通説にとらわれない新しい歴史解釈

2008年 09月 の記事 (4件)

 生きていた時代や、武将と剣客という違いはあっても信長と武蔵は「天下一」と評された点では共通していると言えるだろう。
しかしながらその最期はまことに対象的であった。
武蔵は六十ニ歳という年齢で当時としては天寿をまっとうしたといえるが、信長は家臣の明智光秀の裏切りにより本能寺において紅蓮の炎に包まれて五十歳で無念の死を遂げた。

 両者の明暗を分けたものは運もあるかもしれないが、それ以上に決定的だったものは「警戒能力」ともいうべきものの違いであろう。今日伝わる宮本武蔵の伝記からは武蔵の人並みはずれた用心深さが看取できる。

 巌流島で当時、西国一と噂された佐々木小次郎を倒した時も、武蔵は小次郎の刃渡り三尺一寸の備前長光に対抗するべく舟の櫂を削って作った四尺六寸の木刀を使用した。真剣の柄に相当する部分を考慮にいれても武蔵の木刀の方が五寸(約15センチ)ばかり長かったであろう。

 小次郎は武蔵が間違いなく自分の備前長光より長さにおいて勝るであろう木刀を肩に担いで現れたのを見た瞬間、自分の敗北を悟ったに違いない。
長刀を抜き放った小次郎が無意識のうちに放り捨てた鞘は波間に漂い小次郎から遠ざかって行った。
武蔵は小次郎の心中を見透かしたように笑みを浮べて「小次郎敗れたり、勝つつもりなら何ぞ鞘を捨てるか」とあざけるように言った。
焦った小次郎が真っ向から武蔵の頭部めがけてつばめ返しを浴びせ、武蔵の鉢巻を切り落とした備前長光の切っ先がそのまま反転して、下から武蔵の顔面を断ち割るより早く、「電光猶遅しと覚えける」と後に目撃者が記した武蔵の木刀の一撃を頭部に受け小次郎はたまらず砂浜に崩れ落ちた。

 武蔵が自分の備前長光より長い木刀を使用するかもしれないということを思いつかなかったことは小次郎の不覚であった。
もし小次郎が武蔵の木刀と同等もしくは三寸でも長い木刀を用意して、それを用いたならば小次郎にも十分勝機はあったであろう。

 武蔵は孫子の兵法にある「敵を知り、己を知らば百戦危うからず」に忠実であった。敵に応じて最善の闘い方を工夫してそれを用いた。
ある時、武蔵の弟子の一人が縁側で休んでいる武蔵に試しに打ちかかったところ、武蔵は敷物の端を掴んで思い切り引っ張ったため、上に乗っていたその弟子は仰向けにひっくり返ってしまったそうである。つまり、何時どんな状態の時に襲われても対応できるように常日頃対策を考えて用心していたのだろう。信長にはこのような用心深さが欠けていた。

武蔵が晩年に霊巌洞という洞窟にこもって生活したのも仇と恨まれることの多い身でありながら病を得て身体の動きが十分でなくなったので用心のため、人里離れた場所で生活したのではないだろうか。

 結局、真の強者とは隙を作らない、むらの無い用心深さを備えていなくてはならないと言えるだろう。
2008 09/22 21:40:21 | none | Comment(0)
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ルーズベルト大統領は米国民に「私は何度でも言いますが、決して皆さんのご子息を戦場に送るようなことはしません」と公約して三選したが、そう言わなければならないほど米国民の反戦感情は強かった。その米国民を一気に対日戦争に駆り立てたのが山本五十六の真珠湾奇襲であった。まことに愚かな事をしたものである。山本五十六を連合艦隊司令長官にした米内光政も同罪である。
 当時、米陸軍参謀本部に勤務し戦略動員計画を作成し、開戦後は連合軍東南アジア副司令官、中国戦線米軍総司令官を歴任したウェデマイヤー大将は戦後回想録で次のように述べている。「1941年(昭和16年)十二月七日(日本では八日未明)、日本軍の真珠湾攻撃が開始された。この攻撃によってアメリカ国内の主戦派と孤立派は、アメリカの第二次大戦への参戦について賛否の結論をえないまま、突然その大論争に終止符をうった。アメリカ人にとって、ひとたび他国から攻撃されたからには、もはやアメリカが参戦すべきか否かを議論する必要はなかったからである、。この日、われわれアメリカ国民は、いまや、好むと好まざるとにかかわらず、太平洋において戦争に突入したのである。日本が真珠湾を攻撃すると、日本と日独伊三国同盟を締結していたドイツは、アメリカに対して宣戦を布告し、それまでアメリカをヨーロッパ戦争に介入させないためにとっていた、いろいろな手段をいっさい放棄してしまった。そこで、アメリカ政府首脳たちは、イギリスおよびソ連の首脳たちと同様、真剣になってこの戦争に当たることになった。
日本の真珠湾攻撃は、アメリカによって計画的に挑発されたものであるという事実は、真珠湾の惨敗と、それにひきつづきフィリピンを失陥したことにより、おおい隠されてしまった。
アメリカ国民をヨーロッパ戦争に裏口から参戦させようとしていた当時のアメリカ政府は、フィリピンのアメリカ守備隊を日本軍の犠牲に供するのもやむをえない、と考えていた。
アメリカ国内の反戦派の人たちは、ルーズベルトがドイツに対しては明らかに戦時中立を犯す行動をとり、また日本に対しては最後通告を突きつけてなんとかしてアメリカを参戦させようとしていたことは、十分に承知していた・・・いま、われわれは当時を回想し、歴史の流れを考察するとき、かつてヒトラーが征服を夢見た地域よりもはるかに広大な地域に、全体主義的な専制政治を台頭させる結果となった第二次大戦に、アメリカがなぜ、また、どのようにして参戦したかを検討しなければならない」
(アルバート・C.ウェデマイヤー著、「第二次大戦に勝者なし」講談社学術文庫より)

 同じく米軍のロバート・シオボルド少将は言っている「世界中を戦争に巻き込んだ張本人は、フランクリン・ルーズベルトその人である。ことわっておくが、私はアドルフ・ヒトラーを弁護する意志はいささかももたない。しかしながら今日、異常性格のもちぬしとして全世界から指弾されているあの人物が、アメリカの参戦をのぞんでいなかったことは今日多くの人が肯定しているところである。ナチスの全体主義をおそれたルーズベルトは、老獪な政治家ウインストン・チャーチル英首相の切願もあって、ついに大戦争にふみ切ることに決意し、ついでにその以前から強力な軍事力をたくわえはじめていた日本を叩き潰そうとたくらんだ。ナチスと組んだ日本こそいいつらの皮である。はっきりいおう。ルーズベルトは、真珠湾奇襲を初手から十分予知していたのである」
(ミッドウェー戦記 亀井宏 光人社)

 ルーズベルトがドイツとの戦争に米国を巻き込むためにドイツの同盟国である日本を挑発して、先に手を出させるように仕向けた証拠は十分にあり、ルーズベルトとその側近が日本側の暗号を解読していて真珠湾攻撃を事前に知っていたことは間違いないが、それでも真珠湾のキンメル司令長官以下の将兵たちと一般の米国民からみれば日本による卑劣な騙まし討ちであったという事実は動かしようがない。
当時、日本のみならず連合国側にも傑出した賢明な指導者が存在しなかった事は真に不幸なことであった。第二次世界大戦は愚かな指導者達によって引き起こされた戦争と言えよう。
 ウェデマイヤー将軍は前掲書の日本語版序文のなかで次のように述べている。
「この地球上に生活している人々のうち、圧倒的多数の者は戦争を憎んでおります。これらの人々は自由な環境のもとで、平和的に自分達の境遇をよりよくできる機会だけを捜し求めています。だが、彼らは、世界の指導者や軍部首脳たちのなかに、このままほうっておけば必ずや世界戦争を招くだろう、と思われる事態の発展を許している者のあることを承知しております。事実、世界の指導者たちのうちある者は、積極的に、諸国民の間に緊張をたかめ、憎悪をあおり、ゲリラ戦を扇動し支援しております。
 もし、全面的な無制限戦争が発生した場合には、空前の大破壊が行われて、われわれのみるところ少なくとも、一千年間は人類の文明が退歩する結果になるということは、ぬぐいえない事実であるにもかかわらず、さきに述べたような事態が現在いろいろと起こっております。」
なお、このウェデマイヤー将軍は終戦時、中国大陸にいた三百九十万の日本軍将兵と在留邦人の早期内地送還について、大いに尽力してくれた功績に対して我々日本人は感謝すべきであろう。
2008 09/12 23:13:55 | none | Comment(0)
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日米間においても、少なくとも両国民のレベルではあのような熾烈な殺し合いをしなくてはならないような深刻な問題は存在しなかった。米国第三十五代大統領ジョン・F・ケネディの父親で1938年当時駐英大使だったジョセフ・P・ケネディは次のように語って戦争の回避を訴えた「私はみなさんにお尋ねしなければなりません。いったい世界にあなたの息子さんや他人の子供たちの命をかけるほどの議論やら論争が存在するのでしょうか?」ーこれはドイツとの戦争の危機に対しての発言ではあるが、当然日本に対してもあてはまるだろう。
日独伊三国同盟の成立、南部仏印(現南ベトナム)進駐ーこれによってシンガポールやオランダの植民地であった油田地帯が日本の航空機による攻撃範囲に入った。このように日本は欧米諸国の反応を自国に都合よく楽観的に判断して次々と欧米に対して敵対行為をとり、悪魔に魅入られたように破滅への道を進んでいった。
連合国は報復処置として石油、屑鉄の日本向け輸出の禁止、日本の対外資産の凍結等、日本の甘い予想を裏切る厳しい対抗処置により日本を窮地に追い込んで行った。
ナチスドイツの旧領土回復の問題にしろ、日中紛争の問題にしろ、決して第二次世界大戦の莫大な犠牲に引き合うような重大な問題ではなかった。まるで悪魔が巧妙に世界的規模に導火線を張り巡らして小さな火種を世界的大火災に発展させたような気が私にはするのである。
2008 09/12 22:52:19 | none | Comment(0)
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第二次世界大戦によって受けた被害は敗戦国の日本やドイツはもとより、戦勝国であったソ連、米国、英国等の被害も甚大なものであった。
もし、大戦勃発前に当時の人々がタイムマシンで今日明らかになっている、第二次世界大戦の悲惨な記録を手にとって見ることができたとしたら、敗戦国の日本はもとより戦勝国の米国やソ連でさえ、国民のレベルでは圧倒的多数が避戦派となり、必ずや戦争以外の道を選択したことであろう。
第二次世界大戦はその原因という観点からみると真に奇怪な戦争であった。
ヨーロッパではドイツのポーランド侵攻に対して英、仏が宣戦布告したことから始まったが、これはドイツが第一次世界大戦における敗北の結果、ポーランドに割譲された旧ドイツ領の返還交渉をポーランドが英国との軍事同盟をあてにして事実上、拒否したことが原因であった。
2008 09/12 21:17:55 | none | Comment(0)
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