男たちには判らない

みなさん、あけましておめでとうございます。
ようやくパソコン修理が終わりブログ再開です。
もう松の内はきょうで終わり。それとともにもうすぐ震災の日がやってきます。のんびりしたこのサイトにしては硬いテーマですが、実は12年前の私たち一家は地震で被災しました。その避難所生活中に撮った何本かのフィルムを長いことプリントせず“封印”していたのですが、同じ亥年を迎え、もうこれを出してきてもいいのでは、また後年の世代に記憶を記録として伝えていく必要もあるのではと思っています。
昨今はCDRに焼くという便利な手段もあり、はじめて日の目を見る写真ばかりですが、これも僕の沢山抱えている古い記憶のうちの一つとご理解ください。
それでは、1995年1月17日から1ヶ月くらいの西宮の、今でもつらい風景ですが、12年前のあの日を思い出してやってください。
後半1枚目は17日の夕方を迎えた我が家。すぐ隣に保育所があり、大阪での宿直から駆けつけた私はここでまず数人の子供らと再会、幸い私の家族は無事でその裏の幼稚園が避難所になり、そこに居てました。2枚目は避難所で最初の1夜を迎え疲れて煤けた顔で眠るわが子らです。
近所の写真から
門戸厄神の踏切で立ち往生した電車は編成途中で切られ道を開ける運命に。この先の国道の立体交差がぽっきり落ちてこの踏切に車が殺到しました。

近くの小学校校庭が自動車避難民の寄せ場に。ジャガーなんかがいるのが皮肉なものでこの辺らしいです。
2007 01/15 09:30:38 | 日記 | Comment(0)
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