関東大震災が襲来した年の八月、鎌倉の平野屋の別荘に滞在していた芥川龍之介は庭に藤、山吹、菖蒲が季節はずれの花を咲かせているのを見て、自然に発狂の気味があり、唯事ではないと感じ、会う人ごとに天変地異が起こりそうだと言ったが、誰も本気にしなかった(大震災雑記)。芥川は八月二十五日に帰京したが、その八日後に激震が関東地方を襲った。時に大正十二年(1923年)九月一日午前十一時五十八分でした。
関東大震災を象徴する大惨事となった、本所被服工廠跡地(現墨田区横網町公園)では、ここに逃げ込んだ避難民約4万人が焼死しました。
「現在の墨田区本所には、陸軍の軍服を作る工場があったが、その工場が移転した跡地の約6.6ヘクタールという面積が公有地になっていた。地震で被災した人々はこの広大な空き地に次々と避難してきたという。中には家財道具を運び込む者もいた。そして、見る見るうちに、空き地に集まってきた人々の数は4万人に膨れあがった・・・地震発生から4時間ほど経過した。午後4時から5時頃のこと。空き地は突然、竜巻のような大旋風に何度か見舞われたのだ!・・・旋風の勢いは凄まじく、人や荷物、大八車までが空中に巻き上げられたという・・・生き残ったのは、避難した約4万人のうち、わずか5%ほどにすぎなかったという」(必ず来る巨大地震 朝日新聞社P63)
「(関東大震災により)焼失した家屋は計44万7000棟になった。東京市はその面積の44%を焼かれ、焦土と化した。(東京大震災はあす起こる 川西勝著)死者十四万二千八百七人、全壊した家屋十二万八千二百六十六戸で死者のうち建物の下敷きになったりした圧死者は数千人に過ぎず、ほとんどは焼死者だった。」(参照文献・東海大地震の秘密 天野昌紀著 山手書房)
「関東大震災クラスの巨大地震が大都市を直撃した場合の人的被害の予想を建設省、自治省消防庁等の政府機関の協力で財団法人日本都市センターが昭和五十一年にまとめた研究結果によると、建物の下敷きになるなど倒壊にともなう死者が四万三千人、火災による死者が一番多く四十四万四千人、そのほか水害、交通事故、生き埋め、ビルから落ちる看板、ガラスなどの落下物に当たったりして一万四千人が死ぬという。さらに大地震であまりに多くの負傷者が出て、病院や医者の数が足り救急医療が十分に回転できない場合やゴミ収集の清掃事業がストップするため、疫病が発生し、冬ならば住むところがないまま凍死者が出ることも予想される。都市センターの報告書では、こうした被害まで含めると、『東京二十三区内だけで死者が百万人を超える可能性がある』との悲観的な見方をとっている」(東海大地震の秘密 山手書房)
「巨大地震はいつ来てもおかしくない」。多くの専門家がそう指摘する。何の前触れもなく私たちの生活を巨大地震が襲ったとき、その被害は考えられないほど大きなものとなる。生死を分ける巨大地震のサバイバル。自分の家族の命を守るため、私たちは情報を集め、今、できる限りの、の備えをしなければならない」(必ず来る巨大地震 朝日新聞社P19) l 私が地震に関する多くの文献を読んで気づいたことは、実は多くの大地震は事前に予知されていること、大地震でも倒壊しない木造建築の方法も百年以上前から存在するということです。例えば関東大震災も海軍の検潮機が六時間前に感知したことが「江戸から東京へ(九)矢田挿雲著 中公文庫」P76に明記されています。また、広瀬隆著の「棺の列島」P188にも阪神大震災が事前に予知されていたことが書かれています。「兵庫県南部地震を直前に予測したのは、地震発生の三日前、一月十四日に発売された週刊現代(一月二十八日号)だけであった。『巨大地震が首都&関西圏を襲うー三陸はるか沖地震は破局への序章か』と題してこの尾池教授たちの警告が特集されていたのだ。その言葉がこれほど的確に阪神大震災を予言していたのである。P188
『地震が起こる』と予測して、パニックが起きたり、経済的損失が出ることを考えると、地震予知は簡単にはできなくなる。そうなると、『心配な状況である』ことをニュースでそれとなく漏らすしかないのかもしれない。P257(地震の前兆―こんな現象が危い 池谷元伺大阪大学大学院教授工学博士)。 英語にread between the lines (行間を読む)という表現がありますが、地震の予知情報に関してはこのような読み方をすることが必要と思われます。
「阪神・淡路大震災の現場では、消火栓が全滅したため、消防隊員たちがなすすべもなく立ち尽くしている現場を、私も目撃している」(東京大震災は明日起こる 川西勝著 中公新書ラクレ P17)
将来、関東大震災級の地震が起きたとき、水道管の破損により、十分な消火活動ができない可能性は極めて高いと思われます。そこで、現実的に可能と思われる対策として、都内の地下鉄のトンネル内に消防用ホースを張り巡らし、火災が発生した場合、隅田川の水を吸い上げて消火に利用することは可能でしょう。 また学校の校庭の地下や公園の地下に貯水槽や食品等の備蓄品倉庫、トイレの大型の浄化槽を設置することは可能でしょう。貯水槽は水道水の入り口と出口を設置すれば古い水は出て行くので貯水槽の中の水はいつも新鮮な状態を保つことができるでしょう。これは実際にやっているところがあるようです。
もぅ一つの対策として、老朽化して大地震の際に危険なビルに入居している企業を中心に安全な郊外に移転を勧めても、本社の所在地は東京にこだわる会社は多いでしょう。そこで、東京都に隣接した県の一部を東京都に編入して、そこに都内の老朽化したビルで営業している企業を転居させで、その跡地には火災発生時、停電の状態でも自家発電で放水できる貯水タワーを建設して、大地震の際、火災が発生した時に火勢が広範囲に広がるのを防げるように配置できれば良いと思います。このタワーに住居を失ったり東京に勤務していて帰宅困難になった人々を収容する施設を併設することも可能でしょう。またこの貯水タワーは広告塔としても利用できるので管理費の一部を稼ぎ出すことはできるでしょう。
官公庁も大地震の被害で機能が麻痺する場合に備えて、上記の新たに東京都に編入した地域に現在とほぼ同じ規模の施設を作り、今から一部の職員を常駐させて、もし、霞ヶ関の施設が甚大な被害により行政がストップする恐れがある場合、即座に滞りなく行政活動をそこで継続できるように準備しておくべきではないでしょうか。
我々の時代、特に私のような年寄りが生きている間には大震災は起きないかもしれませんが、いつか来ることは確実なので、無駄になることはありません。今、我々の時代に可能な限りの備えをしておけば、確実に大震災に遭遇する未来の人たちは「昔の人たちが、ちゃんと準備しておいてくれたので、被害が少なくてすんだ」と感謝してくれると思います。 能登半島地震での国の対応に失望し東京のような大都市が大地震に襲われたら一体どうなるのかと暗澹たる気持ちになった国民は少なくなかったと思います。緊急事態条項で国民の権利を制限することよりも被災した国民をどうしたら速やかに救助できるかを考えてもらいたいものです。
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