いつもの様に一人で街をぶらついていた。
お昼時、とあるレストランに入ると、混んでいて相席となった。
たまたまお向かいさんは40くらいの女性。
私の注文を見て、
「大連の人じゃないわね。」
と声をかけてきた。
「そう、日本人なんです。」と私。
「あらまぁ。外国人だったのぉ・・・。」
それから大連で何している、とかいう簡単な自己紹介の会話。その人は小学校の美術の先生だそう。
そうこうしているうちに、私の教え子のに日本語を教えないか、と誘われた。
家庭教師という訳だ。
ちょっと驚いたが、、おもしろそ〜う♪ とりあえず、電話番号を交換して、その場では別れた。
あれから3日。お互いに連絡し合ってはいないが、また会ってちょっと詳しく聞いてみようと思う。
いきなり知らない人についていくのもなんだが、ま、大丈夫だろう。私は逃げ足だけは速い。
何気なく入ったレストランで、そんな話になるとは思いもよらなかった。。
どうなるか分からないけど、面白そうだ。
2005 08/10 15:46:38 | none | Comment(0)
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この前、たまたま夜に中山広場に行った。
とある人が、中国の伝統楽器のラッパを吹いており、
それに何人も群がっている。
そこへ、とあるおばさんが前に出て京劇を演じ始めた。全てアドリブだ。
あいにくカメラを持っていなくて残念だったが、
平和な大連の夜の一角でした。

そして次の日(日曜日)の昼間、中山広場は語学学習広場と化していた。
外国語を学びたい人が適当に集まり、
そばにいた人同士で輪になって話している。
広場のあちらこちらに人の輪があったが、すべて英語で今回日本語の輪はなかった。

平和な大連の大連人による、中山広場でした。
でもシャッターチャンスを2回も逃してしまった・・・;
2005 08/10 14:04:58 | none | Comment(0)
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日曜日、プールに行った。
大連の日本人向けの雑誌を見て、一番安い所を選んだ。その雑誌によると、プールでもピンきりだ。安くすぐに気軽に行けるところもあれば、会員契約で何千元も払わなければならないところもある。
私の選んだ所は、雑誌の割引券を使えば一回15元(200円弱)だ。安いだけに、やはり監視員もおらず、日本ほど綺麗ではなかったが、許容範囲内。何も問題ない。 ただ、深い・・・プールの面積の半分は脚がつかない。 プールにいたお客は20人くらいか。親子連れが多く、混んでいなくてちょうど良かった。

なんとなく気が向いてプールなんかに行ったものの、私は泳げない。水泳は嫌いな科目No.1だった。ただ久々に、気ままに水浴びがしたかったのだ。
だがいざ深めのプールに入り、ちょっと泳いで(もがいて)みると、忘れていた高校時代の悪夢(プールの授業)がよみがえる。 でもそんな自分を今冷静に見つめなおしてみると、自分が10Mしか泳げない理由がわかった。
・・・・・息継ぎが出来てない・・・ 出来ているつもりだったが、出来ていない・・・顔を上げる度に、酸素を吸うだけ吸って、吐き出していなかった。。。水の中は空気がないからって、ケチりすぎだ。
苦しいわけだ。プールの授業が悪夢になるわけだ。
この世に生を受けて23年・・・年の功、というより、、なんで今ごろ気づいたんだろう・・・? マジでオランウータンの頭脳にも負けているかもしれない。


ちなみに大連の小中学校には、プールや水泳の授業はないらしい。だから親子でよく行く人でないと、基本的に泳ぎは知らないみたいだ。
そこにいた親子連れは、たまたま親が好きで子供を連れて行き、教えているみたいだった。
プールにコースラインがはっていないので、私が中央でもがいているにも関わらず、余裕でデカイおっさん(どこかのパパ)が、バタフライで突進してくる。交通状況と一緒だ。
すいていて良かった。。

バタ足で気合を入れすぎたのか、すこし筋肉痛だ。 が、息継ぎが出来るようになるよう、また行くつもりだ。いい年して何やってんだろ・・・
2005 08/02 19:08:38 | none | Comment(0)
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