通説にとらわれない新しい歴史解釈
インドネシアのジャワ島には古来、十二世紀の国王ジョボョの予言という不思議な言い伝えがあった。それは北方から黄色い民族が空から降り立ち、圧制者を追い払い我々を解放してくれるというものであった。日本軍がオランダの植民地であったインドネシアからオランダ軍を駆逐したことは予言の実現とインドネシア国民からみなされ、昭和十七年二月十四日にスマトラのパレンバンの油田地帯に空から舞い降りた陸軍落下傘部隊の三百余人の終結地には自分の娘をつれたインドネシア人が「この娘の体内に神の子を宿してほしい」と殺到したため、他の部隊の将兵たちは羨望し嫉妬したそうである。

また終戦後初めて組閣した東久邇宮殿下がフランス留学時代、元首相のクレマンソーから「アメリカは太平洋に進出するためには日本が邪魔であるから、将来必ず日本に戦争をしかけることになるだろうが、戦えば日本は必ず負けるので決して短気を起こして挑発にのってはいけない」と忠告されたそうである。また、東久邇宮が日本からきた画家だと身分を隠してある占い師に占ってもらったところ、占い師は「あなたは画家ではない」と否定し、「あなたは将来日本に大乱が起きたときに首相になる運命にある」と予言したそうである。
(参照文献:商社マン戦中裏日記 矢野成典 日東出版社/虚構の軍神 帝国海軍マサカ物語 山本昌雄 東京図書出版会)

 日本と欧米諸国との決戦は運命づけられていて避けることはできなかったのだろうか。
太平洋戦争の原因としてドイツとイギリスの戦いに介入したくてしょうがなかったルーズベルト大統領の罠にまんまとはまったことが直接の原因であろうが、もちろん原因はそれだけではなく、英米に代表される白人のアジア支配に対する有色人種の事実上唯一の抵抗勢力であった日本の反抗という性質があったことも否定できないだろう。いつも殴りつける相手を探しているような米国にとって(これは私の偏見かもしれないが)、対外的には露骨な武力外交を行い、国内的には残虐な特高警察による圧制をしく日本はうってつけの相手であったろう。

昭和二十年(1945)九月二日ミズリー号上で降伏調印式が行われこの日から昭和二十七年(1952)四月二十八日まで、約六年八ヶ月に及ぶ占領時代が始まり、日本は有史以来初めて外国の占領軍の支配下に置かれることになった。
日本の降伏調印式が行われた戦艦ミズーリの砲塔下の側壁には日本の代表団が見えるところに92年前の幕末に開港を求めて日本に来航したペリーの旗艦ミシシッピーに掲げられていた色褪せた星条旗が額に入れられて飾ってあった。
これによって米側は自分たちはペリー提督のごとく侵略者としてではなく第二の開国をもたらすために日本に来たものであるということをアピールしようとしたものであろう。この辺は当時の米国人は芸が細かった。
2011 03/30 21:00:21 | none | Comment(0)
Powerd by バンコム ブログ バニー

この記事へのコメント

この記事にコメントする

名前:
メールアドレス:
URL:
セキュリティコード  
※セキュリティコードとは不正アクセスを防ぐためのものです。
画像を読み取り、入力して下さい。

コメント:
タグ挿入

サイズ
タグ一覧
Smile挿入 Smile一覧