公安警察は僕をアルカイダテロリストや北朝鮮のスパイに仕立て上げ、その結果行ってきた様々な不当行為を正当化するためにあらゆる手段を使って僕を要注意人物にし続けています。そして自衛隊も自衛隊機で毎日のように脅迫行為を行っています。このブログではそれらの行為について書いています。また拉致報道減少の理由もこのブログでわかります。

2011年 05月 30日 の記事 (1件)


前回の記事にもう少し情報を付け足すと、あの事件が陰謀であったことがさらによくわかります。


この北の女スパイは08年7月15日に韓国で逮捕され、それからわずか3ヶ月で裁判の判決を迎えています。
判決が3ヶ月なら警察や検察での取り調べはそれよりももっと短い期間しか行っていないということになります。

これはあり得ないことです。

韓国に亡命した北の元要人(黄長?=ファン・ジャンヨブ)や韓国や日本にいたとされる北の工作員などの暗殺計画、韓国軍の士官から軍事情報の聞き出し、中国において韓国人拉致など様々な工作活動を行ったり計画していたことになっています。

韓国の警察や検察はこれだけの事件や情報の裏づけをどうやってそんな短期間に行うことが出来たのでしょうか。裏づけだけでなく他にも何らかの命令や他の仲間がいる恐れもあるわけです。

また韓国には87年に北の工作員によって大韓航空機爆破事件で100名以上を殺されたという前例があるのです。
それと同じような工作員を逮捕したのにそんな短い期間の取調べなど考えられないことです。

さらに日本や中国でも事件を起こしたり計画していたのにそれらをそんな期間に裏づけを取るなど考えられらないことだし、当時日本や中国の警察が捜査に協力したという情報も全くありませんでした。


そしてこのあり得ない取調べ期間を通して出された判決は懲役わずか5年だけ。
確かにその工作活動のほとんどが未遂に終わったり、士官から盗んだ情報も大したものではなかったということになっていますが、中国で韓国人拉致を行っていることになっているのにそんな軽い罰などあり得ません。



そしてさらにこのあり得ない判決が下った日は、アメリカが北朝鮮のテロ指定を解除した10月12日のわずか3日後の15日なのです。

指定解除の動きが出たひと月後に女スパイ事件が発覚し、解除された3日後に判決なのです。

これらの説明で見え見えの謀略劇であることがよくわかると思います。

情報院は指定解除阻止のためにスパイ事件を捏造したが失敗し、指定解除をされてしまった後はスパイ事件など用無しになったということです。
そこで解除の直ぐ後に適当に判決情報を流し、さらにその後に共犯の義父は無罪ということにして事件を終わらせたということです。

9月8日のミサイル発射準備情報は、スパイ事件を出しても指定解除の方向へどんどん向かっていたため、さらなる情報を付け足して阻止しようとしたということです。



2011 05/30 12:52:19 | 人権侵害 | Comment(0)
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