通説にとらわれない新しい歴史解釈

2009年 12月 18日 の記事 (1件)


 外国で作成されたドキュメンタリー番組で珍しい山本五十六の映像を見たことがあるが、周囲の者に敬礼しながら堂々とした重々しい足取りでカメラの前を通り過ぎて行く自信に溢れた態度はとても印象的であり、一種のカリスマ性が感じられた。白黒の映画でみてさえそうなのだから、実際に生で山本に接した人達はもっと強い印象を受けたことであろう。とても戦いの度に後方の安全地帯に引っ込んでいたような人間には見えなかった。まことに演出力に秀でた人物であった。
 かつ、巧言令色の典型的人物で東条のように人相が悪くないから、国民を始めとして多くの者が山本五十六を買いかぶってしまったーはっきり言えば騙されてしまったことはよく理解できる。
 しかし山本のようなタイプの人間は組織のトップに就けるにはもっとも危険な人物である。会社の社長くらいなら最悪の場合、倒産するだけだが、山本の場合は連合艦隊司令長官という国の運命を左右する要職に就けてしまったため、日本に測り知れない厄災をもたらすことになった。
 山本五十六型の人間は今日も存在しているし、将来もまた繰り返し出現するであろう。このような人物をいかに組織の要職から排除するかということが、組織、国家の運命に深く関わってくる。ここに、今日我々が山本五十六という人物の実像を探求することの価値が存在する。
 
 「国を滅ぼしたのは山本五十六の責任である。要するに山本長官は本気で日米戦争をしていない。むしろ陸軍と国民の評判を争う戦争をしていた。
 山本長官は日本全体を考えない無責任な戦術家で、海軍だけのヒーローだった。連合艦隊司令部などで彼の部下や同僚だった人達の回想記を丹念にみていくと、人の好き嫌いが激しく、個人的に嫌いな人にはけっしてこころを開かないという話が出てくる。
組織の長としては問題である」(日本軍の教訓 日下公人 PHP)

 戦略的に重要な戦いで事実上連戦連敗した山本五十六が死んだとき日本は国葬にして弔った。米内光政にいたっては山本を男爵に推挙した。まったくどういう頭の構造をしているのか不可解というしかない。

 「真珠湾奇襲のように、軍事的見解のみによって行われた典型的な戦例は史上稀である。一面それは低級で不信極まる愚行であり、他面信じがたいほどの洞察力の不足を現している。日本はアメリカに対して宣戦布告なき戦争を仕掛けたことで、ただ一撃でルーズベルト大統領の困難を全部解決し、全アメリカ人を彼の味方にしてしまった。日本の不可解なまでの愚かさは、アメリカ人を世界の笑い種にすることによって、その艦隊を攻撃したよりもさらに大きく彼らの威信を傷つけた。アメリカは日本にバカにされたという憤怒からどんなに戦争が長く続こうがこのペテン師と妥協することはできない仕儀となった。(英 フラー)」山本五十六 プレジデント社


巡洋艦球磨艦長横山一郎も次のように山本五十六を強く批判している。

「日本にとって一番得手の悪い、大量生産ができない飛行機の戦争をはじめたことが間違いなんだね・・・山本五十六連合艦隊司令長官のハワイ奇襲作戦というのは、よさそうに思えるけれど、あとのことを考えたらバカの骨頂ですよ。日本はもともと大艦巨砲主義でやってきたんだから、これが使えるような戦さをしなくてはいかんのです。真珠湾でフネを沈めてみても、浅いからフネはすぐ着底してしまう。あとで引き揚げてなおすことができるんだ。結局なんにもならなかったわけですよ・・・日本としては南洋群島に飛行場をたくさんつくって、そこへアメリカの艦隊をおびき寄せて、まず飛行機でたたき、ついで艦隊が決戦をいどむ、そういうやり方をとるべきだったんです

艦隊同士の決戦になれば、たとえ飛行機が少なくても、大鑑巨砲がモノをいって勝ったと思う。そういう戦争をするべきだったと思うね。飛行機の大量生産ができない日本があえて飛行機の戦争にもちこんだ山本五十六大将は、大きな誤りを犯したといってもいいと思う」

巡洋艦「利根」艦長黛治夫大佐も次のように語っている。

「日本海軍の砲戦に対する自信というものは、われわれ砲術のものには、かなり大きなものがあったね。昭和八年に、後の『日向』の艦長になった野村留吉さんが米国戦艦主砲戦闘射撃の無線を傍受してね、私がそれを研究した結果、日本の命中率はアメリカの三倍だということが判明したんだ。射撃速度が同じで命中率が三倍だから、戦艦の保有数が対米比六割だけれども、命中率から見ると、十対八と日本がはるかに優勢になるんだ。
さらに零戦で制空権を得ると、こっちは六割増しになり、さらに日本が開発した平頭弾の九一式徹甲弾の水中弾性能を加味すると、十対六の劣勢がじつに十対五十という、五倍の優勢になるんですよ。こうなると、いかに山本五十六といえども、五倍あれば勝つと思うべきなんだ。それを参謀長も、作戦参謀も、砲術参謀もみな知らなかった。知らなかったというより信じようとしなかったんだな」
(艦長たちの太平洋戦争 佐藤和正著 光人社)




2009 12/18 23:36:28 | none | Comment(1)
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