通説にとらわれない新しい歴史解釈

2009年 12月 の記事 (2件)

 外国で作成されたドキュメンタリー番組で珍しい山本五十六の映像を見たことがあるが、周囲の者に敬礼しながら堂々とした重々しい足取りでカメラの前を通り過ぎて行く自信に溢れた態度はとても印象的であり、一種のカリスマ性が感じられた。白黒の映画でみてさえそうなのだから、実際に生で山本に接した人達はもっと強い印象を受けたことであろう。とても戦いの度に後方の安全地帯に引っ込んでいたような人間には見えなかった。まことに演出力に秀でた人物であった。
 かつ、巧言令色の典型的人物で東条のように人相が悪くないから、国民を始めとして多くの者が山本五十六を買いかぶってしまったーはっきり言えば騙されてしまったことはよく理解できる。
 しかし山本のようなタイプの人間は組織のトップに就けるにはもっとも危険な人物である。会社の社長くらいなら最悪の場合、倒産するだけだが、山本の場合は連合艦隊司令長官という国の運命を左右する要職に就けてしまったため、日本に測り知れない厄災をもたらすことになった。
 山本五十六型の人間は今日も存在しているし、将来もまた繰り返し出現するであろう。このような人物をいかに組織の要職から排除するかということが、組織、国家の運命に深く関わってくる。ここに、今日我々が山本五十六という人物の実像を探求することの価値が存在する。
 
 「国を滅ぼしたのは山本五十六の責任である。要するに山本長官は本気で日米戦争をしていない。むしろ陸軍と国民の評判を争う戦争をしていた。
 山本長官は日本全体を考えない無責任な戦術家で、海軍だけのヒーローだった。連合艦隊司令部などで彼の部下や同僚だった人達の回想記を丹念にみていくと、人の好き嫌いが激しく、個人的に嫌いな人にはけっしてこころを開かないという話が出てくる。
組織の長としては問題である」(日本軍の教訓 日下公人 PHP)

 戦略的に重要な戦いで事実上連戦連敗した山本五十六が死んだとき日本は国葬にして弔った。米内光政にいたっては山本を男爵に推挙した。まったくどういう頭の構造をしているのか不可解というしかない。

 「真珠湾奇襲のように、軍事的見解のみによって行われた典型的な戦例は史上稀である。一面それは低級で不信極まる愚行であり、他面信じがたいほどの洞察力の不足を現している。日本はアメリカに対して宣戦布告なき戦争を仕掛けたことで、ただ一撃でルーズベルト大統領の困難を全部解決し、全アメリカ人を彼の味方にしてしまった。日本の不可解なまでの愚かさは、アメリカ人を世界の笑い種にすることによって、その艦隊を攻撃したよりもさらに大きく彼らの威信を傷つけた。アメリカは日本にバカにされたという憤怒からどんなに戦争が長く続こうがこのペテン師と妥協することはできない仕儀となった。(英 フラー)」山本五十六 プレジデント社


巡洋艦球磨艦長横山一郎も次のように山本五十六を強く批判している。

「日本にとって一番得手の悪い、大量生産ができない飛行機の戦争をはじめたことが間違いなんだね・・・山本五十六連合艦隊司令長官のハワイ奇襲作戦というのは、よさそうに思えるけれど、あとのことを考えたらバカの骨頂ですよ。日本はもともと大艦巨砲主義でやってきたんだから、これが使えるような戦さをしなくてはいかんのです。真珠湾でフネを沈めてみても、浅いからフネはすぐ着底してしまう。あとで引き揚げてなおすことができるんだ。結局なんにもならなかったわけですよ・・・日本としては南洋群島に飛行場をたくさんつくって、そこへアメリカの艦隊をおびき寄せて、まず飛行機でたたき、ついで艦隊が決戦をいどむ、そういうやり方をとるべきだったんです

艦隊同士の決戦になれば、たとえ飛行機が少なくても、大鑑巨砲がモノをいって勝ったと思う。そういう戦争をするべきだったと思うね。飛行機の大量生産ができない日本があえて飛行機の戦争にもちこんだ山本五十六大将は、大きな誤りを犯したといってもいいと思う」

巡洋艦「利根」艦長黛治夫大佐も次のように語っている。

「日本海軍の砲戦に対する自信というものは、われわれ砲術のものには、かなり大きなものがあったね。昭和八年に、後の『日向』の艦長になった野村留吉さんが米国戦艦主砲戦闘射撃の無線を傍受してね、私がそれを研究した結果、日本の命中率はアメリカの三倍だということが判明したんだ。射撃速度が同じで命中率が三倍だから、戦艦の保有数が対米比六割だけれども、命中率から見ると、十対八と日本がはるかに優勢になるんだ。
さらに零戦で制空権を得ると、こっちは六割増しになり、さらに日本が開発した平頭弾の九一式徹甲弾の水中弾性能を加味すると、十対六の劣勢がじつに十対五十という、五倍の優勢になるんですよ。こうなると、いかに山本五十六といえども、五倍あれば勝つと思うべきなんだ。それを参謀長も、作戦参謀も、砲術参謀もみな知らなかった。知らなかったというより信じようとしなかったんだな」
(艦長たちの太平洋戦争 佐藤和正著 光人社)




2009 12/18 23:36:28 | none | Comment(1)
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 山本五十六というのはその戦い方から死に至るまで、実にミステリアスな人物である。その戦い方はあたかもわざと負けるようにしたのではないかと思われるほどの摩訶不思議な戦術の連続である。
 例えばガダルカナル島に飛行場を作ったが、ここは最も近いラバウルの航空基地から1000キロも離れているため、零戦の長大な航続力をもってしても片道3時間かかるのでガダルカナル島上空で米軍機と戦闘可能な時間は僅か10〜15分しかなかった。何でこんな防衛しにくい場所に飛行場を作ったのか?子供でもおかしいと思うであろう。

 ガ島戦における日米の海軍力の比較は、戦艦ー日本12隻、米ー6隻で空母は日本ー10隻、米ー4隻であった。しかし山本五十六はこれらの優勢な日本の海軍力を有効に使用しようとはしなかった。

 「わが連合艦隊は戦艦も空母もほとんど遊ばせて戦ったのである。要するにガ島戦を将棋にたとえれば、飛車、角、金、銀を使わずに負けた”世にも奇妙な”戦闘なのである」
「戦闘能力からも生産能力からも、逆立ちしても勝つ見込みのない航空消耗戦を、搭乗員の養成、補充も考えずに行った。絶対に不利な戦場までノコノコ出かけて、海軍航空が実質的戦力を消耗し尽くすまで、性懲りもなく行った」
 「こうして日本海軍は、米国海軍長官ノックスの言う『近代戦を知らぬか、近代戦を戦う資格の無い軍隊』に堕してしまったのである」
 「ヤコブ・モルガンという米国の作家が『山本五十六は生きていた』(忍野昭太郎訳 第一企画出版)のなかで、ルーズベルトは山本五十六以下の連合艦隊をおのれのスパイにして日本が負けるように作戦させたというのである。それは本当ではないかと思うほど、日本海軍の作戦は拙劣を極めている」(帝国海軍が日本を破滅させた  佐藤晃  光文社)

 当時の海軍上層部の人間性を知ることのできるエピソードを零戦のエース坂井三郎がその著書「零戦の運命」の中で書き残している。
 「ガダルカナル島の戦いが、文字通り、飢餓との戦いとなりはじめた頃も、ラバウルの司令部や部隊の高級将校たちの夕食はフランス料理のフルコースであったとの証言がある。それを提供した施設部のリーダー格だった人が、拙著『零戦の真実』を読んで来訪された時の証言だから、本当のことだろう。
ここに、その証言の驚くべき内容の一部を再録してみよう。主旨はこうなる。『あの頃、私たち施設部隊では皆さんの知らない施設もいろいろと用意させられたが、冷蔵庫を作ったので当然冷凍機も持って運転していました。坂井さん達がいた頃はもちろん、その後もずっと運転し続けたが、時々海軍の指令から「搭乗員たちは毎日毎日空中戦で大変だ。せめて毎日とは言わないまでも、時にはその冷凍機を使って、燃料、弾薬補給のために降りてきた搭乗員たちにアイスクリームを食べさせてやりたい」という注文があり、度々作って納めました。戦後、皆さんが書いたラバウル戦記のなかに、「燃料、弾薬補給のために飛行場に降り立った時吸った一服のタバコは何とも言えない味だった」という記事はよく見かけたが、「あの時のアイスクリームの味は今でも忘れられない」という記事は一度も見たことがない。坂井さんは私たちが心をこめて作ったあのアイスクリームを食べてくれましたか?』と聞かれた私はもう唖然とした。
「そんなもの見たことも聞いたこともないし、氷水も飲んだことはありませんよ」と答えたが、そんなことは信じたくないという返事。世の中の悪人たちの所業に人の上前をはねるという行為はよく聞くが、何とその頃の海軍の司令部のお偉方は、死に物狂いで戦っている搭乗員達の上前をはねるならまだしも、搭乗員の名前を騙ってアイスクリームを作らせ、搭乗員達には一片のアイスクリームを見せもせず、もちろん与えもせず、フランス料理のフルコースのデザートとして平らげていたのだ。前線視察に来た山本長官も、それを賞味したという確かな証言である。
 上級将校がこんな所業とあっては、勝利の女神もあきれ果て、振り向きもしなかったのであろう。仮に、企業で上層部だけがいい思いをしていたら、社員はついていくだろうか。何も、上級将校に兵士と同一の行動をとれとは言わない。ただ、苦楽をともにするという心意気が部下に伝わらなければ、兵士を奮起させることはできない。ましてや、兵士は犠牲的精神を発揮することもない」(零戦の運命 坂井三郎 講談社)

このエピソードはまさにマッカーサーが言ったといわれる「日本人は12歳の子供」説を裏付けるものである。いや、普通の12歳の日本の子供ならもっとまともな常識を持っているだろう。他人のことをまったく考えずに己の欲望を満たすことだけを考えるのは4,5歳の子供のレベルだろう。

2009 12/05 17:05:46 | none | Comment(0)
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