"Les hommes ne le comprennent pas"
男たちには判らない
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昨年の日程は、選挙の出勤が重なり、私の都合で流れ
2年ぶりのオフ会を、滋賀県のびわ湖バレイで29日、
開催しました。

ひとこと、
行くまでの道中が大渋滞、暑かった!

それと土日の自動車集中で、夏休みの混雑分散が、できていない。
これって、行政のミスですよね。
夏休み中の観光旅行を、後押しするならETC割引はずっと
するべきなのに。

自民〜民主のバトンタッチの悪さで、いま日本は混乱している
のは判るけど、スタッフに1人くらい、気の効く人はいないの???



ワンコも暑いよ。

飼い主も暑いよ(暑苦しいよ)


寄り添って、恋人気分♡


山上はてんご〜く!


パラグライダーで〜す。




きのうは、晴れて眺めも良かったです。


集まったのは、過去最小の4台。みんななが〜い友達。


帰り道、堅田の手前付近。


気になった、路傍の建物の琺瑯看板。
調べてみるとイルガピリンというのは藤沢薬品の薬でした。
いつ頃のものなんだろう。


夕立接近!


こんなワイパーの効かないすごいスコールになりました。


最後は晴れました。国道1号線石山です。お江戸日本橋をたって
480キロというポスト表示に旅情が、興ります。

          ◇

2年ぶりの開催で、クルマの数も減りました。
MLの投稿は要らなかったですね。
皆さん10年以上の長い友達ばかりでした。

また来年も、元気でいる限り、会いましょう。
お疲れ様でした


心斎橋のギャラリー「ナダール」10周年を記念して
10日から22日まで「ナダール・ナダール」と銘打った、
写真展が開催中です。

小生も「路」と名付けた作品を出展しております。

東急ハンズの2本北側、東にある農林会館という
レトロビルのB1が会場です。

お時間のある方は、どうぞ、ご覧においで下さい。
16日は休館です。


NADAR/OSAKA
542-0081
大阪市中央区南船場3-2-6
大阪農林会館B1
tel/fax: 06-6251-8108
e-mail: osaka@nadar.jp
11:00-19:00 / 月曜休廊
3月から始めた、池田暮らしも長くなりました。



市役所から駅に向かう、夕暮れの入り口のころ。



これが国道176号線、池田駅前手前の風景。
梅田の堂山付近からここまで20キロ程度です。





駅裏にこんな懐かしい洋館風の屋敷も残っていました。







これは、池田に本社のある、ダイハツ関係の、やや古い建物。
昭和40年代調のシックな外観に、切り抜き風の細い文字がよく似合っている。



床屋、何気ないけど懐かしいなと思わず、言える商店群風景のすぐ裏まで高層マンションが迫っている。





あっと驚く、昔のままの風情の池田中央市場。
特にこの横の道に面している部分など、昭和の、国鉄購買部を思わせるような佇まいである。



8月5日
一斉の水まきの日。




夜の駅前、ビアガーデン。



今年も宵山に行ってきました。

少し早めにいって、日が暮れるまでの間が
一番好きな時間です。

夏の京都の良さを、一番体感できるのが
涼しくなり始める、夜のプレリュードアワー。



祇園祭2010年をご覧になってください。
(2010.7.16撮影)







昨年の写真から



大昔のヨーロッパの写真。

あまり暑いもので、池田の長屋を夜8時過ぎに出て、
猪名川の夜風に当たって涼んできました。



呉服橋たもとから、そのまま中の橋を渡って兵庫県川西市側へ。

川に沿って上っていくと次の橋が、歌枕のような風流な
名前の絹延橋です。
対岸に五月山、中腹に伊居太(池田)神社があります。
織り姫伝説の里ですから、絹延の名はそこからきている
のでしょう。



ここにはあと、能勢電の最初の駅があります。
夜景撮影、オン!





通過列車がええ感じでしょう。
この辺りには旧能勢街道の風光がまだ残っていました。


さて、江戸時代の池田は呉服橋を中心に栄えました。
中の橋周辺も古い佇まいでしたが、近年橋を渡った池田側が
取り払われて風景が一変しました。

この絹延橋も、新橋が完成し、旧橋は今月持たないかも
しれません。
これがその表情。





今は兵庫県川西市と大阪府池田市に別れて、いささか無駄な
行政を敷いています。

遠くに“ゲーテッド・シティ”(阪急車庫跡)が見えて
本日の冒険は無事終わりました。



世界の町を旅してきた(←ちょっとおおげさ)
私が思うに、大阪の夜は素晴らしいということです。

昨夜は、「ビヤガーデンに行こう!」と思いつき
友人を強引に誘い、梅田の駅前に集合とメール。

これ、「新」阪急です。やっぱりゴージャスやと感激。



しかし友人から打電、中之島に面白いもの発見と。

そこでてくてく歩き、京阪の新線に乗って難波橋まで一駅
乗って、合流しました。これです。



アールリバーサイドグリル&ビアガーデン
06−6202ー0112
16:00〜23:00

駅前のビヤガーデンが協定か、20時半や21時で終わってしまう
のは、ちと不満。その点ここはのんびり飲めました。
夜も更けると、客数も減り、夜風が素敵です。
昨日は、何十年ぶりにジンギスカンを食べましたが
美味しかったです。

行ってみたい方は私も誘ってね。
豊中の岡町の住宅街に迷い込んだら
こんなものがありました。

普通の家です。
でも表札に「近代美術館」と書いてあった。








怖いもの見たさで興味シンシン。だけど、絶対、私より
変わったおじさんが出てきて

「いらっしゃい」と、手招きするに違いない。



ああどうしよう。
ピンポンダッシュで逃げるかい。

http://www.okuuchi-museum.or.jp/
温泉宿の朝は、強い朝日で目覚めました。
この素晴らしい上越の朝をごらんあれ。



今朝の会場までには、関西軍団のリーダー、ていさんの
124の助手席に乗せてもらいました。


上越線も湯檜曽を過ぎると、山岳鉄道です。



そんな辺りに今回の会場はありました。
ここからあとはアトランダムに紹介しましょう。





やれ具合が素敵なX1/9



ちょっと?な124S

こっちは原型の1400です。

こういうのがきているのが嬉しいフェラーリ412


これはセラです。



クーペ2台



会場風景アラカルト

ジムカーナ風景


124S






らんちたいむ


痛車


それではさようなら

今年のフィアットの祭典は、恒例の昭和の日からずれて6月6日に行われました。
会場も10年続いた伊那から離れ、遠く群馬の水上スキー場に。
インフォメが最初に流れた際は、関西勢は「えーっ”」でしたが、それでも
何名か関西から行くという強者が現れ、小生は友人をおだて、同乗でいって
きました。
このノリに呼応してくれた熱い友たちにホントに感謝です。



午前5時に大津PAに124Sと黒デルタ2で待ち合わせ。
その後は二度ほど休憩しつつ、佐久のホームセンター駐車場まで
まっしぐら。

黒デルタと水色124Sの関西コンビ。



関東組から地元勢の124SとX1/9



前日から出発して軽井沢の仲間の所に泊まっていた西宮からの
850スパイダー



佐久からエンジンが完成して慣らしが終わったばかりの850Sに
乗り換えさせてもらいオープンを満喫。



軽井沢は実に落ち着いた大人のリゾートですが、こんな懐かしい感じの
ドライブインも。



軽井沢付近にて



浅間山を望む絶景。憧れる風景です。



850Sの後ろを付いて来る横浜からの850クーペ。



夏の初めの鮮やかな緑が眼に飛び込んできます。



次のポイントは榛名湖でした。



この小山が榛名山。このあたりの名物は高崎のだるまくらいですが
近年は頭文字Dのマンガでも知られています。
土産物屋にありましたよ(笑)



次のポイントは榛名から伊香保に向かいます。途中は皐月ツツジが綺麗でした



伊香保にはおもちゃと自動車の博物館があります。

エントランスはこんな疑似レトロ風景。



でも奥に行き上の階に置いてある自動車の展示は熱が入っていました。
殆どが国産車です。

レーシングZ



TSサニー



初代ギャランのラリー仕様



トヨタ2000GT



こういうのが置いてあるのが私好みで嬉しい。初代マーク2のハードトップ。



あっ、GTO



バンダイのプラモで1/20を作りました。
僕らはスーパーカーでなく、70’sカーですね、実際憧れたのは。
これこれ、この横顔に見とれたのです。小5のとき。



ホンダ1300クーペ。まさに時代はクーペ全盛。



これも好きだなあ。初代ファミリアクーペ。スレンダーな美車です。



初代コスモスポーツの美しい部位。古典的な配置とクロスオーバーする未来。
円盤とか宇宙と言うが、このアンビバレンツがこのクルマの魅力なのだ。



最後は刺激たっぷりの「超えてる」チェリーから。
クーペX1Rの迫力ある、おケツをお目にかける。



最後の公認オーバーフェンダー車というだけで、プレミアムがついたもの。
実際速かったし、自重はたったの600キロ台。馬力はグロスで80から83。
同じ1000〜1200ccクラスで既にサニーがあったのに、別働隊でチェリーを
作ったのは、一説に合併したプリンスのエンジニアたちに小型FF車を任せたと言われている。
この流れは後にパルサー、最後はラングレーまで存続して、プリンス店で
スカイラインと並んで売られたことから、あながち間違いではない。

この時代の日産をどう評価するか。それが40年後の車好きの任務と思う。
原資も基礎も低い国の中の一企業が、これだけ果敢な挑戦をしていた、
国民も一緒になって夢を見た、夢から覚めれば、現実はフェラーリもベンツも
身近になったが、ボクらがいま、思い出せねばならないものは、こんな
ちっぽけなモノ作りに込められた情熱ではないだろうか。
 てな感想を残して翌日の本番へ続きます。


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