通説にとらわれない新しい歴史解釈
 今日でも日本国憲法は敗戦の結果として米国人が一週間ばかりで作り上げ、日本側に押し付けたものであると信じている人が多いようであるが、日本国憲法案作成に参画したB・シロタ女史は後年「米国の憲法よりも良い憲法を作ったのだから押し付けたとは言えない」と語っている。

 米国の憲法草案作成チームには憲法の専門家がいなかったとも指摘されることがあるが、それをいうのなら大日本帝国憲法を作成した伊藤博文や井上毅、伊藤巳代治も憲法学者ではなかった。政府の法律顧問であったドイツ人のロエスレルやアルバート・モッセの協力を得てプロシア(ドイツ)の憲法を参考にして作成されたものだ。

 日本国憲法草案作成の実態について草案作成チームの統括責任者であったケーディス民生局次長は日本の民間グループによって作成された多くの憲法草案を参考にしたことを次のように認めている。
「日本側の試案は、新聞に公表されたものであれ、GHQに持ち込まれたものであれ、すべて参考にしました。ラウエル中佐が日本側試案を収集し、起草委員会が利用できるようにしてくれました。その中には、民間の研究団体の試案や政党の試案などもたくさんありました」(GHQの人びと 竹前栄治 明石書店)
だからあのような短期間で草案を作成できたのであり、実質的には日本側で作られた部分が殆んどで草案の作成というよりも編集に近いものだったのではないだろうか。そういう意味で現日本国憲法を純粋な米国製の憲法とするのは誤りであろう。
 大日本帝国憲法にしてもドイツの憲法を参考にして、ドイツ人の政府法律顧問の協力を得て作られたものであり、そもそも議会制民主主義の制度も欧米で作られたものを取り入れたものではないか。君が代だって編曲は外国人によって行われている。コンピューター、自動車やら、電話、映画、レコードなど米国人が発明したものの恩恵を散々享受しておきながら日本国憲法の草案を米国人が作ったのはけしからんと考えるのはおかしいのではないだろうか。恨むのだったら新時代に適合する憲法を作る能力のなかった政府の担当者や日本に敗戦をもたらした責任者を恨むべきであろう。

 改憲論者のなかには「今の憲法は米国が日本の復讐を恐れて日本を弱体化するために作ったものだ」という迷信がある。その根拠の代表的なものとして「第九条は侵略に対して無抵抗主義である」という主張があるが、これは100パーセント誤解である。日本国憲法の英訳版で九条の項をみると奇妙な事に気付く、他の条文がそうであるように通常、法律や契約文ではshall「〜するものとする」が使われるのにこの九条だけwill(意志未来で〜せんとする)になっているのである。wllは「確実な未来」を表す場合もあるが、九条の英訳では「意志未来」と解釈することも可能である。そもそも「国際紛争を解決するための手段として武力による威嚇や武力の行使はこれを永久に放棄する」の「紛争」も英訳ではdisputeであり、これは「争論(口論)」という意味であり「武力による争い」の意味ではない。よって九条が禁止しているのは「国と国との争論を解決するために武力を用いたり、武力をちらつかせて脅したりしてはいけない」ということである(松本国務相はdisputeを「争議」と訳しました)。
 例えばブッシュ政権とイラクのフセイン政権による大量破壊兵器の存在に関する争論で米国が武力によってこの問題を解決したが、あのような行為は日本においては日本国憲法九条に照らした場合憲法違反ということになる。
 九条の条文の日本側作成者である芦田均も日本国憲法が公布された日と同日に発行された著書の中で「九条は自衛戦争まで否定したものではない」と断言しているのである。確かに「マッカーサーノート」には「自己の安全の為の戦争も放棄する」となっていたが、これはケーディスが「現実的ではないと」上司のホイットニーやマッカーサーに確認もせずに独断で削除してしまった。その後もこの件は米側でも日本側でも問題にならなかったことを考えると、このアイディアの主唱者はマッカーサーでも幣原首相でもなく、ケーディスが暗示しているように皇室の周辺からでてきた可能性が強いと思われる。新憲法にも改憲条項があるし、将来軍隊が必要になったら改憲すれば良いという思惑だったのであろうか。

 米軍が戦争中、国際法を無視した無差別爆撃で日本の多くの民間人を惨殺した歴史は消しようがない。米国が将来の日本の復讐を恐れたというのは事実であろう。将来小型の原爆が発明され、日本が何らかの手段でそれを入手し、それを搭載した神風特攻機が米国を攻撃するかもしれないーという悪夢のシナリオは当然考えたことであろう。
だからこそ、米国は様々な方法―農地改革、財閥解体、治安維持法の廃止、言論の自由の保障等の民主化改革で日本人の生活を改善する必要があったと思われる。その根本となるものが民主主義的な新憲法の作成であったろう。

 ワシントンで三月七日に開かれる極東委員会の前になんとしても新憲法案を完成させて届けるためには東京を六日の朝に出発しなければならないため、どうしても前日の五日中に憲法を完成させる必要があった。日米双方の担当者の徹夜の作業によって五日午後四時ごろ新憲法草案は完成した。
ホイットニー准将の喜びようは尋常ではなく白洲次長、佐藤部長たち日本側の労を最大級の讃辞でねぎらった。おそらく、ホイットニー准将は日本側の誰よりもこの新憲法の価値と日米両国民にもたらす利益を確信していたのだろう。

2010 11/12 19:42:40 | none | Comment(0)
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