大連帰国日記
只今、就職活動中です。
思ったより、現実は厳しいです。
帰国したらいくらでも就職先はあるだろう、とか余裕ブチかましていたけど、、実際、あまりない。。。
選ばなければあるみたいだけど、中国云々にこだわっていると相当少なくなることが判明。
たまにあったとしても、実務の方が重視されるらしく、書類選考で落下・・・
そりゃそーだよな〜。例えば自分が人事だったとしてもだよ。。募集かけていて、
「新卒でポーランドに行きました!ワルシャワで2年間働いてたんです!」
と言う応募が来ても、、
「随分思い切ったことしたのねぇ。でもうちでは別にいらないわ。。。」
と思って、他の日本での実務経験者選ぶだろうよ。。。
と言った感じで思うように事運ばない日々でございます。主に人材紹介会社を通しているけど、結構マイナーみたいで、やはり求人を探す時点でそれほど多くなく、しかも今や星の数ほどある人材会社。
いろ〜んな会社があり、会社によっては何やらどこでもいいから紹介して、応募、入社させちまおう、、みたいな、まるっきり人の人生を商品化しているような感じのところもあります。。。気をつけないと・・・
まぁ就職活動なんて動いたモン勝ち、みたいなところがありますからね。とにかく動いていれば何かしら引っかかるでしょう。。。

そんな矢先、図書館で「負け犬の遠吠え」を借りて読んだ。前から読みたかったけど、大連では手に入らなかったんすよね〜。いや〜面白かった。大爆笑+共感。一応30まではまだもうちっとあるから笑ってるけど、、、私も負け犬の素質は充分にあった。一人で大連に飛んで行く時点でおわってる。笑

で、子供も甥、姪もいらっしゃらない作者さんは、自分の「骨」は誰がどう処理してくれるのか、という疑問を話題にしていらした。
私も同じように考えてみた。。。まず日本にうずめるのか、中国なのか。。
もし結婚せず日本にいたら、、、
一応弟が二人もいるのでなんとかなるだろう。。
もし今の彼と結婚したら、、、、
どこへ行くんだ?中国でどう処理されるんだ?永久に大陸かなぁ。。でも半分くらいは日本に送ってほしいなぁ。。
・・・・なぁんて、、そんなもの、どうだっていいじゃねぇか。
↑ というクダラナイ自問自答をしながら不合格通知を片目にドンヨリしている私。
早く新しい履歴書でも書こうよ。


それからこの前、親知らずを抜いた。
私は顎の骨が物凄く小さく、なのに歯は物凄くデカイ。という体質で歯が口の中に入りきらず、それで歯を抜くのは今回8本目。
慣れたというより、やればやるほど感覚が染み付き、リアルに想像可能となってしまって嫌ですね。。。

歯を抜いたときにいつも思うことがあります。
抜歯後、歯科衛生士さんは決まって言う。
「1〜2時間は麻酔が効いてますので、暑い物を食べたり飲んだりしないようにしてくだいねー♪」と。。
親知らず抜いて一時間後にホカホカの食事とる人なんているのか?と思いながら「はい。」と答えているけど、本当にそんな人いるのでしょうか?

でもでも、肥満児傾向アリな育ち盛りの下の弟(中3)。彼もまた私のように歯を抜く運命の子なのですが彼の場合、抜いた直後でも夕飯をガッついている。下の歯を抜いた後のボコッと空いた傷口にご飯が入ろうと、傷が痛もうとお構いなしみたいだ。んでもって食後には傷口に入った食べかすを楊枝でほじくり出していた・・・・
そんな弟のいやしさ・・・ではなく、たくましさを見ながら、あぁこういう人の為に言ってるのかなぁ、と思ったり。。でもそれでも最低4時間以上は経ってるもんなぁ、とか思ったり。

そんなことを考えながら、また一週間が始まります。
2006 09/10 16:08:39 | none | Comment(0)
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大連にいた時の大きかったことの一つは、、中国人の彼氏ができたこと。それも相当誠実な。。
4ヶ月前、彼は本当に日本に行った。行き先は私の実家とはkかなりはずれ、広島だったけど。。日本派遣の仕事を見つけ、多額の罰金を払って会社を辞めて来日していた。
私も帰国してから広島に遊びに行った。やっぱ本当にいたわ。

貧乏な貯金と相談の上でなので、夜行バスに乗って行った。東京ー広島で夜9時ごろ発→翌朝広島に到着。というものがある。それで、お値段は6000〜7000円。随分安いんですね。。でもでも、普通の観光バスで10時間以上なので、体力的にはか〜なりキツかった。しかも今夏休みなので、行きのバスは満員。到着する頃には全身ズキズキガクガクだった。安いけどもう2度と乗りたくないかも・・・

中国で会う彼と日本で会う彼、同じ人で想像通りだったけど、やっぱちょっと違う。やっぱり日本にいる外国人はどこか子どもっぽく、挙動不審に見える。笑 食べ物なんかも中国にもある日本のものを応用しているし。やたらと韓国製品が多かった。一緒に外食しても、ごま塩ふりかけをご飯に振り掛けるのでなく、味噌汁にかけようとする。。


ちょうど原爆投下日の頃に行った。
原爆投下日も記念式も知っていたけど、中国人と一緒なので、特に記念式に連れて行こうとは思わなかった。アメリカ人だったら連れて行くかもな〜。笑
記念式は一応知らせてテレビで見た。やっぱり記念式に中国人の影は見えないですよね。。。
前述の通り、彼は中国人の朝鮮族。昔、朝鮮半島から中国に渡った移民の子孫だ。
彼のおじいさんが韓国に韓国人として生まれたそう。けど日本軍の侵略や戦争などの理由で、韓国での生活が困難になり、中国の東北地方に渡った。当時、そうして中国東北地方に移った韓国、朝鮮人はかなり多いらしく、数は調べてないけど、何万人だか何十万人だか(?)いるそう。それから彼らは中国に定住し、朝鮮族同士で、ある程度固まって暮らしていたみたいだ。所々に朝鮮族の村がある。今でもそういう所は多く、今でも彼らの間では韓国語が使われている。それが中国人朝鮮族となっている訳。
そして彼はその朝鮮族の村で生まれたそう。顔なんかも典型的な韓国人の顔をしている。当然だけど韓国語と中国語を自由に話し、日本語も話せる。一体この人は何人なんだ、と私はたまに思う。

相手がそういう中国人なので記念式には行かなかったけど、原爆の話をした。
でも原爆の被害者数は南京大虐殺の半分以下。しかも原爆は爆弾一つドカーンに対し、南京等では日本人が乗り込んで一人一人捕まえて手で殺した。中国東北地方のハルピンでは細菌と一緒に中国人を部屋に閉じ込めての虐殺。中国の他の地方を入れると被害者は一体何倍に上ることやら。。。
どこの人もやられたことを騒ぐのが人間の本能なんでしょうかね。
という話で終わった。
でもこうして、建設的に式典開いて死者を弔う、みたいなのはいいよね。という彼の話。
確かに日中のお偉いさんが集まってそんな式典をするとは考えにくい・・・

んで、夕方は平和記念公園の灯篭流しを見に行ってみた。
予想以上ににぎやかだった。あんなにいろんなイベントがあるとは。。
入り口付近では長蛇の列で献花、ちょっと行くと工作室みたいなテントが。千羽鶴もたくさんある。その向こうで灯篭流し。凄い人だった。灯篭流しの真ん中ではライブや合唱が。道中人で一杯だった。でも灯篭ってキレイなもんだなぁ。。。
でもでも、よくよく見てみると、、なんかお祭り騒ぎ?!な感じだった。
浴衣で歩いているお姉さま達(数人)。ジャカジャカ大音量のライブ。灯篭もよく見るとピカチュウとかなんとかモンスターみたいな絵。(もちろん平和を唱える詩や短文の人もいますけどね)
挙句の果てに腹の立ったのが、アメリカ人(たぶん)のバカップル!
アメリカ人も結構多かったのですが、たいていの人は普通に観光していた。
が、ごくごく一部のバカップル、灯篭をイルミネーションにいちゃいちゃいちゃいちゃデープキッスをしているではありませんか!全く全然分かってないですね。何しに来てるんだ。
確かに、大きな河をゆっくりと流れるカラフルな灯篭。すっごく幻想的できれい、ロマンチックです。そして平和を唱える歌詞のライブミュージックも言葉の分からない彼らにとっては、ロマンテックなバックミュージック。
「きれいね、マイク(仮名)」
「ほんとだね。メアリー(仮名)。でも灯篭も君の美しさにはかなわないよ。。。」
「いや〜んマイク(仮名)ったら〜、すきよ。」
と、彼らにとっては全く自分の世界みたいで、半径1メートルには人が寄っていなかった。

さて、いろいろ見た帰り道、彼と道案内の地図を見ていると、
「なによ。どこ行くの?」
と見知らぬおじいさんが声をかけていらした。
その人は被爆者のおじいさん。
なんか酔ってたみたいで、いろいろ話してた。
アンタ達見てると昔の自分ら思い出すわ〜。
原爆んときゃぁね、こっから駅まで見えたの。今でもここにコブが残ってる。
もう今はね、私なんかから言わせるとうるさいよね。
もっと静かに厳粛に死者を弔ってほしいよねぇ。
じゃ、ここまっすぐ行ったら着くから、じゃぁねぇ。
と、行ってしまった。
「昔の私思い出す」って、そんなに人目を引くのかなぁ。と彼は照れ喜んでいたけど、
私は「私らは50年前(半世紀前)の若者を連想させるのかい。。。?」と、ちょっと複雑だったりした。
と言う感じで広島旅行でした。

他、宮島神社にも行った。以下写真です。
灯篭流しと原爆ドーム


宮島神社
2006 08/10 17:08:10 | none | Comment(0)
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久しぶりです。。
ようやく日本にも慣れ、日本人に戻りました。日に日に中国語は忘れていく毎日です。。

帰国依頼バタバタしていて、ゆっくりパソコンに向かう時間が大幅に減った。やっぱり1人暮らしと5人住まいは激しく違うなぁ。

ちょっとずつ転職活動をしているのですが、思ったよりもスムーズにはいかず、、やっぱ現実って厳しいっす。
まず、手始めに市のハローワークへ。ハローワークにそんなマイナーなものもないだろうなぁ。。と思ったけど、社会見物も兼ねて、行ってみた。
結果、日本での社会経験が無いから、中国人留学生と似たような扱いになるらしい。。備考のところには「日本語検定1級以上の方」とか、、書いてある。
・・・中国人留学生になりたくて大連に行ったのではありません。。
なので、他を当たってみることにした。
そしてインターネットで検索し、たまたま外国語人材専門の人材紹介会社を見つけ、ご訪問。
・・・が、そこはもう経験バリバリの翻訳者だかなんだかの派遣会社。「日本の会社経験がなくて、その年じゃぁ、、ちょっとぉ。。」「まず新卒者と同じように就職して、それから語学を使ったものを探した方がいいんじゃないかなぁ。。」
というアドバイス。私は何しに大連にいったんだいな。
という訳でまた他を当たります。そこでまた適当に見つけたのは、第2新卒を主に扱っている転職事務所。そこに登録、相談に行こう。と思った矢先にお盆休み突入ですね。。
休み明けに再活します!

転職事務所以外にも、インターネットで直接求人を探す手も。でも検索してもちょっとマイナーで、あまり見つからず、手答えの無い今日この頃。やっぱ事務所伝いの方がよさそうかな〜。。
と試行錯誤中です。

でも深刻なのが、貧乏。。
さすが、アラビアンナイトと思われている日本なだけあるわ。
日本人が言葉のできない決定的な理由が分かった。
「直接金にならないから」
出稼ぎという発想が全く無い日本人にとって、海外に行くのは旅行か留学か、稀に見る専門職だけ。
それに対して中国だったら、日本語がしゃべれると言うだけで給料が何倍も変わり、日本に派遣されれば、何十倍も変わる。
そう考えれば、何年か外国でお金貯め自分の国に持って帰ってその分いい生活をしよう、という気持ちは容易に分かる。中国の国自体でも出稼ぎは奨励しているそう。
お金だけじゃなくてさ、ゴミの分別処理とか交通ルールとか整列乗車とか、持って帰って広めりゃいいのに。。と思うけど、あまり私がそんなことを言えた身分でもないのでこの辺で。。
それに対し、私のような変わり者が海外で就職し、帰ったときはちょっと悲惨です。

・・・という感じで世の中の厳しさを感じておりまする。トホホ・・
2006 08/10 15:12:21 | none | Comment(0)
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無事引越しし、無事飛行機に乗れ、無事帰国しました。

いろいろ感じますね。
まず帰ってきた当日、成田から都心に出てくると、
中国に比べ、建物や道路一つ一つがかなり小さいので、コマゴマした良くできている模型の世界に入ってきた感覚がするんっすよね。 で次の日にはもう慣れているけど。。

あぁ、現実だぁ〜。。。
とか、
お金ないよ。どうするよ?
とか、
100%分かる言語、見慣れた風景、自分好みの食べ慣れた食べ物。やっぱいいもんだねぇ。
とか、思いましたけども、、
そんな感傷的な気分も風邪菌で一気に吹き飛ばされ、帰って早々風邪で寝込んでいやした。。引越しの疲れがたまっていたのか。。。

やっぱ未だに違和感はあり、町の真ん中で赤信号でみんなしっかり待っていても、一人だけ平気で渡っているし。。
それに2年間もいないとどこか浦島太郎的なところがあって、
ここにこんなんあったっけ??
とか、
うちにある新しい機械(食器洗い機、洗濯物乾燥機等)何にどう使うものか分からなかったり。。
それからちょっと驚いたのがですね、芸能人の老けたこと老けたこと。。
2年間も見ないと人間て結構変わるモンですね。。まてよ。。ってことは自分も・・・・? 笑

まぁ東京の外れに位置する実家に帰ってきたのですが、私の部屋は弟に奪われ、洗濯部屋が私の寝場所になっていた。。
うちは3人兄弟で弟が二人いるけど、下の弟だけ年が離れていてまだ中学生。家を建てる当時、彼の部屋は計算になかったらしく、部屋なしの末っ子だったけど、私が大連に行くと同時に彼は中学生に、思春期真っ只中に。こりゃぁいいや、お姉ちゃんの部屋使っちゃえー、という感覚がいつの間にか弟の部屋に。
そんな訳でうちでは引越し並みの荷物の大移動が行われている。で、ベランダ側の洗濯物の放置と畳むのに活用されていた部屋が新マイルーム♪
いいんだ。またいつどこへ行くか分からないし〜。

と言う感じで、帰ってきました。
以後、パタパターリエンは「大連在住日記」ではなくなり、「大連帰国日記」となります。
海外生活の日記ではなくなってしまいましたが、今後ともよろしくお願いします〜。
2006 07/26 11:03:23 | none | Comment(0)
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只今、部屋の片づけ中。。
あさって(いや、もう明日か)帰国します。
毎日ひたすら、帰国の準備に追われている。(片付けと手続き)
日に日にガランとしていく部屋を見て、、あぁ帰るんだなぁ、ってやっと実感が湧いてきました。←遅い
それにしても私、大学入った18の時から、一年に一回の割合で引越しばっかしてるなぁ・・・ 思えばここ6年、同じところに一年以上住んだことがありません。。。
放浪者みたいなヤツ。。

大学1〜2年、学校の寮(半年に一回部屋替え)→大学3年、下宿に引越し→大学4年、授業がかなり減ったため実家からの遠距離通学に→中国大連へ→一年後、アパートの設備と大家がかなりいい加減だった為、他のアパートに引越し→一年後、帰国。。
みたいな。
で、その度に引越ししているわけだけど、コリないんですよねぇ〜
・・・この荷物の多さ、計画性の無さ、部屋の汚さ、捨てられないセコさ・・・
けど今回ばかりは普通の引越しと違う。普通の引越しだったら、とにかく運びゃぁいいけど、今回ばかりは運んだら(郵送したら)料金がハンパじゃない!国際便の荷物郵送代って結構高いんですよ。。
わざわざ安物ばっか入った小包を郵送するより、捨てて向こうで買った方がずっとお得!
なので今回のお引越しは、「運ぶ」ではなく、「捨てる&人にあげる」なのです。
ケチで物を大事にする本能を備えた私にとって、今回の引越しは清水の舞台から飛び降りるような毎日でございます。
「この服ももうヨレヨレだなぁ。。でもまだ充分着られるよねぇ。パジャマにしちゃぇ〜。よぅし、これもパジャマ、Yシャツもジャケットもパジャマパジャマパジャマ!」
・・・・なぁんてやってるから進まないんだよな〜


そして手続きの方は、、結構面倒臭いです。
中国の手続き関係って、ひときわ面倒に感じるのは私だけでしょうか?
変なところですごく厳しい。
「えー?!マジかよ。聞いてねーぞ!」
っていうシーンがしょっちゅうあります。

国がデカくて人口が多いため、基本的に管理や説明が行き届かない中国。
普段、結構寛大でいい加減かと思いきや、ある一定の境界線を越えたところから非常に厳しく、問答無用となる。それが中国の取り締まり方なのかなぁ。。人口が多いからそういう管理になるんでしょうね。。
でも私なんかにはその一定の境界線が全く分からないわけなので、相当身構えて行動するようになります。

それから手続きを行う側の横のつながりがない。。どこの会社も人が入れ替わるのは一緒みたいで。
「伝えとけよ・・・」っていうシーンが多い。

そんな状態なので、一般の中国人もその場の窓口でいろいろいろいろ聞きます。
が、その際、日本人にとっての順番待ちと中国人の順番待ちの感覚は激しく違う。日本人は窓口に対して直角に並び、前の人が話し終わったら自分が口を出すのが常識ですね。
ですが、中国人は窓口に対し、二等辺逆三角形みたいな感じで並ぶ、、というより集合する感じ。。
ちょっと大き目の混み合う銀行だとさすがにラインが引っ張ってあるけど。
で、他の人が話中でも話し始める。窓口は聖徳太子か。
なので混んでいるときに私なんかが一人で行った日にゃぁ、ちょっと大変です。

さて、残り時間一日。最後に大連の街を心行くまで味わいに行こう・・・
ではなく、、ちゃんと飛行機に乗れるように頑張らなきゃなぁ・・・っていうレベルです〜。

2006 07/20 02:59:58 | none | Comment(0)
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いやはや、お久しぶりです。
辞職してからというもの、部屋を片付けたり、遊んでいたり遊んでいたり遊んでました。
まず行ったのは「濱峪溝」と呼ばれる風景区。
大連から北へ車で約3時間弱の、庄河市という所にあり、北方の桂林と呼ばれているそう。笑  桂林は行ったことないけど、行ったことのある人からすると全然比べ物にならないらしい。。。そりゃぁもう知名度からして全然違いますもんね。
でも充〜分きれいだった。
以下その写真です。

元々一つの山だったのがいくつもに割れたんですね〜。


岩が真っ二つに・・・ すごいなぁ。。


以上一日目。
参加したのはごく一般の大連人が参加する普通のツアー。一泊食事、ガイド全て込みで250元くらいだったかな。4000円っすよ。でも安いだけに、バスはなんかポンコツだし、田舎へ行く旅行なのでトイレや宿の設備はヒドイもんです。。。
そして二日目は山登り。
「天門山」というを登った。
小雨+霧という天気で、頂上からはあんまりよく見えなかったけど、、もうマイナスイオンたっぷりみたいな清々しい神秘的な空気だった。
初めは誰でも登れるようななだらかな山ですが、この穴から上は結構ハード。手すりにしっかり掴まりながらよじ登る感じだった。


頂上到着!でも霧が深くてな〜んにも見えない・・・


湧き水です。そのままゴクゴク飲めておいしい!


庄河市の田舎の市場。周りに何もないけど、、この辺の人はどう生活しているんですかねぇ・・・ とりあえず日用品はこうして週に何回か路上に市場が出るそう。町へ行くにはバスがあるらしい。(相当本数なさそうだけど)


そんな訳で濱峪溝観光。久々にこんなに綺麗な景色を見て、久々にこんなにワイルドに動いて、久々にこんなにおいしい水を飲んで、久々にこんなにマイナスイオンを浴びた感じで、あぁ楽しかった。
2006 07/17 19:12:01 | none | Comment(0)
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とうとう、辞めました。先週の金曜日で最後。
くどいけど、中国の会社は個人主義で人がしょっちゅう入れ替わるので、辞めたり入社したりってのは日常茶飯事。
んで、私もその辞職を味わったのですが。
普通は送別会も何もないのですが、私は日本人と言うことで、一応送別会らしき物をやってくれた。
当初は社内で会社創立記念兼送別会だったけど→社内で果物お茶会に変更→が結局は昼休み、会議室で15分程度5人くらい集まって一言言って終わった。
別にやらなくてもいいのに、、とも思ったけど、会社の気持ちと言うことでありがたく一言頂戴しました。
いくら充実しなかったとは言え、一応2年間も毎日通った会社なので、涙の一つも出るかと思いきや、、それほどグッとはこない。「郷に入っては郷に従え」と言うより、「郷に入って郷に流されました」というか。。
確かに2年間、毎日毎日顔を合わせていた社員でも個人的に会ったことはほとんどなかった。帰りに一緒にごはん、っていうのもほとんどない。プライベートな話をしたのも数少ない。というより、営業部はこの2年間で一体何人入れ替わったんだ・・・?10人まではいかないけど、、方指では収まらない。。。その度にみんなサラッと辞めていった。 
あぁ、こう言うことか。会社に仕事に思い入れないんだね。ま、だから辞めるんだよな。
会社によって部門によって全然違うだろうけど、うちは取れない営業部だったので私もハッキリ言って何の未練もないわけで。
それに他の部門の社員は私が辞めたことは知らないんですよね。うちの会社は社員70名くらいだけど、基本的に他の部門の人の名前と顔は一致しないのです。自分に関係ある人だけ少しずつ覚えていく。でも私は外国人なので、口コミでみんな分かるらしい。個別に話す人は少ないので、辞めるってことは口コミで伝わるよう。
営業と日本語教育。当初は日本語教育が主だったはずが、結局逆になっちゃったけど、日本語はなかなか面白かったなぁ。みんな若くて素直で。。
でもお蔭様でいい経験をつませてもらったなぁ。

なんかまとまってないですが、、こんな感じで辞職した。本当に「サラッ」でした。大きな国の大きな人口の中の小さな会社。これが中国社会なんですね。上流社会も多ければ下流社会はもっと多い。自分の身内や特別親しい人以外は本当にどうでもいい。それだから身内や大事な人同士で固まって生活している。
いい経験にはなったけど今後、いきなり一人で知らない地方に行って知らない会社に入るのは二度とやめよう。それから営業職も私にはNGだ。と、肝に銘じました。

これからは部屋を片付け、ビザが切れるまではちょっと中国の他の地方を旅行しようと思う。
それで日本に帰って就職活動だ!つーか私今、無職じゃん。。 キャー現実だぁぁぁ!!

2006 07/10 14:12:08 | none | Comment(0)
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サッカー、見ました?
いつもちょっと話題が去った頃に書いてますが。。。
負けちゃったけど、ワールドカップに出られるほど日本は強かったんですね。
すごいなぁ。この広いアジアで3カ国以内に入っていたとは。
と、そっちで驚いている私です。いかにサッカーに疎いかバレますね。
てっきり私は、中国が強いのかと思っていた・・・

中国人=サッカー好き です。これはホント。
野球よりもバレーボールよりも「サッカー」
そもそも野球はないし。バレーもあんまり見ないなぁ。
中国でスポーツと言えばサッカー、バドミントン、卓球ってとこかな・・・。

でも中国のサッカーは弱いらしく、ワールドカップにも出られないそうで。
これだけの人口がいて、これだけの広大な土地があって、こんなにみんなサッカー好きで、
なんで強力なサッカーチームが出来ないんだろう、、、と、私は非常に不思議です。
中国人もそう思っているそう。

そこでまた、独断と偏見で考えました。
日本の場合、スポーツやる人って学生の部活から大きなキッカケになることが多いですよね?
んで小さい頃からやるとしたら、町内会の少年サッカー(野球)チームみたいな。

中国には町内会などありません。以前(3/26)写真を載せたとおり、貧富の差が激しく、あんなに住宅が並んでいる土地。町内会の作りようがないんですね。
それに中国の学校は部活ってないんです。
地方にもよるらしいけど、中国の学校は一学年の人数が軽〜く日本の3倍以上ですかね。
遠足みたいなのでたまに中学生の列を見ますが、こっちは車で彼らは歩いていて、あぁまだいるよ、まだいるまだいるまだいるよ、・・・・・あ、やっと終わった。みたいな長蛇の列になっています。その長蛇は多分1学年。
それでクラス変えはないらしい。確かにその人数でクラス変えしたらメチャクチャになりますよね。。
んで、部活動っちゅーモンはなく、動きたければ適当に友達同士で外に出てやる。って具合だそう。

に対して日本は違いますね。私の中学は必ず、放課後は部活に入らなければならなかった。高校入試に響く、とかで。
私も部活、やってましたよ。中2から大3までの8年間。吹奏楽で。
人生の1/3、吹奏楽やってました。でも楽器はいろいろ移っていたので結局どれも中途半端。 笑
私の所属していた吹奏楽部はどれも有名な部ではなかったけど、それでも活動は毎日2〜3時間。コンサートの前は週休ゼロ日制で部活、部活、部活。
中学から大学まで、勉強と吹奏楽以外、何もしていなかった。だから卒業後にいきなり中国来ちゃうような世間知らずになっちゃったのかも。。;;

部活動とは、、練習中は指示が出たら「ハイ!」とみんな揃えて大きな返事をし、何かあったらしょっちゅうミーティングだの反省会だの打ち上げだの。 
先輩にタメ語だっただの誰々に失礼だっただの練習が甘いだの。。そのミーティングで泣く人もいれば怒る人もいれば、、と、今考えれば結構ネチネチしてましたね。
思えばあれ、日本社会の入り口だったのかな。。。
でもそんなことも含めて冗談抜きで、学生時代の部活動は楽しかったっす。

に対して、中国は部活も何も敬語も何も失礼も何もない感じ。。
中国は部活ない、って初めて聞いた時、「え〜!? なんてかわいそうなんだぁ〜 学生のうち、勉強だけかい?!」
でも中国人に部活の話をしたら逆に、
「え!?勉強以外でもそんなに拘束されて、他んところで遊ばないのか? かわいそ・・・」
と言われた。
育った環境で全然感覚は違うんですね。

でもそんな部活動の残念なところもたくさんあるのが現状。
直接就職には全然関係なく、あくまでも趣味の世界。その中でプロになるのは極々わずかで。
むしろそれによって他の事がおろそかになっていく人の方が多いのが現状。
それを考えると、中国の高校みたいに夜まで補習授業で管理された上で勉強するのが、将来性はあるのかも分からないです。ま、中国の中・高校は私も行ったことないので分からないのですが。。。
話によると、人によっては高校から全寮制。
んで、授業は夕方4時だか5時ごろまでだそう。1.2年のうちはそんなもんで、3年になると夜まで補習だかなんだかの授業があるそう。日本よりも格段に授業の時間が多いみたいです。よくやってられるよなぁ。。
でも日本は大体塾とか予備校に入るから、、、ま、結果的に授業時間はそれほど変わらないか。。。

で、ですね。中国に野球がなくてサッカーも弱いのはもしや、、部活がないから・・・?なんて思った。
でも、、卓球は強いですよね・・・
あ、簡単に矛盾しちゃった。。。


2006 07/01 20:16:37 | none | Comment(0)
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先週、父の日でしたね。(過去形)
父の日(先週)という事で。
うちの父は大連マニアです。 今まで、ほとんど関東を出なかった父が、私がこっちに来てからというもの3ヶ月に1回くらいの割合で大連旅行に来る。始めのうちは心配だったからみたいだけど、今では結構大連にハマっている感じ。んで、その内の半分は中学生の弟連れでやって来る。
参加するのは大連パックツアー。飛行機とホテル込みの格安旅行だ。
そういう格安ツアーに参加する大半の人は同世代のオ・ヤ・ジ。
何しに来るって?、、純粋な出張者もいるし、、、まぁほぼ買春ツアーと言っても過言ではないだろう。で、うちのお父ちゃん、その親父たちに紛れてくる。
が、うちの父だけ私の服やら食べ物やらの大荷物を抱え、しかもガキ(中学生の弟)連れなので、「なんだこのオヤジ」っていう視線を浴びてくるらしい。
そして大連マニアの父。何が趣味って、中国人の真似をして中国を歩き、中国人に間違えられるのが趣味みたい。

中国人と日本人はパッと見同じだけど、慣れると見て分かります。
日本人のおじさんの特徴はまず、小柄。小太り。白髪交じりの髪の毛。色白。眼鏡。Yシャツ。と言ったとこでしょう。
に対して、うちの父、、デカイ。痩せ型。真っ黒な髪。色黒。眼鏡なし。と、どれも正反対。
で、日本人のおじさんの服装の特徴はパステルカラーの色つきYシャツ+白っぽいズボン又はシンプルなジーンズ+ウエストポーチetc・・・或いは明らかにビジネスマンと分かるスーツ&ネクタイ。
中国人のおじさんの服装の特徴は、色の濃いポロシャツ(真っ黄、真っ赤、黒、茶)+黒いズボン+黒ベルト+ベルトに鍵をジャラジャラつけ、それをゆらして歩きます。ひどい場合は、たまにガァァァ〜ッ ペッと痰を吐く。 んで歩く時は、ちょっとビールっ腹っぽいお腹をボンと出して歩くのがコツ♪

それを見たうちのお父ちゃん。
これだ!と思ったらしく、日本でどこで探したんだか、真っ黄色いポロシャツと鍵ホルダーを揃え、大連に到着すると「制服に着替えなきゃ」と言ってそれを着、こっちで使えもしない日本の家の鍵やら倉庫の鍵やらを適当にぶら下げて歩く。
その準備の段階。家では
父:「おい、明日持ってくのに、いらない鍵ねぇか?」
弟:「・・・いらない鍵なんか、あるわけないじゃん。」
母:「あんまり行儀悪いことしないでよね。子供がマネするでしょ?!」

旅行だけでなく、インターネットでよく大連検索するらしく、「あそこの△つ星ホテルの総経理は××さんて言うらしいよ。」とか、、トリビアの泉にも使えなさそうなムダ知識を披露してくれる。
そして大連に着くとその「制服」とやらで、買い物とか食事とか観光とかして帰る。そう考えるとうちはやっぱちょっと変わってるんですかねぇ。。


会社の関係でも同世代の娘がいるおじさんたち多いので、たまに娘の話を聞きますが、まぁみんな微笑ましいというか親ばかというかほんと、面白いです。。。うちの娘が一番、て感じで。みんな同じだっつーの。
そんでもって彼ら、娘と同じくらいか、それより下のコ達がキャバクラ嬢やってる日本人バーにイソイソと行ってるってんだから笑っちゃいますけどね・・・ 大連の日本人バー、多いんですよ。日本人オヤジのツアーもそれらの為だと思われます。私はそっちの世界の事は詳しくないので、あんまりわからんですが。
ちなみにうちの父上の場合は、私と弟が24時間体制で見張っているので大丈夫!


話は戻って日本人と中国人。 慣れてくると街中で
「あの人日本人ぽいけど、どっちだろ。」
「うーん。そうかぁ?」
「だってあの髪型とかカバンとかさぁ。」
「あ、ほらやっぱり〜。日本語しゃべってるぅ。」
なんて当てっこするのはなかなか面白いです。

ちなみに私はまぁどっちとも言われるけど、一応日本人らしいそう。見る人の感性や、服装、TPOによりますね。日本人を見慣れている人は鋭い。
私の周りにはあまり日本人の若い女の子がいないし、一応自分と同じ類なので若い女の子の区別の仕方はいまいち分からないのですが・・・・・ 
大連に日本人ギャルはあまりいないので、ギャルだったら外国人だとバレるでしょう。
当然私はギャルとは程遠いので、服装やなんかは世界中誰でも着ているような服。化粧もほとんどしないので、その辺から見れば日本人らしいとは言えないですね。
デカイところも大連人並みだし、簡単な中国語ならもうあまりバレないので、中国人で通る場合も結構ある。
でも顔はちょっと日本人らしいそう。雰囲気もやはり一応日本人。
だから社員曰く、「初めて見たとき、やっぱちょっと違うと思った。中国人だとしたらどこか遠い地域出身だろうと思ったよ。」とか言われる。
「どこが?服装?」って聞くと「いやぁ、顔と、雰囲気」とか「なんとなく」とか「ほっぺ」・・・だそう。


ま、それはそうと、父の日万歳!(先週)
2006 06/25 18:05:14 | none | Comment(0)
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アカシアの葉は夜になるとパタンと閉じるみたいです。面白いので撮りました。

 → 

昼のアカシアの葉   夜のアカシアの葉
2006 06/18 21:02:41 | none | Comment(0)
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