男たちには判らない
またまた鉄道旅行である。



山陽本線の三原と言う町へ、火曜日の夜に泊まった呉と言う町から
海沿いの線路を通って出てみた。



三原に着くと、何となくこの町を探検したい願望が湧いて来た。



荷物はそう重くはないが、歩いて回るには少し邪魔だ。



駅のグラウンドフロアにある観光案内所に地図を貰いに行くと、
貸し自転車500円というのが目に止まり「これだ!」と思った。



今にも降り出しそうな空の重さであるが、春風の温かさと、心が軽くなるような
気持ちがして、私は三原の町に自転車を漕ぎ出したのであった。



ご覧の様に駅は新幹線対応で高架だが、古い町並みを抜けるとすぐに港がある。



尾道もそうであるが、これが、山陽路の駅と町と港の関係である。
山陽本線の前身である私鉄の山陽鉄道が、ひたすら海沿いを疾駆してくれたので
いまでも良好な海岸線風景が、広がる区間が多い。



昔の国道に沿って昭和初期に建てられた銀行建築が残っている。





これは戦後派の、第二地銀だろう。
デザインの若さが、今も、利用する人に溌剌感を与えていないか。



国道沿いのペンシル建築。こういう建物の最上階に住んでみたい(笑)。



昭和の国道の奥地に昔の街道建築がちらほら見えて来てたまらない。



この辺りは昔は多分西浜といったのだろう。今の地名は森進一よろしく
港町(ブルース)である。



池田特産のデュエリアが似合う古い町。



昔は随分たくさん造り酒屋があったらしい。



港町の路地を入ると、こういう雰囲気の建築が残っている。



洋風の建築も残っている。







奥の方にすごい古い作りの旧家であり商家を見つけた。



取引先は三菱関係。今もオフィスとして使われており、昔懐かしの女性OLが中に居た。

これは同商店の倉庫。



もちろん、江戸時代以前の舟待ち港以来のご商売であろう。
郵便受け。



たくさん残っている白壁の土蔵。



倉庫。


2013 03/19 17:22:27 | 旅日記 | Comment(0)
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どちらも、昔の暮らしには、無くてはならなかったものである。

今の時代は、日本酒も炭も、代わりのもので用が足せるので
昭和20ー30年代までは、池田と言えば、酒と炭の町であったと言っても
今ではピンと来ない人の方が、圧倒的であろう。

池田暮らしが、4年目に入り、今年はこの2つを調べてみたり、
取り組んでみることにした。
2013年1月12日、元の青年の家、現カルチャープラザの
「池田炭と茶の湯」3ヶ月間の実地教室に通うことが始まった。

といっても月に2回程度ののんびりしたものである。
だが、次回から豊能町に現地集合し、山の中で材料の切断から
炭焼きまで、春近き能勢の山林で取り組む予定だ。

今年のコースの参加者は定員の40名。
男性女性半々くらいであったが、男性は圧倒的に定年リタイア組
が多い。それに比べて女性は、半数が同世代以下のように思える。
炭焼きの道と、里山との共存共栄について、考えていきたいし、
細々とした特産品であるが、名産復活に盛り上げていけないかと
手前勝手ながら思った次第である。

なぜかというと、40名のうち地元池田の人は、わずか3名。
後は圧倒的に市外からの参加希望者である。
池田市民の関心の低さと言うか、廃れた文化に対する冷たさが伺える
ではないか。

もう一つの池田の酒は、昨年の暮れ近くに、面白い本を手に取った。
大正時代刊行の「池田酒史」を復刻して、再び本にされたのを
拝見する機会に恵まれたのである。

いつも行く立ち飲み酒場に、1冊の本を持ち寄っていた方は、個人で
歴史を研究されている篤志の方である。
この方と年末にお会いする機会に、遭遇した。
私がこの本に大変興味を持ったことを知った、酒場の主人が知らせてくれて
お話しする幸運に、会話が進んだ。

池田の酒は、徳川家康が暗峠に陣を構えた際に、当時の最大の酒屋、
満願寺屋が、陣中に見舞として贈り届け、多いに喜ばれたこと。
家康が天下人となって以降、「天下無双」を名乗り大いに栄えて
江戸に送られて高名になったこと。
下り舟で運ばれた池田酒が高級品で、江戸に行かないことを
「下らない」という言葉の語源になったこと。
満願寺屋の隆盛に、嫉妬した他社から横槍が入り、朱印状は単なる
礼状に過ぎないと、阿諛が入り満願寺屋が、あっという間に失墜したこと。

時代は下がって、呉春の先代当主が、戦時中に酒にかこっていた、文豪
谷崎潤一郎に、統制中もせっせと酒を送り届けて、文壇仲間は飲むことに
不自由しなかったので、谷崎帰京後の東京で、出版界中心に、呉春の
ファンが増えて、今も東京で名声の伝説が続いていると言う。

しかし、この大正時代の本は、昭和天皇摂政時代に、姫路の陸軍大演習
に届けるために、在郷軍人会の大物であった酒造会社の棟梁らで20日間
ほどの突貫で作った歴史書であるため、記述内容に考証が不徹底なところも
あり、伊丹などから注文が付いて、あまり歴史学の面から評価されなかった
という側面もある。

いわば幻の本であったのだが、池田の酒だけについて書かれた書は他に無く
その点を除いても、非常に価値があると思う。
特に渡来人の秦氏が池田に伝えた、産業の一つが酒造りではないかという
記述に私は、我が意の同意を得た気がした。

今年からと言うより、今後も引き続き、池田の歴史に付いては研究を続けて
面白い発見があれば、記事にして行きたいと思う。

2013 01/12 22:30:54 | 長屋暮らし | Comment(0)
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今年初めて泊まった町で、印象に残ったのは熊本県人吉市である。

九州新幹線の時代であるが、八代から肥薩線という山回りの鉄道がある。
鹿児島への鉄道路線は、実は山の中を通るこちらが先に開通した歴史がある。
熊本から鹿児島に出るのに、在来線の鹿児島本線が、3セクの肥薩オレンジ鉄道になった。
海回りは新幹線が便利だが、ゆっくり旅したい方には肥薩線を走る列車「しんぺい」「いさぶろう」をお勧めする。
この山間部には、日本の鉄道風景の名所である、大畑のループ線もあり、スローな旅行を好まれるなら、是非人吉市を訪れて欲しい。



人吉は中世から明治まで、長い城下町の歴史があり、古城の石垣のほとりに球磨川が流れ、そして市内には昔ながらの共同浴場が残されている。
\九州は温泉の宝庫で、黒川温泉や湯布院は人気も高い。私も人吉がこんな市街地に温泉の湧くところと知らずに通過していた。

湧出量の関係で、共同浴場の大型化はできないので、建物が古いままで現在に至るという。入った新温泉と元湯という浴場は共に歴史を感じさせる木造建築で、珍しいと思った。



そして盆地なので秋冬の朝は、写真のような濃霧が出る。
ここまでミステリアスな風景も、午前10時くらいになるとすっかり晴れて、南九州の山あいらしい、色の濃い風景に一変する。

また球磨焼酎、また懐かしい唱歌「旅愁」のふるさとでもある。
遠く鹿児島県の手前になる位置で、宮崎県からも山を越えて至るところ。水清く霧の湧く城下の温泉を訪ねた旅は、忘れられぬ思い出になった。

私の泊まったお勧めの宿はここである。

http://www.tripadvisor.jp/Hotel_Review-g1023364-d1083066-Reviews-Ichifuji_Ryokan-Hitoyoshi_Kumamoto_Prefecture_Kyushu_Okinawa.html
2012 12/07 14:48:13 | 旅日記 | Comment(0)
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こちらのブログは閑古鳥ですね。

きょうはちょっと迷いが吹っ切れかけました。
私はやっぱり変人なのだから、いい人には100%
なれない。
反対に悪い人でもない。

だから変人は変人のいい意味で道を進もうと。
誰もやらないこと、やりたがらないことで
道を行こうと決めました。

さてこれからの人生は、どうやって、進むかでしょう。

2012 11/22 14:24:05 | 日記 | Comment(0)
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豊中の私のお世話になるショップさんがブログを始められました。

スタッフの内、娘さんが書いているようです。

女性と自動車工場の家族を見た視点がなかなか面白く
創意工夫で車を治していく工程も面白いです。

読まれてみてください。
http://baja.citylife-new.com/
2012 09/16 09:41:32 | くるま全般 | Comment(0)
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ユダヤ系の英国人歴史学者の Tony Judtは62歳で
2010年に、異郷のNYで生涯を閉じた。

その亡くなる直前に書いた回想録。

膨大な知識と社会全般に対する見識、分析。
1945年以降の世界のうねりと民族の自我と興亡。
それらを死に行く前の者として、冷徹に、しかも
やさしく見ていった、格好の現代史書である。

そして1940-2010年に生きるものとして、同時代史は
決して日本だけや、フランスのパリや、ロンドン郊外の
鉄道発展系の類推からも、わかるように「同時に進行した」
物語であったことがよくわかる。

これほどの鉄道や交通といった体系システムを愛した
歴史学者も珍しかったのでは、ないだろうか。

高尚な本ではあるが、非常に具体性に富み面白い。
僕らが生きてきた戦後社会とはなんだったのか。
20世紀の後半を今もう一度、この夏に振り返るなら、
最上に勧めたい本である。

\3150
発売元: みすず書房

2012 08/08 07:50:04 | 都市風景 | Comment(0)
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久しぶりに平和公園に行った。
その向かいの県庁周辺には、広島カープ縁のモニュメントがある。



今やこの人(サチ・衣笠)も生前顕彰された乃木将軍のようだ。



原爆ドームを、晴れた空の下で見るのは、初めてかもしれない。





建築学的には、興味の多い構造だと思う。
しかしここだけ、ドレスデン、コベントリー以上に、戦争の痛みを伝える、人類の傷跡が残されている。






ああ、今の平和なこの街にて、我は何思う。


2012 05/24 06:32:37 | 都市風景 | Comment(0)
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村野藤吾である。

現在、存続を巡って、論議中である。
http://www.yonago-city.jp/bunka/koukaido1.htm

市民会議といって、建築の価値を啓蒙するサイトもある。
http://www.nokosaiya.org/kokaido.shtml

想いを寄せる人たちも多い。
http://donguri-do.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-b72e.html

まあみてください。





















正直に言うと、村野にしては、B級かなー?という
気もするのだが、B級はB級で価値があると思う。
ちょっと可愛らしい建築なのである。











どうでしょう!。

町の規模には、ぴったりと思うのですが。

http://www46.tok2.com/home/arc/tottori/tottori_02.htm
2012 04/19 06:46:28 | 都市風景 | Comment(0)
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ついに古いネガの探索はこの時代に達しました。
懐かしい思い出に浸って下さい。
ご存じない方は、想像してねw



古河パビリオンの前は、ビルマかタイ国館。



とにかく暑い夏休みの一日でした。



ネガのカビ除去が完全には取り除けない!



これはどこのパビリオン内だろう。





当時の我家の一コマ。ヒト気にあてられてノビ気味な姉。
真ん中が小生(小学校5年)。
行きは大分から飛行機、帰りはブルートレインの彗星。





これは何のステージであったのだろう。



明けて1971年3月。大分からディーゼルカーの急行で
3時間かけて初めて宮崎に遊びにいった。



変な顔の姉ちゃん。



青島のジャングルにて。
姉の服と母の服は趣味の洋裁で作ったものだと思う。
あの時代の主婦というのは、そういう趣味があった。

2012 03/14 02:44:17 | 日記 | Comment(2)
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読者の皆さんは靴を使いこなせていますか。
お気に入りの靴に寿命があるとしたら、どのあたりで考えて
諦めて処分されるか。反対に思い入れのある靴をなんとか
もう一度再生して昔のように履いてみたいと考えたりしませんか。

私は一足長年持ってるショートブーツ、かかとの少し上まで
ある冬用の靴を持っています。おそらく買って(もらったのは)
高3の1978年当時の靴でしょう。一冬に何回かしか履かない靴です。
でもこの靴には青函連絡船に乗って冬の北海道まで履いて行った
思い出があります。




1983年当時は冬の北海道は「スノトレ」という靴を履いて行くのが
仲間の常識でした。でもあんな子供の長靴が巨大化したようなものって、
私は美学が許しません(笑)そのくせ上着もダウンジャケットは大嫌い
(相撲取擬態の肉襦袢かと思ってた)のでおっさんが着るような首に
ころころのついた屋外作業用の「現場服」を親父殿から借りて防寒装備で
北海道に向かいました。

道内で他の連中より足下が軽いので撮影の動きは軽快でしたが、
底のパターンで滑りやすいのと、流石に長時間雪中を歩いていると
だんだん雪が凍みてきます。
まだ道内に多い昔の客車列車に乗り込むと、窓側のスチーム菅の上に
靴を置いて靴下も脱いで乾かしたものでした。

そんな思い出のある靴も多用しないとはいえ、20年を過ぎると
「もう無理かな」と思える状態になりましたが、ナンだか捨てたくなく、
靴修理の店を見つける度に持ち込んでは断られ続け、近年は諦める
寸前の状態でした。

昨冬、大阪に越してまた靴修理の店を探さなくてはいけなくなり
何軒かに電話。
そんなおり見つけたのが今回紹介する箕面の「リペアマイスター」です。
住宅街の中の分かりにくい位置にありますが、今は新稲からまっすぐ
北上して行けます。

驚きの修理術をお見せしましょう。




これが外した古い靴底と中ジキ。



こういうオールソールというタイプは新製に近い作業となります。
その分費用も1万円以上かかりますが、その後実は靴が小さくなって
しまい履けなくなったことを申告すると、ストレッチといい靴幅を広げる
作業を無料でやっていただきました。



これは2004年にトルコのイスタンブールの靴屋で買ったお気に入りの靴。
これもウレタン底が数年で割れ始め町の靴屋に「ダメ」といわれました。
底の総替えと革部との間のビード(細い紐状の部分)も遭う素材を西成の
萩之茶屋まで探しに行って「雰囲気を壊さぬように」あつらえてくれました。



これは15年ほど前にセレモニー用に買った黒革。底が破損してたのと
履かなくなって靴が縮み足が痛くてどうしようもない状態。
これも修理とストレッチで再び履けるようにしてくださいました。

よく思うのですが、ファッション誌やお洒落な人の発言には、高い靴を
買うのも方法といいます。でも5万円以上の靴をざらに履く人は
そういるのかな。僕は車と同じでメンテにお金をかければ半永久とは
いいませんが、愛着のあるシューズを快適に長く履けるのではないか。
今後の人生はそれでいこうと思います。

リペアマイスター箕面は結構修理に時間がかかります。革の鞄は
1年待ちともいいますが、靴修理は1ヶ月前後、それはマイスターに
相談して、材料があればそれなりの納期であがるようですよ。

電話072-721-4163
箕面市箕面4丁目です。

2012 02/05 12:00:00 | 日記 | Comment(2)
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