公安警察は僕をアルカイダテロリストや北朝鮮のスパイに仕立て上げ、その結果行ってきた様々な不当行為を正当化するためにあらゆる手段を使って僕を要注意人物にし続けています。そして自衛隊も自衛隊機で毎日のように脅迫行為を行っています。このブログではそれらの行為について書いています。また拉致報道減少の理由もこのブログでわかります。

2008年 06月 07日 の記事 (1件)


警察は00年(平成12年)5月頃に僕の家族がひったくりにあい、僕の家に来てから、あるいはその前年の桶川ストーカー事件で僕を監視して以来、やけに周りを警戒している僕を怪しいと感じ、ミサイル部品を一部で扱っている会社で働いていて、そこで空き巣として疑われた事実と合わせて、どこかのスパイかもしれないと思い込んだ。しかしそれを裏付ける証拠が何もない。そこで監視を続けるための理由が必要になる。
そこで韓国料理や朝鮮系の店が多くある新宿百人町という場所にある歯科医院に僕が通っていたことを利用して新宿百人町事件というストーリーを警察自ら造って僕の監視理由としたのです。


詳しい内容はこういうことです。

まずは僕の実際の状況から説明します。
僕がミサイル部品の試作品を扱っていた会社で働いていたのが95年(平成7年)中旬から96年(平成8年)にかけてです。そしてその会社での事務所荒らしで疑われたのが8年の初旬です。また歯科医院に通い始めたのが平成7年末頃からで、平成11年まで通いました。
そしてその歯科医院で矯正という保険が利かない治療を受けるため100万近いお金を信販会社から借りました。僕の場合数ヶ月に一度しか通院していませんでしたが、通院時も保険が利かないため毎回2万円くらいの結構な金額の治療費を払っていました。


そして次に百人町事件の内容です。
この事件でスパイとされ検挙された康成輝は、時期に関してはわかりませんが日本でのスパイ獲得工作を行っていたそうです。それと97年(平成9年)頃から5年間にかけて、多額の資金を集める計画をしていて、計画の一部を実行していたとされています。


百人町事件のスパイによる資金集めの時期と、僕が高額な治療費を払っていた時期と重なります。
それとスパイの獲得工作の時期はわかりませんが、普通に考えてこれと大体同じくらいの時期でしょう。


これらのことから考えると、公安警察はこの百人町にある歯科医院がスパイの資金集めやスパイ獲得のアジトということにして、そしてそこに通院していた僕がスパイとして獲得され、ミサイル情報や資金を提供していたのではないかということにして、僕を監視をするための理由としたことがわかりあます。

これが百人町事件の事実です。

そしてこれが僕に疑いをかけるための警察による最初のでっち上げです。
このでっち上げから僕の地獄の生活が始まったのです。




しかし警察はそうやっていくら監視や捜索を続けても僕がスパイだという証拠がなにも出てこない。

そこにきて07年5月28日の記事で書いたように、05年(平成17年)11月に近所の住宅街で「警察が人権侵害しているぞー」「人権侵害で訴えてやるからな」と僕に大騒ぎされてしまった。
警察は自分たちが周りから疑われることを恐れ、仕方なく証拠など出ることなどないことをわかっていながら、万が一の可能性にかけて06年1月17日に、僕が働いていたミサイル部品を扱う会社の関連会社の提携企業をミサイル情報(93年から95年の情報)を北朝鮮に漏らしたとして家宅捜索し、次に同月26日に僕が通っていた歯科医院を別件の軽微な罪で家宅捜索をしたのです。

しかし当然証拠など出なかった。

そこでこの歯科医院をインチキの治療を行っているということに仕立て上げて、捜査を終わらせたのです。

しかしそれで終わったわけではなく、警察は自衛隊と合わせて自分たちが僕にしてきたことを正当化するためにその後も様々な工作を行って僕を要注意人物に仕立て上げ続けています。
2008 06/07 14:14:03 | 人権侵害 | Comment(0)
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