男たちには判らない
高山線を岐阜から出発して、途中の鵜沼で私鉄線と連絡。
そこからしばらく、長良川に沿った風光が続きます。



このあたりをかつては「日本ライン」といいました。
それはドイツのライン川になどり、ローレライの伝説の
急流を偲んだのでしょうか。

今でも犬山城の天守閣から眺める風景は、無理とは言えませんが
中々いい。
しかし、旧制高校の時代は、ドイツ文学に憧れてみなゲーテに
親しんだものでした。(1920年代中心)



そうこうしているうちに、太田(美濃加茂市)の町並みが見えてきました。



岐阜を出て、昔の蒸気なら1時間。
中山道の宿場の情緒の濃い町です。
おや、ホームには駅弁売りもいますね。懐かしい!

早速降りて、町を探訪してみましょう。
駅前にはこれといった建物がないですが、少し回ると
ノリタケの名前のパーキングがありました。
ノリタケ=名古屋でなく、こっちが発祥なのかな。









町中には、古い木造の家がいっぱいあります。
私の現在住んでいる、池田駅前みたいです。



これは昭和の国道メインルートに面した銀行。



この家は前で何か売っています。
何だろう。



なぜか黄金色のビリケンさんもありました。



さて、このお家は何でしょう。
答えは銭湯。
いや〜、これは入ってみたい!



町中を歩いていると、住み着いた車のねぐらが気になります。
これはうらやましい、門のあるお屋敷。



さて、おそらく昔の町一番の分限者はここで
あったのではと思われる造り酒屋が残っていました。





御代桜といいます。
更にこの近くに元本陣と脇本陣がありました。
今残っているのは脇本陣だけで、見学した時に
写したのがこのお庭からの風景です。



電器屋さんには、こんなものが。



この看板は貴重です。岐阜はもともとS新聞が
弱いところなんだけれど。



さあ、先を急ぎましょう。



汽車が入ってきました。



駅弁を買って出発です。





美味しそうでしょう!
ここから太多線で中央本線の多治見に出ます。
これは、昔の中山道ルートです。

2010 11/15 06:16:20 | 旅日記 | Comment(0)
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