通説にとらわれない新しい歴史解釈
次は平家物語より鵯越の急坂を前にして一同が評定に移った場面です。

兵共 
「これは聞こえた悪所である。同じく死ぬにしても、敵にあってならともかく、悪所に落ちては死にたくない。だれかこの山の案内人はないものかのう」
平山季重 
「季重は案内を知っている」
義経 
「お主は東国育ちのものだ。今日はじめて見る西国の山の案内人になろうといっても、どうもまこととも思われない」
平山 
「これはおことばともおぼえない。吉野・泊瀬の花は歌人が知り、敵の立てこもる城の後の案内は、剛の者が知っている道理だ」(みんなあきれかえる)
別府小太郎清重(武蔵野国住人、十八歳)
「父の義重はこう教えていた。敵に襲われたり、山越えの狩りなどに出たりして、深山で道に迷った時には、老馬に手綱をかけ、先に追い立ててゆけ、必ず道へでるものだと」
義経 
「よくぞ申した。『雪は野原を埋めども、老いたる馬ぞ道を知る』というぞ」
こうして、老馬を先に追って深山に入っていったのである。
(以上、「義経伝説」高橋富男著、中公新書より引用)
部下の意見を幅広く聞き、それらに対して迅速かつ的確な判断を下すことができた義経の能力が鮮やかに描かれています。
当時まだ三十歳にもなっていなかったこの青年大将義経に較べて山本五十六の何と見劣りすることでしょう。
2008 02/29 23:23:19 | none | Comment(0)
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