男たちには判らない
14:10 やっとのことで山間の接続駅、備後落合に到着。
この間約1時間半で51km。表定速度30km/h以下という
ところか。





今は無人駅だが、昔は陰陽連絡鉄道の接続点としてその名を
知られた場所でもあった。特に夜行の急行「ちどり」が
走っていた頃は深夜の2時台に上下の列車を扱い、駅員は寝ずに
深夜業務をしていた。もちろん駅弁や電報もあったのだ。







使うこと無くなり蛇口も撤去された洗面台。夜行列車の客が
眠れぬ顔を何度も洗ったことであろう。



ほどよい佇まいを残す昔の便所。



出雲横田のスイッチバックを越え、松江に向かう木次線をここで見送る。



昭和47年頃の備後落合をお目にかける。サンデー毎日のグラビアページから。





次の駅、比婆山。ちょっと神社仏閣風。



三次まで寄り添う西城川は江の川に合流し
山陰日本海にそそぐ。



昼下がりの備後西城駅。ヒデキ〜(すいません)



さて、車内には備後落合から乗り続けている鉄道マニアらが
進行方向に向かい一番いい席を相変わらずずっと居座っている。
彼らに非は無いのだが皆一様に時刻表とデジタル一眼レフを
大事そうに抱え、他者と話すこと無く地方公務員のように
カメラと時刻表以外に関わることなく乗っている。これじゃ
旅の楽しみって何だい!って言いたくなってきた。

もちろん彼らの言い分は「放っといて」「私らが悪いことで
もして?」と正当を主張されるだろう。でも彼らが書くブログは
何ら一往に変わること無く、車両と時刻と退屈な旅である。

そんな私の不満は偶然解消された。
庄原から向かい側に大学教授か高校の教頭風の男性が夫人と
乗って来られ、沿線の古代の歴史に就いて話題を広げておら
れたのに(少し無理に)加えていただいた。

出雲から中国山地に広がるたたら製鉄のこと、三次の地ビールと日本酒のこと
選挙区の亀井静香氏の動向、特に備後のこの地方で戦後、
プロレタリアート映画を作ったことの話題には深く頷いた。

実は西城には30年前に去った伯母が眠る。この伯母が嫁いだ
先の実家には戦前、特高に追われて亡くなった親戚があり
伯母のお産の手伝いに行っていた母はその際に土蔵に眠る蔵書を
随分読んだようである。

なぜ、備後の山中に赤い疾風が戦前吹いたのか理由はわからない。

ただ亀井静香も旧制中、高を追われ東京に逃れた者であり
そんな反体制の歴史があったのかもしれない。
静香の兄も広島でその兄の同級だった私の叔父も鬼籍になり
「なぜ」の問い掛けには誰も答えてくれない。

私の体の中には幼い日に聞かされた死せる社会主義者の魂が
多少入っているような気がする。
お笑いで一笑に付していただいて構わない。
しかし旅はこれだから面白い。

三次到着15:58。





先ほどの男性と夫人は「美味しい珈琲を飲みに」と降りられていった。
旅はまたひとりに。



ここからは広島まで快速列車。残念ながら急行「みよし」の
時代にキハ58に乗っていない。
17:28、夕凪のまち、広島に到着した。
明日は母と姉に逢う予定だ。



2009 08/28 08:16:47 | 鉄は直らない | Comment(0)
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