男たちには判らない
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2004年の敬老の日から彼岸まで10日間ほど
一人でヨーロッパに旅行してきたことがあった。

行って来たのは、パリとトルコのイスタンブール、
それにバルカン半島の東欧の諸国である。

当時勤めていた会社に、勤続20年で、
休暇を貰い、こういう制度がまだ往時は、
残っており、働く人の一つのご褒美であった。


ふと、あれから10年後の自分の境遇と、この10年の
ヨーロッパ社会を、振り返ってみることにしたい。

最初の一コマは、最近話題のルノー12を、当時はまだルーマニアで
ダチアの名前で引き続き生産していた。

ルーマニアの国土は行けども行けども、この車ばかりが、走っており
ローカル都市での、私の乗った列車と、踏切風景でダチアを写してみた。




首都ブカレストでは、もっと古いダチアも見かけた。
ルノー8そのものである。

排ガスが、大昔のままで、交差点の信号が変わると、一斉に煙が漂う、
日本の1970年頃みたいな風景だった。

東欧の崩壊は1989年のビロード革命だが、15年たち、諸国の格差が
出始めていた。ルーマニアとブルガリアは、まだEUに正式加入できておらず
遅れが目立ち、国境を鉄道で通過する度に、パスポートの厳重なチェックが
残っていた。



この写真の車は古いフィアット124系だ。
ラーダかもしれないし、トルコで作っていたムラートかもしれない。

イスタンブールの裏路地は、古いフィアットのセダンが好きな私が
喜びそうな風景が残っていた。



日本では131ミラフィオーリで知られた、131セダンがたくさん残っていた。
もちろん、フィアットでなくトルコの国産ムラートのノックダウン車である。




トルコの石畳は、ほんとうに絵になる。
私の写真でも、十分に上手いように見えるであろう。

古いインパラが、妙に似合っていたのも印象的であった。

一方今度はパリの風景から。




こういった、庶民の大衆車の歴史が、明確で、日本人の思っている
輸入車のイメージ=高級車というのは、一部の幻想だと思った。





この3枚もパリの裏道である。
説明は不要であろう。

まだ、みんカラも、Facebookも無い時代で、私は夢中で車の居る風景を
写し回った。
こういった写真専門の仕事で食って行けたら、などと当時は新聞社に
勤めており、甘い考えで転身のことを考えていたのである。





写真はすべてアナログである。
フィルムをスキャンし直したら、もっと鮮明になるであろう。

当時はまだ、古い機材で、ホームページを作っていただけである。

今、この10年を振り返ってみると、自分自身も、訪問した諸国も、
正に激動の時間が流れていたことに、思い当たった。

日本では、新聞社が、かなり時代の隅に追いやられて、こんな余裕のある
従業員待遇は、無理に近い空気になり、私は5年後に退職した。

ヨーロッパでは、この10年間、通貨としてのユーロが進んで、東欧のルーマニア
やブルガリアもユーロ圏に入った。

しかしギリシャ問題や、イタリアの経済の後退、そしてこの時代は
フランスとドイツは、ヨーロッパの盟主国として比肩されていたが、シラクの
後の東欧系出身のサルコジがちょうどこの頃、大統領となり、強権的な
政治を行った後に、フランスは大きく失墜した。

帰国数ヶ月後にパリ郊外で、若者と低収入労働者の大きな暴動があった。
それを予兆した、ちょっとした出来事が、パリ滞在中にあったことを
続きで書いてみたい。
2014 09/11 06:04:01 | 旅日記 | Comment(0)
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