
今回はアマチュア無線・144MHz帯の聖地、
わが「
高須アマチュア無線クラブ」のシャック(無線常設場所)です。
ここは、高須アマチュア無線クラブの為に、当クラブの役員でもある
JG5KFN・城山さんが自分の設備を開放してくれているのです。
144MHz帯でのアンテナ設備は、もちろん高知でナンバー1!
おそらく
日本でもトップクラスの規模だと思います!!<legend></legend>
私の設備も、決して小さくはないのですが、高須に寄って家に帰ると、とても可愛く見えます。
わが「
高須アマチュア無線クラブ」には、県内局22名、県外局も北は北海道から南は沖縄まで、18名のメンバーがいます。
そして、メンバーの親睦をはかるために、毎月の誕生会と、年に3回、メンバー+県内外のフレンド局が集まって、牡蠣やウナギ、クエにタラバガニをメイン食材にした「
アイボール会(親睦会)」を行っています。
いつもは、約40〜50名の参加ですが、一番多いときには90名の参加者を数えました!

次は11月末の日曜日に予定していますが、今回も県外から沢山参加してもらえそうです!
...で、
タワーといえば...、ここを忘れてはいけません!
高知市の五台山・山頂にそびえる2基のタワー!
NHK高知放送局と
RKC高知放送のTV電波の送信塔です。
ある意味、高知市のシンボルです。

五台山山頂には、展望台があり、高知市街を一望できます。
高知市の展望ナンバー1!は、この五台山です。
以前アップした高知市の画像も、ここで撮りました。
その展望台のすぐ近くに、このタワーが建っています。
市内には、他の山にあと2基、民放TV局の送信塔があるのですが、並んで建っているのはここだけです。
東京タワーに比べれば、子どもみたいなものですが、ツインタワーってちょっとカッコイイでしょ?!
そして、そのタワーと展望台の間に、
高知県出身の内閣総理大臣第1号「濱口 雄幸(はまぐち おさち)」の銅像があります。

その風貌から「
ライオン宰相」と呼ばれた
濱口雄幸は、1870年(明治3年)に現・高知市五台山に生まれ、
東京帝国大学卒業後、大蔵省に入省しました。
専売局長官・逓信次官・大蔵次官をへて、1915に衆議院議員に初当選。
加藤高明内閣で大蔵大臣、
若槻礼次郎内閣では内務大臣を歴任しました。
「
立憲民政党」の初代総裁となり、
1929年(昭和4年)には首相となって、「ロンドン海軍軍縮条約」の調印を行いました。そして、1930年(昭和5年)、東京駅で狙撃を受け、翌年死去...。
同じ高知出身で、愛国公党や立志社を設立し、自由民権運動の先頭に立ち、日本初の政党・自由党を結成し総裁をつとめた「
板垣退助」をご存じですよね?!
そうです、あの旧100円札に描かれていたのが、
板垣退助なのです!
のちに第2次伊藤内閣、第1次大隈内閣の内相もつとめた、その
板垣退助も遊説先で暴漢に襲われ、刺されました...。
「板垣死すとも、自由は死せず!!」たぶん、「わしが死んでも、自由は死にゃあせんぜよ!」と言ったのだと思いますが...。
この名セリフは、あまりにも有名ですよね!?
あの当時は
国を良くするために、政治家も命がけだったみたいですね!!
