出張から戻って一息ついた8日の晩。
テーブルの上のザリコは何度目かの脱皮を果たしていた。

『おぉ。また一回り大きくなりおって。』
3センチ強にはなったであろうザリコを褒めてやったのね。

脱皮して2日ほどは、抜け殻を食べて過ごすザリコ。
しばらくご飯はお預けな訳だし。

そう思っていたのに・・・。
ずっとお預けになってしまった。
あまりにも突然だった。

ザリコがだんだんナナメってきて。
急に動かなくなった。その間たった3時間ほど。
ここのところの気温の変化なんかも影響したのかも。
急遽、水を換えてやったりいろいろしたけれど虫の息。

そしてあっという間にこんな姿に。

脱皮に力を使い過ぎたのかもね。
2号として我が家に8ヶ月も癒しを与えてくれたザリコ。

可哀想に全身緑色になって我が家にやってきて。
前のザリコと同じ生まれのはずなのに、凄く小さくて。
脱皮をして本来の色艶を取り戻すのに2ヶ月ほどかかった。

とにかくヤンチャだった。
何度も瓶から脱走して、家の中を這いずり回って。
コタツの高さなんか全然平気で飛び降りて(落っこちて)
冒険していたっけ。
間違って踏んづけちゃったらいけないし、必死で探す我らを尻目に、体長2センチほどのザリコが瓶の5メートルほど先から元気に現れた時は本当にびっくりしたものだ。

餌をあげようとしたら水面にぷっくり浮かんできて、目をクリクリ動かして。あんなに元気だったのにね。
3月9日。お空に逝っちゃいました。
ザリコ、今までサンキュー。
2009 03/10 13:00:47 | スポーツもん | Comment(0)
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毎月のように各地転々と出張仕事がある私。
仕事先では9割が男性という状態。

そして、仕事内容のせいなのかしら?
結構気を遣う仕事なので、ヘビースモーカーも多くて。
煙草を吸わない私は結構キツイ時があったりするんです。

やっぱり晩御飯を一緒に行くでしょ?
ちょっと美味しく飲んでゴキゲンなんだけど、
服にまで煙草のニオイが染み付いて取れなくなるの。
ホテルの部屋に帰ると自分が煙草クサイ訳。

着替えのある私服の時はいいけれど、
場合によってスーツ姿のまま飲みに行って、
次の日もそのスーツを着るってことになると・・・
カナシイけれどニオイに耐えられないのね。
だから出張には必ずファ○リーズが欠かせなくなった。

そしてもう1つ欠かせないのがこんなお供たち。

ス○バのコーヒーにちょっとのおやつ。
それと、次の日に必要なフ○スク。

今日は春を先取りしてサクラ色。
PC打ちながらゆったりコーヒー飲める幸せ。
私の小さな愉しみです。

さぁ、あとは入浴剤入れてお風呂で本を読もっと。
2009 03/05 22:34:58 | 生きもん | Comment(0)
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2日間、メディエーションの勉強をしてきました。
かれこれ10年前、民間型裁判外紛争解決の方法(ADR)が日本にも取り入れられるようになり、それからずーっと、ちょっとずつかじってはきたんですよ。
メディエーションって? ADRって?
裁判ではない解決方法、調停って言った方が分かりやすいですかね。
当事者間が話し合いで解決していく手法な訳。

そんな名前すら聞いたこともない人達に
どう伝えていけば解り易いのか?ってその道を学んだ先生方を中心に悩んでいるNPO集団がありまして。
ただ単に講座を開き、難しい話をするだけではなく、
講座の中に寸劇を入れて伝えれば解り易いのでは?とか、
事例のビデオを作ってみようと意欲的に取り組む人達。
シヴィルプロネット関西という「士業」を中心とした集団。

いろんな経緯から「士業」ではない私なんかが関わらせて貰って約10年。
寸劇の出演や、ビデオ撮影及び編集などにも携わることで、少しでも一般の人達にも解る様に・・・を目指して制作に関わってきた。
しかし、講座をしっかり受講するという時間はほんとに少なかった私。
今回、2日間で7時間。しっかり学んできました。

『争うことは決して悪いことではないんですよ!争うことで見えてくるものもありますから』
『暴力の替わりに争う方法がありますよ!
それがメディエーションという方法だって伝えていければいいですね』等など。
講師をして下さった先生はおっしゃいました。

勿論、争うにしてもルールは必要ですよ。

当事者の間に立って、中立の立場で、互いの話の内容を要約していくメディエーター。
う〜ん。分かっているけれどホントに難しい。
けれど、仰る度に「おっ、そうか」って目からウロコ部分があったりして。

言い争いって、ホントは嫌なんだけど、
本音をぶつけるという意味では、言い争いはしてもイイんじゃない?って思う私としてはすごく為になりました。

ルールに法って、お互いの言い分を言える話し合いの場を持てたら両者が納得のいく答えが見つかるかもしれない。
メディエーションは、誰もが知ってて損ではない、日常のいろんなシーンで使える手法の一つだろうなって思えます。


今、これらの学びから発展し、ピアメディエーションという分野まで勉強させて貰っています。
ピア(仲間)が中立の立場として間に入ってくれてトラブルを解決していく方法。
まだまだ学ぶ部分ばかりだけれど、偉い先生方とは違った目線から、
より解り易くメディエーションの可能性を伝えていけたらなと感じ、学んだのでした。
ふぅ。詰め込み過ぎた。。。
2009 02/22 23:57:03 | 学ぶもん | Comment(0)
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節分が来るとちょっとだけ哀しくなる。

毎年、豆まいて、年の数(数え年の)だけ食べるでしょ?
てことは、毎年1粒増える訳で。
幼稚園の頃、祖母が一緒に数えながら愚痴ってた。
「おばあちゃんになったらこんなに食べなあかんねんで」
まだ詳しく理解出来ない私は、
『いっぱい食べれていいなぁ』
なんて思ったっけ。
あの頃から食いしん坊だったんだ、私。(笑)

さて、そんな子供の頃、
節分になると炒った豆を年の数だけ数え、
それを半紙に包んで、枡に豆を入れたものと一緒に神社にお供えしに行ってた記憶がある。
これから1年、福が来ますようにって、半紙に包んだ自分のは持って帰って食べてたような・・・。
といっても、もう○年も前のこと。微妙な記憶もあるなぁ。

そういえば、今ってそんな風習あるのかしら?
寺っ子で、神社っ子だった私。
まぁ、神社の幼稚園に通ってたから仕方ないけど。
祖母に連れられて近くの神社には良く行ってた。

年末の12月29日には福(29)を搗くってお餅つき。
1月にはとんどでしめ縄とか書き初めを燃やして。
2月に節分。
おばあちゃん子だった私は、ホントに行事をたくさん体験したと思う。
今の子供達って、昔から伝わるいろんな行事の事、一体幾つ知ってるのかなぁ?
巻きずしを恵方に向いて無言で一本食べるっていう事が
一気に全国に広まった時はちょっと不思議だったかな。
だって、小さい時からしていたんだもん。
それぞれにいろんな意味があって、いいもんだよね。

そんなこんなで、今年も病気とは無縁で過ごしたいから、
頑張って、年の数だけ豆を食べなきゃね〜。
大豆イソフラボン摂取と思えばいっか。(笑)
2009 02/04 01:46:49 | いろんなもん | Comment(0)
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俳優の津川雅彦さんが気胸で手術されたとか。

私の父が15年ほど前、同じ病気になった。
俗に言うヘビースモーカーってやつだった。
ある日、仕事が無くて昼間に寝転んでテレビを見ていた父。
電話が鳴ったので半身を起こして受話器を取ろうとした瞬間のことだった。プシュッといったらしい。
その後、急に息がしにくくなり・・・
近くにいる私達にも聞こえる息の漏れる音。
だんだん弱る父。何かおかしくない?
ってことで病院へ連れて行くとそのまま
ご家族の方は入院手続きを・・・って言われるじゃないの。
ちょっとぉ。何があったん?
えっ??? まさか肺に穴が開いたとは・・・。
びっくりするやら、オロオロするやらで
即手続きをする母、荷物を取りに帰る私。

当時、ミッション車に乗っていたけれど、あまり頻繁に運転している時期ではなかったので、たった10分足らずの道を恐々1人で運転。死に物狂いで安全運転した記憶が。
なのに、自宅の店の角にガツンってぶつけちゃって。
う〜ん。今思い返しても急な入院の連絡に混乱気味だった。

で、1度目は何故か外に漏れた空気がすぐに抜けて、
肺が1日で元の形に戻ったと2日ほどで退院。

しかし、それが問題だった。
普通はそんな簡単に元に戻らないんだって。
おかげで、1週間足らずでまた穴が開き・・・
今度はしっかりと入院・手術。確か6時間ほどかかった。
途中、切り取った肺の一部を入れたシャーレーを見せていただいたが、ヘビスモだった父の肺は、濃灰色してて、プチプチが一杯ついてて。
こんな弱い部分が片肺の3分の2ありますとかって聴いて
正直焦った。3分の2も取ったらえらいこっちゃでしょ?
とにかく弱い部分を切り取ってなるべく肺を残す方向で繋ぎ合せたこともあって長時間の手術だったのかも。

祖母は肺繊維症・父が肺気胸・私が肺炎で入院。
どう考えても肺が弱いというか、
肺に要注意家系ってことだよね。
風邪の流行る季節は、肺が弱い我らには大敵。
乾燥に気をつけ、風邪の予防をしっかりしよっと。
2009 01/28 17:53:14 | いろんなもん | Comment(0)
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14年前の朝5時46分。
忘れられない阪神淡路大震災がありました。

あの朝はいつもと違い、異常に静かで、とても冷え込んでいました。
最寄駅に向かうまでの間にはため池を埋め立て作られた公園があるのですが、いつもならそこへ行き着くまでに、犬や猫、ネズミなどが人の行き交わない時間にウロウロと餌を探しているというのがありふれた風景でした。

ところが、あの日だけは全く違っていました。

今でも忘れられない出来事が起こります。
1995年1月17日5時40分。
駅前の公園に30羽くらいのカラスが群れを成していました。連休明けでゴミを漁るカラスがいてもおかしいとは思いません。ところがその日のカラスはグランドに降り立ち群れを成して斜め45度にキッっと嘴を上げて月を睨んでいたのです。
ゾッとしました。辺りには何の音も無く、シーンと静まり返っていました。
『気持ち悪いなぁ』と思いながらも、遠巻きに見ながら歩いたのです。あまりの光景に目が放せずにいました。
その時不思議と『今日はついてないなぁ。あれだけカラスみたし、急いでもきっと良い事ないわ。遅れる訳じゃないから電車を一本遅らせて乗ろう。』と心に決め、公園を突っ切る間、カラスの様子を見ていました。
途中あまりの光景に止まってみたりしていましたが、カラスは一向に動く気配が無く、1〜2分は見ていたと思います。

本当は5時43分の各駅停車の電車に乗るつもりでした。

遅くしたおかげ?で、私はあの5時46分、駅前の商店街を通っていました。

急に周りでザワザワという音がし始めました。それはすぐにガタガタに変わり、商店街の店という店のシャッターが波のようにうねり始めたのです。

そして次の瞬間「ドーン」という音と共に、飛び上がるほどの縦揺れ。

コワイと思う暇も無く、自分独りでは立っていることも出来ない状態になりました。ちょうど1メートル先に男子高校生が歩いており、彼も急な出来事に動けません。見知らぬ2人は、アーケードから落ちてくる蛍光灯を避けながら揺れが納まるまで立ち尽くしました。

完全に揺れが納まった時には、少しだけついていたアーケードの明かりも全て消え、完全に闇の状態になってしまったのです。
カラスを見てからほんの数分後のことでした。

しばらくは、見知らぬ彼と立ち尽くしたでしょうか。
それでも、その場にいる方が危ないと思い、彼らと駅まで行ってみることにしました。

駅では、発車してすぐの電車状態が停電のために確認出来ず、駅員さん達も暗闇の中を右往左往しています。
そりゃそうですよね。夜明け前に一瞬にして停電ですから。

確認には10分ほどかかったかと思います。
その間に自宅に電話をし、みんなの無事を確認だけしておきました。
その頃になって、ちょっと状況が把握出来てきたことで、急に怖さが襲ってきました。足に力が入らなくなり・・・駅前でうずくまってしまって。
駅員さんから「大きな地震だったために運転が出来る状況にあるのか、線路を全て確認してからでないとと運転再開は出来ません」との案内が入り、駅前に集まっていた人達は家路へと向かっていきました。

今でも私はどうやって家に戻ったか覚えてません。どの道を通ったのかも定かではないのです。
とにかく家に戻った時は辺りが明るくなっていたように思います。

縦揺れを立った状態で体験して思うことは、何かの支えがないと絶対に踏ん張って立っていられないという事。家の近所は震度6位だったと思いますが、本当にあの地震はおそろしいものでした。
家に戻ると本棚が傾き、ベッドと本棚の間にプラスチックのリップケースが斜めに突き刺さり、挟まっていました。
移動中ではなくあの時間に家で寝ていたら、私の両足の上にはテレビが堕ちてきて大怪我をしていたと思います。

怖い思いはしたけれど、とりあえず無傷だった事で
「自分はついてるなぁ」と思えたものです。

当時、必要だなと感じたものは、
水・非常食・ライト・タオル・カイロ・ティッシュ・ビニール袋・トイレットペーパー・ローソク・電池・生理用品等など。

あったら便利だなと最近感じているものは、
保温シート・軍手・スリッパ・缶きり・大型ビニールシート・サランラップ等。

出張先で仕入れた歯磨きやお風呂セットも大活躍しました。
あれから出張先から持ち帰るのが恒例です。

もうあってほしくない出来事ですが、日本国内に住んでいる以上、いつまた大地震が起こってもおかしくないんですよね。
備えあれば憂い無し。
家中探し回って非常用具を集めるもよし。
万一のために買い足すのもよし。
14年前の映像をテレビで見ながら、防災・災害についての対策を改めて強化しておかなきゃって思いました。
1月はやっぱ気を引き締めて毎年地震対策しよっと。

そう思うと・・・
今日もうさこやザリコ達と元気で愉しく暮らしていられることに感謝です。
2009 01/20 02:30:02 | いろんなもん | Comment(0)
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最近は、ほとんどじっと小枝につかまってウトウト。
うちのうさこ達と同じく居眠りカックンしてたザリコ。
蓋をあけると水面からずり落ちるんだもんね。
うたた寝するザリコってのもカワユイ訳。

真夏の暑いときに冷蔵庫に入れて、ビンごと冷やしてあげてたことがあるんだけど、一度半日ほど出し忘れてしまって。
そん時は、仮死状態みたいになってたんだよね。
だから、ザリコって冬眠するのかなぁ?って話してたんです。
だとしたら、私を始めとして我が家はみんなが冬眠モード。

そんなザリコが久しぶりに脱皮。
こんなに綺麗に脱いじゃいました。

何か、甘エビの皮みたいやねぇ(笑)
まぁ、今日のザリコのご飯になる訳だし、そっと返却。

春先にはいったいどれだけ成長してしまうのか?
なんだかおっとろしくなってきました。
もう少し大きいお部屋に引越し準備しなきゃね。
2009 01/19 17:31:49 | スポーツもん | Comment(0)
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寒い季節に心に潤いを与えてくれそうな朱色の花。
放春花、つまりボケの花がたくさんの蕾をつけてます。
なかなか枝振りがいいでしょ?


買ったときはまだまだ硬かったのに。
蕾が急に大きくなりました。

ボケの花は寒さに強いので、春先まで次々と咲いてくれるのだそうだ。
私のボケボケぶりも春に向けて加速するだろうし。
どちらが花盛りとなるのかある意味、競争だね。

けど、折角なら突っ込み花ってのも欲しいなぁ。

ちょうど仕事が詰まってくる時期なので、
家に帰って来た時の蕾の変化をしばらく楽しもっと。
2009 01/16 20:11:55 | いろんなもん | Comment(0)
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関西では正月三が日よりも賑わうだろう、えべっさん。
いつも、大阪市北区の『堀川えびす』か、
豊中市服部の『豊中えびす』どちらかにお参りしている私。
今年は、9日宵えびすに行ってきました。

去年はえべっさんに行けなかったので、
今年こそは・・・と気合いを入れて豊中えびすにお参りです。

さて、豊中えびすと言ってますが、
服部天神宮というのが本当の名前。
足の神様として有名で、サッカーなどスポーツ選手がよくお参りすることで人気の神社。

まずは去年のお札などを還し、それからお参りへ。
手を清めてから、菅原道真公の銅像をなでなで。
いつもどおり115円のお賽銭を投げ入れ、
鈴をシャリシャリ〜ンっと鳴らして拍手を打つ。
「いいこと(115)ありますように〜」

あぁ。前にも話したけれど、私はお賽銭で悩むのは嫌だから、基本的に115円と決めているのね。


大きな絵馬を眺めた後は、福娘さんからお神酒をいただき、
裏に回ってたたき板をコンコン。


私のお願いを叶えて貰うためにもしっかり小槌でコンコン。
えべっさん、頼みますよぉ〜

もちろん、足の神様にもお参り。
8年前に左膝を10針縫ってからは、必ずお守りを購入。
可愛らしい桜の花びら模様の草履。
いつもなら、赤やピンクの色を買っていたんだけれど、
今年は、地に足を付けしっかり歩んでいこうと濃い色合いのものにしてみました。


商売繁盛で笹持って来い!


今年は、大ぶりの福笹を景気づけに買ってみましたよ。
さぁ、1年頑張ってみますでぇ。
1年後、どうなっているか? それを愉しみにして。

えべっさん、頼んまっせ〜
2009 01/09 22:40:59 | いろんなもん | Comment(0)
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以前、お話した事のある本が、お掃除したら出てきました。

そう。
阪神タイガースの監督となった
真弓明信さんの本 『ジョーの野球讃歌』


帯が若干折れてるのは仕方ないけど、
帯に書いてある 21年ぶり!悲願の優勝!
って言葉が懐かしい。
1985年に優勝した年に買ったのね、きっと。

来シーズンに向け、この懐かしい本と共に年を越せるなんて。嬉しいなぁ。

ここ2〜3年、あまり面白くなくて試合を観なかったこともあったけれど、来年は久しぶりに阪神タイガースをしっかり応援しよっと。
2008 12/30 11:26:16 | いろんなもん | Comment(0)
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