大連帰国日記
最近、部長がチャットにはまっている。。(仕事中に)
会社の座席は私の横に部長が居て、後ろは壁。うまい具合に部屋の隅に位置しているため、私と部長のパソコン画面は誰からも見えない。隣に居る私がチラッと見なければ何しているかは、誰からも見られないのだ。
仕事中、部長がカチャカチャと軽快にキーボードを敲いている。ふと彼の画面に目をやると、ドカッとあのMSNメッセンジャーの、特徴ある青い画面がデカデカと立ち上がっている。そしてその青い枠の中にはカラフルな絵文字つきの文章がならんでいる。
・・・??なんで30半ばのオヤジが、真昼間に長い文章でカラフルな絵文字付きのチャットやっていられるんだよ?。。と不思議だ。

今日、部長から、自分が書いた報告メールの日本語をチェックしてほしいと言われ、部長の画面で見てチェックした。
すると、画面の右下から「○○さんがサインインしました」というメッセージがニュキっと現れた。。。しかもそのメッセージの横には、若い女の子が上目遣いでニコッと微笑んでいる写真が・・・
オイオイオイオイオイおいおいおいおい・・・・おっさん!
見てみぬ振りをした。

普段も私は、チラッと横をみてしまい、見る度にポカンと口が開き、一瞬固まり、頭の中で鼻で噴出してしまう。
ふはははははは・・・・
2005 10/21 22:41:45 | none | Comment(0)
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よく大連に出ている日系企業の工場とか事務所を訪問に行く。
そこで見聞きしたことについて。。
中国は日本より人件費が安い訳なので、大連にもたくさん工場が建てられている。そこにいる日本人は大体2〜3人。日本から、1〜2年契約くらいで交代で連れてこられるそう。その人たちにとっては大変だろう。私と違って、来たくもなく、中国語は一言も知らずに会社の命令で育ち盛りのこどもがいる(かもしれない)家族とも離れ、いきなり外国に来なければならない訳だ。
その人たちがこっちで所長(こっちでは総経理と言う)になって管理役を勤めている。
言葉の分からない所長だ。かなり少数派民族の所長。
だが彼らも日本語で指示、生活できるようになっている。日本語のうまい中国人がその下にいて、一緒に管理役をしているからだ。日本語のうまい中国人はヒジョーに多い。
そしてその下に工場労働者がたくさんいる、という具合になっているらしい。だから一番上と一番下では全く言葉が通じない。でも普通、社内で一番上と一番下の社員とで話すことはそれほどないだろうから、問題ないようだ。
だから会議等でも、言葉の分からない日本人所長一人のために何人かの中国人同士でも日本語で話す。という感じで、日系工場は回っているようだ。
日本人は管理力は相当あるが、言葉が出来ないみたいだ。

彼らの段階ごとに給料は激しく違う。日本人総経理のおっちゃんたちは、普通に日本の給料だろう。その下の日本語が話せる管理職の中国人は多分よくて6千元くらいか、まぁ大体3千元くらいだろう。彼らは当然大卒だ。そしてその下の工場労働者は1000元以下らしい。中卒の人らしい。(1元は15円くらい)
この前小耳に挟んだが、大連開発区で工場労働者のストライキがあったらしい。
工場労働者はあまり職場を変えない(というか変えられない)そうだが、日本語が出来る3千元クラスの人たちはしょっちゅう職場を変える。だから、たまに連絡して、「あぁ、この前辞職しました」と言われるのはしょっちゅう。また、たまたま前の同僚が今度は隣の会社で勤めているなどというのも珍しい話ではない。一方、日本人総経理はいきなりしらない外国に行かされ、寂しく過ごしている人もいれば、それなりに楽しんでいる人もいらっしゃる様子。でもやっぱみんな少し不安みたいだ。

みんなそれぞれ生まれた星の下でいろんな人生を歩んでいる。
2005 10/20 23:05:54 | none | Comment(0)
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大連のとあるデパートのエレベーターに乗ったら、いかにも日本人だと分かるおば様達と一緒になった。
中国人と日本人は同じかもしれないが、ご年輩さんはだいたいすぐ分かる。大体日本人のおばさんの特徴は、白っぽい帽子、リュック、小柄で太め。色白、目が小さめ。アイラインなどは淡い色で口紅は濃い。メガネ。その他、服装など日本で見覚えのあるもの、だ。
そのおばさんたちとエレベーターに一緒に乗った。

ちなみに私は彼と二人でいた。幸か不幸か、私は日本人にしてはかなり長身で、約170cmある。遺伝だ。一方彼は中国人の中でもかなり小柄な方で165cm弱なのだ。これも遺伝だそう。お互いのコンプレックスをあざ笑うかのような皮肉な出会いだった。なので、並んで歩いていると一目で身長差が分かってしまう。
そのおばさん達は、私が日本人だとは分からなかったようだ。当然、たまたまデパートで同じエレベーターに乗り合わせた普通の中国人だと思っている。そりゃそうだ。私を日本語が分からない普通の中国人だと思い込み、私ら二人を見て普通に日本語で
「このカップル、女の方がずいぶん大きいわねぇ〜。」
・・・・・・・ 私も日本人なんだな〜。
二人で噴出すのをこらえた。が、ちょっと面白半分というかおばさんをからかってみようと言うか、真がさしたというかで、、私はニコ〜ッっと笑いかけ、
「私も日本人なんですよ〜
と答えてしまった。
するとおばさん、「あら〜、ごめんなさい〜・・・;;」と言って赤面し、うつむいてしまった。
悪いことしちゃったな・・・黙ってりゃよかったかも。。
と思ったのも束の間。別のおばさんが、
「ほ〜んと、ごめんなさいねぇ。 でもねぇ、うちの息子も小さいのよォ。まぁ、幸せになってね。おほほほほ。」
と言って行ってしまった。

その後一分間、彼は「いい人だけど失礼なッ。」と半分怒り、私は大爆笑。笑いすぎて壁にぶつかりそうだった。

ぶらぶらしているうちにまたそのおばさん軍にバッタリ会った。
そうするとそのおばさん、その場でどこで出会ったかやら今後どうするのかやらを深く聞いてきたり、そして今度は、「んまぁ〜、賢そうで上品な顔ねぇ〜好青年だことぉ!」と彼をほめ始めた。さっきまで小さいって言ってたのに・・・
そして、「日中関係の悪い中でもあなた達みたいな若者がいると安心だわぁ〜」と言ってちょっと立ち話し、その場で別れた。
結構笑える一コマでした。
2005 10/12 12:46:26 | none | Comment(0)
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まずはお馴染み、川を挟んで上海TV塔とその付近の建物。


預園と呼ばれるお寺です。とにかくすごい人、人、ひと、ヒト!


上海から車で約二時間。蘇州にも参りました。町の風景や観光地のお寺です。どこの何がなんだか、、ちょっと忘れてしまいました・・・


上海テレビ塔からの風景


昼間の外タン。


夜の外タンと上海タワー (タワーの横の地球は国際会議場)


帰りの飛行機。運良く窓側に座れました。


大連到着。
2005 10/09 19:57:56 | none | Comment(0)
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10月1日〜7日まで、中国は「国慶節」と言われるゴールデンウィークだった。要するに建国記念日だ。建国記念日で一週間の連休とは、、愛国心の強さを感じる。
そこで私は上海に遊びに行った。
上海に行くのは始めてなので、いろいろ驚くことが多かった。
?まず上海は大連とは比べ物にならないくらいデカイ。近代的な大都市だ。大連にも日本企業が多いから、大連もそこそこ大きいのかと思えば、えらい違いだった。まさに井の中の蛙だ。
?道が狭く整い、車の運転が穏やかである。中国の交通状況が日本人にとって厳しいものであるのは、中国に行ったことのある日本人なら誰でも感じているだろう。
てっきり都会である上海の方が危険だろうと思っていたが、
全く逆で大連の方がずっと恐ろしい。。そういう意味では、上海の方が町の雰囲気が東京に近い感じがした。
?上海語。標準語とは激しく違い、全くにして分からない。。中国人でも上海出身の人でないと分からないそう。
?タクシーの違い。大連よりきれいで、値段が高い。運転手がが背広を着ている!大連は古い車が多く、うんちゃんは制服もないため適当な服で、Tシャツにサンダルと言った感じだ。
?花屋がある。大連には生花はあまりなく造花ばかりで、生花を売っている店など少ないが、上海は道をあるくとちょくちょく生花屋があった。

上海をざっと見回した大きな違いはこんな感じだ。
上海観光は日本からの父と合流し、日本人向けのツアーに参加した。が、参加者は我々親子の二人のみ。。まるっきり貸切ツアーだった。
車の中には我々親子と、ガイドさん運ちゃんの4人。ガイドさんは同い年くらいで日本語はまぁまぁ。マニュアルを丸暗記し、その通りに読んでいるのがよく分かった。でも、頑張ってたくさん覚えたんだなぁ、というのが伝わってきた。
中国に一年間も住んでしまうと、今更ツアーと言うのも少し微妙だった。だが上海は初めてなので、方向がさっぱり分からなく、一人だとちょっと厳しい。
ツアーのいいところは、車に乗るだけで名所に連れて行ってくれるところ。調べなくても教えてくれるところ。だが、自由が利かなく、もっと見たくても時間が指定されてしまう。それから何よりも、日本人向けのお土産屋に連れて行かれる。日本語が出来る店員と華やかでこじんまりしたお土産屋さん、値段の相場はザット普通の店の5〜6倍だが、旅行に来た外国人客なら仕方ない。普通に買うだろうし、それが商売だ。需要と供給ってやつか。ツアー参加と思われる外国人客がどしどしつれて来られている。お土産を薦められるので、大連にすんでいる旨を伝えたら、冗談交じりだろうが、そこで働かないか。。と。。ちょっと、、いいや。
続きはまたPart2で。
2005 10/07 19:13:36 | none | Comment(0)
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うぅ〜、しまった。。社長室で大泣きしてしまった・・・私としたことがぁぁぁ〜。
昨日、いきなり社長に呼ばれた。なんだろ、と思ったら大学の日本語授業についてだった。どういう風になってる・・・? と聞かれ、素直に現状を話したらあきれた口調で、なぜ報告、相談しないのか、と怒り出した。。
あぁ、そうか。。確かにそれはよくなかった・・・
でも言ったら言ったで怒られそうだし、もう誰に言っても無駄で準備だけは後悔しないようにし、成り行きに任せるしかないと思ったからだ。が、、んなこと言えない。
そして参加者が大幅に減っている理由などを深く深く聞いてきた。報告しなかったことは謝ったが私は、授業をいい加減にやっていました、なんて言う気はさらさらない。今回は社交辞令でも言いたくなかった。自分なりに考えて準備したし、先方の先生にも相談した、と言っても理解してもらえない様子。
いきなりおかしな場所に放り込んでおいて、人の揚げ足ばかり取るような社長の行為にすごく腹が立ち、悔しさで一杯になり、ふて腐れた態度で泣きたいのをしばらくこらえていた。が、そんな会話をしているうちに、もうこらえ切れなくなり、社長をにらみつけた私の眼から涙が溢れ出てしまった。
おいっ、止まれ〜!と思っても止まらない。ヤバイよぉ〜;;と私の中では自分に叫んでいたが、社長は顔色一つ変えない。社員に強く言ってそういう姿には慣れているらしい。
要するに私に、大学で教えるという機会をわざわざくれたらしい。そのチャンスを今のままだと捨てることになるからなんとかしろ。ということだった。そしてその成り行き任せな性格もなんとかしたらということだった。
他の社員からも聞いたが、社長が私を大連へ来させた大きな理由は、性格を変えさせたかったからだそう。受身で自己主張のない性格を中国人達にもまれ、能動的で自己主張のあるハキハキした人間になってほしいそう。。
ありがたい話だが、余計なお世話でもある・・・実は中国の会社では日本ほど上下関係がなく、給料〜元上げてくれとか、普通に社長に言える世界なのだ。日本人の感覚では始めは信じられかった。そういう社会からすれば私のような、よく言えば控えめ、悪く言えば空気の抜けたような性格は、時として嫌がられる、、というか損みたいだ。でも日本であまり自己主張が強かったら傲慢と評価され、逆に嫌われるのではなかろうか・・・? 謙遜の美学を大事にして育ってきたし、そのアイデンティティを保持することは一応日本人としては悪いことだとは思わないので、私はそれほど変身願望はない。
それをまた社長に言えばいいのかもしれないが、そんなこと言っても意地の張り合いとただの反抗になるだけで、何の解決にもならないだろう。
ま、ありがたいと思って受け入れなければならないのだろうか? 
やれやれ、、珍しく精神的にやられた一日だった。
2005 09/27 22:32:14 | none | Comment(0)
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今回もあった、日本語会話交流クラス。今日でかれこれ3回目だ。
ちなみに、相談に乗ってもらおうと、前にメールを送った先生からは返事はこなく、見事に無視された。読まずに削除されたんじゃないかというほどスカッと無視だった。。
そんな訳で自分で好きなようにしていい(らしい)授業、と解釈し、いろいろ準備した。が、どれも使えそうで使えないものばかりだったかも・・・
そして2回目である先週の金曜日。相変わらず訳の分からないまままた教室へ送り込まれる。
さて、どうしよう。。正直、辞退したいかも・・・何をどうしたらいいのか分からない。が、そういう訳にはいくまい。

気分一つでこの世は〜、すべてばら色さ〜♪
知恵を使って気分を〜変えりゃいつでも、いつでもHAPPY!HAPPY!
気分一つでこの世は〜・・・・・・

小学校6年の時の学芸会で歌った歌だ。なぜかいきなり頭を回った。劇の名前は「人間になりたかった猫」・・だったかな。もちろん私は脇役向きなので、町の人3だか4だかで台詞などほとんどなかったが、なかなか感動的なストーリーだった気がする。もう十年以上も前のことなのに、覚えているもんだなぁ。

それほど追い詰められることでもなかろうに、、無意識のうちにかなり緊張しているらしい。。
でも本当に気分一つだ。中国の学生たちと交流できる!こんな機会めったにないではないか。責任を負わされているわけでもないし。。好きなようにしゃべって(からかって)楽しんで帰ってくればいいんじゃん? と考えれば、バラ色(?)に思えてくる。
が、、これでも一クラス預けられているんだぞ?やる気のある学生が期待のまなざしでこっちを虎視する。しかもこんな訳の分からん設定のクラスで学校、会社側から何が基準だか分からない評価が下されるらしい。。と考えるともう悪夢。
いづれにしろやらねば成らぬ。

金曜日、大連は大雨で風邪もすごく強かった。そのせいもあり、教室に行ったら参加者は7人。。1/3以下だ。。が、、チラホラ途中参加者がおり、結局計10人くらいだった。まぁそんなモンだろう。会話クラスにはもってこいの人数、いやちょっと多いか。ゲームをしたいというリクエストに答え、日本語単語でしりとりをした。
すごい語彙力だ。続く続く・・・10人しりとりで1時間続いた。2年間大学の授業で日本語を勉強しただけなのに。何なんだこの人たちは・・?
どこで単語を覚えたか聞いたら、まずは授業の中。二年間で学校指定の教科書は7冊あったそう。+ドラマや漫画などの興味のある分野から吸収したらしい。

そして本日、天気は快晴。だから前回とは違い、参加者が減ることはなかろう。。と勝手に解釈し、適当に準備して教室へ。
時間になって教室を見渡したら、学生は2人・・・モウイヤ。
と、途中から遅刻者が来たので、計5人だった。また1/3だ。。が、会話にはちょうどいい人数だったので、適当に話した。自分の出身地を紹介させ、それから将来の夢などを語らせた。5人だったのでやっと会話らしくなり、片言ながらも発言が増えた。5人のうち、3人は留学大学院志望。一人はエンジニア職希望でもう一人はインターネットを通じて一儲けしたいとか・・・
そんな訳で、3回なんとか終えた。来週は中国は大型連休の直前の為、休みだそうなので、なし。とりあえず一安心。
2005 09/23 23:35:14 | none | Comment(0)
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昨日(9/18)は旧暦の8月15日で、「中秋節」と呼ばれる十五夜だった。こっちで言うお盆だ。日本みたいに祭日ではないが、ちょうど日曜日に当たったということもあり、みんな家族や親戚とご飯を食べ、月餅を食べて過ごす。
きれいな満月の晩なのに、大連はあいにく曇りだった。
ところどころ花火が上がっていた。こっちの花火は日本みたいに予告や許可は関係なく、ホテルやいろいろな団体が唐突に打ち上げ花火を上げる。確かに危ないのだろうが、怪我人は見たことない。突然みられればラッキーという感じだ。
中秋節の一ヶ月前くらいから、どこの店も月餅を売り出す。日本で言うクリスマスみたいな感じ(?)だった。
会社でもお客さん達に月餅の菓子折りなどを配り歩いた。月餅とは、、まぁ饅頭菓子のようなものだ。
中身は実にいろんな種類がある。あんこ、果物、木の実、卵、肉類、その他ピンきりだ。おいしいものはおいしいが、一口食べればもういいです・・・・と思うものも沢山あり様々だ。だが、どれにも共通して言えることはすんご〜く甘い。コクのある甘さだ。
そんな訳で、中国の年間行事の一つ、中秋節でした。
2005 09/19 22:17:16 | none | Comment(0)
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先週一週間くらい、大連では「服装節」と呼ばれる大規模なお祭りがあり、パレードやファッションショーなどいろいろな催し物があった。
大連では珍しくかなり警備が厳重で、開会式のところにはパトカーや消防車はもちろん、爆弾処理車まであった。
ファッションショーなどは入場料が高く、なかなか立ち入りにくいものだったので行っていないが、パレードは見ることが出来た。
うまく撮れなかったですが、以下中山路、人民広場の前で撮った写真でございます・・・



2005 09/19 21:46:44 | none | Comment(0)
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金曜日大連の某大学へ行き、そこの日本語クラスの学生達の会話クラスとやらを受け持った。
かなり突飛な話だった。前日に、大まかに割り振った時間と学年だけ教えられ、レベルも人数も不明で何の詳細もなく会話クラスだ、さあやれ、と。。これでも一応日本語教育を習った身だ。初っ端から準備のない授業なんてありえない。が、一体こんなのどう準備したらいいんだよ・・・? こういう情報伝達不足なところが中国の長所であり短所でもある。
こうなったら、初回は自己紹介のみで時間を長引かせよう。それで学生の要求やレベルを見て考えるしかない、と腹をくくり、翌日ほぼNO準備で恐る恐る教室へ。
ウッ!学生達がこっちを虎視している・・・3年生だから私の3つ下か。やはりこっちにも細かい連絡は行っていないようだ。みんな普通の授業と同じように、黙って珍しい外人を宇宙人が来たかのように見ている。若いなぁ・・・そして黒板には全然違った交流会のタイトルが書かれている。一体どういうことだよ?
でも教室を間違えてはいないよう。一応会社の担当の人も初めの1分くらい一緒に来てくれたので、彼が「この外人は○○社の○○で、みんなに生の日本人と話す機会を学校側が設けたいということで、たまたま○○社から派遣された日本人だ。みんな適当に話しろよ。」という旨を、簡単に言ってくれ、学生達はそこで始めて私の得体とそのクラスの趣旨を知ったよう。「じゃぁ、頑張れよ」と、社員は帰ってしまった・・・;
ひぃ〜!どど、どどうしよう〜。いざ学生数十人を目の前に・・・とりあえず簡単に自己紹介。そして学生一人一人にも自己紹介をさせた。これで30〜40分は持つだろう、と踏んでいたが、20分弱で終了。教室がシーン・・・あ〜りゃりゃ・・・;しかも事前には45分と知らされたのだが、正しくは1時間35分だった・・・;;さて、あと1時間15分もこのキマヅイ雰囲気をどうしよう。
と、そこでとある学生が質問してきた。日本での生活はどんなですか?と。ーーなんて抽象的なんだ。とりあえず、日本の大学生の生活を紹介した。が、あまり言うと、日本の大学のボロがでてしまうので控えめに。日本の大学は全寮制でないこと、時間割は自分で作るとか、バイトする人が多いんだよとか。やはり聞けば聞くほど中国の学生とは根本的な環境が違うのが私も分かった。
それから日本の一般的なことや、私の個人的なことについての質問がチラホラ、出たり出なかったり。。
「○○(パタパタ)さんは中国語が話せますか?」と聞かれた。「少し」と答えると、ちょっと話してみろという。。ゲッ!ここで話したら立場が丸っきり逆転してしまう。目の前には30人の先生達。嬉しい環境だが、立場を逆転させるわけには行きませぬ。とヘラヘラしているうちに他の質問が来たので助かった。
他、日本と中国の犯罪についての法律の違いとか、訳の分からない突飛な質問も多い上に、30対1では会話のしようがない且つ、1時間35分はやはり長すぎた。突飛な質問が多かったのは向こうも話題がなく、一生懸命考えて見つけたのだろう。シーンとしたキマヅイ雰囲気を何度も向かえ乗り越え、最後にはどうにもならなくなり、少し早めに終わらせた。
でも自分が学生のときの中国語クラスを思い出すと、、、勝手に話せ、という授業なんて成り立たなかった。みんな全然勉強していないから、全くにして話せない人も多い。それを考えると、2年間日本語を勉強しただけで、クラスのみんながこんなに話せるようになるなんてスゴイ!しかも彼らの専攻はソフトウェア開発だ。比べれば比べるほど、私の大学とは信じられないくらいの差がある。やれやれ・・・;

帰るとき、学生達が何百人も軍服を着て整列、行進している。。聞くところ、それは新入生達だそう。中国では9月から新学年に入るため、一年生は今、入学したばかりだ。中国の大学では、入学してすぐには授業はなく、一ヶ月くらいず〜っと軍練といわれる軍の訓練があるらしい。本当に軍人が来て、何時間もマラソンや行進やらで鍛えるそう。拳銃の練習もあるとか・・・
やはり日本とは全然違う。。びっくりし、ドッと疲れた一日だった。
ちなみに授業は、一クラスの人数を小分けして時間を短く区切りたい、と大学側の日本語教師にメールでお願いしたのだが、2日経った今でも、返事が来ない・・・次回どうしよう・・・
2005 09/11 10:49:46 | none | Comment(0)
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