男たちには判らない

2011年 08月 16日 の記事 (1件)


ある日。大学の鉄道クラブの掲示板にこんな質問がありました。

「笠岡はむかし、井笠鉄道の分岐駅で、1970年代の廃線後も
笠岡駅を出た辺りの高架道路の下に、昔の気動車が置いて
あったと思います。今はどうなっていますか」

私は最近まであったはずと、記憶を頼りに、これは一度
見て来なくてはいけないと、探偵ナイトスクープの探偵
よろしく、「岡部マリはいま?」じゃなく、「あの井笠の
軽便車両はいま?」とフットワーク軽く、岡山県笠岡市に
向かったのであった。




ありましたね! 山陽道をスズキアルトで数時間、途中ゲリラ
豪雨に遭遇したり、難儀もありましたが、疲れも吹っ飛ぶ
快感です。

この車両は、旧井笠鉄道の「ホジ9」といい、昭和6年に
梅鉢鉄工所で作られた機械式の元ガソリンカーです。
昭和30〜40年代まで、地方私鉄のうち、最もローカルな路線では
こういった旧式の気動車(非電化のディーゼルカー)が多く
走っていたのですが、今や昔の思い出です。
でも廃線後は、殆どの車両が廃車になり、解体され、展示された
運の良い車両でも屋外で朽ちて行きました。

高架道路の下という「屋根付き」保存であったことがひとつ。
あと、実は井笠鉄道の本社は展示場所の裏にあるのです。
ローカルの小企業が、穏やかな地方都市では鉄道廃止後も
その後40年以上も存続して、関係者が大切に保存してきたということが、
この「くるま」の奇跡に近い状態の理由なのではないでしょうか。

この展示保存場所のすぐ横には、笠岡港が物資の積出港で栄えた
時代の証人である商業建物が二つ、現在も痛んだ状態でなく
残っています。



手前の建物は、住友の化学肥料を扱っていた卸関係の
店のようです。



こちらは屋号に名前が入っていました。
「関藤謙治商店」。石炭、セメントに煉瓦、土管、
建設用資材の大問屋だったのでしょう。
木造の住友肥料の店と対称的な洋風の建築です。





2011 08/16 06:26:53 | 旅日記 | Comment(0)
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