聖教新聞「きょうの発心」から
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 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷抄、一三五一ページ・編五一九ページ)
 *通解
 大地をさして外れることがあっても、大空をつないで結ぶ者があっても、潮の満ち干がなくなっても、日が西から出ることがあっても、法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。
1995年1月7日付
2006 01/07 12:43:19 | きょうの発心
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 大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも・潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも・法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず(祈祷抄、一三五一ページ・編五一九ページ)
 *通解
 大地をさして外れることがあっても、大空をつないで結ぶ者があっても、潮の満ち干ぬことがあっても、日が西から出るようなことがあっても、法華経の行者の祈りが叶わないことは絶対にない。
1996年1月6日付
2006 01/06 11:53:25 | きょうの発心
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 しをのひると・みつと月の出づると・いると・夏と秋と冬と春とのさかひには必ず相違する事あり凡夫の仏になる又かくのごとし(兵衛志殿御返事、一〇九一ページ・編八一一ページ)

 *通解
 干潮と満潮、月の出入り、また夏・秋・冬・春と四季の変わり目には、必ずふだんと異なることがある。凡夫が仏になる時もまた同じである。
1996年1月5日付
2006 01/05 12:47:11 | きょうの発心
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 悪は多けれども一善にかつ事なし、譬へば多くの火あつまれども一水にはきゑぬ、此の一門も又かくのごとし(異体同心事、一四六三ページ・編七九二ページ)
 *通解
 悪は多くても一善に勝つことはない。たとえば、多くの火が集まっても、一水によって消えてしまう。この一門もまた同様である。
1996年1月4日付
2006 01/04 12:28:06 | きょうの発心
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 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり、傅大士の釈に云く「朝朝・仏と共に起き夕夕仏と共に臥し時時に成道し時時に顕本す」と(御義口伝、七三七ページ・編一五八三ページ)
 *通解
 今、南無妙法蓮華経と唱える日蓮と門下は、「如来とともに宿する」者である。弥勒菩薩の後身とされる傅大士の釈には「朝に夕に仏と共に起き臥し、時々に仏道を成じ、本地を顕す」とある。
1996年1月1日付
2006 01/01 12:35:21 | きょうの発心
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