通説にとらわれない新しい歴史解釈
チャップリンの自伝のなかに昭和七年五月十五日に首相官邸を襲撃して犬養首相を暗殺した六人の海軍士官および陸軍士官候補生(*1)とチャップリンの秘書高野虎一が直接関わりがあったのではないかと疑わせる記述がある。
前日十四日にチャップリンと兄のシドニー、秘書の高野等が食事中に突然闖入してきた正体不明の男達も六人であったのだ。シドニーはこれを「単なる偶然ではない」と言っている(‘It is more than a coincidence that six assassins murdered the Prime Minister and that six men came into the restaurant that night while  we were dining.’)

神戸に到着した時からチャップリンと兄のシドニーには、出迎えた秘書の高野が何か心配事を抱えているように見えた。(He looked worried ever since we arrived at Kobe)
シドニーの私物が留守中に検査されており、チャップリンの世話を担当する政府の係員がやってきて、もし行きたい所があれば秘書の高野を通してその係員に連絡するようにとのことだった。
シドニーは「我々は監視されている。高野は何か隠している」と言い張った(Sydney insisted that we were being watched and that Kono was holding back something.)
「私も時間が経つにつれてだんだんと高野の苦悩といらいらしている感情が深まっていくように見えたことを認めねばならない   (I must admit that Kono was looking more worried and harassed every hour.)
同じ日、高野がおかしな話を持ち込んできた。それは絹の布地に描かれた春画を所持している一人の商人がチャップリンに家に来てもらって見て貰いたいというものであった。チャップリンが興味が無いと答えると、高野は困った様子だった。
「私がその男に絵をホテルまで持ってきて置いていってくれと頼んだらどうでしょうか?」
「どんな条件でもダメだ、時間を無駄にするなとその男に言っておけ」
「この人たちはノーという回答は受け入れません」
「お前は何を言っているんだ?」
「えーとですね、彼らは数日間私を脅迫しているのです。ここ東京には無法者集団がいるのです。」 (Well, they’ve been threatening me for several days: there’s a tough element here in Tokyo.)
「馬鹿馬鹿しい!すぐに警察を動かそう」(‘What nonsense!’ I answered.‘We’ll put the police on their tracks.’)
しかし、高野は首を振って、暗に「彼ら」が警察の手にも負えない存在であることを示唆した。

翌日の夜、前述の六人の正体不明の若い男達がレストランの個室で食事中のチャップリンの前に現れた。一人は高野の隣に腰掛けて腕を組んだまま怒りを押し殺した様子で何か言うと高野の顔から血の気が引いた。身の危険を感じたチャップリンはとっさにコートのポケットに片手を入れてさも回転式拳銃を構えているような仕草をして叫んだ「これはどういうことなんだ!」高野は顔を伏せたまま料理から目をはなすことなくつぶやくように言った。「彼はあなたが彼の絵を見ることを拒否したことで彼の先祖を侮辱したと言っています」
チャップリンは勢いよく立ち上がると片手をポケットに入れたまま、その若い男を睨みつけた。「一体これはどういうことなんだ?」チャップリンは兄を促して直ちに部屋から脱出し、高野にはタクシーを呼ぶように指示した。「いったん、安全に通りまで出ることができたので我々は皆ほっとした」と自伝のなかで回想している。

この事件に関わった当時の日本側の関係者の証言とチャップリンが自伝の中で語っている事には幾つかの重大な食い違いがある。一番問題なのは首相官邸における歓迎会は五月十五日ではなく、「惨劇の翌日」すなわち十六日に予定されていたとチャップリンが書き残していることである。(The day after the tragedy I was to have met the late Prime Minister at an official reception, which was, of course, called off.)
十五日には首相の息子である犬養健から相撲に招待されていたと述べており、首相訪問の予定を気が進まなかったため相撲観戦に変更したなどとは一言も書いていない。
要するに日本側では首相官邸での歓迎会は十五日と思っており、チャップリンは十六日と聞かされていたということである。なぜこのような奇妙な食い違いが生じたかは秘書の高野虎一が何者かに脅迫されて首相が十五日に官邸に滞在しているようにしむけるためにチャップリンと日本側には別々の事を言ったと考えるとつじつまが合うように思える。

(以上、英文はA PENGUINE BOOKの 「CHARLES CHAPLINE MY AUTOBIOGRAPHY」より引用)

(*1)実際に首相官邸を襲撃したのは四人の海軍士官と五人の陸軍士官候補生の計九人であったが、どういうわけか翌日の新聞には六人と報道されている。

2018 05/12 14:19:06 | none | Comment(0)
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