男たちには判らない

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2017 03/03 01:23:53 | 日記 | Comment(0)
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私の住むI市というところは良いところだが
もう一つ地域の感覚が自由でない。
少し離れた日本初の団地ニュータウンを持つ
S市から、私の普段の行動と、これまでの活動を踏まえ
何かやっていただけませんかと、3ヶ月前に依頼があった。

打ち合わせに向かい、私を知る施設の女性と、初対面の少し
コワそうな女性所長と面談して、シニア問題より、その手前の
アナタ自身の生き方を語って欲しいと言われた。

そこで思いついたのが、表題のタイトルである。

初めはシニアの手前を、プレシニアくらいで行こうかと思ったが、
何だか、固い。
そこでクラシックカーに入りきれない1980年代車ブームを
ネオクラシックカー、ネオクラと言うのだから、「ネオシニア」でいったらどう?
と、提案すると、所長さんも、それは面白い。決まったねということに。


ブログを休んでいたことは、お詫びするというより仕方ないと想っていた。
この事業は、私の脱サラ5年の集大成である。

その間も毎日働きに行き、くたくたになるまで仕事をして、帰って来て自炊する。
ネットは、もう止めようとか、短時間でちょろちょろっとできるFacebookを見る
だけにするか、悩んでいた。

きょうは再開の記事というより、今後はだらだら書けないと思うが、
まとめ報告の一筆である。

事業はすごくよかった。
私のファンの彼女が、ファシリテーターを務めて司会進行してくれたが
大旨私がしゃべって、進行をした。



内容はこんな感じである。

時間も普段の事業は平日の昼間が多いが、働いている世代や人間に
来てもらおうと、最終土曜日の夕方からにした。

反響も予想を超えて、会場側の「普通は10名前後で進めている」が、最終的に
25人も聴きにきてくれました。


私は昨年から、シニアネット総研と言うNPOで、様々な取り組みをしている。

この春から、大阪駅前の施設を借りて、4回勉強会をした。
シニア問題は、まだ語れないので、その手前の40代中心の、高齢化社会
予備軍の、問題意識に刺激をかけてみた。
そこの流れからの追っかけ組3人も忙しい中、来てくれました。

実際、今の60代以上は年金も余裕もある。
だが、僕ら50代から後は年金も遠のいた感がある。
支給も5年以上延ばされて、その間の就労は苦痛だし、生活保護と言う
わけに行かない。この不公平感は大きい。

会場には大学生の男の子、20代女性、あとは40代、50代が多く
60代の毎日が日曜日の、施設リピーター数名、70代がおふたり
そのうち一人はうちの理事長も来てくれた。

みんな抱えているテーマは少しずつ異なれど、やっぱり人生は重い。
でも、大変よいテーマで語り合えたと、大きな反響が有った。
「ネオシニア」のタイトルに引かれてきました、という人も多かった。
そのネーミングのセンスの良さは、所長さん以下のスタッフも、さすがは
元プロやなあと感心してくれました。



閑話休題

2時間の講演を終わって、あとは向こうの用意してくれた懇親会に。
8名の席に13人詰め込み押し合いへし合いの宴会になった。



大分飲んでくたくたになったが、女傑の所長と、顔馴染みの1メートル75ある
お姉さんが、「まだ飲もう」ということで同じ場所で3次会。

このアマゾネス二人と飲むのは愉快だが、しんどかったなあ。
もうちょっと若かったら、朝になったら川の字で寝ていただろう(爆笑)。

冗談はさておき、ほんとうにこういうことが私の小さな夢であった。

長い付き合いのある大学の研究者も夫婦で来てくれた。



この2時間(飲んで合計5時間)の自由闊達な雰囲気は、カルチェラタンであり
今の時代に、見られなくなった、本音の自由討議が出来たと思う。

私の評論家デビューではないが、大学の先生から、「kotaroさんが他の人から
「せんせい」と呼ばれるの、初めて見ましたわ」と、冷やかされた。

しかし実際の私は、今は寡黙な一労働者である。

この場所に来れなかった人も含めて、新しい時代は、政府や政治に期待
するのでなく、自分たちで何かそれぞれがテーマを持ち、活動していけば
いつか必ず、花と実になるのではないですかとしめくくった。

実際はすごくアツい話と議論で、固くないかと思ったが、20代の人は
自分の親たちを思って、すごく勉強になりました、と感想を聞けました。


途中、少し持論の旧車趣味の話も交えて、「失われた20年」と言い続ける
のは止めようの提案も。

実際この20数年で日本人の内実ははるかに深度が深まったと思いますし
エンスー趣味はじめ、日本はアジア1のディレッタントな国に成長しています。

またサヨク右翼のこともさらりと触れたり、なぜヘイトスピーチが活発になったり
この20数年のアジア事情で為替の差が急速に圧縮されたことが背景に
あることも説明しました。

欧米の1989と日本の平成元年の意味など、私にしかできない
面白い展開だったのではと思います。


しばらくは、完全放電したので、鳴りを潜めて生きて行きます。

今後は盛り上がりは減るでしょうが、私は、社会事業とソーシャルな生き方の
ほうが今は面白い、と思っております。

ご質問はご自由にくださってかまいません。




2014 10/01 03:05:13 | 日記 | Comment(0)
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こんなタイトルで、9月に千里ニュータウンの
小さな場所で、トーク企画をやることになりました。
いつもの自分が仕掛人に回るのでなく、喋ってください
の方である。

あがり症なので、心配もあるが、私の50代になって生きて来た5年間と
それまでのことも少し触れてみようと思う。

みんカラ日記に書くのは適当かと言うと、他で書くと大袈裟になるので
車ライフのことも、少し講演内容に加えてみようかと思います。



地域の交流センターから、声がかかったのは、そこに勤める職員さんと
これまで豊中市などで、いくつかの事業で接点があったことなど。

月に一度のテーマカフェで、初めはシニア問題について語って欲しいと言う
コンセプトで、打ち合わせに赴いたのであるが、そこのセンター長さんの
なかなか手強そうな女史は、来てみたおっさんが「なんだ若いじゃないの」
よく話すとまだ50代、それも同じ昭和34年同士ということで、最初の企画
アイデアと違うなあ、じゃあどうしようかと、鳩首会談。

やっぱりシニアのことを大きく語るより、その手前の生き方の方が
実体験も含めて興味が湧いたようである。

タイトルは「プレシニア」にしようか、というので、いや最近は、
クラシックカーの手前をネオクラシックと言ったりするので、というと
それにしましょう、ということになった。

若いクラシックカーならぬ、若いシニア層の問題に付いて喋らないと、
面白くなかろうと思う。
センター側も、これまで来所しなかった新しい層に来てもらいたい、
私もニッチなものに光を当てたいと考えている思惑に、ようやく一致した
到達点の答えが見つかったのは、1時間後のことであった。



時間が有ると言っても、下書きの構想も練らないと行けない。
本を1冊書くくらいの心構えが要るだろうと思う。

今の私が、普通の会社に勤めている人に較べれば、危機感の塊みたいな
人生を送っている。
いや普通に会社に勤めていても、20年、15年前の50代や40代後半のように
「はい定年ご苦労さま」といった人生のゴールが楽に見えていた時代の
ようにはとてもいかない。

それは時代が変わったからという、認識はあっても、何だか納得いかない
なあと思っていても、どうにも自分が変われない。
そんな空気を「生きにくさ」というネガなイメージからどう変えて行けば
いいのだろう。



上の世代は「勝ち逃げ」に近い。何かにつけ、お前らはとタメ口で説教する。
今は悲しいけれど、それも現実だ。
私のような34年組でも、40年以降からみれば羨ましいと思われるかも
しれない。

ちょっとしたことで、この春より空気は変わってきている。
来年以降の新卒求人は増えてきて、早くも人手不足は上がって来ている。
増税されて苦しくなりましたという声、それも本当だが、株価だけをみれば
儲かっているのは一見企業だが、徐々に影響は出始めている。

そんな時代の空気の中で、ネオシニアは上の世代に較べて数倍敏感な
感性とアンテナを延ばして、自分らがリアルシニアになったときの生き方を
考え始めなければ、潰されるというのは脅かしに近いが、ハッピーリタイア
と大きな現実の差が出来るだろうと思う。

だから私は身を以ていろんなことを始めている。
研究所にも属して活動をしながら、取り組んでいる。
生活の保障はぎりぎりだが、苦にせずに明るい材料探しに奔走している。

50代での路線変更は、怖かったがやってみないと始まらない。
その前の、ママ母の「公園デビュー」みたいなソーシャルデビューは
40代の終わり頃から、退職前に始めていた。

地域社会デビューになったきっかけは、なんだったんだろう。
それはその頃同居していた妻の、働く女たちのネットワークつくりを
横目で見て、「こりゃ、なんか始めないと、オイラはとんでもなく、
時代遅れな旧式マシンになる」と感じていたのだろう。

無名の頃から勝間克代女史が関わっていた「ムギ畑」、
佐々木かおりらのe-ウーマン、
関西の働く女性たちの30年前からの連隊機構である「よこの会」、
みんな当然と言った感じで、テーブルの向こうの彼女は深く知っていた。

私のような一見理解し難い、行動と生き方を、ようやく納得行かれ、
男性と女性の間に立ち開かる溝のような物の向こうに、一瞬だけ
お互いの素顔が見えたような気持ちがした。


            ◇


9月最終土曜日の夜に、私のトークイベントは行う予定です。
ご興味のある方は、阪急千里線・南千里駅隣接の会場にお出で下さい。
近くなりましたら、募集の要項をお知らせします。

2014 06/16 13:29:03 | 日記 | Comment(0)
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こちらのブログは閑古鳥ですね。

きょうはちょっと迷いが吹っ切れかけました。
私はやっぱり変人なのだから、いい人には100%
なれない。
反対に悪い人でもない。

だから変人は変人のいい意味で道を進もうと。
誰もやらないこと、やりたがらないことで
道を行こうと決めました。

さてこれからの人生は、どうやって、進むかでしょう。

2012 11/22 14:24:05 | 日記 | Comment(0)
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ついに古いネガの探索はこの時代に達しました。
懐かしい思い出に浸って下さい。
ご存じない方は、想像してねw



古河パビリオンの前は、ビルマかタイ国館。



とにかく暑い夏休みの一日でした。



ネガのカビ除去が完全には取り除けない!



これはどこのパビリオン内だろう。





当時の我家の一コマ。ヒト気にあてられてノビ気味な姉。
真ん中が小生(小学校5年)。
行きは大分から飛行機、帰りはブルートレインの彗星。





これは何のステージであったのだろう。



明けて1971年3月。大分からディーゼルカーの急行で
3時間かけて初めて宮崎に遊びにいった。



変な顔の姉ちゃん。



青島のジャングルにて。
姉の服と母の服は趣味の洋裁で作ったものだと思う。
あの時代の主婦というのは、そういう趣味があった。

2012 03/14 02:44:17 | 日記 | Comment(2)
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読者の皆さんは靴を使いこなせていますか。
お気に入りの靴に寿命があるとしたら、どのあたりで考えて
諦めて処分されるか。反対に思い入れのある靴をなんとか
もう一度再生して昔のように履いてみたいと考えたりしませんか。

私は一足長年持ってるショートブーツ、かかとの少し上まで
ある冬用の靴を持っています。おそらく買って(もらったのは)
高3の1978年当時の靴でしょう。一冬に何回かしか履かない靴です。
でもこの靴には青函連絡船に乗って冬の北海道まで履いて行った
思い出があります。




1983年当時は冬の北海道は「スノトレ」という靴を履いて行くのが
仲間の常識でした。でもあんな子供の長靴が巨大化したようなものって、
私は美学が許しません(笑)そのくせ上着もダウンジャケットは大嫌い
(相撲取擬態の肉襦袢かと思ってた)のでおっさんが着るような首に
ころころのついた屋外作業用の「現場服」を親父殿から借りて防寒装備で
北海道に向かいました。

道内で他の連中より足下が軽いので撮影の動きは軽快でしたが、
底のパターンで滑りやすいのと、流石に長時間雪中を歩いていると
だんだん雪が凍みてきます。
まだ道内に多い昔の客車列車に乗り込むと、窓側のスチーム菅の上に
靴を置いて靴下も脱いで乾かしたものでした。

そんな思い出のある靴も多用しないとはいえ、20年を過ぎると
「もう無理かな」と思える状態になりましたが、ナンだか捨てたくなく、
靴修理の店を見つける度に持ち込んでは断られ続け、近年は諦める
寸前の状態でした。

昨冬、大阪に越してまた靴修理の店を探さなくてはいけなくなり
何軒かに電話。
そんなおり見つけたのが今回紹介する箕面の「リペアマイスター」です。
住宅街の中の分かりにくい位置にありますが、今は新稲からまっすぐ
北上して行けます。

驚きの修理術をお見せしましょう。




これが外した古い靴底と中ジキ。



こういうオールソールというタイプは新製に近い作業となります。
その分費用も1万円以上かかりますが、その後実は靴が小さくなって
しまい履けなくなったことを申告すると、ストレッチといい靴幅を広げる
作業を無料でやっていただきました。



これは2004年にトルコのイスタンブールの靴屋で買ったお気に入りの靴。
これもウレタン底が数年で割れ始め町の靴屋に「ダメ」といわれました。
底の総替えと革部との間のビード(細い紐状の部分)も遭う素材を西成の
萩之茶屋まで探しに行って「雰囲気を壊さぬように」あつらえてくれました。



これは15年ほど前にセレモニー用に買った黒革。底が破損してたのと
履かなくなって靴が縮み足が痛くてどうしようもない状態。
これも修理とストレッチで再び履けるようにしてくださいました。

よく思うのですが、ファッション誌やお洒落な人の発言には、高い靴を
買うのも方法といいます。でも5万円以上の靴をざらに履く人は
そういるのかな。僕は車と同じでメンテにお金をかければ半永久とは
いいませんが、愛着のあるシューズを快適に長く履けるのではないか。
今後の人生はそれでいこうと思います。

リペアマイスター箕面は結構修理に時間がかかります。革の鞄は
1年待ちともいいますが、靴修理は1ヶ月前後、それはマイスターに
相談して、材料があればそれなりの納期であがるようですよ。

電話072-721-4163
箕面市箕面4丁目です。

2012 02/05 12:00:00 | 日記 | Comment(2)
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2012年1月29日 極寒

朝は荻窪から出発した。
前夜は西郊ロッジのご主人に荻窪とプリンス自動車のお話を伺った。
中央線沿線がまだ武蔵野の時代から、軍人の町になり、戦中派になじみの深い
中島航空機から富士重工(スバル)と富士精密(プリンス)が生まれたのである。



このガレージの2台隣には、なんとグロリアが寝ているのだよ。

(参考写真)


さて、首都高に乗るのに、高井戸に出ようとしたらご主人は「新宿に出た方が近いですよ」
と事も無げに言われる。ままに青梅街道を走って行くと高円寺中野と過ぎ、朝の新宿に
程なく出たので、本当に荻窪は都心に近いのに静かな町なので驚いた。



お台場には、個人エントリー車は朝の7時から8時の間に入るのがルール。
7時過ぎに荻窪を出て8時前には難なくお台場到着。結構私も首都高や東京を
走る回数が増えてきた。道に迷っていらいらすることもない。
会場周辺は早朝から、エントリー、非エントリーの2派が異様な空間を演出している。
エントリー車は、真面目くさった旧車、もしくは少数だが外国製の本物のクラシック。
非エントリー組は、ヤンジャンや、ヤンマガの漫画からそのまんま出て来たみたいな
落ちこぼれブルース、いや私は否定はしていないのだよ。むしろこれはエスノロジー
(民俗学)だと思っている、興味ある「標本」がたくさん集まって、そこら中を旋回
してたり、朝から爆音を鵞鳴り上げている。
こういうときにそっちに反応する人も多くて面白い。
「まあ、ええんじゃないの」と私も見に行きたいのだが、今年は寒くて、さらに
再入場が面倒くさい方式に変わったので、行きそびれてしまった。

一般入場前の時間帯は、会場の空気が澄んでいて、エントリーと関係者だけなので
挨拶がしやすい。
私もこの時間が一番好きだ。常連のあの車はは来ているか。面識は無くともお互い
人生まだ生きていて、好きな車に乗れている。これが新年の賀詞なのである。
だからニューイヤーミーティングなのであり、浪速からわざわざ走って参加する、
意義はそこに最大のポイントがあるといえよう。


今年も来ていた大阪ナンバーのワンオーナーのジャガーXJ6のシリーズ2モデル。
まだ三角窓の残っている時代の70年代後半あたりの車だ。
非常に当りの悪い個体の多かったシリーズ2を、ここまで維持するとは並大抵でないと思う。
一度ベテランオーナー氏にインタヴューしたら、「買った値段の数倍かけて、普通に走る
車にしあげた」と仰られた。その通りだと思う。「その後は楽ですよ」、頭が下がる。

私はイベントにエントリーしている車というのは、見てもらいたくて出しているのである
から、ナンバーを修正して消す必要はないと判断するので、そのままピックアップします。
必要が有る人はコメントいただければ修正します。


隣に124スパイダーがやってきた。この方も何度か会場で並んでいる。

これが2つ前のオールドタイマーに乗っていたサーブ99である。
一見非常に900の初期に似ているので、改名しただけかと思っていたが、実のところは
結構別のモデルのようで在る。
こういう、地味な、平凡な、(不人気な/笑、御免)すっぴんの輸入車を選んで乗り、
もちろん「ディーラー車」の誇りを矜持しつつ、乗るオーナーは、俺は漢(おとこ)
だと思う。我もそういう傾向が在る。「花の慶次」に出て来る漢というのは、そういう
野郎たちのことではないのか。



サーブ99の“たまらない”ところを、何パートかピックアップしておく。

今年気になったのは、いすゞフローリアンである。

この横浜ナンバーのグリーンの綺麗な個体は、記憶では10年以上前から来ている。
この車が、「だんだんと仲間を」集めてきて、今年は3台の花(フローリアン)が咲いた。
岩5ナンバーは前照灯が変形角2のオリジナルデザインに近い初期の後期モデルである。


ところで、東北には昔はフローリアンがたくさん走っていた。なぜだろう。
駅前タクシーには非常に多くて、私は1981年に初の東北旅行をした時に考えた。

その答えは、天然ガス車よりディーゼルの方が、寒冷地では強いからでは、と
推理した。
その頃ディーゼルを日本で作っていたのはいすゞである。
鈍重で不格好なフローリアンタクシーが、そう思った瞬間、実に頼もしく思え、
一度学生旅行なのに乗ってみた。いやーこれだなー。それが「来ていた」のである。

構内タクシーの標章。「仙」は仙鉄局。日本国有鉄道仙台鉄道管理局の管轄駅に
乗り入れの可能な登録車両だ。


何か、当時物の補修ペイントとか、新聞や雑誌から構内タクシーの写真とか転載して
室内に並べておられました。こういうプレー(遊び)も有りなのが、このお台場の1日
なのである。変態プレーといったら失礼であろうが、根はコミケに近いものがある。

2012 02/04 04:34:17 | 日記
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12月4日(日)
朝から町内会の、新年餅つき大会。
午後から東淀川区東三国へ。
車好きの友たちの忘年会。ギター持参。



翌週の11日(土)。
隣の市にある緑地公園の無料解放区、「緑地のはらっぱ」子ども野遊び隊の
ボランティア打ち上げ。
この夜は見事な月蝕にも酔った。



14日(水)赤穂浪士の討ち入りの日、京都の南禅寺で前に勤めていた会社の
同志で飲む集まりへ。
この日は泊まりがけで京都に行けず、日帰りで戻って来る。



12月18日(日)池田市内の立ち飲みのコミュニティで、山崎にあるサントリー
ウイスキーの工場見学と試飲会。
その足で、高槻の居酒屋で懇親の、まあこれもそうか。



12月22日(木)冬至。
西淀川区御幣島でキャンドルナイトの夜。
エネルギー問題研究の人たち中心のイベント。ここは飲まずに池田に戻る。
スローカフェ、平田タカオという歌手を知る。



23日(祝)
大学時代のサークルの連中と本町のインドネシアレストランで。
10年続いたが今回がこの会場は最後、来年で店は閉じられる。
2次会はいつものようにカラオケ。


24日(土)クリスマスイブ。
長男の大学キャンパスまでスパイダーで出かけ付近の駐車場に停める。
30分100円。
野田秀樹の演劇芝居を見た後は、池田に戻り職場時代の部下が遊びにきて
男二人で鍋をつついて忘年会。日本酒に酔う。
その後は駅前の銭湯で芯から温まり連れを見送る。



25日(日)
妙見山の麓に凍れる朝、車好きが集合。部屋の掃除と洗濯で合流出来ず、
独り妙見山参拝。
午後からは、池田に戻り電車を乗り継ぎ、千日前のトリイホールへ。
上方書生節研究会の公演を見に行く。
夕刻は梅田に戻り、茶屋町のバンドワゴンで、持参の天然スダチでジンフィズ。
最後は久しぶりに家族のいる家に行き、ケンタキとピザとケーキで
軽くクリスマス気分。
子ども3人とよく怒る妻と。





あー疲れた。
もうあと2回くらいかなあ。



2011 12/26 00:52:45 | 日記 | Comment(0)
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6月後半の土曜日は、雨の予報を覆し、爽快な青空が広がった。

気持ちの良い朝を迎え、朝食のあと、家の中のカビ掃除に1時間
掛けた後は、緑地公園わきの原っぱへ向かった。
2ヶ月休んだ、子供遊びボランティアに駆けつけるためである。

4年目になるこの野外活動は、いかにも北摂らしい高邁な思想と、
それを利用している普通の子供たちの、ナチュラルな動機のバランスが
とれた、市民運動である。

海外体験などのある普通の主婦が、使われていない遊休地の非経済的
有効利用を考えついて、ここまで定着させるまでに発展した行事だ。

行政からの上から目線でなく、商業者らの目的利用でもない。
本来市民というのは、こうあっていいのではないかという、新しさを
感じたので、私は3年前から希少な男性ボランティアとして手伝っている。

この試みが東京の杉並や世田谷、また三鷹あたりでなく、大阪・豊中
というのが良いと思う、
また岸和田や河内八尾あたりでもなく、というと叱られるが
いかにも北摂らしさを感じてしまう。



この日は、午後の一区切りが着いた後は、再び家にとって帰り、息子と
冷麺の昼食を作って食べるとすぐに、阪急電車を乗り継いで天六に向かった。
この青空は、長柄付近で見かけた阪急電車からの淀川風景である。

今度は何かというと、北区天神橋六丁目付近にある、銭湯の栄温泉が
この月末で廃業になるというので、「銭湯文化サポーターズ」のイベントが
開催されることを、2日前に知ったばかりであるが、折角の機会だからと
参加することにしたのである。



栄温泉は、北区では珍しい、御影石の床を残す、大阪の古式に則った
公衆浴場である。見学&入湯の前に、折角だからという機会なので、
天六にある住いと暮らしのミュージアムに入り、ここに復元されている江戸後半の
なにわの銭湯というものを見学して、お風呂屋さんの由来に着いて、勉強会をした。

参加者は解説者含めて、20名程度で、中心年齢は40代から60代くらい、
男性大半、女性ちらほらといったところである。


ミュージアムに来るのは、久しぶりである。
10年ほど前にこれが出来る前は、まだこんなに余裕の無い時代では
なかったが、その辺りから大阪市や府の財政赤字が、叫ばれ始めた。
皮肉な文化行政だが、この施設は面白いと思った。ただ15年20年を
過ぎると万博のように飽きられはじめ、移り気なナニワッ子は
おそらく来なくなってしまい、折角作った文化施設も、要らないのでは、
と新聞あたりで叩かれてしまうことを、繰り返しそうである。




この日の展示は、「江戸時代の天神祭」をモチーフとして、美しかった。

午後5時の閉館まで、1時間半の見学の後は、温泉に行き、男性と女性、
それぞれ分かれての、入湯タイムである。
団体で入るといっても、共同購入のチケットを使い、特別な気分はない。
小1時間の入湯のあとは、近所にある奄美料理店の「ていだ」に行き二次会となった。

ここまでの流れは、概ね破調もなく、こういう集まりなのかなと、思った。

で、二次会は、ここからがオフ会の妙味かもしれない。
狭い店の席に膝を突き合わせ、座った者同士で酒を飲むうちに、次第に打ち解ける。
半世紀、いや大昔から、酒の入る社交というものは、あった筈だ。
男たちは、おずおずと、オフ会用に作った名刺というものを差し出す。
私は手ぶらなので、「オフ会評論家」がいたらNGを出されそうだ。

この「オフ会デビュー」のような一瞬は、何ともビミョーな甘ったるいような
緊張感のない瞬間だ。軍事や政治、経済や商業でも名刺交換はあるのだが、
それは「肩書きの入った名刺」だから、緊張感が伴う。
三国志や戦国時代に、合戦で刃を合わせる前は、各々の旗印で相手を確認
したことにも、通じるようなものである。

こんな「猫が腹を見せる」ような名刺交換は、やっとられるかぁ!と「オフ会の狼藉者」
は最初は大人しくしておるが、しかし段々と興が乗るに連れて自己紹介していく。

気が付くと、結構喋ってしまった。 幾人かの方には強烈なインプレッション
も与えたような気もする。もう一軒、シマを変えて飲みに行き、遅い時間に
へろへろと、電車で長屋に戻った。
この時間から、風呂屋に行かなくてもいいだろう。また少し汗もかいたが。
面白い、忙しい一日であった。子供遊びのボランティアに、銭湯巡り。自由な
時間がたくさん増えた意義をいろいろと感じる。
銭湯に関していえば、私の場合、普段から風呂が無くて行っている立場なので
珍しいものを見るような視線はない。ただ、いろんな人が居るのだなあと思った。
2011 07/02 07:06:29 | 日記 | Comment(0)
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大阪の北に豊中市という町があり
そこに服部緑地という大変広い公園がある。
豊中市の財産でなく、大阪府民のものなのだが
そこにある施設は、電動遊具がひとつもなく、昔のままで、
民間の広告や、けばけばしい装飾がひとつもない。

良い意味での社会主義的な空間に立つと、日本人とくに
都会人は、身も心も汚染されているなと感じる。

ここにある野音で毎年春の連休に「祝・春一番」という
コンサートがひらかれる。延べで5日間くらい。

金困り、失礼金子マリとか、中川イサトとか、加川良とか
往年のフォークロック陣、
渋谷毅や峰厚介といったジャズメン、
変わったところでは小川美潮のような特徴あるボイス、
圧倒的にしめる関西系の古いミュージシャンらが次々と
壇上に上がり演奏し歌を歌う。

それをオープンの観客席で、半日間ゆっくり音楽を聴く。
聴いている間、こっちも酒類を飲む。
大阪の下町から来ているミュージシャンの半数は、飲みに
来ていて酔っぱらっている。
極めていい加減な空間がそこに介在し、こんなモノサシで
明日からも生きていてイイノダロウカと思うくらい。

福岡風太さんというプロデューサーが、ライフワークで
このイベントを手がけている。
盟友の、あべのぼるさんという仲間を、昨年12月に亡くした。
人生60年くらいが、まあええとこなのやろうね。

出てくるミュージシャンがそういう歳に近づきつつある。
それでもRCサクセションの付き人からスタートした三宅伸治
とか、スピッツやミスチルにひけをとらないロストインタイム
といった若いバンドも猛烈に腕を上げつつある。

今年の三宅伸治バンドは春一番の歴史初と言うアンコールまで
風太さんに認めさせた。
3コードのロックンロール、ギター小僧がステージから観客席
まで縦横無尽に走り回る。

日が暮れて、コンサートから帰る頃。みんなは正気に戻り
非日常からゆっくりと普段の生活に戻ってく。
長い長い緑地公園の中の道を歩いて。
そのほぐれて行く感覚がいいんだなあ。

風を感じたかったら、僕は緑地公園に行く。
コンサートの遠鳴りが、耳に残っているかの様に
そっと、耳を、そばだてている。


2011 05/07 12:22:41 | 日記 | Comment(0)
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2011年3月11日 14:46

この時間を境に、人生が全く変わってしまった人たちが
たくさんいる。

世の中は、そんなものと言ってしまってはいけないが、
1995年1月17日を境にして、価値観が少し変わる
くらいの体験をした自分としては、ものさしを少し延ばしても
参考にならないのかもしれない。



好きな車に乗るという小市民的な幸福を、今回は封印しないと
世の中は変わらないかと、この2日間考え続けている、が、
昨日少しだけ車を走らせれば、大阪北部のこのあたり、





こんな目を細めたくなるような可愛い外車にのる
幸せな人たちの風景に遭遇した。



仙台の若林区だって、三陸海岸の気仙沼だって、
福島県の常磐線に沿った海岸線にだって、
数日前までは、こんな風景の一部になる車の走るシーンが
見られていたのであろうと思う。

シーンが暗転したあと、僕らは何を考え、何を思えば
良いのであろう。



寝床のある町にに戻って、迷いつつ立ち飲みに入り
少し飲む。
こんな日常が、海沿いの町にだって、その瞬間までは
あったはずだ。



ここで車を楽しく乗ることを、ためらうべきか、
どうすべきか。その答えは出していない。

ただ震災の年も、僕らは若かったから、
立ち直るのも早かった。
今の自分の年齢なら、もっとダメージが大きかったら
私はどうなっていたのであろうか、
そんなことを考えながら、この国の、この大地の上で
きょうも過ごしている。

2011 03/13 15:21:18 | 日記 | Comment(0)
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太田(美濃加茂)を出発して非電化の太多線という
バイパス的な亜幹線に乗りました。

途中の可児なんて、面白い名の町では名鉄とまた接続。
可児才蔵のふるさとですが、カタカナで書くと
またハイパーメディア好きな歴女のターゲットみたいで
おかしいです。



中央本線多治見から、セントレア特急みたいな
ホームライナーに乗り中津川方面へ。
「しなの」とは違った最近の都市間有料高速車輛の
ようです。

土岐や瑞浪といった瀬戸物の町を抜け、恵那で降ります。
ここから明智鉄道に乗るのが目的なのですが、恵那市も
中山道の宿場町、大井でありました。



ここはマイナーです。でも1時間あれば歩いて写真を撮る
何か面白いモノ無いかな。



川がありました。川と橋があれば渡ってみる。
旅人の基本ですね。



そうすると、ご覧のような風景が。





今回は、小さな発見ばかりですが、タバコ屋兼郵便物を
扱う店の手前のオブジェと謂れについての案内から。





そうこうして、踏切で列車写真を撮るうちに
明智鉄道のレールカーが入ってきました。





2010 11/17 06:59:50 | 日記 | Comment(0)
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 可愛い女性と偶然遭遇しただけで、何だかハッピーな気分に♡

この娘たちは、デビューしたばかりのスクリューというユニットです。

とある場所で遭遇し、右の彼女の声と歌い方がフェイバリットになりました。



機会があったら、聴いて、見て、
応援してやってください。






でも楽しいひと時でした。

めっちゃ元気に!  なりました。

http://www.youtube.com/watch?v=GRqJw-s1b_w&feature=related
2010 10/09 00:21:36 | 日記 | Comment(0)
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心斎橋のギャラリー「ナダール」10周年を記念して
10日から22日まで「ナダール・ナダール」と銘打った、
写真展が開催中です。

小生も「路」と名付けた作品を出展しております。

東急ハンズの2本北側、東にある農林会館という
レトロビルのB1が会場です。

お時間のある方は、どうぞ、ご覧においで下さい。
16日は休館です。


NADAR/OSAKA
542-0081
大阪市中央区南船場3-2-6
大阪農林会館B1
tel/fax: 06-6251-8108
e-mail: osaka@nadar.jp
11:00-19:00 / 月曜休廊
2010 08/10 00:44:24 | 日記 | Comment(0)
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豊中の岡町の住宅街に迷い込んだら
こんなものがありました。

普通の家です。
でも表札に「近代美術館」と書いてあった。








怖いもの見たさで興味シンシン。だけど、絶対、私より
変わったおじさんが出てきて

「いらっしゃい」と、手招きするに違いない。



ああどうしよう。
ピンポンダッシュで逃げるかい。

http://www.okuuchi-museum.or.jp/
2010 06/25 01:42:58 | 日記 | Comment(0)
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この漫画のことは、もっと詳しい所を探せば
あると思う。
作者のほうさいさんと、私の繋がりは、舞台になった
京都の小さなカウンターバーだ。

その店はもうない。確か三条木屋町を一つ下がって
西に入った小路に北側に面していた。
もう20年以上昔の記憶である。



店の名は、ほんとうは「リラ亭」という。

あがた森魚の「リラのホテル」を思い出すが、
木村さんというマスターが、一人で、店を開けていた。

そこにくるのは本当に一癖もありそうな、京都の住人ばかり。
店の雰囲気と主人は普通なのに。

私は、昭和58年春に社会人になった。多分その後で
隣の職場の友人に誘われて、その店を知ったと思う。

まだウイスキーの味を飲んで美味しいと思う歳でなかった。
一杯500円の水割りは、給料を思えば安くなかったし、
大黒だか、三楽オーシャンのウイスキーなんてものが
あるのを知ったのは、この店からである。

でも、
この店の雰囲気はすぐに気に入った。気取らず
広すぎず、ちょっと客が多く来ると、カウンターの中に
入ってマスターと並んで飲むなんて。
大人はこんなずるい戯(あそび)を知ってるんだと。

こんな雰囲気でした。(漫画から)



その店の長い歴史と関わったのは、そんなに長くない。
学生時代から8年居た京都を離れ、昭和の時代が終わり
やがてマスターは病を得て、帰らぬ人になった。

過ぎさりし日のことを思う人が、葬儀に集まり、1年後には
追悼行事が、三条の「がんこ」で開かれ、文集も作られた。

先の表紙がその本で、中にある写真から、在りし日を
偲ぶ。



       ☆  ★  ☆

リラ亭の思い出を、なんだろう、皆んな捨てるには
あまりに、あっけなかったから、その店は、常連の
一人が引き継いだ。

そうでなくても、実はネット以前の社会でも、
知る人ぞ知る店だったと思う。面白い人の繋がりが
出来、大阪や、多分神戸とは違う、酒場のコミュニ
ケーション。これが大きかったから、この店は、歌や
詩や、画の題材によくなった。

酒場ミモザ、一部では熱心なファンを引きつけ、
全国発売の漫画誌だったので、後継の「カリン亭」
時代にも、よく話題になったのではないか。

しかしカリン亭が10年の期間を終え、店じまいし、
世の中は、もう21世紀になっていた。

2代目店主は、完全に引退され、京都の奥地で
民家を改造した民宿を始められた。
私たちは、リラ亭の思い出を、年に一度は温めようと
その民宿に、集まるようになった。

とださん(ほうさいさん)と、ご縁が出来たのはそれ
からである。

この漫画は、忘れられることなく根強い人気がある
らしく、再出版の動きも、数年前に始まり、このたび
実を結び、2010年、リラ亭終焉から20年の今年春、
ぶんか社から、再発行となった。

そして、先日、ほうさいさんを囲んで、浪速大阪で、
ささやかな、お祝いの宴に私は呼んでいただいた。



私の持つオリジナルの本には、彼女が描いてくれた
似顔絵。
この絵を描いてもらった頃には、こんなに老けてない
のに、と少し不満だったけど、
いまはこの肖像に似て来た。

人生は不思議な縁、そしてそれを紡ぐのは、一人ひとり
の、毎日の生きる思いみたいなもの、と、



この裏表紙が、つぶやいている。



2010 05/11 21:34:10 | 日記 | Comment(0)
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平成22年4月23日(金)、大阪府池田市にある阪急グループの
創設者、小林一三の旧宅がリニューアルされ新たに記念館として
再オープンされました。



ちょうど今年は、阪急電鉄が開業してから、満100年。
小林が亡くなったのは53年前の1957年ですから、開業前から半世紀の
50年に渡り、小林は池田に住み続けたことになります。
巷間、小林の事業家としての手腕、評価には悪い評判はありません。
しかし私は、一介の市井ジャーナルの眼から「その後」も含めて
池田という軸から見てみることにしましょう。

小林が池田を拠点に選んだことは、出身の甲州韮崎に風光が似ている。
今回の資料展で生家の写真を見て直感しました。
池田は能勢街道と西国街道のほぼ交差にあたり、古より物流の集散や
特産品の出荷場所として栄えました。
韮崎の実家も街道に面し、宿場の風情がかつては漂っていました。



自宅(記念館)正面には能勢の旧家から移築した長屋門が聳えます。庄屋
クラスの豪農が能勢にあったのでしょう。
小林が池田に接点を持つのは、阪急の直前に携わった仕事である、
阪鶴鉄道(現代のJR福知山線の前身)の経営に関わるようになったからだと
思われます。

阪鶴は伊丹付近の酒造の運搬目的で尼崎港までの路線が最初でした。
その後、明治期に海軍港となった舞鶴と大阪を結ぶ地方鉄道に昇格します。
今の国道176号線が福知山へ向かい175号線と合流し舞鶴に至るのは
この歴史背景が有るからです。

さて、池田に活動の本拠を選んだ理由、それは明治期の池田が比較的大きな
町であり、ここで古美術や茶の湯との出会いがあったからだと思われます。
町を貫く街道沿いには旧家が並び、呉春や蕪村といった美との遭遇がありました。



これはそのひとつ。江戸期から続く旧家で本物の芸術を見たことで、小林
一三は生涯に渡る柱の一つ、茶の湯、数寄にこだわるようになります。

昭和10年代に建てた現在に残る居宅、「雅俗山荘」にもいくつも茶室を造りました。




これらの茶室で茶道を介在とした茶室社交を各界の一人者と広げます。
この頃の池田は、一番華やかだった頃でしょう。
人口の多い豊中が、ちょうど西宮に当たるならその隣の芦屋のような
雰囲気も山の手にはあったのかもしれません。

ここでもう一点、茶室というのは無我の境地で茶を嗜むもので、華美は
無縁。またどちらかというと寒い一室で茶の暖を摂ることで、神髄がある
ように思えます。池田は酒どころ故、冬寒く、春も大阪市内より遥かに遅い。
この日覗いた茶室からも冷気がひやっときて、思わず身をすくめました。



それは寒い甲州育ちの一三好みがこの池田の地に多くあったからでしょう。



明治43(1910)年3月、箕面有馬電軌が田圃の中を走り出して100年。
阪急の栄光は長く続き、今でも日本一の私鉄と言う人も多いです。
しかし発祥の宝塚線を詳細に見ると、これで良いのかと思う点も多い。
池田は歴史の流れから取り残されたような印象もあり、どうしてこう
なったのか。あまりにも高いプライドが邪魔し、豊中や箕面と連携しなか
ったからか、今や市中心駅の池田駅は近隣の川西池田(川西能勢口)や
石橋に対しても劣勢です。
全線で8人しか置かれていない主要駅駅長も、今の池田には居ません。



一三没後の半世紀が過ぎても、阪急の登記上の本社は池田市です。
ここには豊能税務署もありますし、戦前の地銀本部としては立派な池田銀の
本店もあります。その向かいには中高層建築の日本生命の立派な支店が
あり、駅構内を「日生」エキスプレスという名の特急が能勢電の日生
ニュータウンまで走り抜けています。
でも転居の手続きをしに日生の事務所に行くと、閑散としていました。

敢えて言うと、何か間違っていないか。登記の本社をダイハツや阪急が
他所へ持って行ったらこの市はどうなるのでしょう。
酒造も炭ももう細々とした産業です。
栄町の商店街も、頭を使った工夫はしていますが、何かに頼るばかりで
自力は弱いと思います。

一三の没後53年、ずっと過去の栄光に縋ってきたとは思いませんが、
小さなしくじりをいくつも重ねてしまい、今日の池田の姿があるように
思えてしまいます。
まさか「一三さんが生きとったら、そんなことは言わんやった」
新しい話があるたびにそんな言葉で芽を摘んできたとは思いたくないの
ですが。
2010 04/27 18:58:43 | 日記 | Comment(0)
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20日は池田の美観地区、東本町で骨董市が立ち
数軒の店が軒を並べました。



6枚組の皿と2脚の蓋付きの塗り椀を求めました。

いずれも江戸から明治期のものか。
築80年の家が古いだなんて言っていたら、笑われそうですね。

午後からは、街歩きの仲間たちと、阪和線美章園から住吉区を
歩きました。
途中の路上で気になったオブジェなど。



熊の胆、木香丸「はらいたのくすり」
鬼の顔がユーモラスです。



田辺商店街の中の閉鎖中の銭湯、入り口部上に残る
ステンドグラスの鳥。つばめでしょうか。



これは鍾馗様。京都では屋根の上で鬼瓦の鬼と対峙して
いることが多いですが、ここは門柱の頭上から、悪い人が
入って来ぬよう見張っていました。
2010 03/21 19:36:27 | 日記 | Comment(0)
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4/4(日)
お釜の節句?の夕刻に第一回の池田の家誉め?
長屋を公開いたします。
持ち込み歓迎、時刻は17時頃からといたします。

見物?希望の方は飛び入りも結構です。
まあ、コメント欄に記入していただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
2010 03/17 16:23:06 | 日記 | Comment(0)
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やっと本箱を設置し、このあと中に納めました。



玄関先、土間の様子。



上がりかまち、引き戸を写す。



玄関戸1



玄関戸2



玄関土間付近の色



上がり框内側から土間の本箱を写す。
右の上部のガラスは清掃中に落ちて割れる。
カンナやヤスリを掛けて、立て付けを良くしようと張り切り過ぎました。

2010 03/09 22:57:08 | 日記 | Comment(0)
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3月になりました。
けど今年の3月はまだ始まったばかり
なのに、雨が多く、気温が思ったほど上がりません。



今月からI市というところで
昭和4年築(らしい)という秘密基地で
隠者のような暮らしを始めました。



まだ時々は元の家族生活をしていたT市に戻って
家族とご飯を食べることもありますが、行ったり来たりも
少し飽きてきたところです。



古い車とはいかず、古い家はもっと手がかかります。
これは古いサッシでない窓の網戸?が雨戸入れから出てきて
清掃しているところ。



いま、指先があかぎれであちこち痛みます。
こういうことも初体験。
また、20年ぶりの一人暮らしは、結構不便なもの。

朝起きると何を食べようか、まだ整理しきれていないので、食事は満足なものが作れません。



有り合わせのほうれん草とベーコンで作ったパスタ。
とほほの隠居暮らしが始まりました。
2010 03/07 14:14:40 | 日記 | Comment(0)
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エプソンの写真スキャナーを使い、昔の写真の退色を修正しながらパソコンに取り込んでみました。
33年の月日を経た写真を、個人で公開出来るなんて、当時誰が思ったことでしょう。
日時は昭和52年11月13日。天候は雨のち曇り。当時私は18歳の高校生でした。友人のバイクの後ろに乗り出発です。



福岡県行橋市の隣町の我家をでて、現在は国道500号線になっている
豊津〜犀川から伊良原を経て野峠で大分県山国町に出る峠道があります。
これまでに何度となく通ったのですが、この写真を撮影した時は二度目でした。
前年に来た時は峠の福岡県側は未舗装で、伊良原付近では路傍を行く牛や
馬に驚きました。
1枚目の写真は大分県側の山国川の上流部です。この頃はまだ木造の橋が現存していました。



大分側のこの付近では既に舗装道路でガードレールもついています。しかし道幅は大変狭かったことを記憶しています。



これは違う日に撮った写真ですが、山国町の中心は鉄道時代の終点、守実温泉でした。
当時は終点駅がそのままバスの発着に使われて何ともいえないいい雰囲気が残っていました。
また昭和30年代まで走っていた森林軌道の跡も残っており、貨物の貯木場で積み替えていた様子が偲ばれました。



守実の次の白地駅。このようにそのままの姿で民家になり人が住んでいたのに驚きました。



下郷まで山国川に沿った国道212を下ってそこから分岐する県道を豊後森(玖珠町)へ。通称「裏耶馬渓」の景勝が広がります。
耶馬渓で一番憧れた「立羽田の景」(立羽田連峰)に遭遇し絶句しました。
背景の岩山を背に麓に並ぶ民家。雨の降るなか、中国の南画のような風景が広がっていました。



耶馬渓の美しさは、言葉で言い尽くせません。18歳の私は少し人間嫌いで
月日を経たこういう風景や廃止になった鉄道跡を訪ねるのが趣味でした。
老人みたいですね。



豊後森に着いた時はオートバイの後ろの私は雨でびしょびしょになっていました。
まだ残っていたキハ07との再会に喜んだ後、機関区の裏で火を焚いて服を乾かしました。今ではできませんよね(笑い)



豊後森に停車中の大分行きの下り客レ。おそらく森発の2635列車。
DE101175牽引、暖房のスチームが雨まじりの空の下に立ち上り晩秋らしさを漂わす。7年前は8620やD60が牽いていた。

豊後森から再び耶馬渓線の方に戻る。今度は深耶馬渓を
通るルートで、中間の町、柿坂に出ます。



名勝のひとつ、烏帽子岩だったか。



深耶馬渓の代表的名勝、一目八景。
寒いのも忘れて見入っていました。



さて、耶馬渓線というと有名なカーブの鉄橋。
これが津民の鉄橋で廃線後6年を経てサイクリングロードになっていました。
2010 02/13 13:13:42 | 日記 | Comment(0)
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NYMでは国産車の方が圧倒的に多く丁寧に見ることが難しいのですが気になったものなどをピックアップします。

平凡ながら美しいマツダのファミリアプレストロータリークーペ。
ホイルキャップが見せてくれます。



三菱のスポーツクーペとして人気のあったランサーセレステ。
角2灯は80年頃の後期モデル。CMソングは「妹は二十歳〜」でした。




三菱の躍進を築いたコルトギャラン。これは16Lといって
出力アップ版。ラリー風はこの時代の三菱のイメージ。



こちらはギャランGTOのラリー仕様。キャップレスホイール
の精悍さがカッコいい。



非常に珍しいカローラLB(リフトバック)
3代目と4代目70系に存在したモデル。



見落としてしまいそうな国産のモデル、ダイハツ
コンパーノ・ベルリーナ。
トヨタの傘下に入る前のイタリアンデザインのオリジナル。



三井精機ハンビーという軽三輪トラック。
1959年製だそうです。



今でも結構気になるホンダZ 愛称水中メガネ。360ccのクルマに
これだけ詰め込んだ夢というものがあった時代。



いすゞ勢の中でいつも気になる孤高のフローリアン。
オーナーの愛車愛で賞をあげたいとよく思う。



スバルのクラブスタンドに来ていた1000スポーツセダン。
さりげなく好いクルマにお乗りですねと言ってあげたい。

2010 02/10 20:07:56 | 日記 | Comment(0)
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相変わらずの写真趣味ですが
今回はレンズとフィルムの良さを見直しています。

緑地公園の「赤い木」 カナダのカエデかな?
プラタナスとは少し違います。




銭湯のある風景。大阪市城東区緑橋あたり
こんなのが現役で観光名物でなく存在しているのは
奇蹟に近いですね。



長屋裏の消火栓 同じく緑橋



第二寝屋川の夕日  鴫野付近にて

冬の一日が暮れようとしている




TSM拾遺





何気によく見ると、手製のラジエータフードを纏った冬姿の
BMW2002 ナンバーもよく オーナーカーの雰囲気が二重丸
2009 12/20 06:21:04 | 日記 | Comment(0)
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寒くなってきました。
でも夜景は冬が綺麗です。
とくに昨日の満月(十六夜?)と鱗雲は大阪都市部においても
感動的な美しさを呈してくれました。







肥後橋 朝日新聞前 20:00ころ




ピンぼけもご愛嬌、酔月





秋が過ぎ中天高く銀狼冴え



新地の柳 幽霊は出ないけどオンナの人はコワい



御堂筋北端のいてふ



こちらは雨の日 先月22日



雨の日にはピアノを。




唄え!踊れ! 喜びも悲しみも。



2009 12/03 15:35:50 | 日記 | Comment(0)
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中之島



天満橋
2009 10/30 09:10:46 | 日記 | Comment(0)
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職場のイラストレーターのオジサンから
一度愛車の写真をデジカメで撮ってきてください、と
頼まれていたので先日、渡しました。
暇な時間に、ちょっと遊んでみますわと
出来上がったのが、コレ。
2009 10/09 11:54:23 | 日記 | Comment(0)
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今年は14日(金)から17(月)まで、ごく一般的なお盆連休を
会社に入って初めてとりました。

この前に50才になったばかり。旅行や帰省、小さな子供がいて
忙しかった頃が嘘のように行事もなく、平凡な4日間を過
ごしました。

今年は高速値下げが6日から実施され、連日高速道が混雑。
海に行きたかったけど時機を逃したのに臍曲りが加わって
高速のコもなく更にいつも飲み歩いている大阪にも夜は出ず。
おそらく超不況社会の到来も見据えたようなご近所遊びで
終始した休暇でした。

14日金、起床9時。昼食は1食残っていた麺を茹で
手持ちの野菜と豚で冷やし中華+ビール。
夕方陽が翳ったので自転車に乗り桜塚の銭湯へ。
客はいつもより多い3、4人。ゆっくり体をほぐして洗い
髪を風に晒して湯屋を出る。

目当ての串カツ屋でビールを一杯飲みたかったが満員。
服部のさと美ちゃんのバーへ直行しビール、白ワイン、
ハイボールの順で飲む。



3000円ちょっとを払いバーをあとに、腹が変に空いたので
王将で雑食。曽根までの上り坂の途中にある蔦屋で休憩。
100円の中古CDを2枚。カーデガンズ時代の原田知世と
ブリグリ。

15土、起床10時。昼は妻が作った冷やしうどんを4人で
つつく。具はネギとミョウガ。ちりめんじゃこ。

皆外出した夕方から朋来たりて近所の緑地公園で
中年男2人でささやかなバーベキュー。肉代2000円。



持ち寄ったトウモロコシや野菜を炙る。万願寺ししとうが美味し。





夜の公園を後にし、後片付け後、彼のアルファロメヲで夜のドライブ。
箕面のノイカフェで24時頃まで雑談。

16日、初めてクルマを出す。
目的地は本町スタバ。




新旧FとPが2台ずつの所にリトモを並べる。
同じような集団がいなかったのが幸い。



この後読売テレビまで一行に付いて行く。別に番組に出演
するわけでない。



やっぱり暑い。曽根駅で長期滞在から帰還の娘を乗せて帰る。この夜は何もする気起こらず。

17月、戻ってきた娘と一日。昼からレトロな隣町の商店街で
冷やかしみたいに時間をつぶす。交通機関は自転車。

昼飯は岡町のサイゼリア。娘とアラカルトとピザを取り合い
分け合う。1300円。こういうのが最近しみじみ楽しい。
年をとったなあと感じると共に脱力感溢れる充実感とでも
いおうか。
ちょうどいいんじゃない。ニッポンの幸福。
炎天下、汗を拭き拭き木陰でラムネを飲む。

町が落ち着いた昭和調で静かなのは、すごいいい点だ。
ストレスを少なくするのに参考にでもなれば幸いである。
僅かな金で乗り切った4日間でした。



2009 08/17 22:34:28 | 日記 | Comment(0)
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都心で夜中にクマゼミが哭くのは、当たり前の風景にも
なりました。
このへんでもけっこう夜遅くに鳴くうえこの種類は音がうるさい
のであまり風流な印象がしません。

今朝の夜明け前に遠くから幽かに蜩(ヒグラシ)が聞こえてきました。
緑地の自然環境の良さをつくづく感じるときです。



今時は珍しいニイニイも時々聴こえます。
中央の大池では蓮の開花も盛りを過ぎました。

ことしは茅や蒲が茂り過ぎでいい写真になりませんが
ゆったりと夏が過ぎていくところです。

あなたの町には百日紅は咲きましたか。



2009 08/08 06:54:48 | 日記 | Comment(0)
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下田逸郎という渋い歌手がいる。
私の中では吟遊詩人の位置づけだ。
20年ほど前、放浪に憧れていたころ、あるコンサートで
この人の歌を聴いた。

「大人のラブソングを歌いたい」
長いブランクから復活してきたかのようなコメントに
成る程と分かったように頷いてる自分がいた。

艶(つや)っぽい歌なのである。
男と女の世界。心と体、抱かれる風景
なのに寝るというシーンはない。

魂はまさぐりあい、永遠の真実を求めている


説明がくどくなった。


この日曜日に、ついに本人と酒を交わしながら
話をさせてもらう機会を得た。

音楽に目覚めた高校生の頃
キッドブラザースと帯同したミュージカル時代
九州・宮崎に対する思い、
故郷的なアイデンティテーへの枯渇

40年以上昔のことから「いま」のことまで
これから 来年のニューヨーク公演のこと

本能?、愛はむずかしい。何でだろう。それが面白い
からではないだろうか。

きょうで私も50才
大人のラブ・ソングを心に
もうちょっと歩み出していこう。
2009 07/28 07:21:32 | 日記 | Comment(0)
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無性に海が見たくなり、四国・高松まで旅をしました。
潮風に当たって港に着くまでの4時間は何者にも囚われない
自由な時間です。

♪ うみよ〜俺の海よ〜
2009 07/22 08:42:57 | 日記 | Comment(0)
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特に細かい説明はしません。












2009 07/12 07:51:45 | 日記 | Comment(0)
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その翌日、昼から出かける。





池田の不動産屋を訪ねてまた旧い売り家を見る。

1965/昭和40年製、木製のディテールがグッドな痛んでいない
いい家だ。
車みたいな表記だが通じる部分はあると思う。



これが前から見た所。小さな庭の植え込みに
心が慰められる。借家ってこうだったよね。

いい家を見た後で箕面の靴修理職人を訪ねる。
ブログも読んでいただいてるみたい。
ここの工房は楽しい。



夕方になる。箕面から戻る途中で前から
行きたかったカフェを偶然見つける。
450円しか持ってなく珈琲一杯と引き換える。
至福のひと時。

整然とした気分で車に戻る。



そんな一日も終わる。
2009 05/21 06:48:25 | 日記 | Comment(0)
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こんな良い天気の一日でした。









福島区で見つけたカフェ





大正区で見つけた好ましい建物。





サヨナラ
2009 05/18 23:08:11 | 日記 | Comment(0)
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5月5日、引っ越してきて初めて近所の緑地公園の春の名物
音楽祭「春一番」にいってきました。

朝から音が聞こえてくるのでそわそわ。このところ呑みっぱなしで
あまりお金がないのですが「ちょっといってくるわ」とチャリンコに乗って
100均で発泡酒2本とかっぱえびせんを買い公園へ。
馬鹿と阿呆は音のするほうに群れるもんです。


藤井裕 まったりと聞かせます



ゴンチチのチチ松村、54歳です。30年前の春一番に出た時に歌った歌というのを
聞かせてくれました。当時はフォークだったのね(笑)



親子連れが前の席に来ました。子供の背中に忌中、いや失礼。



憂歌団の木村充揮。客席のかけごえが「アホ〜ォ」には参ります。東京じゃ
こんなエ〜ルの仕方はないじゃろ



和気優(わきゆう)というミュージシャンを知りました。ギター1本ドレッドヘアー、
「普段は百姓やってます」というロケンロール野郎です。



これは三宅伸治バンド、不勉強でした、彼はRCサクセションの運転手から
音楽生活をスタートさせたと家に帰ってから知りました。



シンプルなトリオでぐいぐいロックンロール。客席じゅうを駆け回って盛り上げます。
登場時から前に出てきているファンは大喜び。



さあて石田長生が加わりました。聞かすナンバーは「雨上がりの夜空に」



http://www.youtube.com/watch?v=Vzek2cmA9t8

大いに盛り上がったあとはトイレ休憩のついでに外に出て
追加ビールを買いに公園の売店へ。
外はこんな風景で今の時期は初夏まで植木市をやっており
私は山椒の小さな木を買いました。



さて戻ってみると、なんか場面が変わって不思議な盛り上がりー。
河内音頭が聞こえてきます。



山中一平とオンドリャ-ズの一行です。(谷岡ヤスジかい)



ほとんど、河内の村祭り状態。。





金魚のおべべみたいなおばちゃん、目立ち過ぎ(笑)



さて、日が傾き何とか持っていた天気が崩れはじめました。記事紹介もラス前です。
この女性二人は小川美潮(元チャクラ)と金子マリ(元バックスバニー)、
演奏は渋谷毅(pf)、ジャズ畑だけど大阪の音楽をまとめるベテラン役です。



声質の全く違う二人が最後にデュオ、これがすごく良かった。シブヤさん渋い!
本日のピカイチ(玄人受けの)でしょう。



スッチーみたいなかわいいオネエチャン(名前失念)がキャンディーに
スタンダードジャズを歌います。嗚呼80年代やねえ。
帽子のサクスプレイヤーは名手、峰厚介。ネイティブ・サン時代に彼の
音に聴き痴れた人も多かろうと思います。
本田竹廣もこの世になく、もうあのバンドは復活できませんがいつまでも
峰のサックスを聴いていたいと思いました。



昨夜も北浜の某ふれいむはうすでママの顔を見ながら
お酒を飲んでいると、周囲の客と、この話題で盛り上がりました。
出てくるミュージシャンは古いし、空間もユルイです。来てる人もキヨシロー
命の親子から河内音頭りゃーまで。
こんなん東京にないよねー、って。いやまあ勝とうとか負けじゃなく。
蓄積はあるんです、特に京都大阪は。あとはどうワインを上手に発酵させるか
でしょう。
このイベントはそういう意味でも続いて欲しいと思います。来年のGWをめざして
盛り上がりましょう!

2009 05/13 10:53:28 | 日記 | Comment(0)
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一日の世俗の垢と疲れを、禊いでくれる夜のホスピタルはここ、素敵なbarのカウンター。
腕の良いマスターが恋の処方箋に合わせ、甘いお薬も苦い薬も
魔法のように出してきてくれます。



おやここは何かちょっと違いますね。



よく見ると暗室ランプでは。



モノクロ写真展の会場では、昼から夕の展覧が終わった後、
闇のなかでbarが始まっているのでした。



素敵な夜のお喋りに酔うひととき、



カウンターでは現像液のタンクでカクテルが!



思わず自画像を撮影する方も(笑)

2009 04/27 03:22:22 | 日記 | Comment(0)
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心斎橋交差点北東のギャラリー「ナダール」で
恒例のモノクロ普及委員会の写真展が始まりました。



小生も昨年に続き、作品を出展しています。
きょうはギャラリーで当番していると友人が何名か
きていただき大変嬉しく思いました。
趣味レベルだけど、何かまた違うこともしたくなりました。

場所は東急ハンズのブロックを2つ北に行った所にある
農林会館の地下一階です。
11:00-19:00 今度の日曜日の19日までです。
ご都合のよい時に足を運ばれてください。
興味のある方はメンバーに尋ねられてください。

http://nadar.jp/osaka/schedule/090414.html

お待ちしております。

2009 04/15 23:48:05 | 日記 | Comment(0)
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大阪駅は21世紀の大改造中。
目立たぬ展示ですが模型が置いてありました。



真っ先に阪急が摩天楼になり、中央郵便局が壊されそうで
駅ビル三越伊勢丹が出来ると、ヨドバシカメラの客の流れ
は?

個人的に手頃なデパートとして好きだった阪神百貨店が
なくなることも考えたくないのですが。。。
アクティ大丸は業態替えをしないと、今でも行きにくいし。

こんな大阪駅は京都駅みたいですね。乗り換えに田舎の人は
迷いそうです。
もう夜行列車もありません。21世紀の話でした。
2009 04/10 08:25:17 | 日記 | Comment(0)
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今年のちっちゃい車大集合に参加してきました。
あいにくの天気のなか、神戸まで。
昼過ぎにどんどん参加車両も帰ってしまい、この頃は
半分以下になってました。




懐かしい国産車のテールたち。
このうち黄色いセドリックの室内をピックアップします。


ご覧の通り完璧なイタリアンデザイン。
間違いなく向こうのデザイナーが手がけた証拠でしょう。



夕方からそのまま神戸のみなとへ。
フェリーに久しぶりに乗り九州に向かいました。
船内で見たBS放送では吉田拓郎の特番をやってました。

「がんばらなくてもいいでしょう」
この時代への彼なりのメッセージと受け取りました。



船は夜明け前の九州へ向かいます。
2009 03/25 08:44:42 | 日記 | Comment(0)
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私の住む町中に元祖焼きそパンの店という
面白いフード飲み屋があります。
http://www.geocities.jp/hanna_danna12345/joren/yakisopa.html
夜の国道を自転車で走っているときに夜行性の昆虫のように
引き寄せられて入ったのが運の尽き!? なんだか2人の
スタッフと何時の間にか知り合いのように口を訊くような
仲になってしまいました。

先日の寒ーい夜に大阪市内から戻る途中に立ち寄ると
何だかそわそわしています。そう、この夜はこの店の
オーナー(すぐ近所にある風変わりな串カツ店/ここもよく流行ってる/の店長)の誕生祝いがもうすぐ始まるようです。

もう夜中の11時半過ぎだ。。もう覚悟して向こうの店から
主人公が来るのを待ちます。
今夜のための特製、ジャンボジャンボ焼きそパン!

持ってられるのがこちらの店を任されてる弟のhideakiさん。


主人公も到着して蝋燭に火をつけて行きます。


クラッカーが炸裂してパーティーが始まりました。
ミュージシャンやOLや若い勤め人、いろんな客が楽しく
陶然と一時を共有して、今夜は過ぎて行きます。





今夜は心地よく酔えそう。
2009 03/15 00:44:23 | 日記 | Comment(0)
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近所を流れるちょっと風変わりな名前の河川、天竺川
(てんじくがわ)
きょうは2月最後の日、もうこの界隈も春がそこまで来ている
ようです。

緑地公園の池も穏やかに水をたたえています。


近所の原っぱでこどもが遊べるよう、ときどき開放する日があり
きょうはちょっと手伝いにいってきました。



木立もすっきり、昨日までの雨もあがり、親子連れが散散集まり
始めました。


男の子は木登りや臨時の鉄棒を作って遊びます。


絵本を近くの図書館から持ってきて、読み聞かせ。



そんなおだやかな時間、ひととき子どもらの相手をした後、
今日はもう一つ行事がありました。
今月2回目の結婚式出席です。


梅田のホテルへ着替えた後、直行してこんどは新しい人生の門出を
祝う宴に参加してきました。


ひとの幸せな姿も良いものです。
ちょうど彼らは私と20年時間が違います。


昨日丸善で買ってきた一番好きな絵本を新婚さんにプレゼント
しました。読んであげられる日が来たら、いいかなあ。



最後はこの日のために彼(新郎)が練習したコステロの[she]という
曲を奥様に捧げて、音楽会のような結婚式は閉じました。
お幸せに。。。
2009 03/01 13:36:26 | 日記 | Comment(0)
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久々に元のアドレスでブログを再開します。

きょうは京都に向かって出発。



途中の高速パーキングで仲間と合流しホテルに向かいます。

  

まあこんな感じで派手な車が並んだのはそういう仲間の
中心人物の人のお祝いだからです。



しかし京都ゆえ色を添えてくれるのは伝統文化でしょう。



こんな風に舞妓さんも最後まで来てくださって
奥様の広い交流が伺えます。



鏡割り
私も結婚式でやりましたがお酒が飲みきれずに暫く
残っていました。ご祝儀の代わりに『呉春』を持っていったのは
だぶったかもしれません。



有名な音楽関係の人もご友人です。
すばらしいピアノ演奏を聴かせていただきました。



京舞も間近に見られ宮川町まで彼女の姿を見に行きたいものです。





お色直しもあり緋色のドレスが素敵です。



友人代表のご婦人。普通の人たちの集まりのようで普通でないのですが、それが一番良いことでしょう。



素敵な2月の春を思わせる午後でした。




帰りは友人の英国製オープンカーの幌を開けて
ギターとカメラ鞄を背なの後ろに積んで帰りました・
ドアミラーに後続のフェラーリが目映いです。

きょうはそんな何だろうの一日でした。
2009 02/16 01:12:10 | 日記 | Comment(0)
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もう9年ほど昔になりますが、今回の参加車両を入手して最初に行った旅行が奥津温泉でした。
その時に泊まった宿の前で記念写真。

さて2日目も午後になり中国勝山を経て久世の遷喬小学校(現在は公共施設)の元運動場で小休憩。

佇まいをみてやってください。

内部の懐かしい廊下(走らない!)

校舎の裾で遊ぶ稚児


2007 05/11 14:23:35 | 日記 | Comment(0)
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古本屋で昔々のアサヒグラフを買ってきました。
モノクロの表紙の方は1956年の8月の号。
その頃はどんな夏風が吹いていたのでしょうか。


表紙モデルは百貨店勤務の神戸のお嬢さん。
大丸かそごうか、昔あった三越か。
撮影場所は六甲山と。どのあたりでしょうか。

いま彼女はどうしているのでしょうか。

こっちの59年の号はさすがにカラーになりました。



珍しいショートカットの女の子。プリントのワンピースがなんともレトロですが、今でも十分通じる“遊び”柄です。
調べてみると当時存在した新東宝という映画会社に所属した
女優さんとわかりました。芸名は星輝美さん。
どんな作品に出演していたか、すぐ検索できるのがオソロしい時代ですね。
単純な娘役中心ですが潰れかけの新東宝の晩期に在籍しただけに、結構シリアスな役も演じたようです。
彼女の情報、再放送で見かけたらお知らせください。

このアサグラの裏表紙はこれです。




笑ってしまいますね。まさに「3丁目の夕日」黄金時代。
大阪に活気があった時代。ダイハツが池田から続々とミゼットを送り出していたのです。
当時の価格¥198000 この今見ればちっぽけな乗り物のエンジンで日本は高度成長の坂の入り口を登り始めたというオハナシでした(まる)
2007 04/14 12:10:20 | 日記 | Comment(0)
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いつの間にやら、春は中心近く
まず駐車スペースの隅に咲いた菜の花。
たぶんターサイという野菜の種からです。
こんなに大きくコンクリの隙間から。



2枚目は心斎橋、アメ村にて。
ご存じかなこの車、多分スズキフロンテ、ハッチという商用車。昭和50年代前半だろうな。
醜い大き過ぎな今の車が店の前に停まっても絵にならんというのがよく判ります。
美はバランスだから。



下の娘、シガーチョコをくわえ、どこでこんなポーズを憶えたのか。
我が家から芸人か歌手が出たら楽しいでしょ、ね。
2007 03/26 09:08:14 | 日記 | Comment(0)
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日中でこの気温! きのう7日は大変寒い日でした。
ここ大阪ミナミの殷賑、高島屋前の難波のクロッシングでは実はいろんな年代の近代ビルディングを目で楽しむことができます。
たまには街を違う視点で見てみましょう。

これが今回の発見、ホテルイチエイのビルですが見事な1970年代モダンデザインの曲線、東京オリンピックから万博前後の日本の高層建築らしい優美なカーブが多用されています。


その目線を左にずらすとこれは南海サウスタワーの名で親しまれた現スイスホテル。これは1980年代も後半から90年代の様式。東京都庁のような“人を見下ろす”ことに快感憶えた時代らしい偉容ですね。


見事な1930年代、御堂筋の全通に合わせて南海難波終点駅と一体化した戦前建築の雄、高島屋。外観だけ見るとパリの東駅あたりに似ていますね。

その向かいに昨2006年に建った丸井なんば店。キタのヨドバシ梅田店に比肩する現在の2000年代らしい商業建築。
ビルというよりカタチが工業製品のようなシンプルさです。

最後に写真左端に写っているのが1960年代に高島屋を増築した部分。
窓が大きく明るい時代ムードが漂うのに現在は中からは壁や紙で仕切られサニーサイドな雰囲気は殺してしまって使われていません。残念ですがこの傾向は全国で多く見られ、見直してもらいたいものです。中央奥の高層建築は多分大阪球場跡に建ったなんばパークスのビル部分ですが見るべきものはありません。

さて、いかがでしたか。普段見慣れた街角も気をつけてみると年代考古学のように様々な「地層」の積み重ねによって構成されているのが判ります。
ビルウオッチングは大人の隠れた楽しみのひとつと言えましょう。
2007 03/08 09:42:19 | 日記 | Comment(0)
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御近所で一番のどかな風景。スズキさんちのおじいちゃんとこの畑です。
西宮でもこんな田園風景がまだ残っているのは嬉しいです。
自転車で通りかかると、土と、ほんのわずかな肥料の臭いがしました。田舎育ちのオイラにはうれしい春の匂いです。
もうすぐ草花がいっせいにぐんぐん伸び始める、次は植物の匂いが季節の到来を知らせるのです。
2007 03/01 13:33:06 | 日記 | Comment(0)
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日没迫る頃、小さなFIATに乗り、近くの公民館の梅林を見に行ってきました。
ここは昔お屋敷だった跡で、見事な梅の木々は今でも春が来ると近隣住民の目を楽しませてくれます。
以前この近所に住んでいて、ここを知りました。阪急今津線甲東園駅から関学方面へ行く途中。坂を登りきった所にあります。
百花繚乱、今年は1週間早く見頃になりました。


梅は昼間見ても綺麗ですが、日が暮れて閉園までのひと時が一番香りが良いような気がします。
もし目が見えてなかったら、沢山綺麗な人が居るなあと感じていたりして。
2007 02/24 07:12:33 | 日記 | Comment(0)
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先日むすめ2人を連れミナミを歩いた際に写しました。

雑踏の向こうの夕焼けが何とも美しかったです。右の建物はもう名所といえる観覧車付きのドンキホーテ。
中に入るといきなり有名男優着用の男性ブリーフ。
「姉ちゃん、加藤鷹ってだれや?」
「ピッッピィ〜××」
小学生がいくところじゃなかったです、ハイ
2007 02/08 00:26:08 | 日記 | Comment(0)
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マックノートが修理から帰ってきて、OSXの現代的当たり前さに比べ、OS9の良さについて見直すことが多いです。
OSが進化することはみな当たり前だと考えていますが、使いにくくなっていく部分もあると思います。改良とはいえ例えばパソコン周辺産業の要望が組み入れられ「こんな機能いるの?」という物も多いのでは。
ウインドウズ陣営は露骨ですよね。今度のVISTAにしてみても、発売延期やその間のビルゲイツの引退宣言、このあたりのウラにアメリカの国防や世界戦略を無視せざる得ない事情が絡んでいると推測できます。
少数派のマックが良心的かどうかはわかりませんが、僕のパソコン歴もそろそろ10年近くになり、昔日を思い出すと感興に堪えない部分もあります。
この写真は、1999年秋に開催したVIENI FIAT(管理人主催のフィアット車ミーティング)の最後の会です。パソコン内の古い画像を整理していて、未使用に気づきました。
この写真に写っている人々はいま、どうしているやら。
2001年の9.11も遠い、拉致問題もまだ深刻でなかった、「あの頃」です。
2007 01/24 01:59:49 | 日記 | Comment(0)
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