13年前の今日。
前々日の1月14日に、先輩の結婚パーティーのため大阪に行きました。
大阪は久しぶりだったし、大学時代の友人も多数出席することになっていたし、15日と16日は休みだったので2泊の予定で宿を決めました。
14日の夜は大阪の友人宅に。
15日の夜は名古屋から来た友人と2人で、大阪城近くのホテルに。
14日はもちろん先輩のためのパーティーに参加し、懐かしく楽しい夜を過ごしました。
15日は友人みんなで卒業した大学に行こう!ということになりました。
そんな時期には講義はあまり行われていず、また成人式のために帰省している学生も多くいたようで、学内は人通りが少なく閑散としていましたが、十分ノスタルジックな気分に浸って学食での食事などを楽しみました。
そして16日。
丸1日、大阪観光にあてました。
当時完成して間もなかった関空を見学したり、大阪の町を普通にブラブラ歩いたり、友人とのおしゃべりは尽きることがなく時間が過ぎて行きます。
夜になり、広島県に戻る時間が来ました。
私は当時すでに塾講師だったので、出勤は翌日の夕方からです。
朝、ゆっくりできるなら、もう1泊していかない?
モーニングでも一緒に食べて、そのあとで帰れば間に合うわよ。
名古屋から来ていたその友人は翌日も休みを取っていたので、そのように私に呼びかけました。
名残が惜しい気持ちは私も同じで、よっぽどもう1泊していこうかと思ったんですが、すでに新幹線最終便の指定券を買ってあったので残念だけど帰ることにしたのでした。
最終便で自宅に戻って、遊び疲れていたのですぐに爆睡。
しかしわずか4時間ほどで目が覚めてしまいました。
福山では震度4を記録した、阪神・淡路大震災勃発。
近くで家の倒壊などはなかったけど、すごい揺れでした。
関西方面は、すごい揺れどころじゃなかったのです。
ビルが倒れ、家が倒れ、道路が壊れ・・・線路までも。
もし、もう1泊していたら、線路がなくなるところでした。
モーニングを食べるどころじゃありませんでした。
会社にも出勤できないばかりか、連絡もままならず、1週間以上も自宅に帰れなくなるところでした。
下手したら、運がすごく悪かったら・・・それは考えまい。
ただ、そんなことがあって他人事とは思えなかった私は、会社を1日休んでその後、ボランティアに参加しました。
地震で家と家族を失った友人を励まし、日本とは思えない廃墟化した都会の風景の中で戸惑い、現地で肺炎寸前の風邪をうつされてヘロヘロになりつつ。
あれから13年。
意外に自分の悪運が強かったのを自覚してから13年。
神戸は元気に復興したけど、忘れてはなりません。
特に自分的には絶対に忘れたらいけないような気がして、なんとなく朝5時半頃になると目が覚めてしまいます。
そしてテレビをつけると中継されている慰霊祭を見ながら、黙祷をささげたりしています。
私ごときがそんなことをしても意味ないかもですが、自らに対する戒律のように思っているのです。
まもなく追悼式典の時間ですね。
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