ジッタさんが歩いています。
薄紫色の汚れたビニール袋を弓手に提げて、
意義を喪失したかのように、
虚し気に歩いていきます。
よく観察すると、
腕と脚が不揃いです。
痙攣と電気ショックを交互に受けたような、
不調和を彷彿してしまいます。
小刻みに揺れる横顔はまるで、
花王のマークです。
下顎が極端にしゃしゃり出て、
間違いなく下唇は上唇より2センチは前に飛び出しています。
45歳でなんとまだ独身。
なんでも女だらけの家庭で育ったそうです。
それにしては身だしなみがお世辞にも清潔とは言えない。
作業服は薄汚れ、
髪など梳いたことないのでしょう、
てっぺんが禿げて、
両の鬢から真上に伸びた強い髪は、
白髪もなくまるでバットマンのように屹立しています。
恋、
したことあるのでしょうか。
恋されたことが、
あるのでしょうか。
ないかもしれません。
ハナオカ、ジッタさん。
日本語の会話が苦手なのは
極度の人間嫌いの所為なのでしょうか。
コミュニケーションが不得意な人は社会において、
孤立しがちです。
孤立に対する焦燥感や絶望感を見据える、
自意識の発達がなければ、
精神病の一症状を呈するに至るでしょう。
そんな雰囲気が漂います。
なにせ、会話が成立しない。
これお願いします、
「ああ〜」
ここにもありますよ、
「うあ〜」
慣れましたか?
「はあ〜」
腰が砕けそうな見事な返答です。
快いほど無駄がない。
簡潔な対話ほどすきま風が気になるものはありませんね。
あ、メロンパンやんか、
右のポッケに覗く物を指摘したとき、
「ふふふ〜」
なんともいえぬ人懐こい笑顔を浮かべて、
見苦しく照れていました。
孤高の者に羞恥は似合わない。
だけども、ひどく人間臭い笑顔をもっていたのは、
新しい発見でした。
親しく慣れる可能性が高まるのです。
12時10分からの昼休み。
社員達はいそいそ社員食堂へ向かいます。
ジッタさんは、仕事が遅く、
いつも12時半くらいに小走りで食堂へ向かいました。
でも、
偉い人がもっと早く食堂へ行くように注意しろと、
ジッタさんの上司を叱ったそうです。
12時半以降は役員クラスの食事時間というのが、
暗黙の了解事項だそうで、
ジッタさんを、汚い、
それだけの理由で食堂から排除したいのでしょう。
同じ人間、どこが違うのでしょうか。
役職は、会社の序列であって、
社会における序列ではありません。
社会における序列など存在しません。
人間はみな、同じです。
綺麗でも、穢くても、
同じです。
偉さは、相対的に判断されるものではなく、
もっと人の根源に由来するものであるはずです。
しかし、ひとびとは、
外観や来歴で判別するという、
勘違いを改めません。
会社での序列が社会での序列であるかのように振るまい、
その愚かさにけっして省みることをしようとはしません。
それを横暴と呼ぶのですが、
横暴が出所によってはまかり通る、
それが会社組織という歪んだ世界の実態であることは、
嘆かわしいことですよね。
厳格なる序列を強いる企業は安定しますが発展しません。
序列を問わない会社は発展する可能性を濃厚にもちますが安定はしません。
昨今の不況の中、
これまでの経営理念が通用しなくなってきたのは周知の通り。
安定しながら伸びる会社にはひとつの大事なシステムが必需です。
それは部下の諌言に上司は素直に耳を傾ける、という姿勢です。
ですが、人における友情関係に等しく、
諌言を毀損と受け取る素直さをなくした方々ばかりが、
この世にはたくさんいらっしゃるようで、
素直に聴く耳をもつものは滅多にいません。
よく少年の心をいつまでも持ち続けているひとだ、
という表現を聞きますが、
あれは大概嘘勘違いも甚だしい嘘で、
比喩とも呼べぬ下劣な表現です。
何故ならば、少年の心であれば、
諌言をきちんと受け止めようとする素直さをもつからです。
悪口としかとれないような頑なな心に「若さ」があるわけがない。
ですから、食堂の一件も珍しくともなんともない、
普通の出来事としてひとはとらえ、
忘れてゆきます。
いつまでも其処に遺されるのは、
侮蔑された者の怨みだけです。
世の中はどれくらい怨念に充ちているのでしょうねぇ。
叱咤されたジッタさんは、食堂へ行かなくなりました。
工場裏にあるポプラ並木の下にしつらえられたベンチに腰掛け、
ぼろぼろ屑をこぼしながら、
大好きなメロンパンを
雀たちに囲まれて頬張っているのでしょう。
ジッタさんの上司は仕事中の事故で右腕を付け根から失いました。
あと数カ月で停年です。
わたしの唯一の話し相手です。
140センチほどの小さな身体で40年以上、
働いてきたのです。
ひとの春秋はどうしてこんなにも過酷で、
哀しいのでしょうね、
胸が詰まってしまうことがよくあります。
もうすぐジッタさんが上司の後を継ぎます。
その日までわたしはそこにいないでしょうが、
ジッタさんは45歳、
あと15年、
同じ日々を過ごすことでしょう。
右のポッケにメロンパンをしのばせて、
毎日、薄紫のビニール袋を提げて、
よたよた仕事してゆくでしょう。
春秋は或る者にとっては、
彷徨です。
ジッタさんは、結婚しないのでしょうか。
彼女ができたことがあるのでしょうか。
人を羨ましいと感じたことがあるのでしょうか。
現在の自分に足りないものを欲するとき、
人は変身を決意しなければなりません。
変身、とは、
何かを得るための代償だとも言えます。
代償ですから、
痛みや、恥に対峙しなければいけません。
それを面倒くさがっていては、
変身することは無理です。
変身したくなく、何も欲さず、
何も得ようとはしない春秋、
それは、
それで潔く、見事な生き方だと思えてなりません。

2010 01/31 15:04:52 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー






  昔のこと。
 ある国の王様が、
 千里の馬を手に入れようとしていました。
 千里の馬とは、
 一日に千里(約400km)走れる、
 名馬中の名馬のことです。
 王様は金に糸目をつけず、
 八方手を尽くして探し求めました。
 ですが、三年探し求めても手に入れられません。
 半ば諦めかけていたあるとき、
 宮殿内の清掃をしていた卑しい身分の者が、
 王様に進言しました。
 「どうか私にその役目をお命じください、
 必ず千里の馬を探し求めてまいります」
 卑賎な者には似つかわしくない、
 あまりにも自信ありげな風韻を感じた王様は、
 その者に千金をもたせて名馬探しの任務を授けました。
 三月ののち、
 卑賎の者は千里の馬を見つけました。
 ですが、その名馬は既に死んでいたのです。
 「死んでいようが名馬に変わりはない、
 その首を私に売ってくれ」
 なんと卑賎の者は五百金という大金を投じて、
 死んだ千里の馬の首を買い取り帰国しました。
 復命したその者はもちろん王様の逆鱗に触れました。
 「欲しいのは生きている馬だ、どうして死んだ馬を
 五百金もだして買い取ったのだ!」
 罵倒されてもその者はひるまず、
 「王様は千里の馬であれば死んでいても五百金で
 お買いになったのです、
 生きた馬ではいったいいくらで買うのだ?
 と世間では必ず取り沙汰されます。
 そののち王様は
 馬の値打ちが判る君主だと噂されるに至るでしょう。
 まもなく千里の馬を売りに来る者があらわれるでしょう」
 こう平然と応えました。
 果たして、
 1年もたたぬうちに千里の馬が三頭もやってきたのです。

 さてさて、
 こうして卑賎の者は、
 一躍宰相に抜擢され、
 改革に辣腕をふるい
 王様は「覇者」と讃えられたのだとさ。 

 
 
2010 01/23 23:28:42 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー
 





 たとえば或る者が飲もうとして
 ひとつのコップを手につかむように
 そしてあとでそれを授かった者が
 片隅に置き
 なんでもないもののようにして
 それを保管するように
 おそらくは運命もまた
 ときおりひとりの女を
 口にあてて飲んだのだ
 それからひとつのささやかな人生が
 彼女をこわすことを恐れて 
 もう使わずに
 そのいろいろな貴重品がしまってある
 小心な硝子戸棚のなかに彼女を置いたのだ
 こうして彼女はそこによそよそしく
 借り物のように立ち
 無造作に老いこんで
 盲目となり
 やがて貴重品でもなければ
 珍奇なものでもなくなっていた

 それが世に謂う恋愛であり結婚である。
 
 しかしそれは
 あるときを境に
 むずけながら
 きらめいたり
 暗くなったりする
 夕暮れともなれば
 それは一切となり
 あらゆる星が
 その中から立ち昇り
 胸の奥に仄かな蝋燭の炎をともす。

           ライナー・マリア・リルケ


     *ちょっとだけ改訳しました。
2010 01/17 22:08:03 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー
拝啓 ミスターヰ

そっちはどうですか?
メロンパン食べてくれましたか?
このあいだ
メドキを集めて
易をたててみました。
あなたの転生の日を
知っておかなければならないからです。
卦は、
吉でしたよ。
拝啓
ミスターヰ
私ももう54になりました。
あと何年春秋がつづけられるか
せめて死の時には
あなたのように
立たぬ足腰で
這いずってでも
たどり着きたい其処をめざしたい。
そう希んでやみません。
新年です、
2010年。
櫻が咲き誇る頃、
あなたの眠るあの池のほとりに
黄色い鞠と
雛菊一輪
それと
2004年の12月
毎日聴いたこの唄を
供えに行きましょう。
そちらで
思う存分
聴き
嗅ぎ
噛みつき
転がし
追いかけ
歪めて
破を堪能してください。
それまで
しずかに
お眠りください。

      なにもかも
      ぼくは
      なくしたの
      生きてることが
      つらくてならぬ
      もしもぼくが
      死んだら
      ともだちに
      卑怯なやつと
      笑われるだろう
      笑われるだろう

      いまのぼくは
      なにを
      したらいいの
      こたえておくれよ
      別れたひとよ
      これでみんな
      いいんだ
      悲しみも
      きみと見た夢も
      おわったことさ
      おわったことさ

      愛した君も
      いまごろは
      ぼくのことを
      忘れて
      しあわせだろう
      おやすみを
      云わず
      眠ろうか
      やさしく匂う
      櫻の下で
      櫻の下で

       なかにし礼「さくらの唄」

2010 01/10 14:25:25 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー
ジャンクランド

  どっち行く?
  どっち行こう?

ガラクタだけど
こころをこめて
昔のように
ぼくと暮らそう

ガラクタだけど
こころをこめて
みどりの丘で
ふたりで暮らそう

ガラクタだけど
こころをこめて
昔にみたものを
そう、
ジャンクランドで

ガラクタたちと
かぎりなく青い
大空
そう、
ジャンクランドで

 そう、
 ジャンクランドで

 ガラクタだけど
 昔みた
 あの古い水道橋の下で
 けんかしたいよ

 せつなさをこめて
 きみに贈ったあの花は
 まだ、
 枯れていないかい?
 まだ、
 幽かに彩りをうしなわずに

 ガラクタだけど、
 ぼくはまだ生きて
 きみのかえりを待っている
 こんなにすりきれて
 ほころびだらけで
 しぼんでしまった
 あのときの
 気持ちをいまもなくさずに
 きみのかえりを待っている
 あの
 みどりの丘の
 ガラクタだらけの
 ジャンクランドで
 斜に構えて
 煙草をくゆらし
 ためいきまじりの紫煙にのせて
 きみにささげる
 ジャンクランド
2010 01/02 23:01:21 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー
Άγιος Βασίλης

 今より54年前のことです。
 米国の大手百貨店がクリスマスシーズンのイベントとして
 サンタホットラインを
 各新聞紙上に広告しました。
 それはおそらく、
 事前に数人のサンタクロースにふんした老人を雇い、
 子供たちの欲しいプレゼントを百貨店が用意し届けて、
 幼い夢を叶えてあげようとする企画だったでしょう。
 
 ですがこのとき、
 電話番号が間違っていて、
 可愛い子供たちの電話は
 北米防衛システムの司令部に繋がってしまいました。
 司令部も驚いたでしょう、
 てんやわんやの騒乱が目にうかぶようですね。
 
 実は、司令部では毎年12月24日、
 北極より飛び立つ謎の飛行物体を補足し追跡していたのです。
 電話を受けたひとりの大佐は思わず、
 「サンタクロースがコロラドに向かっているところを
 レーダーで確認した」と応えてしまったのです。
 
 さぁ、子供たちは大騒ぎ。
 サンタクロースが今空を飛んでいる、
 この夢のような事実が世界中に伝播するのに
 時間を必要とするわけありませんね。
 北米防衛システムの司令部では、
 次の年から毎年職員のボランティアをつのり、
 サンタの軌跡を追跡して子供たちからの電話に応え続けます。
 そうして1998年、
 インターネット上に告知したのちには、
 毎年何千何万もの電話や電子メールを受けるようになりました。

 そしてついに2006年、アクセス数は9億4千万を超えました。

 2009年世界の人口は、
 66億3457万959人。
 サンタクロースは20分の1万から30分の1万秒の速度で
 各家をまわらなければなりません。
 そんなの無理に決まってるじゃん、
 っていう醒めた観測は、
 理知的なように見えて、
 実は理知めいているだけにすぎないことを、
 歴史は証明してきました。

 完全なる否定でないかぎり、
 それはそこに存在するのです。

 光を越える速度は存在しない、
 いいえ、人類がそれを探せないだけなのです。
 探せないからといって、
 あり得ない、と断言する博士がたくさんいますよね。
 私はそういう頭脳を信用していません。
 何故なら、自然界は未だに未知であるからです。
 光を超えれば、時間をも超えてしまいます。
 つまり光を超える速度が立証されれば、
 タイムマシンも夢ではなくなるのです。
 赤鼻のトナカイがどうして光を超えられないといえるのですか?
 ええ、そもそもトナカイは空を飛ばない。
 しかしサンタクロースが操るソリは空を飛ぶのです。
 トナカイも光を超えていると考えてもいいじゃないですか。

 12月24日、
 サンタクロースは、
 必ず、
 皆さんの前に現れます。
 恋人とか両親とか隣のおじさんではなく、
 本物のサンタクロースが、
 必ず、
 現れます。
 そしてあなたに、
 なにかを贈ります。
 もしかしたら、
 サンタクロースが現れても、
 私たちは気付かず、
 贈り物も見えないだけかもしれません。

 絵の具は全ての色を混ぜると黒になりますが、
 光は透明になることをご存知ですよね。

 そう、光を超える物体は、
 透明なのです。

 イブを祝いましょう。
 疑わず、
 迷わず、
 真摯な気持ちで、
 イブを祝いましょう。
 そうしたらほら、
 あなたの目の前に!

 皆さま、
 szsより愛を込めて、

 
 ・・・♪*☆★*♂♪*☆★*♪*☆★*♪*☆★・・・
        ☆.。.:*・°☆.。.:*・°
 ・*:.。. .。.:*・゜Καλά Χριστούγεννα・*:.。. .。.:*・゜
       ☆.。.:*・°☆.。.:*・°
 ・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・☆・**・
 
 
2009 12/24 19:48:08 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー
知らず知らずのうちに
きみを好きになって
知らず知らずのうちに
夢を見ていた
知らず知らずのうちに
きみの名前覚えて
知らず知らずのうちに
街を歩いていた
知らず知らずのうちに
きみの家を見つけて
知らず知らずのうちに
電話帳を開いた
知らず知らずのうちに
君と歩き始めて
知らず知らずのうちに
時を流れた
知らず知らずのうちに
君と暮らし始めて
知らず知らずのうちに
離れられなくなった

  鍵を開けたドアの前で
  あかりもつけずほおづえついて

              阿木耀子

知らず知らずのうちに
きみをもっと好きになっていて
知らず知らずのうちに
夢も見れなくなって
知らず知らずのうちに
家を飛び出していた
知らず知らずのうちに
時の流れがとまり
知らず知らずのうちに
口づけさえ忘れ
知らず知らずのうちに
きみの声さえも忘れた
知らず知らずのうちに
きみと歩いた街をさまよい
知らず知らずのうちに
影さえ慕えなくなって
知らず知らずのうちに
きみを思い出せなくなっていった

  鍵を締めた部屋の隅で
  あかりもつけず壁にもたれて
  煙草に火をつけ
  たゆたう紫煙のなかで
  ぽっかりあいた
  胸をまさぐるように
  切なさと遣る瀬無さと
  虚しさと侘びしさを 
  肩をすぼめながら
  刻みつける
  遅すぎたなにもかも
  こおりついた恋のかけら
  醒めたからだに突き刺さる


 
  

2009 12/07 22:37:14 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー
”ほら、良い天気だね、暑くなるよ”
空を指さしながら、
真冬でもTシャツ姿の運転手が挨拶してくる。
”日陰は寒いですよ”
そう応えるのが習慣になった。

広島11月海田町、
あと数日で満月だ。
勤め始めてもう1年と4カ月。
無遅刻無欠勤だ。
月曜から金曜まで、
盆正月祭日
関係なく週の平日5日勤務する。

社員1600名の企業だ。

ここにはたくさんの奇人がいる。
たとえば髭顎蔵さん。
何とか勉強堂という複写用品を扱う下請け商店の店主。
ワゴンRを4台乗り継いでいる。
ワックスで固めたようなリーゼントに、
鬢から顎までたくわえた髭に白いものが混じっている。
”今日は暑いね”
そう言いながら敬礼してくる。
こちらも愛そう笑いを浮かべて敬礼する。
肩幅が広い。
若い頃はさぞヤンチャだっただろう。

犬そっくりやんさんは、大型トラックの運ちゃんだ。
横顔、とくに鼻から口あごにかけての稜線がとても人間とは思えない。
見上げるような座席からおりると借りてきた猫のように、
視線が下がりきょろきょろ辺りを警戒するように内またで歩く。
内またといえば、
内又男くん、嘘やろ!ってくらいの極端な内股で歩く。
下請け業者の営業マンだが、
よく社用車をぶつける。
内股は運転に支障を来すのだろうか。

品質管理部の検査場から、
ヤンキーねーちゃんが長い栗色の髪を風になびかせながら、
モンローウォークで会釈しながら通り過ぎる。
とても愛想がいい。
新入社員で、18歳。
最近の嗜好のトップ5に入っている。
帰り道信号待ちしているときに、
ヤンキーねーちゃんを見た。
その前を2歳くらいの歩みの覚束ない男の子がいた。
ねーちゃんは不安げに男の子を見守りながら
ゆっくりと横断歩道を渡っていった。
弟じゃないだろう、少し驚いた。
それ以来、無性に気になってしまう。

気になるといえば、
魔女がいた。
黒魔術の魔女なのだと同僚が真剣な顔で怯える。
なんでも彼女を叱った男性社員はほとんどが不慮の事故に遭うのだそうだ。
松葉杖くらいならマシなほうで、
命の危機に遭遇するのが普通なのだという。
死んだ人間が、だれとだれ、と、
同僚は姿を見るたびに顔色を変えた。
美貌である。
この企業一といっても言い過ぎじゃない。
40代半ばでこの美貌は考えられない、
その点では確かに「魔女」の域にある。
氷の微笑だ。
もう退社してしまったが、
彼女を見ることが入社そうそうの愉しみだった。

見ることは、
かならず相手に届き余韻を残す。
だから相手もかならず見返し余韻を残す。
余韻は距離なんか関わらずに絡み合うものだ。
絡み合うことは
たがいになにかを惹きあってゆく。

大型コピー室の鍵を貸し出す早朝、
興味がむせびながら
ふたりにふりかかる。

ここは広島11月海田町、
4畳半、Yの城。
2009 11/30 19:54:45 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー

3歳の頃,
沖縄、
記憶の中に漫画はない。
3歳の記憶が鮮明であるかどうかは自信がない。
けれど、たとえ幽かではあっても、
ちゃんと覚えている情景や会話、
接した人たちの温もりは覚えている。

白黒テレビと抱っこちゃん、
ピストル型のライターにぜんまい式のブリキロボット、
それらが今現存していないことを踏まえなくても、
興味が失せた玩具はいつしか
記憶から消える。
欲しくてたまらなかった欲望の熱は、
満たされた瞬間から
醒め、
喪失がはじまる。

さて、何故3歳なのかというと、
その年に少年サンデーが創刊されたからだ。

内地に移り住んだのは1960年。
叔父の住む兵庫県宝塚市中高松町は、
武庫川沿いに開けた田舎町だった。
翌年の春、宝塚市立良元小学校に入学した。
半年間だけの高松町の記憶にも、
まだ漫画はない。
書店があったかどうかさえ覚えていない。

その当時の少年サンデーの値段は30円。
子供のお小遣いは、日に10円あっただろうか。
しかし高嶺の花は子供たちを惹きつける。

本格的に漫画に接し、
読み耽ったのは大阪に来た1961年の秋からだ。

横山光輝の「伊賀の影丸」や赤塚不二夫の「おそ松君」、
藤子不二雄の「お化けのQ太郎」などが
少年サンデーの紙面を飾っていた。

それから2度転校して、
大阪市港区寿町へ引っ越し、
大阪市立波除小学校2年1組に編入する。

1963年春、
急性肺炎に罹り小学校の正門真向かいの病院に緊急入院。
生死をさまよったはずなのだが、
苦しかった記憶がないのが不思議だ。
この入院生活で、
本格的に漫画を経験することになる。
白戸三平だ。
毎日見舞いに来る母が、
途中にある貸本屋で白土作品を借りてきてくれた。
白土三平を知ったのは母と肺炎のおかげだと云える。

「狼小僧」、「忍者旋風」、「シートン動物記」、「忍者武芸帳」など、
一ヶ月以上にわたるながい入院は、
8歳の感性を雷撃に踊らせた。

白土三平がなぜいいのか、
8歳の感性のどこを刺激し魅了したのか、
きっとそれは、
残酷で冷徹で諷刺と諧謔と反体制と虚無に満ちていたからだとおもう。
大好きなキャラクターが報われぬままバタバタ死んでゆく。
正義が負け悪が勝つ、
巨大な不条理が不自然なまま成立した閉鎖的な社会における個人の限界は、
はかないまでに狭く、
不合理なまま非業に倒れゆく命は紙切れほどの価値もなく、
勧善懲悪の世界などこの世には存在しないのだと言わんばかりに。
それは、
昨日入院して隣のベッドに横たわる患者が翌日いなくなる。
家族の数人が泪で顔を真っ赤にしながら、
荷物を整理する情景に重なった。
死を感じ理解するには私はまだ幼すぎたのだろう。
漫画の中に何を見いだしたのか、
私の自我の形成に与えた影響は少なくない気がする。

忘れられない出来事があった。

最後に同室となった患者さんは老人で、
奥さんが毎日朝早くから夜遅くまで看護をしていた。
いつからか会話するようになり、
退院の日、
おばあちゃんが私になにか記念の品をくれた。
お返しに得意だったロボットの絵を描いて贈った。
月刊誌少年に連載されていた手塚治虫の「鉄腕アトム」、
その最高傑作と思われるストーリーが「史上最強のロボット」だった。
世界最強ロボットたちを次々に倒し、
最後にアトムと壮絶な死闘を繰り広げる。
近年、浦沢直樹がこのストーリーをアレンジして「プルートー」の題名で連載している。
8歳の私はこのプルートーが大好きだった。
完全なる悪でも完全なる正義でもない存在、
それがプルートーだった。
私が描いたのは、彼だ。
おばあちゃんはひどく喜んでくれた。
「おばあちゃん、ぼくが大きくなったら医者になって不老不死の薬を発明してあげるからね、
おじいちゃん長生きするんだよ」

退院して3ヶ月後、
おばあちゃんから手紙が届いた。
おじいちゃんが亡くなった、と。

私は泣いた。
ひとの死を初めて理解した涙でもあったろう。

人は生き、そして死ぬ。
不変の摂理はなんと呪わしいのか。
全てを水銀の海に沈められたような絶望感に、
8歳の私はうなだれ、
ただ泣く。
空には
まぶしいくらいに青雲がひろがっていた。

最後に、
私がこれまで読んだ全ての漫画雑誌名を記します。
みなさんは、何冊ご存知でしょうか?

少年サンデー、少年マガジン、少年キング、少年チャンピオン、少年ジャンプ、
ぼくら、冒険王、少年、少年画報、少年ブック、漫画少年、少年コミック、
ガロ、月間マガジン、月間ジャンプ、スーパージャンプ、
ヤングジャンプ、ビジネスジャンプ、ビッグコミック、ビッグコミックスピリッツ、
漫画アクション、リイドコミック、ヤングコミック、プレイコミック、漫画サンデー、
ヤングアニマル、イブニング、
ビッグコミックオリジナル、モーニング、ビッグコミックスペリオール、
少女フレンド、少女マーガレット、少女コミック、なかよし、りぼん。








2009 11/08 22:25:49 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー


   春秋の頃、
   呉の国にひとりの知識人がいました。
   名を季札(きさつ)といいます。
   同時代、中華で最高の知識人として認められていたあの子産に勝るとも劣らないと噂されました。
   
   晩年季札が、
   王となった甥のために外交使節として全国を訪問しました。
   徐の国に立ち寄った時のことです。
   徐君は季札の佩刀に目を留めて欲しいと思いましたが、
   口には出しませんでした。
   
   全ての訪問を終えた季札が帰還のためふたたび徐の国に至ったとき、
   既に徐君は亡くなっていました。
   それを知った季札は、
   徐君の墓に参り、傍らの樹に自分の佩刀を吊り下げ、
   冥福を祈りました。

   従者は訝り、
   「徐君は亡くなっているのに、あの剣をだれに与えるのですか?」
   と問いました。

   すると季札は、
   「私は心の中であの剣を徐君に差し上げようと思ったのだ。
   亡くなったからといって、
   我が心にそむくわけにはいかない」
   と応えました。

   解りますか、この機微が?

   人が生きている時間は無限ではありません。
   有限であるのならば、
   そこには秩序が必要になるでしょう。
   個人の欲望も、
   家や国家の欲望と変わりません。
   欲望のままに生きると争いは避けられません。
   秩序は破壊され、
   生き残ったものが新しい秩序を定めますが、
   混乱そのものはなくなりません。
   
   ではそうならないためにはどうすればよいのか?

   季札のこの故事は、
   冷水を浴びるような気持ちにさせられます。

   
2009 10/24 13:28:01 | none
Powerd by バンコム ブログ バニー