大連帰国日記
例の(6/21に決まった)日本語の授業、昨日から始まった。
学習者は日本の外注担当の6人。同じ年から少し上くらいのソフトウェアエンジニアのお兄さんたちだ。
以前も授業をやっていたが、消滅した。その消滅の仕方を詳しく言うと。。。
授業の時間直前になると、みんながソワソワしだしている。ちょっと不思議に思っていたら、みんな揃ってサササッと部屋から出て行くではないか。。そして授業時間になると、、だぁれもいない・・・ナンチャッテ先生である私はポツンと取り残された。笑い話じゃない。 それからも私は離れた席からみんなの様子をうかがっており、その近くの席の人にも聞いた。どうやらみんな「飯行こう、飯。」とソワソワヒソヒソ呼びかけ、授業時間になるとサァ〜っとご飯を食べに行っているよう。なんて鮮やか! 残業で毎日忙しくて、先の見えない日本語学習なんぞしたくなかったらしい。
「授業やる?」と聞いても下を向いて、首を横にふる。あきらかにやる気がありません、とよ〜く分かった。ちょっと腹も立った。悪い人たちではない。ただやる気がなく、自分に素直なのである。それ以来希望に答えて私も授業を辞め、彼らとは仕事でも接点はないし、目もあわせない仲になった。気まずいというか、どうでもいい関係だ。でも彼らはそういう辞め方をしただけに、気まずいと思っていたのかも知れない。本当に目を合わせなかった気がする。他の課はもう少しまともな辞め方だったが。
あれから数ヶ月、上からの命令でまたやり直しだ。よりによってその「飯行こう」のメンバー。嫌味な縁だ。いい縁はないのに、変な縁は多い。
特別ギスギスしている雰囲気ではないが、授業が始まるまで、彼ら個人とはやはり一言も話さなかった。
授業間際に部長に呼び止められ、よりによって忙しかった。授業の時間になり慌て、息を切らしながらその部屋へ駆け込んだら、みんなが掃除を終えて待っていた。驚いたのはそれだけじゃなく、総監も部長もいた。私がビリだ。その慌て様を見てまず笑われた。しょっぱなから貫禄のないセンセイ。
授業のはじめ、部長や総監が叱咤激励をした。めんどくさがらず、日本語をやった方が仕事は数倍楽になる。とか、これから仕事は増えるから、いくらでもチャンスはある、しっかりやれよ。と言っていた。そして私を指差し、こいつもみんなの為のサービス残業をしているんだからと、恩をきせていた。確かにえらいサービス残業だ。毎週4回、仕事が終わってから45分×2の授業。そのための準備もしなければならないから自分の時間はすごく削られる。 が、みんながちゃんと覚えてくれれば不満ではない。 
久々の授業なので私も少し緊張した。まずは実力テスト、何時間もかけて作った45分のテスト。帰ってきた答案がちょっとおもしろい。例えば「ご飯を食べて、お風呂に入ってねます」を中国語に訳せ、と言う問題の、とある回答は「ご飯中、部屋に風が吹き入ってきた」・・・・・完璧に漢字を見て想像している。
笑ってはいけない。知らないんだから仕方ない。でも驚くべきことに、そんな簡単な文はメチャクチャでも、ソフトウェア開発に関する訳はまぁまぁ出来ている。採点する方が混乱してしまう。さすがだ。
そして今日、部長の命令で暗唱テストをした。
まず「自身がある人〜」というと、一人変わった人がパッっと手を挙げた。「自信がない人〜」と言ったら、誰も手を挙げなかっが、実際やらせたら自信がないはず・・いや自信もってはならない人が結構いた。やっぱり謙遜の美学などないんだ。
授業の雰囲気は、人にもよるが少なくとも以前よりはずっとやる気がある。日本にいけるかもしれない、というのは相当魅力的なことらしい。かといって、同僚同士明らかにライバル視しているわけではない。相変わらずさっぱりしている。。これもさすがだ。
こっちの人は日本に行けることをかなり重宝しているが、たまに日本人に会うと、結構日本の悪口が多い。不景気だとか少子化だとか政治が問題だとかで、日本はもうダメだよ。とかおっしゃり、中国定住を勧めてくるおじさんもいらっしゃる。
確かに中国の発展振りはすごいんだろう。一年間大連に住んで、あちらこちらにいろんなものが新しく建った。しかもそこへどんどん人が入る。店にしろ住宅にしろ。。
たまに実家に帰ると、逆にいろんなものが潰れている気がする。
でも私は日本の方が道を歩いていて遥かに気持ちいい。車は気をつけて渡る人を優先だし、買い物も気持ちよく出来る。駅やバス停では整列し全て平衡か直角に揃っている。
ま、人間誰しもナイモノネダリなんだろう。もし、日本に住んでいたら、中国社会がなつかしくなるはずだ。
時代の方向転換は難しい。
2005 07/08 19:30:04 | none | Comment(0)
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ちょっと前から引っ越したくてアパートを探している。今住んでいるところは、大連のごく普通のアパート。日本人向けでもなく、はっきり言ってメチャクチャ汚く設備も大変いい加減。水は日替わりで黒・赤・茶色などに変わり、テレビはジリジリと波がかかった映像が写り、洗濯機からは熱湯が噴出す。当然水洗トイレは流れない。自分で洗面器でジャバジャバと流している。まだ死にたくないのでガスだけは使ってない。ブレーカーの主電源はいつ火がついてもおかしくない構造だったそう。そんでもって始めの頃、とあるコンセントに触れたら200ボルトに感電した。また、ある日部屋のカギが開かなくなり、家に入れなくなって近所のおばさんに手伝っていただいた。
なんでそんな部屋を選んだかと言うと、、分からなかった・・・日本で育った私にとっては、設備なんてちゃんとしていて当たり前であり、来てすぐには見抜けなかった。パッと見、床や家具はキレイなのだが、使ってみればみるほど設備が最低と幻滅した。大家運も悪く、すごくズボラでいい加減な人だ。 以前、大雨の時に床上浸水したと書いたが、あれも直してくれず、あれ以来 雨イコール(=)床上浸水が日課となっている。
去年、そんな部屋探しを手伝ってくれたのは、この前辞めた事務の娘。別に彼女に悪気はない、親元を離れたことがなく、お嬢様育ちの彼女に設備のウンヌンは分からなかったようだ。
始めのうちは、いきなりそんな所に住まわされてちょっと大変だったが、少し考え方を変えるとなんてこたぁない。ベッドだけは大きくてフカフカ、床も壁もなかなかなので、会社から帰っての寝床としてはなんの問題もなかった。 どうしたらいいのかも分からなく、こういうものなのだ、と思うようにしていた。
だが、最近は自分で探してマトモな所を見つけ、引っ越そうと思う。一年間で成長したものだ。貧乏なので、設備のいいせま〜い部屋を探そうと思っている。そして会社の近くで。大連の中心付近なので、安いところを探すのは大変・・・だが、バス通勤は人が多すぎて勘弁。しかも並ばない民族なので人をバス停で掻き分けないと乗れない。譲っていては取り残される、なんていうバス通勤はしたくない。
さすがに一人で探すのは心配なので、会社の人に一回ついてもらい、インターネット、不動産屋をたよりに探した。

インターネットの掲示板に書き込みを残したところ、何人かから宣伝の電話がかかってきた。が、結構広くて高くて私の手には負えない。とりあえずネット伝いでは2軒、ワンルームの新築を見た。今までの失敗から、設備と言う設備全てを確認する。コンセントはちゃんとしているかとグイグイ引っ張ってみて、水は綺麗かとジッと見つめ臭いをかぐ。またちゃんと流れるかと、下の棚を開けて流れる先も確認する。窓やドアの建て付けも重要。ガスもつけてみる。
でもまだ住むかどうか分からないので、初回は以上で抑えておき、本当に選択肢を絞り込んだら、もっとよく調べさせてもらうつもりだ。若い娘がそんなことをして工事のあとを確認しているのをみると、大家さんや不動産屋が白い目で見てくることもあるが、それどころじゃぁない。
会社の人についてもらって不動産屋に行った。その紹介で5軒くらい見たが、どれもたっかい!ひっろい! 一人で一年間、会社と家を往復するだけなのに、、3部屋もいらない・・・そんな訳でほとんどボツだった。
まだまだないか、一人でも探し回ったが、私の力でまかなえるような、微妙に新しいところはほとんど満員だった。やはり超新築の高いところしかないみたいだ。
仕方なく、交渉で頑張って値切るしかない!今のところの候補は一部屋のところ2軒、一つは会社から徒歩5分で年間24,000元。(1元は13〜4円)設備は申し分がないと思われる。しかも広い。もう一つは会社から徒歩20分で年間26,000元。設備はなかなかでスーパーに近い。
だが、後者は値切ったところ、21,000元まで落とせた。1万元代まで落としたくて粘ったが、そしたら冷蔵庫を没収するぞといわれ、仕方なく妥協した。もうすこしじらせばもしかしたら20000元に落とせるかも・・・しれない。
ちなみに今住んでいるところは一ヶ月1000元。一年間で12000元だ。会社で全額負担してくれている。この差額はどうしよう。。社長たちにも相談し、自分でも貯金をはたくしかない。。
もっと安い所はないかと不動産屋に相談したら、大連駅の裏なら安いと言われた。同じ条件で18000元と、かなり魅力。だが聞くところ、そこは大連一治安の悪い所だそう・・・
ふと、考える。日本円に換算するとどうだろう?年間で数万円の差だ。なにをバカバカしいことで悩んでいるんだろう。一年間で数万円なら、迷いなく治安や衛生面での安全を選べよ。。
だが私は今中国の会社にいる。社内には同じ年で同じくらいの力量を持つ同僚たちが、月3万くらいで家賃も含め、せっせと働いている。それを考えると、、やはり自分の贅沢が少し恥ずかしく思えてくる。全く複雑だ。
でもここはやはり、貯金を使って安全を買おうかな。。
2005 07/04 16:49:27 | none | Comment(0)
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今週一週間、私は風邪を引いていた。原因はよくわからないが、多分ソフトウェア交易会の冷房が寒かった(?)のかもしれない。人の風邪を手を叩いて笑った直後、自分も風邪引いた。。バカだ。しかも彼よりも重く、長引いている。
こういう時にかぎって忙しく、休めなかったので、仕方なく出勤した。幸い、寛大な民族なので、人が咳をバラ撒いていても白い目で見る人もいなく、もちろん手を叩いて笑う人もいない。みんな黙々と仕事している。よかった。
そういえば、「バカは風邪引かない」なんていう何の根拠もない慣用句、誰がどこで思いついてどうしてこんなにも広まったんだろう?正しくは「バカほど風邪引く」じゃないか。いや、もっと正しくは「デブは風邪引かない」だ。7kg太った真冬、日本ではしょっちゅう風邪を引いていた私が、この寒い大連で風邪を引かなかった。拍手喝采な出来事だった。
でも今、さほど痩せてもいないのに風邪を引いた。やはし「バカほど風引く」もあなどれない。。
くだらないこと考えてないで、早く寝よう・・・
2005 07/02 13:46:30 | none | Comment(0)
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中国は、80%が漢族だが、その他にも55の少数民族がいると言われている。
以前にも触れたが、同じ部署に朝鮮族がいる。そして部長は満族。大連には満族や、朝鮮族は割と多い。
この前、その朝鮮族のうちに行き、生い立ち写真を見せてもらった。中国人朝鮮族というのは、かつて朝鮮から中国に入った移民の子孫らしい。彼らは満族に比べて、非常に民族意識が強いようだ。多分、彼らの間ではハングル語が使われているからだろう。小、中、高校と、朝鮮族だけの学校があり、朝鮮族に生まれた子供はそこへ通う。その間、家庭や学校で使われている言語はほぼハングル語。だが当然、中国に住んでいるわけなので、幼少時代から中国語も聞いて育つし、学校で中国語も習う。なので、彼らは他の中国人とは違い、必然的にハングル語と中国語のバイリンガルになる。で、彼らにとって、一番話しやすい言語はハングル語になるらしい。韓国料理の店も朝鮮族経営だったりするところがあり、中国語とハングル語が飛び交う場所になる。
結婚相手も、出来るだけ朝鮮族を探す。朝鮮族の血を絶やさないようにしているように思える。中国は基本的に一人っ子政策だが、朝鮮族の場合は2人までOKとされているらしい。
兄弟や恋人を交えた会話は全てハングル語だったので、私には暗号にしか聞こえなかった。仕事とは違った一面が見聞きできた。
ちなみに、満族は独自の学校もなく、漢族となんら変わらなく育つよう。以前は満族同士で結婚していたが、今はおかまいなしのようだ。
2005 06/29 12:56:47 | none | Comment(0)
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23〜26日まで、大連ではソフトウェア会社の大イベントがあった。アジア中のソフトウェア会社が集まって、各ブースに分けられ、展示会をしている。我が社もその中の一角に紛れ込んでいて、私もナンチャッテ会社説明をしていた。そんな訳で、日本人も結構来ており、ペーペーの私は彼らの送り迎えやら何やらで、この前は大連中をウロウロしていた。
まず、とある高級ホテルに、この前観光案内したおじさんを迎えに行き、空港へ送っていった。それにはVIP専用のニッサンの新車が用意されていた。この交易会の為に、ニッサンの新車数十台が、もちろん背広を着た運転手つきで用意されている。相当お金がかけられている。しかも、どういう訳か、その車は道路を走るにもちょっと優先され、少しくらい交通違反をしてもよしとされるらしい。。おかしな規律だ。
空港へ送り、帰りは私一人だからどぉせ新車はどっか行き、バスだろう、と思っていたが、運ちゃんは待っていてくれてラクに会社へ戻ることが出来た。こういう運転手たちはどこから集められてきたのか気になり、本職などを聞かせていただいた。普段は自動車教習所の教師をしているそうで、このイベントの期間だけ臨時で借り出されているらしい。
会社に着き、午後、名刺の整理で目が痛くなってきた頃に、また別の日本人おじさんが現れ、今度はその人にお供して、ある大学に行くようにと命じられた。
もう、60は過ぎている方だ。戦争末期の大連生まれだが、当時大連は日本人だらけだったので、中国語は話せない。運転手と事務の人とそのおじさん(おじぃさん?)と私、の4人で車に乗り、大学へと向かった。
その人が大学に行く理由は、奨学金を渡しに行く為。広い世の中には本当にいろいろな人がいるものだ。いきなり、中国の大学に寄付しよう、と考える方もいらっしゃる。もっとも彼の場合は大連生まれだから、というのもあるが。。
車の中で、運ちゃんと事務員、私でおじぃさんの大連時代の昔話を聞いていた。当時大連には日本人が大変多く、日本人学校があり、その状況は日本に住んでいるのとほとんど同じだったそう。戦争で負けたから、しばらく日本に帰ることが出来なかったらしい。裏を返せば複雑な話である。おじぃさんが大連にいたのは、日本軍が占領していてそこで生まれたからだろう。だが中国人二人は反感ももたず、理解して聞いていた。
大学に着き、奨学金の受け渡しだ。奨学生に選ばれた学生3人と、大学の幹部らが待機していた。社長もおり、私は練習とテストを兼ねて、その場の学長とおじぃさんへの通訳を命じられた。
寝言は寝てから言ってくれ。。 なんでなんの予言もなく突然言い出すんだ?!
どうにも逃げようがなく、日本語への通訳は私が、中国語への通訳はその大学の中国人の日本語教師がやった。
という訳で、中国語へは流暢に、日本語へはぎこちない通訳が始まった。
学長もそのおじぃさんも大変マイペース。どこにでもいそうなお年より。数字や固有名詞もおかまいなしに連打し、ペラペラ早口。
当然、私の頭脳で100%出来るわけではなく、数字などは、聞きながら忘れていく。要約しすぎたりおかしな事を言って爆笑されたりもした。やりずらいったらありゃしない。でも今だから笑われて済むが、10年後、いや5年後同じ事をしたら大変だ。
その辺は、社長や中国語への通訳者がフォローしてくれた。
内容はやはり、奨学金を寄付してくれて感謝!とか、日中友好の未来の優秀な若者のために!とかだ。(←この訳も微妙にわけがわからない)
おじぃさんが奨学金と賞状を学生に手渡しし、日本語を少し話せる学生が手紙を読んだ。お礼と、これからもしっかり勉強します。と語っていた。活気のある大学、学生たちでうらやましい。それからおじぃさんとタクシーで会社に戻った。やはり大変マイペースな方だ。タクシーの運ちゃんや一般の中国人にも普通に日本語で話し掛ける。通じるわけがない。
それにしても、大連の大学生に奨学金を寄付するなんて、すごい人もいるもんだ。当然だが、大変感謝されていた。

一方ソフトウェア企業の展示会は、一日目以外日本人などほとんど来なく、暇だった。人が来たとしても、同じような業務の会社のスパイみたいなものだった。
ゲーム会社が少林寺などを呼んだりしていて、アピールしていた。続きはその写真でッス。
2005 06/25 18:10:08 | none | Comment(0)
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今、日本人のお客さんが来ており、今日は暇があるという事で、ペーペーの私は彼らの観光案内をするようにと命じられた。中国人である社長が立てた観光計画は、日本人向けではなく中国人向けである気がしたが、言われたとおりに行った。確かにツウの観光だ。
大連に住んでいるんだから、観光のお供くらい楽勝だろう、と思って私はそそくさと出かけたが、そんなに甘くはなかった。
そのお客様とやらは、某大手の総研の重役。大学の教師をしたり、本も出したりもしているらしい。。知らなかった・・・ただのおっちゃんかと思った。
いい人で、自分ではただのジジイだと言うが、それは完璧に謙遜。本当に知識人だ。私に対し、大変難しいことを聞いてくる。大連の歴史的な背景、建造物、地形など、根掘り葉掘り聞いてきた。
シラネェ〜・・・本読んでから来いよ。。というのが私の感想。
お馬鹿な私はそんなことは全然考えないで生活している。歴史なんて知っても、日本がロクなことしていないのは分かっている。少しはどこかで読んだ気がするが、読み流してすっかり忘れてしまった。それに生活してしまうと、歴史やその建造物なんぞよりも、どこのスーパーが安いか、とか、これが必要なときはどこの店だ、とか、バス路線とか近所の近道とか、そういう事に興味がいく。
仕方なく、自分の記憶を振り絞って答えるか、タクシーの運ちゃんに聞いてそのまま通訳するかしたが、インターネットで調べるとちょっとちがう。。多分、運ちゃんも頭の隅にあったあいまいな記憶からチョロっと答えたのだろう。
さぁ、どうやって訂正しよう・・・;;
2005 06/22 18:23:50 | none | Comment(0)
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今日、社長に呼び止められ、社員の日本語教育についての話をした。
数ヶ月前までは、社員をレベル別にクラス分けし、毎日夕方、日本語を教えていた。が、残業で忙しいのと、皆様のやる気のなさが原因で消滅した。
社長の話によると、日本の外注が多いのでやはり社員にとって日本語学習は必要らしい。でも外国語を習得するまでの長い長い道のりを考えると、辞めてしまう人が多い。だからこれからは日本語教育は外注専門の社員だけに絞り、上から強制、という形にするので、来週から授業を再開するように言われた。毎回テストをして一人一人に点数と成績をつけて厳しくやって、とまで言っていた。それで競争させ、優秀な人を選び一ヶ月くらい日本へ派遣する、という目的だ。
どうしてそこまでするのかというと、大きなプロジェクトがあるらしい。。ナーナーでやっていたら進歩がないようだ。
大連のソフトウェア技術者にとって、日本行きは大変魅力的な話である。大連は日本の外注開発が多いので、日本語力はもちろん、経験、収入、技術、品質と、日本に行って得るものは多い。日本に行きたがっている人は多いが、現実的には物価の面で行けたものではない。会社側としては相当な出費になる。
外注専門の課は若い社員ばかりだ。高々一ヶ月だが、それでも日本で仕事できるなんて、若い彼らには相当魅力的な話だろう。。
そのための日本語強化クラスを命じられたわけだが、実際どうなるか分からない。。私の予想から言うと、日本語強化クラスが始まってから、約3週間後にいわゆる「優秀な人・やる気のある人」が決まり、その他の社員は半諦め状態でまた辞めるか、嫌々出席するかってとこだろう。その「優秀な人」は今までの授業から考えても大体見当がつく。
少し複雑な心境だ。中国社会だから、それほどおおごとではないが、日本の会社でやったら、同僚同士があからさまにライバルになり、正にたくさんいる馬の前にニンジンを一本ぶら下げて「よーい、スタートッ!」ってやっている気分だ。そうすると私は、その馬の尻を叩く役だ。
まぁそれはいいとして、問題は、いかに貫禄のある、しっかりした授業らしい授業をするかだ。学習者は同い年か少し上の人たちだ。見るからに、ボケッとしている私は、とりあえず先生と呼ばれたことはない。いや、約一名、からかっているのか嫌味なのか、センセイセンセイセンセイと不自然に連打してくる奴ならいるが・・・

いやーはや、面白いもの見たさで楽しみなような、かったるいような。。
2005 06/21 18:58:33 | none | Comment(0)
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虫歯は自分では治せない。放っておいたら悪化するだけだ。
そう思って勇気を振り絞り、昨日歯医者に行った。日本人向けの雑誌を見たり、社員から話を聞いたりして選んだ先は、大連で一番大きいとされている口腔医院の、外国人専門科。
予約して時間に入ると、受付ではおばさんが電話で長話している。見向きもしてくれない。電話が終わるのを待とうとウロウロしていたが、一向に終わらない・・・おいおい、、頼むよ。
衛生面の下調べにと、トイレを見てみた。。 ゲゲゲ・・・メチャクチャ汚い。。大丈夫かヨ〜〜。。;;
さて、受付に戻ると、まだ電話・・・もういいや、と思って受付を無視し、診察室に入った。診察室をウロウロしていると、医者らしき人が「誰をお探し?」と、声をかけてきた。「予約した〇〇ですが」と言ったら、「あぁ〜ニーハオ、ニーハオ」と言って診察台で待つように言われた。座って周りを見ると、衛生面は日本ほどではないが、まぁまぁだろう。器具も日本とあまり変わらないが、やっぱちょっと違う気がする。。無駄な想像ばかりし、何されるんだろう・・・怖いよぉぉ〜と、恐怖満々だった。私は歯医者には大変臆病である。五体満足で空腹など経験せずに育ったが、「歯」だけはちょっと苦労が多かった。
バカだ私は。大バカだ。。。ハタチ過ぎて虫歯治療で半泣きになっている・・・
先生が来た、「どうしましたか」
私:「この歯の裏側、虫歯だと思うんですけど・・・」
先生:「え?これ?黒くなっているけど、虫歯じゃないわよ。ウーロン茶の飲みすぎねぇ。歯が汚れてるよ。」
へ?茶シブ・・・? 虫歯は一本もない、との事。さっきまで半泣きだった自分て一体・・・。
なにはともあれ、良かった良かった!
が、しかし親知らずは手術が必要とのこと。ここでも出来るからやれば、と勧められた。日本で抜くよりずっと安いよ、と。まぁそうだろうけど、そんな度胸はありませぬ。
歯石とりだけしてもらった。 結構高い、歯石とりなんて贅沢品なんだろう。3000円くらい。でもやり方は多分、日本と全く同じだった。
ただ違う所は歯科衛生士がいなく、口の中にたまった水気を吸い取ってくれるあれ(バキューム?)がない。数十秒して口の中に水がたまったら、
先生:「吐き出して」
私:ムクリと起き上がってペッ。 ゴロンとまた横になる。
また数十秒したら、
先生:「吐いて」
私:ムクリ。ペッ。ゴロン。
それを何度か繰り返していたところで、歯科衛生士らしき人が来てバキューム(?)が出てきた。
これで違和感なくできたが、医者も歯科衛生士も、顔がめちゃくちゃ近い・・・本当に目と鼻の先に彼女らの顔がある。そして世間話をしながら歯石とり。やはり違和感ゼロという訳には行かなかった。
そんなこんなで無事終了!曇りの空が晴天に見えるほど、気分がさわやかだったのでした。
2005 06/19 12:39:29 | none | Comment(0)
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今日、社員の一人が辞職した。私が来たばかりのとき、生活面でのお助け係を命じられていた、事務の娘だ。直接的に一番世話になった人だろう。その頃は一番分かりやすい話し方でしゃべってくれる唯一の人だったかもしれない。
でも、来たばかりの頃の何週間かが過ぎると、ほとんど話さなくなってしまった。仕事上の接点もなく、その人自身、特に日本に興味があるわけでもなかったし、元々おとなしい人だからだろう。なおかつ社内で和気藹々とした雰囲気もないから、時間が経つにつれて自然と距離は離れていった。
特に日本語の授業。その人も社内の中級クラスに入っており、私のようなナンチャッテ先生が日本語を教えていた。が、日本語が特に彼女の生活に必要なものでもなく、興味もなく、なんとなく会社でやっているから参加しているようなものだったので、授業中当てても全然答えられなくなっていき、次第に彼女だけ脱落していった。彼女自身とてもやさしいが、キリッとしたプライドの高い人なので、そういう自分が許せなかったのだろう。授業中泣き出しそうになっていたのを覚えている。
お世話になっているナンチャッテ先生としては正直、大変迷惑な授業だった。
そして彼女は日本語学習をスッパリと辞めてしまった。私も、どうにもしようがなかった。いや、そのことには触れないで普通に接するのがせめてもの心配りだった。
その事が大きなキッカケか、距離は大きく離れてしまい、普通の社員と同じように、用があるとき以外は話さなくなってしまった。あれから半年以上、やはりほとんど話さない毎日でそれほど気にもならず、それが普通になった。

中国企業の社員は、社長以外全員契約社員である。特にこの会社は若い人だらけのIT企業なので、人の入れ代わりがかなり激しい。契約が切れたら更新するか、適当に職場を変えるのが普通の世界。
たまたま他の事務員と話す機会があったので、事務員たちの契約がいつまでかと、今後の意向を聞いてみた。
二人とも契約は8月まで。本人は辞めるかどうかは考え中で、お世話になった娘は、多分辞めるとの事。理由は2人とも同じで、仕事が退屈だから。

もうこういうのにも慣れた。最初はかなり驚いたが・・・ 大卒ならば、辞めてもまた希望の仕事が見つかる、というのが今の大連社会だ。大変羨ましい限りである。日本では辞職するならプー太郎かフリーターは覚悟だ。

じゃあ8月でこの人たちともお別れかもしれないなぁ・・・・と、思っていたらその3日後、お世話になった彼女が机の荷物をまとめている・・・事務員たちはせわしなく会議を繰り返している。聞くところ、彼女は明日で辞めるそう。 
は?? 何でそんなに急なんだ? 急である理由はわからない。多分、キリがいいとか他にいい会社が見つかった、とかだろう。

本人の口からは辞めるなんて一言も聞いていないが、無視するのも嫌だ。どうコミュニケーションとろうか迷ったが、社内メールで伝えた。「今日で辞めるって聞いたけど、本当? 来たばかりの時はありがとう。おかげさまで大連の生活に慣れることが出来ました。これから私はもう一年大連にいて、たぶん来年日本に帰ります。お元気で。」という旨を伝えた。
返信がきた。「ありがとう。。すごくお恥ずかしいです。。。ずっと自分のことばっかで、全然何もしてあげられなかった。でもあなたの幸運を祈ってます。日本に帰ったら、その経験と中国語力を生かして頑張ってください。」
ちょっとお世辞つきだ。

日本人の、特にご年配さんからしたら、何がメールだ!という感覚かもしれない。特に親からは、何のためにデカイ口をつけて生んだんだ?と言われそうだ・・・
でも経験上、この社内で人が辞職するときに、お別れの挨拶や贈り物など、しんみりした雰囲気はタブー。人が変わりすぎてキリがない。 無視して別れるか、笑顔で別れるかのどちらかだ。
私もいずれはその中の一人になる。。なれるかどうか心配だが・・・
彼女は社内で唯一、一緒に町を歩き回った人だと思う。始めはこの人とずっと連絡取り合うような仲になるんだろうなぁ、、とか思っていたが、そんな期待も空しく、あっけなく辞めていった。
ちなみに他の社員は彼女が辞めたことは知らない。多分そのうちクチコミで気づく人もいれば気づかない人もいるだろう。
分かってはいたことだが、やはりカルチャーショックと寂しさで涙が出そうになった。 やっぱり異文化に完璧に慣れるのは無理なのかもしれない。。。
2005 06/17 13:19:34 | none | Comment(0)
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正直に言うと、私は大連に来て総計7Kgほど太った。
真冬は本当にプラス7Kgだったが、今は自覚してダイエットたるものをしたので、元の体重プラス5Kgってとこだ。原因はまぁ、油ギタギタのコッテリ中華料理と、デスクワークだ。通勤時間も徒歩3分。太らないわけがない。当然加算された腹の肉も、肥満児のごとくゆるい。
やっと大連も半そでを着た人がチラホラ見られる陽気になったので、私も衣替えをした。そこでビックリ! ・・・夏服がほとんど入らねぇ・・・ 入ったとしても、一分でも早く脱ぎたくなるほどキツイし、ゆるい肉がよく目立つ。これはマズイ。。。;;

痩せたいが、もう生活スタイルと食が固定されているので、5Kgを落とすには結構難しい。そこで、スポーツジムに行くことにした。どこにどんなジムがあるのか、よく分からなかったのでホテルにあるジムを当たってみた。 
やはり、結っ構高い。一ヶ月使い放題で8000円くらいだ。まぁ他に金を使うアテもないので、一ヶ月契約し安月給から8000円を払った。
それから半月経ち、今、一週間に4回くらい行っている。今の私の日課は、仕事(雑用)を終えて会社に残ってプログラム学習をしたのちジムにいく、という生活だ。大連が治安のいい街で本当に良かった。

ジムに通っている人は少ない。いつもガラガラである。当然高価だというのと、それから大連の人は日本人ほど太りやすくないからだろう。ギタギタの油料理を豪快に食べながらも、スリムな方が割と多い。
だからジムの従業員たちも大変ヒマそうである。ウロウロしているか、テニスして遊んでいるかのどちらかだ。
約1名、日本に興味のある社交家がいて、行く度にいろいろ話し掛けてくる人がいる。おかげで走れたモンじゃないが、まぁこっちもいろいろ聞ける。聞くところ、某ホテルのジムの従業員は20人くらいいるらしい。高卒でそのまま就職。その後、彼の場合は6年間勤めているそう。・・・うちの会社とは偉い違いだ。私のいる会社はIT企業なので全員大卒だが、目が回るように人が変わる。今の所、二年もいる人はほんの一握りだ。
それだけでなく、性格も全然違う。個人主義の社内では外国人の私は得体の知れない異生物、といった感じの目で見られ、特に誰も話し掛けたりはしてこない。いや、むしろ授業でもマンツーマンだと激しく拒否られるほどの嫌われ者・・・とと、厄介者扱いだ。

話す内容は、日本に関する些細な世間話だ。お好み焼きはおいしいか、とか、これ日本だったらいくらする?、とか、簡単な日本語の単語とかだが、小泉首相のこともチラッと聞かれた。
小泉首相は好きか?と。 私の「ゲゲッ。そういう事は聞かないでくくれ」という表情を察したのか、すぐに話題転換してくれたが、やはりちょっとドキッとさせられる。。

社員とは対照的で少々面食らっている。
そりゃそうか、日本だって職種や人によって全然違うもんな。
2005 06/15 13:25:17 | none | Comment(0)
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