思索に耽る苦行の軌跡

2007年 09月 の記事 (9件)

――さうね、《自由》《平等》《友愛》を掲げ、神をその玉座から引き摺り落とし《理性》が神の玉座に座ったフランス革命が好例ね。ブレイクもフランス革命における人間の愚劣さを「The French Revolution」として著してゐるけれども、人間が《自由》のど真中に抛り出されると如何に《愚劣》か……さうよね、あなたの言ふ通りかもしれないわ……、人間は《自由》を持ち堪へられないのかもしれないわね。

*******つまり、人間はどうあっても《下等動物》でしかなく、つまり、その《宿命》から逃れられない《大馬鹿者》であるといふ自覚がなければ、つまり、結局《縄張り》争いの坩堝に自ら進んで身を投じ、つまり、最後は無惨な《殺し合ひ》に終始する《愚劣》な生き物といふことを自覚しなければ、つまり、人間にとって《自由》は《他者を殺す自由》に摩り替はってしまふ外ない。つまり、レーニンがネチャーエフを認め、つまり、『革命家の教義問答』をも認めてゐたことは有名な話だけれども、つまり、レーニンが最も自身の後継者にしてはならないとしてゐたスターリンがソヴィエトを引き継ぎ、つまり、《大粛清》を行ったのも人間が《自由》に抛り出された末に辿り着く《宿命》、つまり、《自由》に堪へ切れずに人間内部に《自然発生》する《猜疑心》の虜になるといふ《宿命》、つまり、即ち《他者を殺す自由》が人間に最も相応しい《自由》といふことを証明してゐる。つまり、人類史をみれば、つまり、《自由》が《他者を殺す自由》でしかない事例は枚挙に暇がない。つまり、《他者を殺す自由》以外は全て排除、つまり、《自由》は《自由》に《抹殺》されてしまふ。

――そこでだけど、ねえ、《自殺する自由》はどう ? 

――……。

――やっぱり、あなたも考へてゐるのね、《自殺する自由》を……。

*******つまり、《何か》を《生かす》以外、つまり、《自殺》は地獄行きさ。つまり、卵子と精子の例じゃないけれど、つまり、《壱》のみ生き延びさせるための《自死》以外、つまり、《自殺》は、つまり、地獄行きだ。

――どうして《自殺》は地獄行きなの ?

*******つまり、例へば、僕も君も、つまり、一つの受精卵から子宮内で十月十日の間、つまり、全生物史を辿るやうに全生物に変態した末に人間に成るが、つまり、その一つの受精卵の誕生の一方で、つまり、《自死》した数多の卵子と女性の体内で死滅した数多の精子の《怨念》を、つまり、《背負はされて》此の世に誕生した訳だが、つまり、《自殺》はその死滅した、つまり、卵子達と精子達が許さず、そして、つまり、生き残った奴が《自由》に《自殺》した場合、つまり、此の世に誕生する事無く死滅させられた卵子達と精子達が、つまり、《自殺》した奴を地獄に送るのさ。更に《生者》が《自殺》するまで食料として喰らはれて来たこれまた数多の《他の生物達》の《怨念》も含めて、つまり、あらゆる《生者》は生まれた時から《死者》の数多の《怨念》を背負ってゐるから、つまり、《自殺の自由》を《生者》が行使した場合、つまり、地獄行きは《必然》なのさ。

――それでね、《他者》が存在するのは……。人間は独りでは《自由》を持ち堪へられない、故に《他者》が存在する、うふ。

*******さう、そして、つまり、未だ出現されざる未出現の《未来人》を必ず《未来》に出現させる為にも、つまり、《現在》に《生》を享けた人間は、つまり、与へられた《生》を全うしなければならない。つまり、その為には人間は数多の《他者》と共に生きねばならない。

――ねえ、さうすると、人間は《自由》とどう関はれば良いと思ふ ?

*******正直言ふと、つまり、僕にはそれは解らないんだよ。つまり、阿修羅の如き《自由》……、君はどう思ふ ?

――さうね、人間は分を弁えるしかないんじゃないかしら……、うふ、私にもこの《残虐非道》な阿修羅の如き《自由》に対しての人間の振舞ひ方は解らないわね、うふ。だって、《自由》を自在に操れるのは《神様》以外在り得ないもの。ねえ、さうでしょ、うふ。

…………

…………

君もさう思ふだらうが、雪の微笑みは何時見ても純真無垢な美しさに満ち溢れてゐたが、この時の雪の微笑みも『これぞ純真無垢 ! !』といふやうな飛び切りの純真無垢な美しさに包まれてゐて私は心地好かったのである……。

(以降に続く)
2007 09/30 02:57:26 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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東の窓を不図見上げると秋の十三夜月の仄かに黄色を帯びた柔らかな白色の月光を放つ月が見えたので、その月明かりに誘はれるまま漫ろ歩きに出掛けたのであった。

これは空耳なのか何処とも知れぬ何処かから「四智梵語」だと思ふがのその神秘的で荘厳な声明(しゃうみゃう)が、始終、聴こえて来るのであった。

その声明に誘(いざな)はれるままに私の歩は嘗ては門前町として栄えたであらうが今はその面影は全く無く十数か所の寺寺だけが残るとある場所を気が付くと歩いてゐたのであった。

――『祗園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、唯春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。』(平家物語冒頭より)

と、私は無意識に呟いてゐたのであった。

と、不意に

――ぐわぁ〜〜ん……わぅ〜〜ん………うぉ〜〜ん…………

と何処の寺から美しく余韻を残す梵鐘が聴こえて来たのであった。

梵鐘の形は《宇宙の歴史》を形象したやうに思へてならないである。《無》からBig Bang(ビッグバン)の大爆発が発生してこの宇宙に膨張・成長されたと考へられてゐるが、梵鐘の天辺に付いてゐる宝珠と竜頭が原始宇宙を表はし、釣鐘本体は今に至る宇宙の歴史を具現化したものに思へるのである。そして、梵鐘の乳の間、池の間、そして草の間は宇宙の歴史で起こった三度の相転移を見事に表はしてゐて感心一入(ひとしお)である。そして、梵鐘下部の下帯(かたい)は現在の宇宙でその下の駒の爪が宇宙の涯を表はしてゐるのであるとすると、誠に見事といふ外ない。

梵鐘、即ち、《宇宙》である。

――ぐわぁ〜〜ん……わぅ〜〜ん………うぉ〜〜ん…………

この清澄な余韻ある美しき響きは音波たる《波》、即ち、物理学の「拾次元超ひも理論」若しくは「拾壱次元超重力理論」若しくは「余剰次元の宇宙論」等等の具現化に思へなくもないが、さて、物理数学はこの宇宙を将来「説明」出来るのか……。

月光の下の墓場は神聖な美しさと此の世を映す《猥雑さ》に満ちてゐる。私は墓場が大好きで昼夜問はず己を律するときには必ず墓場を訪れるが――その所為で頻繁に私には《霊》が憑依し《霊》が去るまで《重たい》身体を引き摺るやうに過ごしながら、そして、大概《霊》は毎晩《夢》で私と何やら問答をし、納得してかその問答に飽きてかは解らぬが一週間程して私の右足の皮膚を破って出て行くのである。勿論、私の右足には《霊》が破いた皮膚に傷が残される事になるのであるが――、その時も寺寺の境内の墓場に歩を進め巡り歩いたのは勿論の事である。墓場は大概綺麗に清掃されてゐるが、しかし、《生者》に《見捨てられた》墓所の前に来ると墓碑若しくは墓石が何やら《泣いてゐる》やうに感じられ、よくよく見ると何十年にも亙ってその墓を親類縁者の誰一人も参りに来てゐないのがその墓所の《姿》から察しがつくのである。私はさういった墓には合掌し鄭重に一礼するのを常としてゐるのであった。

さて、とある寺に着くとその寺の本堂の扉は全て開かれて内部は三本の和蝋燭の燈明の灯りのみで宵の闇に照らし出されてあったのである。私は本堂の入り口に来ると

――すみません。失礼します。

と、大声で声を掛けたが何時まで経ってもその静寂は破られることは無かったのであった。

――お邪魔します。

と言って私は本堂に上がり御燈の前に正座したのであった。前方にはこの寺の本尊なのかもしれない然程大きくも無く朴訥と彫られた古びた阿弥陀仏が鎮座なさってをられたのである。

――自在……

これは仏像を見ると必ず私が胸奥で呟く一言である。暫くその阿弥陀仏に見入ってゐると不意に声明と共に誰かの声が聞こえたのであった。

――未だ具足なれざる者、《吾》は《自在》か。

――《自在》です。

――此の場で朽ち果てるのみでもか。

すると一陣の風が本堂の中を通り過ぎ蝋燭の炎がゆらりと揺れたのであった。当然、阿弥陀仏もゆらりと揺れたやうに見えたのであった。

――あなた様は絶えず《動いて》らっしゃるではありませんか。今もさうです。ゆらりと動きなさいました。

――はっは。お前の《錯覚》じゃ。何故《吾》《自在》なるか。

――《内的自由》。あなた様は《自由自在》、《変幻自在》です。あなた様の《内的自由》は《無限》だからです。

――小賢しい。《吾》不自由故に《自在》なり。《無限》是《無》乃至《空》なり。色即是空、空即是色なり。

――ぐわぁ〜〜ん……わぅ〜〜ん………うぉ〜〜ん…………

と何処で再び梵鐘が鳴り響き、そして、何時までも声明は消えることは無かったのであった。
2007 09/25 01:28:40 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――えっ、自由か……、それが私には解らないのよ。そうね、例へば、主君の死に殉じて自ら殉死する人々、一遍上人は禁じてゐたにも拘はらず一遍上人の死に殉じて入水(じゅすい)した僧や癩者達、そして《死の自由》の狂信者としてドストエフスキイの作品《悪霊》に登場するキリーロフ等々、何れも《何か》の《殉死》だけれども……う〜ん……《自由》の問題を考へると私は如何しても《死の自由》に行き着いちゃうの……。どれも極端だけどもね。

ここで私は雪に『一寸』といふ合図を右手で送って鞄から或るMemo帳を取り出してバクーニンが草稿を書きネチャーエフが補足したといはれてゐる『革命家の教義問答』を雪に読ませたのであった。その内容はかうだ。

【革命家は既に死刑を宣告された者である。彼は個人的な興味も個人的な感情も持たない。彼自身の名さへ持たない。彼は唯一つの観念を持ってゐる。革命がそれである。彼はこの教養ある世界のあらゆる法律、あらゆる道徳律と断絶してゐる。彼がその世界の一部である如くに振舞ひながらその世界の中で生活するのは、唯只管その世界をより的確に破壊するがためである。この世界の中の全ての事物は等しく彼にとって憎むべきものでなければならない。彼は冷ややかでなければならない。彼は常に死ぬ用意をしてゐなければならない。彼は苦痛に耐へる訓練をしてゐなければならない。そして、自己内部のあらゆる感情を圧殺するため絶えず備へてゐなければならない。彼の目的を妨げる怖れのある時は名誉の感情さへ含めて、彼は唯その目的に貢献する者のみに友情を感じて差支へない。彼はより低い能力を持った革命家達を唯消費すべきところの資本と看做さねばならない。もし同志が危難に陥った時は、その運命は彼の有益性と、彼を救ふために必要な革命勢力の消費度によって決定されねばならない。支配する側については、革命家はその構成員を、その個人の悪しき性質によってではなく、革命の大義に害悪を齎す様様な度合に応じて、区分しなければならない。最も危険なものは直ちに除かれねばならない。けれども、そこには次のやうな他の部類に属する者がゐる。その或る者は、放任されたままでゐる限り、怖るべき所業を敢行し民衆を昂奮せしめることによって革命の利益を促進し、また或る者は、恐喝と脅迫によって大義の目的に役に立ち利用され得るのである。自由主義者の部門は、彼等の方針に一致するかの如く彼等を信じしめ、それによって、こちらの方針をもまた容れることを妥協せしめながら、彼等を利用せねばならない。他の急進主義者については、多くの場合彼等を完全に破滅せしめる行動に駆り立てねばならない。そして、稀な場合、それが彼等を革命家に仕立てあげるのである。革命家の唯一の目標は手を使う労働者達の自由と幸福であるが、この事態が唯全は全破壊的な、全人民の革命によってのみ成し遂げられることを考慮して、革命家は全力を傾倒して人民がついに忍耐心を失うに至るだらうところの全ての悪行を推し進めなければならない。ロシア人は、西欧諸国において一般化してゐる革命の古典的な形態、つまり、財産に対し、また、所謂文明と道徳による伝統的な社会秩序に対して常に足踏みし、そして国家を唯別の国家によって置き換へてゐるところの革命の古典的形態を断乎として拒絶しなければならない。ロシアの革命家は国家を、その全伝統、全制度、全階級とともに、根こそぎに廃絶しなければならない。かかるが故に、革命を醸成するGroupは人民に対して如何なる政治的組織をも上から押し付けやうと試みないであらう。未来社会の組織は、疑ひもなく、人民自体の中から生まれる。吾々の事業は唯恐怖すべき、完璧な、全般的な、無慈悲な破壊を為すことにある。そして、この目的のため、大衆の頑固に反抗する諸部分を結合せしめるばかりでなく、ロシアにおける唯一の真実な革命家であるところの法の保護を失へる全ての者達の不屈な集団を団結せしめばならない。】(埴谷雄高著「埴谷雄高ドストエフスキイ全論集」【講談社】の参照より)

*******どう ? つまり、これもまた《自由》の一形態だが……

――ネチャーエフが《悪霊》のスタヴローギンのModelだとは知ってゐたけれども『革命家の教義問答』を読むのは今日初めて……。

******つまり、《自由》は冷徹非道性を必ず備へてゐなければ、つまり、それは《自由》として取り上げるに値しない……つまり、《自由》は、つまり、そもそも《残虐非道》なものに違ひない……と思ふけれども、つまり、君は、如何思ふ ?

(以降に続く)
2007 09/23 16:03:58 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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このBlogの「瞼考?――過去にたゆたひ未来にたゆたふ」等を参照にすれば外界に於ける「過去」と「未来」が《主体》次第で何時でも転換可能だといふ事、つまり、此の世は《個時空》といふ《渦時空》、例へば《主体》の《個時空》や《地球》の《個時空》や《太陽系》の《個時空》や《天の川銀河》の《個時空》等々のそれぞれの《渦時空》が各々相互作用しながらも個々に存在してゐると考へられるのである。去来現(こらいげん)、つまり、過去・現在・未来は私見であるが全て《渾沌》の中で《渦》を巻いてゐるのである。

更に妄想を肥大させるともしかすると此の世には渦状の《螺旋》を形作る《宿命次元》若しくは《運命次元》が《個時空》各々に存在し、その《宿命次元》若しくは《運命次元》が《主体》それぞれを貫いてゐるやうに思ふのである。生物について言へばその《宿命次元》若しくは《運命次元》は《主体》の二重螺旋のDNAと相互作用を及ぼし合ひながら《主体》の生老病死を決定してゐるやうに思へてならないのである。

例へば交通事故で死す人々を思ふと此の世の無情の《不合理》に怒りすら覚へ、『何故あの人が……』と死への疑問を覚へながらも、其の反面、胸奥では『これがあの人の《運命》だ……』と何処かである種の諦念にも似た思ひを抱き変に納得してゐる自分がゐるのであるが、不思議なものであるが《宿命次元》若しくは《運命次元》が確かに存在すると考へれば尚更納得出来てしまふのである。

多分、《宿命次元》若しくは《運命次元》は確かに存在する……

例へば、各々の《主体》の《宿命次元》若しくは《運命次元》が縄を捩るやうに互いに巻き付けばそれは《仲間》やら《友人》やら《恋人》やら《伴侶》やら《家族》やらになる筈で、一方互いの《宿命次元》若しくは《運命次元》が《垂直》に互いの次元をぶった切るやうに交はればそれは交通事故死のやうに《死》を齎すに違ひないと思はれる……

さて、The Concrete Jungle(コンクリートジャングル)と異名を持つ都市の景色を見渡すと、先づ、《地球》の《個時空》の《現在》たる地肌をAsphalt(アスファルト)やConcreteで蔽ひ此の世を《過去》へ無理矢理に追い遣って《現在》から遁走してゐるのである。つまり、《主体》は《地球》の《過去》の世界で敢へて《現在》を《永劫》に追い求める《仮象》の中で生きる《倒錯》の中に存在してゐるやうに思へてならないのである。つまり、都市に住む現代人は全て《現実逃避》の中で生きるといふ無責任極まりない生き方をしてゐるのである。そもそも《現実》は不便なもので《便利》とは、即ち《現実逃避》の別名である。そこで、もし自然が今直ぐにでも憤怒の鉄槌を人類に下して人類の数を半減させなければ今の自然環境は打ち壊れ、多分、昆虫と人類以外の殆どの生物は絶滅する筈である。

すると、人類は食料確保の為に《人間狩り》を始め《共食い地獄》に堕ちる筈である。武田泰淳の「ひかりごけ」や大岡昇平の「野火」の地獄を見るに違ひないのである。今のままでは必ず人類は《共食い地獄》に堕ちるしかない――。

さて、《宿命次元》若しくは《運命次元》が重力と深い関係にあると仮定するならば地肌をAsphaltやConcreteで蔽った都市世界は、もしかすると《宿命次元》若しくは《運命次元》の《力》がAsphaltやConcreteでぶった切られて羸弱してゐるに違ひないのである。

――さあ、剥がせ ! !、剥がせ ! ! AsphaltもConcreteも剥がすのだ ! ! でなければ……人類は地獄行きだ ! ! さあ、地の上に直に立たう ! ! でなければ人類は死滅するのみ ! !
2007 09/17 09:47:00 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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*******いや、つまり、僕が思うに、つまり、《秩序》は《不合理》を、つまり、許容しなければならない。つまり、何故だと思う ?

――さうね、《秩序》が《合理》であるとすると、う〜ん、そっか、その《社会》には《合理》しか有り得ない。さうすると《主体》は《不自由》ね。

*******さう。つまり、《人類》より遥かに進化してゐる、つまり、昆虫、中でも、つまり、蜂や蟻を考えてごらん。

――御免なさい。私、昆虫は余り詳しくないの。

*******つまり、蟻を例にすると、つまり、蟻は大きな群れを作って、つまり、集団で生活してゐるね。つまり、蟻は、つまり、《社会性昆虫》と言われてゐる。ところで、つまり、君、蟻に《脳》は、つまり、有ると思ふかい ?

――えっ、さうね、有るんじゃないの。

*******さう、つまり、昆虫にも、つまり、《脳》はある。つまり、さうじゃなきゃ、つまり、此の世は、つまり、《昆虫天国》になる筈はない。それじゃ、君、つまり、蟻は《思考》すると思ふかい ?

――えっ、それは、う〜ん、解らないわ。

*******つまり、蟻が、つまり、《思考》するかどうかは、つまり、これからの研究に待たなければならないんだが、つまり、仮に蟻が《思考》するとして、つまり、蟻は血縁の社会だが、つまり、さうすると、何故、つまり、蟻の社会には、つまり、働き蟻による《内訌》や《叛乱》や《謀反》が、つまり、起こらないのだらうかね。

――う〜ん、……《自由》の問題かしら ?

*******さうだね、つまり、《自由》の問題になるのかもしれないね。そこで、つまり、君、蟻の社会は《合理的》だよね。つまり、そこでだ、つまり、蟻のやうに《合理的》な、つまり、それも、つまり、《合理》をとことん突き詰めたやうな、つまり、《秩序》が《合理》そのものの《社会》で、つまり、《思考》する、つまり、《主体》の《自由》は、つまり、《許容》されると思ふかい ?

――さうね。《主体》の《自由》は無きに等しいわね。それは将に《洗脳社会》だわ。《主体》は皆全て《洗脳》された《自由》無き、考へただけでもぞっとする程気色悪い、寒気がする社会ね。ねえ、さうすると、《秩序》はそもそも《不合理》だとして、う〜ん、《秩序》が《不合理》であればある程、《主体》の《自由》は保障されるといふことかしら ?

*******つまり、それも《按配》だね。つまり、君、《渾沌》に《自由》はあるかい ?

――うふ、《渾沌》には《自由》しかないわ。だって《秩序》が無いんだもの。でも、《主体》はその《渾沌》の《自由》に潰されるわね。《破滅》のみね、《渾沌》にあるのは。そして、うふ、《渾沌》から《秩序》が生まれる……。うふ、パスカル風に言ふと《二つの〈渾沌〉の中間点が〈秩序〉》……ね。不思議ね。

*******君、その陰陽魚太極図が、つまり、《渾沌》から《秩序》が、つまり、生まれる瞬間の《象徴》だよ。つまり、《人間は思考する葦である》。つまり、人間は《渾沌》も《秩序》も、つまり、《思考》出来る《自由》がある。だけども、つまり、この《自由》が、つまり、曲者なんだよ。ねえ、君、つまり、そもそも人間は、つまり、《自由》を持ち堪へるに十分な、つまり、《存在》だと思ふかい ?

(以降に続く)
2007 09/16 05:37:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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水分子間の水素結合……これが諸悪の根源なのか……。

純度百%の超純粋水は一時も『吾』たる事に堪へられず、手当たり次第に『他』の物質を水たる『吾』に溶解させ、『不純』なる水に、即ち、『不純』なる『吾』に変容することを渇望して已まない……

故に、『吾』、既に『吾』為らざる『吾』たり。

水分子間の水素結合が生体に不可欠なたんぱく質のその立体構造を生成するのに重要な役割を果たしてしまってゐることは周知の事実であるが、この水分子間の水素結合が此の世の『寛容』の、即ち、『神』の『寛容』の淵源か。

…………

…………

或る日、私が湯船に浸かると不意に口から出た言葉があった……。

――『初めに言葉ありき』(新約聖書の「ヨハネによる福音書」より)。否、『初めにLogos(ロゴス)ありき』。

さて、一神教の世界に『無』は在るや。

――基督教が生まれた中東も含め、西洋の『言葉』は全て横書きなのは『天』に、若しくは『頭上』に厳然と『神』が坐し給ひしためなり……、即ち、それは『有』が全ての創造物の前提になってゐるからか……。其処には『無』は有り得ず、『空虚』若しくは『真空』のみ有る……つまり、全ての根源が『有る』事が前提なのか……

――つまり、一神教の世では『人』が直立するのに『自力』で地に立つのではなく、『神』が『既に』人を地に立たせてしまってゐる……、つまり、其処には『白紙』の『紙』は存在せずか……

――一方、『初めに言葉無き』極東のこの地では『臣安萬侶(やすまろ)言(もう)す。 夫(そ)れ混元(こんげん)既(すで)に凝(こ)りて、氣象(きしょう)未だ效(あらわ)れず。 名も無く爲(わざ)も無し。 誰か其の形を知らん。 然れども乾坤(けんこん)初めて分れて、參?(さんしん)造化(ぞうけ)の首(はじめ)と作(な)り、陰陽(めお)斯(ここ)に開けて、二靈(にれい)群品(ぐんぴん)の祖(おや)と爲りき。 所以(このゆえ)に幽顯(ゆうけん)に出入して、日月目を洗うに彰(あらわ)れ、海水に浮沈して?祇(じんぎ)身を滌(すす)ぐに呈(あらわ)れき。 故(かれ)、太素(たいそ)は杳冥(ようめい)なれども、本?に因(よ)りて土(くに)を孕(はら)み嶋を産みし時を識(し)れり。』(古事記 上つ卷から) ……云々。つまり、初めに『無』ありき。

――それで ?

――この極東の地で『人』が地に直立するには『自力』で、つまり、『神』無しに『立つ』外無し。

――それで ?

――然れば、先づ『人』は此の世に『天地』を定めるなり。

――そして ?

――『人』、『白紙』の如し。故に極東のこの地では『人』が直立するべく『無』たる『白紙』に縦書きで『字』を認(したた)めし。縦書き為らずばこの極東の地に『人』、即ち『直立』出来難し。

…………

…………

また、湯船の中で次の言葉が不意に口に出た……。

――『胎内瞑想』。

これは埴谷雄高が暗黒舞踏の創始者、土方巽について書いたEssay(エッセイ)の題名……。

――『舞踏とは命がけで突っ立つ死体』(土方巽)。

――この湯船の中……、『水』によって『浮揚』する……『吾』……

――さて、胎児は羊水の中で『浮遊』しながら何思ふ……、ふっ。

2007 09/10 07:34:09 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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*******つまり、君には酷な話になるが、つまり、君は既に、つまり、独りで立ち上って、つまり、何かを《決心》してゐるから、つまり、直截的に言ふよ。つまり、特に人間だが、つまり、君は、つまり、一つの卵子が作られる、つまり、過程は知ってゐるね ?

――ええ、多くの卵細胞から卵子に成れるのはたった一つ。後は卵胞閉鎖で自ら死滅して行くのよ。それを今ではApoptosis(アポトーシス)と名付けて生物学者は何か新発見をしたかのやうにしたり顔で馬鹿みたいに《歓喜》してゐるわ。

*******つまり、君は、何故卵子は一つなのか、つまり、君の考えを、つまり、聞かせてくれないか。

――えっ ! 何故 ? そんな事これまで考えもしなかったわ。御免なさい。私、それが《自然》で当然のことだとしか思ってゐなかったわ。何か理由でもあるの ?

*******つまり、これは私の独断だが、つまり、遺伝子には《諦念》或いは《断念》といふ情報が組み込まれてゐる、つまり、私はそれを《断念遺伝子》と勝手に名付けてゐるが、つまり、生き物は《断念》、これは詩人の、つまり、石原吉郎に影響されたんだが、つまり、生物は《断念》を、つまり、《宿命》付けられてゐる。つまり、《断念》無しに、つまり、此の世の《秩序》は在りっこ無いんだ。

――《断念》……ね。うふ、一つの卵子には無数の死滅した卵子成れざるの卵子達の《怨念》が負わされてゐるのかしら ?

*******へへ。つまり、僕の独断で言へば、つまり、負ってゐる。つまり、自ら死滅した卵子達の、つまり、死の大海に、つまり、たった一つの卵子が浮かぶ。つまり、そのたった一つの卵子は、つまり、死滅した無数の卵子達の《怨念》を、つまり、負はなければならない《宿命》なのさ。

――すると、ねえ、……

*******精子だね。さう、つまり、受精はたった一つの卵子とたった一つの精子のみしか出来ない、つまり、受精はそもそも、つまり、無数の《死》をその存在の前提で背負わされてゐる。つまり、無数に女性の、つまり、膣内に放出された、つまり、精子達は女性の体内で《死滅》して行く。つまり、僕や君が、つまり、此の世に存在する前提に、つまり、既に無数の《死》が、つまり、厳然と存在してゐる。

――さう……ね。……ちょっと待って。ねえ、何故人間は全ての卵子と全ての……精子……を受精させないの。受精以前に自ら《断念》して死滅する必然なんて何処にも無いわ。

*******さうだね。つまり、其処なんだよ、此の世に《秩序》がある《理由》が。つまり、人間もまた、つまり、魚類や昆虫等々と、つまり、一緒に、つまり、他の生物の《餌》になる前提で、つまり、無数の受精卵が、つまり、胎内に、つまり、《断念》せず存在してても良い筈なんだ。しかしだ、つまり、現実はさうは成ってゐない。つまり、DNAはどの生物も、つまり、その組成物質のたんぱく質は、つまり、《同じ》にも拘はらず、ある生物は、つまり、他の生物の《餌》となるために、つまり、《死滅》せず無数の受精卵が存在し、つまり、また、ある生物は《餌》とならないために、つまり、特に人間は、つまり、無数の《死》の大海に、つまり、たった一つの受精卵を存在させる。へへ、つまり、此の世の《秩序》は、つまり、《不合理》だね。

――それって《神》の気紛れかしら。ええっと、Credo……何だったかしら ?

*******Credo,quia absurdum。つまり、《不合理故に吾信ず》。

――それそれ。ねえ、《秩序》は《不合理》の異名なの ?

(以降に続く)
2007 09/09 05:58:56 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私は幼少時から昆虫を異常な程偏愛してゐるが、中でも黒蟻と蟷螂への偏愛は特別である。黒蟻はその巣の出入り口を一日中でも見続けてゐられる程であるが、黒蟻についてはまたの機会に譲る。

蟷螂は冬に芒等の枯れた茎に蟷螂の卵鞘(らんせう)を見つけるとそれを茎ごと家に持ち帰って日一日とその卵鞘から蟷螂の幼虫がうようよ出てくるのを待つのが楽しみであった。

また、初秋以外は自然の中にゐる蟷螂をじっと見続けてゐるだけで何とも言へない幸福感に包まれるのであった。

さて、問題は産卵期が近づいた初秋の蟷螂で、私は蟷螂を見つけると雄雌区別なく竹製の籠――Plastic(プラスティック)は幼少時から嫌いである。それはある日風呂に入るとそれまで木製だった桶等が全てPlastic製品に変はってゐてそのPlastic製品を手にした瞬間の嫌悪感が未だに克服できないのである――に入れ空かさず蟋蟀等の蟷螂の餌を捕まへて蟷螂に喰はせるのである。その様をずっと見てゐるのがこれまた名状し難い幸福な時間なのである。

蟷螂は蟋蟀を鎌で確りと掴み先づ蟋蟀の腹に喰らひ付く。その喰ひっぷりがこれまた何とも名状し難い程素晴らしいのである。今思ふとそれは後年『生』と『死』について思索するといふ陥穽へと陥ることになる予兆であったのかもしれない……。

それはそれとして、蟷螂が見事な喰ひっぷりで蟋蟀を一匹喰ひ終はると二匹目を蟷螂に喰はせ蟷螂が満腹になって喰ひ残した蟋蟀を鎌から放り投げるまで続けるのであった。そして、満腹になった蟷螂を捕まへた場所に戻し、私は名状し難い幸福感に包まれて其の日を終へるのであった。何も私は死体嗜好者ではないが蟷螂だけは別物なのである。

さて、それは或る秋の日のことであった。不意に道端に繁茂する雑草に目を向けると雄と雌の蟷螂が交尾してゐるのを目撃してしまったのである。最早私は蟷螂の交尾を凝視し続けるしかないのである。

それは不意に起こったのである。雌蟷螂が突然雄蟷螂の首を噛み切り首を落としたのである。依然として交尾は続いてゐた。そして、交尾が終はると雌蟷螂は雄の腹に喰ひつきその首がなく唯痙攣したやうに反射運動をしてゐるだけの、不自然に脚をばたつかせてゐた雄蟷螂を一匹丸々喰らったのであった……。

一方、首を落とされた雄蟷螂は想像するに、多分、恍惚の中に陶酔したまま彼の世に逝った筈である。生物史を見れば『性』と『死』は表裏一体の切っても切れない仲なのは明白で、雄蟷螂の死は『自然』の『慈悲』が最も良く具現化された『極楽』に思へてならないのである……。

さて、これは多分私だけの現象に違ひないが、快楽のみを求めて無用な性行為をしてゐる人間の男女は異様な瘴気を放ってゐて、私はそれを幻臭と名付けてゐるが、彼等は『死臭』若しくは『腐乱臭』の幻臭を放ってゐるのである。当然のこと、私が彼らの傍らを通り過ぎると幻臭に襲われ嘔吐するのである。そして、彼等は総じて老けるのが早く『醜悪』極まりないのである。

ランボーだったかボードレールだったかマラルメだったか忘れてしまったが、フランスの詩人のギロチンをMotifにした詩を読んだ記憶があるが、私が思ふにギロチンで死に逝く者は幸福なのかもしれないと、蟷螂が教へてゐるやうな気がしてならないのである。ギロチンが落とされ斬首された首の持ち主は、消え行く意識の中、多分、首は自由落下してゐるので『天上』へ向かって飛翔してゐる『錯覚』と『陶酔』の中で死んで逝ってゐる筈である……
2007 09/03 06:05:31 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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*******Credo,quia absurdum、つまり、君は、つまり、《不合理故に吾信ず》といふ、つまり、箴言を知ってゐるね。つまり、確か、アウグスティヌス(Aurelius Augustinus、354年11月13日 - 430年8月28日)の言葉だったと思ふが、否、つまり、この前に、つまり、君は、つまり、此の世に《秩序》があると思ふかい ?

――ええ、勿論あるわ。

*******へっへ。つまり、此の世に、つまり、《秩序》があるのに、つまり、君は、つまり、西洋の《論理》は、つまり、《理不尽》といふ。つまり、君の《論理》に、つまり、《矛盾》がないかい ?

――うふ、《矛盾》はないわよ、天邪鬼さん。だって此の世の《秩序》がそもそも《理不尽》なのだもの、うふ。

*******つまり、《真理》若しくは《摂理》といふ名の、つまり、《神》の御業を、つまり、把握したいが為に人間は、つまり、哲学から、つまり、始まって、そして、つまり、数学やら物理やらを、つまり、派生させ、つまり、《真理》の追究に、つまり、邁進して来たが、つまり、君はどう思ふかな、つまり、哲学者や数学者や物理学者等に、つまり、定理、公理、法則等が、つまり、此の世に厳然と、つまり、存在すると、つまり、君達は言ふが、つまり、では、その、つまり、定理やら公理やら法則やらは、つまり、何故、如何して、つまり、存在するのかを、つまり、彼らに尋ねると、さて、つまり、彼らは何と答えるか ?

――さうね、多分、解らないと答へるでしょうね。

*******つまり、其処さ。つまり、彼等は言外で、つまり、《神》の存在を、つまり、認めてゐるのさ。更に言へば、つまり、彼等は全て、つまり、一神教の《神》が此の世を創世したと深奥では、つまり、信じてゐるのさ。

――さう、それが私の言ふ《理不尽》の根本なのよ。幾何学等を発展させたエジプトやギリシア、そして零を発見したインド、更にニュートンやライプニッツに比肩するほどの独自の和算を発展させた日本、これら全て多神教よ。

*******つまり、ギリシアを始め、つまり、欧州に原始基督教が布教した頃は、つまり、土着の信仰も許容してゐた筈なのだが、つまり、私の勝手な考えだけれども、つまり、欧州の土地が、つまり、石畳で蔽はれるのと機を一にして、多分、つまり、一神教の圧制が、つまり、始まったと思ふ。つまり、これは、つまり、人間の性だが、つまり、《単純明快》が《美的感覚》と、つまり、結び付いてゐる、つまり、一神教の圧制は、つまり、必然なのさ。

――さうかもしれないわね……。

*******つまり、話は一気に飛躍するけれども、つまり、無性生殖の単細胞から有性生殖の多細胞へと、つまり、生物が、つまり、進化したことと、つまり、《単純明快》が《美的感覚》と結び付く人間の性と、つまり、関係してゐるのさ。

――えっ。どうして ?

(以降に続く)
2007 09/02 05:52:51 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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