男たちには判らない

2011年 03月 10日 の記事 (1件)


北摂という言葉が本来あらわす摂津の北は、京都との境から
兵庫県の一部のエリアまで含んでしまうのだが、猪名川流域に
拓けた町村がいちばん言葉的にもらしい雰囲気がある。

兵庫県の県都・神戸市は、摂津というと大阪を意味することを嫌ってか、
明治以降ひたすら旧国を廃することにつとめてきた。これが神戸の
新しさに通じるのであろう。

はるか上代から人が住み、中世には城下町であった大阪府池田市と
兵庫県伊丹市。南部に控える尼崎も城下町であったが海に面する港町の
性格もあり、やや言葉気風が異なる。
そうすると、北摂というと猪名川流域の、池田、豊中、兵庫県の川西、
伊丹、宝塚、せいぜいと箕面と言ったあたりが一番、気風が似ているの
ではないであろうか。

そのキーワードは、明治の終わりに一人の男が引いた鉄道による。
男の名は小林一三。鉄道は阪急電鉄である。
この間から、伊丹に行く用事があって行ってきた。
風景が随分変わったなと道を歩きながら、旧市街地の近くに
できた音楽ホールが、開館20周年を迎えたことも知る。

震災前のバブル期とその後の阪神大震災。25年程の時空間に、
日本は豊かさについてじっくり考える時間があった。
見かけの豊かさと、精神の空白と。
そういう時代の中で、比較的翻弄もされず、急速な人口流出も
なく維持しているこの都市群は、運がいいのかもしれない。
それは戦後の早い時期までに街の骨格が出来ていたこと、
最大の理由は交通インフラの要である私鉄が、小林の先見性で
もっと早い1920年代までに開通していたことが大きい。

さて、街の大切な機能に学校教育がある。
学校が無い街は発展が遅れるのは、昔の人ほど分かっており
熱心に誘致したものである。
伊丹と池田は学校も出来るのは早かった。
女性の教育にも熱心で、女学校はこのあたりでは大阪は池田
兵庫は伊丹であったという。

続く



2011 03/10 07:15:29 | 都市風景 | Comment(0)
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