公安警察は僕をアルカイダテロリストや北朝鮮のスパイに仕立て上げ、その結果行ってきた様々な不当行為を正当化するためにあらゆる手段を使って僕を要注意人物にし続けています。そして自衛隊も自衛隊機で毎日のように脅迫行為を行っています。このブログではそれらの行為について書いています。また拉致報道減少の理由もこのブログでわかります。
95年(平成7年)

3月20日: 地下鉄サリン事件発生

7月: 本業のかたわらで極わずかですがミサイル部品の試作品も扱う会社(X社)に入社
 
7月: X社で事故発生(1人死亡、負傷者複数)
(関連記事 07年7月1日「最初はテロリストとして疑われていた」 07年6月25日「前回の記事の説明」)


00年〜02年あたり(平成12年〜14年) 

   東秩父村の定峰峠にドライブに行く


03年(平成15年)

8月: 元オウム信者の女性が北朝鮮へ亡命 その後05年に帰国





僕をオウムの信者か、オウムと何らかのつながりがあるとしたのは僕が周りをやたらと警戒しているところや、地下鉄サリン事件とX社での事故が同じ年に起こったこと、この2つではないでしょうか。

それと警察の監視に気づいた始めの頃ですが、埼玉県の東秩父村にある定峰峠という山にドライブに行ったことがありました。
ここは以前から何度もドライブに来ていて、子供の頃も家族と遊びに来たことがある山です。
その時に山の頂上に近い場所に道路が二股に分かれる場所があるのですが、そこに「オウムは出て行け」みたいな看板が立っていました。何度も来ていますがそんな看板には気づいたことはありませんでした。
そして頂上に登り着いて、展望台みたいな場所で休んでいたら、軽ワゴン車が展望台の下に来て、役所の職員といった格好をした人が降りてきて、何かを探している感じでキョロキョロして、僕の存在に気づいたら直ぐに車に乗って帰っていったということがありました。
しかし東秩父村あたりでオウムがなにか関係しているということをきいたことがありません。
あの看板に関してはわかりませんが、あの車の男は間違いなく僕を確認しに来た人間です。

さらに03年8月には元オウム信者の女性が北朝鮮へ渡って、また直ぐ帰ってきたというおかしなこともありました。これでマスコミがオウムと北朝鮮とがつながっいるんじゃないかと大騒ぎ増した。そういうところも僕をオウムと関係があるのでは、としているところだと考えられますが、そもそもこのオウムと北朝鮮がつながりがあるという話は一体どこへいってしまったのでしょうか。あれは一体なんだったのでしょう。
これに関しては僕自身は誰かの「仕込み」じゃないかと考えていますが。

最後に僕がオウムとつながりがあるとされている証拠として決定的なのが、「桶川市」のホームページにありました。
トップページ右側の中段あたりに、「オウム真理教関係特別手配被疑者発見・検挙にご協力を! 」というオウム逃亡犯逮捕への協力を呼びかける項目があります。
埼玉県全ての市町村のホームページを調べましたが、トップページでこんな呼びかけをしているのは桶川市だけでした。(その他の市町村はこちらから)
これは上尾警察からの呼びかけですが、その上尾警察暑のお膝元である上尾市のHPですら、トップページにこのようなことは載っていませんでした。

これらを合わせれば警察が僕とオウムとが関係があるとしているのは間違いありません。

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