通説にとらわれない新しい歴史解釈

2009年 08月 02日 の記事 (1件)


 所詮、貧乏国の日本が米英やソ連などの大国に対抗して国防の備えをしなければならないという根本的な無理があったにもかかわらず、そうしなければならなかったところに当時の日本の宿命的悲劇があった。当時日本に滞在していたジャーナリストのフリーダ・アトリーは次のように日本を見ていた(「日本の粘土の足」 日本経済新聞社刊)

「日本のもっとも重要な輸出品は、原料である生糸で、農民の労働の産物である。それは半奢侈品で、ほとんどがその最大の競争相手であるアメリカ合衆国に向けて売られている。アメリカ合衆国から生糸の代金を得なければ、日本はその主要産業のために綿花を購入することもできないだろう。それのみならず、日本の全社会=経済構造が倒壊するだろう。それは、農民の大多数が養蚕から得られる副収入無しには生きてはいけないし、また、商人が生糸取引から得る利潤が、日本の資本蓄積の主要な源泉であるからである・・・実際の日本は半ば飢えた農民の国であり、この国の子供達は、一世紀前のイギリスのように長時間労働に苦しんでいる・・・その労働者は、団結権も自分達の利益を増進し中世的生活水準を改善するための政党を結成する権利も認められていない・・・監獄には囚人が詰め込まれ、証言を引き出すためにはアジア式の拷問が実行されている。平気で人を殺すギャングを警察が野放しにしており、根深く広い範囲の腐敗が国力を蝕み、その政治の世界を毒している。結局、巨富と赤貧の極端な対照の国であり、その社会は極度に緊張して革命は発酵している。
 実際の日本は、悲惨と不正、社会的憎しみ、復讐への情熱、異常な集団的興奮状態と排外的愛国主義が煮えたぎる大釜であり、地主と小作人、雇主と労働者、独占資本と中小工業家、男女、老若の間の衝突が絶えない国である・・・日本はすでに歳出の半分近くを軍事費に支出しており、残りの大部分は国債の利子に充てられている。日本は毎年、新規の国債を発行してますます拡大する財政赤字を埋めており、日本は実際に平和であった30年間(1905〜1935)に蓄えられた準備金をすでに使い果たしてしまった。これは、日本が征服から利益を引き出せぬうちに、日本国内の財政的・社会的崩壊に見舞われるかどうかの問題であり、西洋の金融勢力が暗黙のうちに支援する代わりに反対に回れば、日本は崩壊にいたるだろう」

 「『東京日々新聞』は次のように伝えている。『就学中の児童の身体的条件が国の将来を決定するであろう。児童の健康改善問題は、国防に関わる致命的問題である・・・』
この論説は続けて、年間の出生数は約210万人であるが、一歳から十四歳までの児童四十六万人が毎年多くは栄養失調のために死亡していると報じている。『東京日々新聞』は政府に対し膨大な(政府が処分できなかった)備蓄米を飢えた就学児童に食べさせるべきだと迫り、それ自身『危険思想』すれすれの怒りの爆発になっている。そのないようは次のようなものである。『多くの者が餓死の瀬戸際に立たされながら、他方では大量の米が買い手もつかずに浪費されている。社会のどこかがおかしいに決まっている』
 政府は文部省にわずかばかりの金額を与えて飢餓的状態にある児童に食べさせようとしたけれども、しかし、同時に、その備蓄米を売却することで米穀商人や地主に損害を与えるのを嫌がり、国内価格の三分の一の値段で海外にダンピングした。(前掲書)

 武藤山治(日本の実業家、政治家。鐘紡社長、時事新報社社長などを務めたが昭和九年鎌倉にて暗殺される)は次のように政財界を批判した「政治と経済、あるいは政界と財界が結託すれば、どんな悪いことでもできる。法律を逃れることによって、いかなる悪徳をやっても金儲けすればいいというふうな、風潮がある。五・一五事件が起きたのも、十月事件や三月事件が起きようとしたのも、結局、資本主義陣営みずからがその原因を与えてやったようなものだ。これを防ぐには、どうしても同じ資本主義陣営の中におる者が、お互いに牽制し批判し合って、いまのこの風潮をなくさなければならん。聞くところによると、番町会なる名のもとに財界の有力者たちが集まって、官界、政界と結託して悪徳な金もうけに狂奔しているという・・・」(語りつぐ昭和史 2 朝日新聞社)
 
2009 08/02 12:14:44 | none | Comment(0)
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