聖教新聞「きょうの発心」から
 いきてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり(上野殿後家尼御返事、一五〇四ページ・編六一五ページ)
 *通解
 (故上野殿は)生きておられた時は「生の仏」、亡くなった今は「死の仏」であり、生死ともに仏である。これが即身成仏という大事な法門である。
1996年1月18日付
2006 01/18 12:47:24 | きょうの発心
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 ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず(四条金吾殿御返事、一一四三ページ・編八八〇ページ)
 *通解
 ただ、世間の種々の難が起こっても、とりあってはいけない。賢人や聖人でも、この留難は逃れられないのである。
1996年1月17日付
2006 01/17 12:14:51 | きょうの発心
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 言と云うは心の思いを響かして声を顕すを云うなり(三世諸仏総勘文教相廃立、五六三ページ・編一二二六ページ)
 *通解
 言葉というのは心の思いを響かせて声に表したものをいうのである。
1996年1月16日付
2006 01/16 12:54:43 | きょうの発心
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 御いのりの叶い候はざらんは弓のつよくしてつるよはく・太刀つるぎにて・つかう人の臆病なるやうにて候べし(王舎城事、一一三八ページ・編六七七ページ)
*通解
 祈りが叶わないのは、弓が強いのに弦が弱く、太刀や剣があっても使う人が臆病であるようなものである。
1996年1月15日付
2006 01/15 12:58:08 | きょうの発心
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 但生涯本より思い切て候今に飜返ること無く其の上又違恨無し諸の悪人は又善知識なり(富木殿御返事、九六二ページ・編四七七ページ)
 *通解
 ただ私の生涯は、もとより覚悟のうえである。今になって翻ることはないし、そのうえまた遺恨もない。多くの悪人はまた善知識である。
1996年1月13日付
2006 01/13 12:29:52 | きょうの発心
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 聴聞する時は・もへたつばかりをもへども・とをざかりぬれば・すつる心あり、水のごとくと申すは・いつも・たいせず信ずるなり(上野殿御返事、一五四四ページ・編一〇八三ページ)
 *通解
 (火のように信ずるとは)教えを聴いた時は燃え立つばかりに思うが、遠ざかると、信心を捨てる心が生じることをいう。水のように信ずるとは、常に後退することなく信ずることをいう。
1996年1月12日付
2006 01/12 12:32:38 | きょうの発心
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 蒼蝿驥尾に附して万里を渡り碧蘿松頭に懸りて千尋を延ぶ(立正安国論、二六ページ・編一六三ページ)
 *通解
 青バエが駿馬の尾について万里を渡り、緑色の蔓も大きな松にかかって千尋もの高さに延びる。
1995年1月11日付
2006 01/11 12:51:49 | きょうの発心
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 設ひ・いかなる・わづらはしき事ありとも夢になして只法華経の事のみさはぐらせ給うべし(兄弟抄、一〇八八ページ・編六八九ページ)
 *通解
 たとえ、どのような煩わしいことがあっても、夢の中のこととして、ただ法華経のことだけを思っていきなさい。
1996年1月10日付
2006 01/10 12:17:46 | きょうの発心
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 あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき(経王殿御返事、一一二四ページ・編五六九ページ)
 *通解
 心して信心を奮い起こしこの御本尊に祈念していきなさい。何事か成就しないことがあろうか。
1996年1月9日付
2006 01/09 12:38:29 | きょうの発心
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 日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし(辧殿尼御前御書、一二二四ページ・編五七一ページ)
 *通解
 日蓮はその身に当たって、仏の大軍を起こして二十余年になる。その間、一度も退く心はない。
1996年1月8日付
2006 01/08 12:02:43 | きょうの発心
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