男たちには判らない


この漫画のことは、もっと詳しい所を探せば
あると思う。
作者のほうさいさんと、私の繋がりは、舞台になった
京都の小さなカウンターバーだ。

その店はもうない。確か三条木屋町を一つ下がって
西に入った小路に北側に面していた。
もう20年以上昔の記憶である。



店の名は、ほんとうは「リラ亭」という。

あがた森魚の「リラのホテル」を思い出すが、
木村さんというマスターが、一人で、店を開けていた。

そこにくるのは本当に一癖もありそうな、京都の住人ばかり。
店の雰囲気と主人は普通なのに。

私は、昭和58年春に社会人になった。多分その後で
隣の職場の友人に誘われて、その店を知ったと思う。

まだウイスキーの味を飲んで美味しいと思う歳でなかった。
一杯500円の水割りは、給料を思えば安くなかったし、
大黒だか、三楽オーシャンのウイスキーなんてものが
あるのを知ったのは、この店からである。

でも、
この店の雰囲気はすぐに気に入った。気取らず
広すぎず、ちょっと客が多く来ると、カウンターの中に
入ってマスターと並んで飲むなんて。
大人はこんなずるい戯(あそび)を知ってるんだと。

こんな雰囲気でした。(漫画から)



その店の長い歴史と関わったのは、そんなに長くない。
学生時代から8年居た京都を離れ、昭和の時代が終わり
やがてマスターは病を得て、帰らぬ人になった。

過ぎさりし日のことを思う人が、葬儀に集まり、1年後には
追悼行事が、三条の「がんこ」で開かれ、文集も作られた。

先の表紙がその本で、中にある写真から、在りし日を
偲ぶ。



       ☆  ★  ☆

リラ亭の思い出を、なんだろう、皆んな捨てるには
あまりに、あっけなかったから、その店は、常連の
一人が引き継いだ。

そうでなくても、実はネット以前の社会でも、
知る人ぞ知る店だったと思う。面白い人の繋がりが
出来、大阪や、多分神戸とは違う、酒場のコミュニ
ケーション。これが大きかったから、この店は、歌や
詩や、画の題材によくなった。

酒場ミモザ、一部では熱心なファンを引きつけ、
全国発売の漫画誌だったので、後継の「カリン亭」
時代にも、よく話題になったのではないか。

しかしカリン亭が10年の期間を終え、店じまいし、
世の中は、もう21世紀になっていた。

2代目店主は、完全に引退され、京都の奥地で
民家を改造した民宿を始められた。
私たちは、リラ亭の思い出を、年に一度は温めようと
その民宿に、集まるようになった。

とださん(ほうさいさん)と、ご縁が出来たのはそれ
からである。

この漫画は、忘れられることなく根強い人気がある
らしく、再出版の動きも、数年前に始まり、このたび
実を結び、2010年、リラ亭終焉から20年の今年春、
ぶんか社から、再発行となった。

そして、先日、ほうさいさんを囲んで、浪速大阪で、
ささやかな、お祝いの宴に私は呼んでいただいた。



私の持つオリジナルの本には、彼女が描いてくれた
似顔絵。
この絵を描いてもらった頃には、こんなに老けてない
のに、と少し不満だったけど、
いまはこの肖像に似て来た。

人生は不思議な縁、そしてそれを紡ぐのは、一人ひとり
の、毎日の生きる思いみたいなもの、と、



この裏表紙が、つぶやいている。



2010 05/11 21:34:10 | 日記 | Comment(0)
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