男たちには判らない
雨の車山を引き上げて、諏訪湖畔の国道に戻り、いずこからか
高速に乗って帰ることにいたしました。



前も後ろも隣もフランス車というのは、スゴく変です(笑)

この交差点を右に曲がると、まもなく上諏訪の町にでました。
ところが室内から町の風景を見ていると、気になる建物がチラリホラリ。



車内からデジカメで横着するより、これは降りてみる価値がありそうです。



木造3階建ての商店がありました。



1階部分。魚安食堂と書いてありますから、外食の珍しい時代2階や
3階部分は、旅のレストランとして、お客がいっぱいだったのでしょう。




この路地には町が開かれた時の記念の碑がありました。
諏訪製糸が明治末期に出来たことが刻んであります。



国道に戻り撮影を続けます。2、3階部の美しいモルタルビル。。



二軒とも同じ屋号マークで、三村貴金属と言う時計宝石店。
繁盛したので左が数年後に新築増設した店舗かしら。



ホームショップこもん 現在は日用品店



1階は婦人服および雑貨 2階はしゃれたカーテンがかかり
右の階段からあがる飲食店のようです。伴謙介歌謡教室の看板と
関係あり?



この2軒の間の路地。うーん奥が見えてたまりません。



山万の屋号が残っておりますが、イトウヤ電器店ともう一軒
お店が入るビル。3階部にテラスがあるようです。



2階建てのおそらく戦後派の薬のスズキヤ。
背後を見れば判るように、町の再開発ビルには味も素っ気も
ありません。この美しき街道筋はいつまで続くのか。



丸正、角屋遠藤青果店 今はヤマザキショップです
街角の一番の美人です。
ここのご主人に街角の風景が成立したのは、大正時代の大火の
あとであると聞きました。



角屋を含む国道筋の風景。どの店もあまり疲れた佇まいを
しておらず、清潔な印象が好ましい。



これはもしかして戦後かな。高島ビル 損保代理業だったと思います。



看板が見えない



左が信州味噌の事務所らしいです。
ゴルフ2がうまく入りました。



ドラッグストアの武田男性用化粧品の看板。
昭和30〜40年代か。




路地空間のクローズアップ1



クローズアップ2



こうして上諏訪をあとにして一行は、一路大阪への
長い旅路が始まったのでした。
旧道を分つ追分付近にて。











2010 12/12 10:41:56 | 旅日記 | Comment(0)
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