ちょっと大きめのビルです。
←違ったアングルから見ると...。
実は、2002年12月25日で撤退した「
西武百貨店」の跡地なのです。
現在、周りを囲って取り壊しをしています。
左から、まだ営業中の「
高知西部」。撤退して、看板を外した「
高知西部」。
はりまや橋ごしに見た「
高知西部」です。
この「
高知西部」は、
西武百貨店の再建計画の一環と、「
イオン高知」開店のあおりを受け、撤退が決まりました。
これも、田舎の切り捨てか...。
後には、色々なテナントや複合施設が入るビルが建つ予定です。
高知西部百貨店は、高知市の中心部「
はりまや橋交差点」にあり、高知でいえば超一等地です。
よさこい節で歌われたこの「
はりまや橋」は、江戸初期の豪商、播磨屋宗徳と櫃屋道清が両家を往来するために架けた橋でしたが、のちには道路の拡張とともに立派な石造りの橋に架け替えられました。
すぐ横には「
はりまや橋交差点」があり、交通の要所で、
土佐電鉄の路面電車も走っています。
戦後、映画「
南国土佐をあとにして」の撮影のために、従来の石橋の横に朱塗りの欄干が造られました。
その欄干も、老朽化に伴う移転とともに縮小されて、現在は一帯をはりまや橋公園として整備し、朱塗りの太鼓橋を再現しています。
同じ「
はりまや橋交差点」の西武百貨店跡の向かい側には、かつて「
国際ホテル高知」が建っていました。
→
このホテルも廃業に追いやられ、建物自体も老朽化のために取り壊されました。
後には、「
東横イン」がホテルを開業するようになっていましたが、例の事件のために白紙に戻りました。
昔は栄華を極めた「
はりまや橋」周辺...。
これも時代の流れなのでしょうか?!