この「
いつたさま」には7月に行われる
夏の大祭と、11月に行われる
秋の大祭があります。
夏の大祭は夜のお祭りで、色とりどりの
絵馬が飾られ、ロウソクで照らされます。
秋の大祭は昼のお祭りで、ドンドンドンと
伊都多太鼓を響かせて、白装束に花笠、ピンクのたすきに帯を巻き、白塗りの化粧という出で立ちの太鼓叩き達が界隈を練り歩きます。
昔は、大太鼓が3つも4つもあったと思うのですが、最近は少子化の影響で太鼓叩きも少なくなり、2つの大太鼓を叩きながら練り歩くのがやっとです。
ほかには
ホラ貝や
鐘を太鼓に合わせて鳴らします。
御神輿と
榊を担ぐのは、白装束に烏帽子をかぶり、白塗りの顔に髭をかいた「
はくちょう」の役目です。
ちょうど、クワ・カブの世話をやり始めたときに近くで太鼓の音が聞こえてきたので、デジカメ片手に見に行きました。

そして、これが「
伊都多神社」です。

私が子どもの頃は、境内はもちろん沿道にも露店がビッシリ並んで、のど自慢大会や、芸能舞台もあり、それは賑やかでした!
でも時代の流れか、今では露店も十数件...。
とても寂しくなりました。
その日は、クワ・カブの世話の途中で、ちゃんとお参りにも行って来ましたよ。
そして、その日は「
貫之・時代祭り」も行われ、
紀貫之や
小野小町などに扮した約200人もの行列が、豪華で艶やかな衣装に身を包み、時代絵巻さながら、おごそかに市内を練り歩きました。
ご存じかと思いますが、
紀貫之は、あの有名な「
土佐日記」の作者であり、「
古今和歌集」「
新撰和歌集」の選者であり、
平安時代の代表的歌人であります。
延長8(930)年、土佐守として60才で土佐に赴任。以来、承平4(934)年までの5年間を土佐でおくりました。任終えての帰京の途すがら、道中のできごとを中心に、気楽なタッチの笑いの底に悲しみと憤りの心情をもって書きつづったのが『
土佐日記』です。
その、「
貫之・時代祭り」の一環として、紀貫之が寄港したといわれる地元の「
大湊・泊まり地跡」では、「
大湊・出航祭」として神事と稚児行列などが行われました。
(わが家のすぐ近くなのに、画像がなくて残念!せめて新聞記事で...

)

私の大好きな「
大湊小学校」は、この
紀貫之が寄港した地「
大湊」にちなんで命名されたのは、言うまでもありません。
