男たちには判らない
広島から在来線で、山口県に入った所に、岩国という、15万人くらいが
住む町がある。
ここに私の叔母がいる。
近年よく訪ねているので、岩国の駅の裏側を歩くと、懐かしげなものが
目に着く。



蒸気機関車 D51
使われなくなり、駅の近くの公園に保存された。
こういう熱気が昭和47年の鉄道100年のころ、日本じゅうにあった。
40年近く前の日本のほうが、ずっと気前が良いのかなあ、
あと、使い終わったものに敬意を持っていたと思う。
ごみも少なかったと記憶する。



D51の説明板。いまは私以外は通りすがりの誰も読まないけど
読んでみてください。



岩国駅南口。
いかにも裏駅といった佇まいが、すごくいい。
新幹線が出来る前は、広島駅も、こんなだった。
客車や、今は電車の留置線があり、その上を細い跨線橋が
長く長く続いていた。

その上を歩く、子供の日の私は、ワクワクしながら、オロネやオハフと
いった、客車の記号を読んでいた。
デッキ上部につけられた1等寝台の表示に憧れて、模型を夢見た
あの日は遠い。



3色勢揃い。おもしろいなあ。岩国にて。



芸備線最初の駅、矢賀にて。
ここには山陽新幹線の基地がある。
それと芸備線は広島から出るローカル線だが、
矢賀までは、在来線の車庫もあるため電化されている。
その近代と前近代の雑じった風景の中を、芸備鉄道の開業以来
80年以上も気動車(ディーゼル)が走る。
ある意味これも歴史遺産なのだろう。
次の戸坂(へさか)が姉と母の住む町である。
ここも都市化された風景のはずれ、山の際にローカル駅が
奇跡のように残されている。
途中に最初のトンネルがある。これも私鉄時代の風景が残っている。



山陽線向洋。
広島を出て、岡山方面の2番目の駅であったが、最近一つ増え、
3番目になった。

すっかり軽量級になった、支線、呉線を分岐する重要な駅であった。
C62やC59の引く長い客車が山陽線に乗り入れてくる。
広島までの区間だが、それは往年の歌舞伎役者が道を行くかのよう
すごい存在感があったと思う。
1970年の電化後も、EF58が引く列車が、入って来ていた。
あれはよかった。
朝の広島機関区で、写真を撮っていた中学2年の私は、高架線の
客レにしばらく見とれていたと思う。



石州瓦(赤瓦)のある風景。

広島の東側、備後地方には、この赤い屋根の家屋が特に多い。
黒瓦に比べて、艶があり、年月にも耐えるのが長いように思える。

これは瀬野を過ぎて、高屋あたりではないだろうか。

高速バスの中からでも、新幹線の車窓からでも、この赤い屋根の
美しい家屋群が見えて来ると、広島が近い気がするので不思議だ。

誰も書いていないが、日本の最も美しいものの一つであろう。
2010 09/24 06:33:47 | 旅日記 | Comment(0)
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