通説にとらわれない新しい歴史解釈
山本五十六が天下分け目の戦いを指揮する大将としての資質を欠いていたことはミッドウェー海戦の経過を振り返れば明らかである。
準備期間も不十分であり、作戦計画もリスクが大きく色々な矛盾を含んでいたため、連合艦隊司令部の上位機関である、海軍軍令部はもとより、山本五十六の部下からも作戦の成功を危惧する声が大きかった。
例えば、ミッドウェー基地の攻略が成功しても、ここはハワイの米軍基地から近いため日本側が維持することは事実上不可能であったこと、ミッドウェー基地攻撃中に敵機動部隊に襲われたらどう対処するかーという問題にたいして有効な解答が出せなかったことなどである。これらの作戦の前途にたいする多くの不安の声を山本五十六は「確かに危険性のあることは認めるが奇襲攻撃でやればみすみすやられることはないだろう」と作戦を強行してしまった。
万人が認める名将源義経は大胆さと細心さを兼ね備えていました。「源平盛衰記」では次のように描写しています。

義経 
「戦いはどうしたものだろう。夜討ちにするか、それとも夜明けを待つか」
田代信綱 
「平家には夜討ちに備える用意などあるまい。これ程の大軍となれば、戦いは夜明けと思い込んで休んでいよう。そこを夜討ちでゆくのだ」
土肥実平 
「そのとおりだ、夜討ちに敵を追い落として、勝ちに乗ずるにしくはない」
義経 
「このうえ、どうするかは義経の判断にかかる。しかし、諸説を総合的に判断するのが、大将たる者の古来の道だ。急げ、それでゆこう」
2008 02/29 23:05:24 | none | Comment(4)
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この記事へのコメント

日米の技術力、工業力に差がありすぎました。ファイティングスピリットでも、米軍はそん色ないものがありました。戦争したことが敗着です。

天皇のおられる帝都が、ハルゼーの空母ホーネットから陸軍機を飛ばすという勇猛な攻撃によって、空襲されてしまったので、全体にミッドウェー作戦に傾いたという背景があります。

しかし、日本軍の暗号は、IBMのコンピューター解析により、ほぼ読まれていました。

また、アメリカの空母には、レーダーがあり、珊瑚海海戦のヨークタウンから、使用していました。ミッドウェーでも、日本軍機の来ることはわかっていて、戦闘機を飛ばしていました。ただ、当時は、日本の搭乗員がまだ優秀であったことと、零戦の優位性があったので、戦果が上がっていたので、日本は気づきませんでした。

最後の艦隊決戦マリアナ沖海戦で、日本のアウトレンジ戦法は、二日目まで、日本艦隊は、アメリカ軍機の攻撃は全く受けず、八次までの攻撃隊を一方的に発進できました。作戦としては完璧だったのです。しかし、もはや先制攻撃IS NOT 敵空母甲板使用不能になっていました。米軍は、レーダーから現在の管制無線のようなもので、戦闘機隊を配備し、日本航空機隊をほぼ全滅させました。

新潮選書2012年刊『ミッドウェー上下』、

決定版 UNTOLD STORY OF BATTLE OF MIDWAY を是非、ご覧ください。
Posted by 愛犬緑 at 2012-12-10 23:44:10
ミッドウェー海戦に関する二冊の本をご教示くださりありがとうございました。特に原書では適当なものを探して読まなければと思っていたので、入手して読んで見たいと思っております。
工業力の差が大きすぎたため長期戦になったら必敗することは日本も戦争まえに総力戦研究所の研究結果で分かっていたのですから、やはり最初の方針であった短期決戦早期講和に全智全能を傾けるべきであったと思います。その可能性は決して0パーセントではなかったと思います。政治家にも軍人にもこれを実現できるリーダーシップを持った人材が手腕を発揮できる立場に存在しなかったことが惜しまれます。
Posted by 山口正恒 http://bany.bz/historian/ at 2012-12-15 22:49:56
ミッドウェー作戦は軍令部の反対もあり山本の思うような戦力配置もできていません。たとえば、アリューシャン作戦も同時進行を余儀なくさせられた。それから、日本国民の特質ではないのでしょうか、「慢心」という性癖です。
日本海海戦で勝ったというが実は日本がロシアの3倍以上もの軍艦の数だったとか多くの当然すぎる事実で勝ったことを日本が優れていたと思い込み、その「慢心」のまま太平洋戦争に至った。
戦争を国民は望んだのです。アメリカ憎し!今、立たねばいつやるのか!などのスローガンがいっぱい新聞には載っていたのです。
それなのに、今、国民は自分たちは戦争とは関係ないと言って、自分たちが戦場に追いやった山本を非難する・・・
何という愚かな国民だろう。
Posted by こぶし at 2013-06-04 23:50:16
「実は日本がロシアの3倍以上もの軍艦の数だった」と書いておられますが、これは事実と異なります。実際はロシア 51万トン(太平洋艦隊―7隻19万トン、バルチック艦隊―8隻、16万トンで 日本は26万トン(戦艦6隻を含む)でした(インターネットで検索するとすぐ分かります)。3倍というのは日本艦隊の艦砲射撃の命中率や砲弾に使用されていた強力な下瀬火薬の威力を含めた総合的な戦力のことであると思いますが、これもロシア太平洋艦隊とバルチック艦隊が合流していれば結果はどうなったかわからないと思います。ミッドウェー海戦では日本側は世界最強の戦艦と戦闘機、機動部隊を保有しながら惨敗しましたよね。アリューシャン作戦に山本が反対だったらなぜいつものように辞職をちらつかせて反対しなかったのですかね。山本五十六を戦場に追いやったのは国民ではなく米内光政です。山本五十六に対する批判はブログのなかで十分に記述しましたので、それをここで繰り返すことはしませんが、事実に基づかない反論は説得力はありません。
Posted by 山口正恒 http://bany.bz/historian/ at 2013-06-29 22:49:14

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