男たちには判らない
北摂という言葉が本来あらわす摂津の北は、京都との境から
兵庫県の一部のエリアまで含んでしまうのだが、猪名川流域に
拓けた町村がいちばん言葉的にもらしい雰囲気がある。

兵庫県の県都・神戸市は、摂津というと大阪を意味することを嫌ってか、
明治以降ひたすら旧国を廃することにつとめてきた。これが神戸の
新しさに通じるのであろう。

はるか上代から人が住み、中世には城下町であった大阪府池田市と
兵庫県伊丹市。南部に控える尼崎も城下町であったが海に面する港町の
性格もあり、やや言葉気風が異なる。
そうすると、北摂というと猪名川流域の、池田、豊中、兵庫県の川西、
伊丹、宝塚、せいぜいと箕面と言ったあたりが一番、気風が似ているの
ではないであろうか。

そのキーワードは、明治の終わりに一人の男が引いた鉄道による。
男の名は小林一三。鉄道は阪急電鉄である。
この間から、伊丹に行く用事があって行ってきた。
風景が随分変わったなと道を歩きながら、旧市街地の近くに
できた音楽ホールが、開館20周年を迎えたことも知る。

震災前のバブル期とその後の阪神大震災。25年程の時空間に、
日本は豊かさについてじっくり考える時間があった。
見かけの豊かさと、精神の空白と。
そういう時代の中で、比較的翻弄もされず、急速な人口流出も
なく維持しているこの都市群は、運がいいのかもしれない。
それは戦後の早い時期までに街の骨格が出来ていたこと、
最大の理由は交通インフラの要である私鉄が、小林の先見性で
もっと早い1920年代までに開通していたことが大きい。

さて、街の大切な機能に学校教育がある。
学校が無い街は発展が遅れるのは、昔の人ほど分かっており
熱心に誘致したものである。
伊丹と池田は学校も出来るのは早かった。
女性の教育にも熱心で、女学校はこのあたりでは大阪は池田
兵庫は伊丹であったという。

続く



2011 03/10 07:15:29 | 都市風景 | Comment(0)
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とつぜんですが、近松門左衛門のことを調べに、今日は尼崎に来ております。
同行はこの休日に、小生宅を訪問したので、急遽門人のように
着いて来てくれることになったぽち君です。



カーナビを頼りに辿り着いた所が、尼崎市久々知という所。
この一帯は尼の中心から外れた、山手幹線と五合橋線の交差
する国鉄の塚口駅から少し行った、旧田園地区でした。
周囲はこんな感じで、風呂屋の煙突に「新近松温泉」の文字が
見えます。


この近くに、広済寺という寺の中に墓所があり。現在はその隣
に近松記念館があるというので訪ねました。
それもこれも、2月に曾根崎心中のことでパネリストを引き
受けることになり、本日は下見と近松のお墓に挨拶にきました。



この背景の森が広済寺です。



この民家の塀には、こんな看板が!。このあたり、別に地名が
近松村でもありませんが、これには地下の近松も苦笑してそうです。



風呂屋に名前を付けた新近松温泉。「新」が「新諸国物語」
みたいですね。(あれは西鶴)

近松の里は静かな所で、他に見る所は少なく、私の家の近所の
池田にある伊居太神社と同じ名前の神社がありました。
こちらは「いこた神社」と読むようです。

さて探訪も短く終わってしまったので、ぽち君のススメで同じ
尼にある出屋敷に昔遊郭があって面白いというので、そっちに向かいました。



途中こんな建物や、



こんな船のような小学校

そして着いた所には、いきなりこんな超シブい大衆
喫茶がありました。



その隣から続いている商店街を見ました。これが入り口。




そしてなかはこうです。




これは凄い。殆ど時間が止まっています。
空いているお店も1、2軒でしたが、看板に
出ているお風呂屋さんは残っていました。



案外新しい外観です。



通りの裏側から見るとまたいい感じ。



路地って、良いものです。誰も見直さないけど
縁があればこういう所を訪ねてみたい。

通り抜けるとそこは阪神電車の出屋敷駅前でした。
ここには昔大衆演芸場が残っていて、無料券を
もらって、原田ヒロシという歌手の演芸ショー
を見たことを思い出しました。もう15年くらい
昔のことです。



そう、これが懐かしい天満座の跡です。
もうすっかり跡は無いものと思っていましたが
未だに残っていました。この中でおでんに熱燗の酒
飲みながら、演芸ショーを見たなあ。



このあと、少し出屋敷情緒を去り難く、近所にあった
ジャパンという昭和な喫茶店で小一時間、ぽち君と
世相談義。大人の男にはこういう時間が必要です。

この一帯は風呂屋さんが今でも多く、もうちょっと
暖かくなったら、軽自動車に乗って風呂屋さん巡りも
いいね!と思いました。

おまけ。

箕面の地ビールです。これがうまい。
ナンバのバー、キタヤマでよく飲んでいましたが、
土曜日に娘を箕面のピアノ教室に送って行き、近所で
ついに工場と直売所を発見しました。



今度はケース買いして、池田の家ではこれを飲んで
いようかな。
2011 01/24 06:23:20 | 都市風景 | Comment(0)
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あけましておめでとうございます。

昨年の暮れに、行った広島県三原市の糸崎という町の紹介をします。
この町には、大昔、鉄道の機関区があったり、興味を引く歴史がいくつも
あり、いつも通過する度に気になっていました。

今回の帰省でなく広島訪問はずっと在来線を使い、乗り換えの直前に
思いきってこの駅で降りて町を歩きました。
すると古い旧の湊の回りに思いもかけない歴史の痕跡を多数発見しました。



この唐破風屋根の着いた玄関を残す建物は何でしょう。
この玄関はある方角を向いています。その視線の先は。



こうなって、湊に入ってくる船を見ているのです。
この町にはこんな風景も。





正体を明かすと、これらは多分元遊郭です。松浜と呼ばれたこの地区は
江戸時代くらいから栄えた、港町情緒のある色町であったようです。
多分昭和の30年代前半で、役目を終えたこの町は廃墟もあり、傷みは烈しく
文化財にもならないと思います。
訪れる人もない港町の元遊郭を見ていると、過ぎ去った日の男と女の
愛と涙の物語りが伝わってくるようです。

さて、山陽本線はこのあたり、尾道にも似た、山と海に挟まれた小都市の
風景が広がります。



国道の高架の下をくぐれば、目線より高い所に鉄道の路盤が。



山側に上がればこんなに暖かな蜜柑の取れそうな風景が広がっていました。



丘の斜面には、海の見える古い墓地がありました。
死後の世界は普段考えないのですが、こんな所にお墓があったらいいなあと
思いました。




坂道を降りていくと、昔から気になる建物がひとつあります。



糸崎の洋館、そう勝手に名付けて10年以上になります。

最初は、電車が駅に入る一瞬手前にこの建物の屋根を見つけたときは
ドキンとしました。



その後何度か確かめて、国道と海のあいだに建つこの建物に今は
住む人がいないことも判りました。
しかし取り壊されることもなく、また、荒れていくこともなく
この建物はいつか、再び住む持ち主が帰ってくるのをじっと、
待っているように思えました。

2011 01/05 00:40:06 | 都市風景 | Comment(0)
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雨の車山を引き上げて、諏訪湖畔の国道に戻り、いずこからか
高速に乗って帰ることにいたしました。



前も後ろも隣もフランス車というのは、スゴく変です(笑)

この交差点を右に曲がると、まもなく上諏訪の町にでました。
ところが室内から町の風景を見ていると、気になる建物がチラリホラリ。



車内からデジカメで横着するより、これは降りてみる価値がありそうです。



木造3階建ての商店がありました。



1階部分。魚安食堂と書いてありますから、外食の珍しい時代2階や
3階部分は、旅のレストランとして、お客がいっぱいだったのでしょう。




この路地には町が開かれた時の記念の碑がありました。
諏訪製糸が明治末期に出来たことが刻んであります。



国道に戻り撮影を続けます。2、3階部の美しいモルタルビル。。



二軒とも同じ屋号マークで、三村貴金属と言う時計宝石店。
繁盛したので左が数年後に新築増設した店舗かしら。



ホームショップこもん 現在は日用品店



1階は婦人服および雑貨 2階はしゃれたカーテンがかかり
右の階段からあがる飲食店のようです。伴謙介歌謡教室の看板と
関係あり?



この2軒の間の路地。うーん奥が見えてたまりません。



山万の屋号が残っておりますが、イトウヤ電器店ともう一軒
お店が入るビル。3階部にテラスがあるようです。



2階建てのおそらく戦後派の薬のスズキヤ。
背後を見れば判るように、町の再開発ビルには味も素っ気も
ありません。この美しき街道筋はいつまで続くのか。



丸正、角屋遠藤青果店 今はヤマザキショップです
街角の一番の美人です。
ここのご主人に街角の風景が成立したのは、大正時代の大火の
あとであると聞きました。



角屋を含む国道筋の風景。どの店もあまり疲れた佇まいを
しておらず、清潔な印象が好ましい。



これはもしかして戦後かな。高島ビル 損保代理業だったと思います。



看板が見えない



左が信州味噌の事務所らしいです。
ゴルフ2がうまく入りました。



ドラッグストアの武田男性用化粧品の看板。
昭和30〜40年代か。




路地空間のクローズアップ1



クローズアップ2



こうして上諏訪をあとにして一行は、一路大阪への
長い旅路が始まったのでした。
旧道を分つ追分付近にて。











2010 12/12 10:41:56 | 旅日記 | Comment(0)
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ルノー5という一時代を作った名車がありました

ゴルフ1よりもさらに小さなコンパクトハッチバックで
FFのユニットをうまく活かしたパッケージング
愛らしい外観デザイン。ストロークのある独立サスペンション
そして一番の美点は、ふかふかのシートでしょう。



今回のフレンチブルーでは、生き延びている
初期型サンクにぞっこん見とれました。





そんなサンクと、数字ネーミングの最後となった19

これは16Sです。ホントは平凡な5ドアハッチに魅力が
詰まっているのが19の良さでしょう



でもやっぱりサンク!



1時間半ほど見歩いたのですが、雨は一向にやみ
そうにありません。だんだん気分も沈んできたので
帰ろうと思いました。

そんな時に見かけた4(キャトル)の結束の固そうな集団。
何か、よそ者を受け付けないようなバリヤを
感じてしまったのは、なぜでしょう。

同じキャトルでも、特に希少価値の高そうな2台が、
押し出すかのように、仁王立ちしている様に見えたから
でしょうか。



「キャトル村」には敢えて入らずに、通り過ぎて
こんな平凡なAXに癒されます。



さて、最後に写したのはこの1台。
これはどんなルノーだったかしら。



これはルノーがルーマニアで作っている
ダキアというクルマです。
ロガンというのが車名かな。
この車のオーナーとはお話をしました。
僕が2004年にルーマニアにいったこと。
つい数年前まで12を作っていたことは無論周知です。

奥様が綺麗な外国人だったと思います。
素敵ですね。
個人輸入で東欧の車に乗って、暮らしも
日本人的習俗から、距離をおいて。でも
フレンチブルーにこういう「外し」はありだと
思います。

           ◇

このイベントを見たのは今回だけですが、やはり
辛い採点をつけるとすれば、何も考えないでフランス車
を買った人が、期待だけで集まって来ているように
思えました。
その人たちの虚栄心を満たすだけで、このような
イベントが何の必要があるのかなというのが
僕の率直な感想でした。

気を悪くされたら、ご免なさい。
秋の信州というロケーションはやや陰鬱なところがあり
その中でフランスかぶれではしゃぐことは、何か
浮いてしまうように思えます。
一期一会を求めて毎年通うフランス車オーナーも多い
ことでしょう。
シトロエンXMあたりを乗り続けているようなミドルは特に。

ああ、これは大事なことだというような、感じ、
共有するコンセプトが、もっと前面に出ていれば、辛い
感想は残らなかったかもしれません。

何か大切なことが抜けているように感じられた
初めてのフレンチブルー訪問でした。


2010 12/12 06:33:32 | 旅日記 | Comment(0)
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2010年10月最後の日。
朝の伊那谷の鉱泉を、仲間と離れて旅立ちました。
ここまではクルマも快調。

高遠という絵島生島物語りで知られる鄙の町を
行き過ぎます。



そこから古い街道を通り、高い峠を駆け抜けて行きます。



これが峠の上から見下ろした茅野の町です。
こんな風に晩秋の霧にすっぽり包まれるのが
信州の山里風景なのでしょう。



こうして茅野市内から車山高原に向かいます。

この道はかなり前に850で来たことが有るのですが
季節が違い、秋の信州は鬱性な気候ゆえ、その上、高地に上がるに連れ
雨が霧のように降り始めて、車山に着くまでに時間もかかって
しまいました。

会場に着いた頃にはかなりの雨となり、降りてクルマ見物も
あまり気分が高揚していたのに、どんどんテンションが下がってきます。

まずはこんなところから。
初めて見たグリーンメタリックのGS



ごく普通にならんだフレンチスモールたち



11CV 驚かなくなったけど、これこそトラクシオンアヴァン シトロエン



SMです。ポップな人が普通に歩いていました



SMのグリーンが2台。実は3台続けて走ってきたのには
眼を疑うごとき。
綺麗な昆虫、甲虫のタマムシかカミキリが3匹
続けて飛んで来たと言えば、わかります?



やっぱりいい、フラットな水色のGS



ルノー8ゴルディーニが並んで



これ! タルボ・シムカ・ムレーナです。
もう一台黄色いのが帰る途中の所も目撃しました



商業車もこういうのがこだわってきています
これは最新のエスパスでしたっけ



新型トゥインゴもちらほら来ていました
でも違った.これはシトロエンC3でした



会場近くのホテル前に停まったシュペールサンク
画になりますね。一昔前のフランス車は



ちょっと古いプジョー2台 505と309 ともにGTi

2010 12/12 05:56:28 | 旅日記 | Comment(0)
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岐阜の旅から、まだ3日も経たない週末に、友人らの
フィアット124クラブの秋のツーリングがありました。



その旅行に入れていただこうと、今年も参加しました。
土曜日は朝から会議があり、昼からの出発です。
車窓には高速道路沿いの、近江路の秋の風景が広がります。



今回の旅の行く先は、伊那の宿です。

しかし、時間的に余裕が無いのに、翌日にできれば車山高原まで、
足を延ばしたいということで、無理を重ねました。

着いたのは夜の6時に伊那を降りて、目的地の高烏谷砿泉には
19時の宴会開始に間に合いました。



再会できた、お馴染みのメンバーたち。

しかし車を降りて停める時に、少しヒーターの臭いがしたところから
不安は始まったのでした。
2010 12/01 07:05:35 | くるま全般 | Comment(0)
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このうらぶれた旅館には実は秘密があるのです。





へへ〜、実は地下室があるのです。



ここの扉から入ると、喫茶スナック、アミーという
別室があるのですが、いきなり地下へ降りて行く階段が!



これは隣の建物。このあたりは明智の色町があったの
であろうか。

そして先程の建物の裏に回ってみると、



えっと、思う構造になっていました。

先程の1階部がこちらからみると2階に当たるのです。



そしてこんな空中通路が!!

昔の人を驚かせるには十分な、奇異な建物であった
ことが偲ばれます。

これが裏の1階入り口。この場所からもアミーに
入れます。と言うことで、ここが秘密の地下室でも
あるのだが、どうしてこういう奇妙な建築がつくられ
たのでしょう。

勝手な推理ですが、何か手入れでもあったり、具合の
悪い連中が顔を会わさないように、こっそり裏から
抜け出せさせたとか??

この2階通路もも面白い。
昨年紹介した宇治山田の麻吉旅館を彷彿させますね。



反対側からみた路地の全景

さあ駅へ急ぎましょう。



この看板には、笑ってしまいました。
「へぼ」って何だと思いますか?





この辺りで獲れる蜂の子みたいです。



いい感じの車庫の裏のオブジェ。




列車が到着しました。高校生でたちまち一杯に
なっていました。



名も無きローカル駅の、秋の暮れ。



列車は来た道を辿り帰ります。


この後は、恵那から中央線電車に乗ってまっすぐ名古屋へ。



あまりの名古屋の摩天楼ぶりに、見上げていると
目眩がしました。





お土産に買った明宝名物のソーセージをかじりながら
飲んだワインが利いてきたからでしょう。

このあとも在来線で帰っていきます。
実際は米原から、さすがにだるくて新幹線、
新大阪まで寝てしまい、京都から私鉄の予定が
うんとかかってしまいました。

年と体力の無さには勝てません。でも突貫にしては
ちょっと良い旅でした。

それでは皆様、おやすみなさい。





2010 11/21 23:05:33 | 旅日記 | Comment(0)
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いきなりこんな心臓に悪い急な石段。
明智に着きました。
駅から歩いていると、まもなく着いたのがここ。
八王子神社です。こりゃ砦か城ですね。



麓はこんな感じ、サア歩きましょうか。







日本じゅうによくある古いだけの町の一つなのだ
けど、評価のむずかしいところです。

で、こんなものをみつけては、にやり。
アルト47万円



もう少し歩いていると、現役の「化石」を発見しました。



これはブルーバード910の後期型ですね。
FR時代のほぼ最後のヒット作でした。



製材工場



街角の風景



同じく 木目がきれいです



元の商家



旅館が残っています。山奥の明智から、どこへ
行ったのであろう。



その玄関部

写真を撮っていると、先ほどのブルーバードが
ゆっくり坂を降りてきました。



走り去る80年代







2010 11/19 05:44:50 | 旅日記 | Comment(0)
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太田(美濃加茂)を出発して非電化の太多線という
バイパス的な亜幹線に乗りました。

途中の可児なんて、面白い名の町では名鉄とまた接続。
可児才蔵のふるさとですが、カタカナで書くと
またハイパーメディア好きな歴女のターゲットみたいで
おかしいです。



中央本線多治見から、セントレア特急みたいな
ホームライナーに乗り中津川方面へ。
「しなの」とは違った最近の都市間有料高速車輛の
ようです。

土岐や瑞浪といった瀬戸物の町を抜け、恵那で降ります。
ここから明智鉄道に乗るのが目的なのですが、恵那市も
中山道の宿場町、大井でありました。



ここはマイナーです。でも1時間あれば歩いて写真を撮る
何か面白いモノ無いかな。



川がありました。川と橋があれば渡ってみる。
旅人の基本ですね。



そうすると、ご覧のような風景が。





今回は、小さな発見ばかりですが、タバコ屋兼郵便物を
扱う店の手前のオブジェと謂れについての案内から。





そうこうして、踏切で列車写真を撮るうちに
明智鉄道のレールカーが入ってきました。





2010 11/17 06:59:50 | 日記 | Comment(0)
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