第三段

2008年 04月 23日 の記事 (1件)


それはどこから始まったのか。

そうだそうだ、しんまいに載ってた生坂村ってどこにあるん?という疑問から始まったのだった。

調べてみると、Nがのの中でも知らない町・村はまだまだいっぱいある。
グーグルマップ上で旅をした。

高山村って木曾とかにあると思ってたがあんな北にあったとは。清内路村が読めない。上水内郡が読めない。とか。
まめちゃんの出身の開田村も、かっちの出身の山口村も吸収合併済みだった。
なんだか寂しいものですね。
開田村って超超過疎!過疎田村。。
とか、
南端って全然聞いたことない村。根羽村って・・・なんじゃそりゃ。
売木村 ってなんか日本昔話的な名前やなと思ったり、
中川町って南信州にはあるのだが、中川村っていうのもあるのだね。と思ったり、
木曽町が合併で出来たらしいが、木祖村もあるのですね。と思ったり、
南相木村と北相木村って仲良くしようよ。と思ったり、(旧)きたみまきむらとみなみまきむらっていうのもそういう位置関係なのかと思っていたら、結構離れていた。字を良く見ると、北御牧村と南牧村であり、対になっているというわけではなかったのですね。
南木曽町と木曽町も離れてます。
南箕輪町と箕輪町も仲良くしようよと思ったりした。

まだまだ奥が深いです。


そんなことしてたら、小さいときに親につれてってもらった場所とか見たりして、すっごい遠いところまで苦労して行ったと思っていたのだけど、東信地区はなれてませんがな。と思ったり。

エンデの博物館は飯山だと思っていたけど、実は信濃町だった。
バブリーな頃に良く行ってたしょっつぼ温泉っていうちょっとゴージャスな記憶があるホテルは、塩壷温泉のことで、中軽井沢だった。

とか、現実の存在を確かめなくても、あいまいな美しい思い出にしておいたほうがよかったかもしれない。

でも、もう一度行ってみたい気もする。
もう一度行ってみて、小さい頃の記憶と一緒かなぁなんて確かめてみたい気もする。

美ヶ原高原美術艦は特に美しい記憶だ。
草の青々とした高原の中にオブジェがぽつん、ぽつん、と建っていて、そこから何を表現しようとしているか、理解しようと立ち止まってみたりしたけど、親においていかれたりして、走って追いついた。
散歩の要領で大きな美術オブジェを見れるというのは、なかなか素敵な趣向だと、今思えばそう思う。

内部の美術品も覚えている。
笛を吹く少年の絵を見たような、またはそのハンカチが売ってたような。それを真剣に買おうかと迷っていた記憶がある。初恋の男の子に似ていたのでv

お昼もそこでとって、並んで好きなおかずをとっていくバイキング形式で、適当に好きなものをとっていっていいことが嬉しくて、でもお金はどうするんだろうと不安で、最後にやっぱお金払うの?って思ってびびっていた。
赤くてトマトっぽくて、白いマカロニみたいなのが入っていた気がするからミネストローネを食べたのだろう。

そんなことまで覚えている思い出。
いつかあそこにももう一度行ってみたい。ビーナスラインを通って。

霧が峰の方のビーナスは美しかった。ニッコウキスゲの咲く季節で天気も良かった。

あと親を連れ出して、半額出しますツアーとか敢行してみたいけれども、半額でもちょっといいとこにしちゃうときついかもしれない。


と、特に何も予定のないGWを遠い目でみる深夜25時。
2008 04/23 00:40:35 | 雑記 | Comment(0)
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