あまり知られていない長野県の南信州、木曽南部のご紹介をします。
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かざこしサイト 私は私亡き後、母の老後のために死亡保険を掛けておいたのですが、その後もインターネット、電話、テレビで盛んに勧誘宣伝しています。
それに掛け金も安くなってきているようです。
と言うことは自分たちの老後に不安を感ずる人たちが増えているのではないかと思われるのですが、いかがなものでしょうか。
普天間基地、消費税、TTP、すべてにおいて不安定な現在を反映しているのではないかと思われてなりません。
今度の総選挙、この不安定さを払拭できる方向に動いてもらわないと大変ですね。
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かざこしサイト フィットネスクラブでテレビを見ていましたら、東京駅がリニューアルオープンしたとのこと。
懐かしい東京駅です。
まだ学生時代だった頃、日本橋で家庭教師を数年している時、東京駅は乗り降りの駅でした。
その頃でもかなり年期の入った駅でしたが作りは3階建てであることを除けばほぼ同じで懐かしかったです。
もう一つ懐かしかったのは、お隣の大学の女子寮との東京一周40キロ合同ハイキングで東京駅が経路に入っていて東京駅で隊列を揃えた思い出の地でもあります。
その他晴海への通り道であったり懐かしい限りです。
日本人なら修学旅行を含めて一度は通った駅ではないでしょうか。
日本食堂も懐かしい名前でした。
いつまでも大事に保存しておいてほしいですね。
来年の日本一周の時にはじっくり見て来ようと思います。
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かざこしサイト 台風が通り過ぎましたがニュースをフィットネスクラブで見ていて思ったのですが、潮岬だ串本だと言う言葉が出て来ましたが昨年紀伊半島を旅行して各地を実際足で回っておいたので頭にイメージできました。
よく種子島のロケット発射場のニュースが見られますが、種子島も数年前に行って来たのでニュースを聞くたびに現地をイメージできます。
小笠原諸島、青ヶ島、国内だけではなく外国にしても同様です。
人間の知恵はたくさんの知識や経験が綾なす産物ですから、若いうちから旅をたくさん経験させておくことは当人にとってばかりでなく社会にとっても効果があることと思います。
修学旅行として小中高の節目の時期に旅をさせると言うこともこういった考えにつながっていることと思います。
こうして見ますと65歳を過ぎた私たちが日本一周や世界一周クルーズに出かけてみようと言うことはあまり価値がないのではないかと思われるのですが、日本の場合は若い時、頑張っておけば、そのご褒美に定年退職後は悠々自適な生活を送れますよと言う仕組みになっているので上手く機能しないのではないかと思われます。
平均余命まだ19年もあると言うことですのでこの時期に活用させてもらおうかと思います。
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天龍峡の信州おお蕎麦祭りは今年は期間が長く、またたくさんの催しも開催されるので全部見るのは大変だと思うのですが、一回で最もたくさん見られる日はいつか探してみました。
結論から言いますと蕎麦祭りは10月に入りますと毎週土日祝(10月21日22日11月3日4日は除く)11日末まで。
その他のイベントは11月21日には、船大工名人 匠の技による川舟製作実演、 帆掛け舟展示、 天龍峡軽トラ市、特別リバイバル「天龍川上り船」等々朝9時半から15時まで天龍峡温泉観光案内所内、前の広場、天龍ライン下り駐車場、港内で催されます。
お蕎麦は天龍峡花の里(天龍峡インターチェンジ隣接地)11時〜14時ボニーからよさこいソーランまで多彩な催事が計画されているようですので期待してお越しいただきますようお願い申し上げます。
詳細に尽きましては、天龍峡温泉観光協会ホームページと龍峡亭ホームページからブログのページにお入りいただきますようお願いします。
私は上り船を是非とも見ておきたいので21日にはなんとかして行きたいものだと思っています。
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かざこしサイト 昨日ホトショッププレミアム11を見にパソコンショップに行って来たのですが、ビデオカメラから、大きな編集をしないでユーチューブにアップするのが目的ならもっと安いソフトがありますとのこと、半値以下でありました。
こういうことがありますから耳目を緊張させて情報収集に当たらないと大損をしてしまいます。
ついでに最近のビデオカメラの情報をと思いビデオカメラのコーナーを見ていたらなんとF値1.0。
数年前今所有のビデオカメラを買った時はF値2.0が最高だったのですが驚きです。
1ルックスまで撮影出来ると言うのですから、ろうそくの灯りでもって撮影出来ると言うことでないかと思うのです。
ろうそくの灯りで撮影したのは学生時代白黒フィルムで露出時間を確か1秒ぐらいに設定して、現像する時、露光時間を長めにしてなんとか見られる写真に仕上げて以来です。
F2.0でもすごいなと思ったのに進歩の素晴らしさには敬服します。
一眼レフカメラのレンズを買おうものならレンズだけで数十万円はするのではないかと思います。
とにかく、いろいろな所に出かけて情報収集に当たらないと時代遅れのおじいさんに成り下がってしまいますので大変ですが、楽しみでもあります。
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自民党総裁に安倍さんがなったと賑やかですが、自民党の方々、安倍さんがアメリカ訪問直後に入院、退陣に追い込まれたことを忘れてしまったのでしょうか。
当時は従軍慰安婦問題で揺れていて、国内向けには国や軍隊が従軍慰安婦問題に関わった証拠は無く、慰安婦になった人たちが自発的に応募したのだと強弁し、アメリカをはじめ対外的には河野談話を継承しますと二枚舌戦略で対応しようとしていたのが、帰国の談話で行き詰まって、あの時の表情今も忘れられません。
激しい瞬き、歪んだ口元、テレビでは、精神鑑定士のような人たちが出て来てあれやこれやの解説。
とてもヒットラーのような、嘘も百回言えば真実になると言う力強さは感じられませんでした。
そうしたら入院とのこと。
こんな人が次期自民党の総裁になり、総選挙に勝てば日本の首相になるのです。
こういう人と国民に平気で嘘を言う野田さんがカルト集団と手を握り三党合意で国を動かしたらどうなるか。
皆さん想像して見てください。私は恐ろしい日本の将来しか思い浮かびません。
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かざこしサイト 昨日母の次の老人ホームの件で辰野に行って来たのですが北の方に行くに従って田の中でコンバインの音が賑やかになってきました。
お昼近くなってくると田んぼのあぜで数人がお弁当を広げているのが見られて、私たちの小さい頃を思い出させました。
田植えと稲刈りは農家に取って大イベントで親類中はもちろんご近所の人たちも頼み、いわゆる結いで作業をしたものです。
それにしても福島原発で汚染された広大な地域の収穫はどうなることか心配ですね。
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稲穂が色づき、少しずつ秋らしくなってきました。
秋の天龍峡はすがすがしく気持ちが良いです。
リンゴ狩りには早すぎますが、今年は初めて長期間に渡り信州大そば祭りが開催されるようです。
詳細は天龍峡温泉協会や龍峡亭のブログをご覧いただくかして広大な蕎麦畑の中で、お蕎麦を頂き、その後無料足湯などを楽しんでご家族団欒で日ごろの疲れを癒やす。良いですね。
我が家にはもう子供はいませんが老夫婦二人で期間が長いので期間中に一回は行って来ようと思います。
でももうじき一歳を重ねると思いますと寂しいものもあります。
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9月も終わりに近づき大分過ごしやすくなってきました。朝方は半袖では寒いくらいです。
やらなければならないこと、やりたいこと山のようにあるのですが、なかなか思うようには行かないものです。
しかしFP試験後の総括に基づいて作った目標やスケジュールには沿って事は進めているのでこれ以上は入りません。
私の能力が今以上に向上してくるのを待つばかりです。
上手く行かないのは、人間相手の母の老人ホームの交渉のみです。
今日は飯田市の市役所に行き新しい施設の妥当性について相談して来ようと思います。
どうなることか。
しかし、朝起きてニュースを見て朝食、昼までインターネットで午後は図書館とフィットネスクラブ、夜は晩酌でばったん休と言う生活よりは緊張感があって良いかもしれません。たぶん良いと思います。ものは考えようだと言うことも有りますから。
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かざこしサイト 民主党代表選で野田さんが代表となったと言うことですが、ラジオで聞いていたところ民主党の地方票の三分の二が白票であったとのことです。
インターネットではこのことをさらに分析してこの白票は小沢さんを指示すると言う意志表示だと言っている人もいました。
政権交代して早3年が過ぎ、日米同盟基軸勢力の巻き返しは民主党内のトロイの木馬勢力を駆使して最早立ち直り不可能なほど民主党をぐちゃぐちゃに崩壊に至らせるほど成功したものと思います。
しかし、政権交代まで戦後60数余年かかっていることを考えると、そう簡単に新政権を安定化させるほど日米同盟基軸勢力は甘くないでしょう。
私が学生だった頃、CIA要員は学生サークルに一人以上はいると言われていました。
戦時中であっても日本の地形を徹底的に調べ上げ、戦後アメリカ軍は隠された武器押収のためきわめて精密な地図を持って村人に案内させたそうで、その地図を見た村の幹部はこれは戦時中もアメリカのスパイが暗躍していたなと驚いていたとのことです。(母からの話し)
戦争に勝つためには敵状を正確に知ることは必須のことですから(孫子の兵法)貧乏だった私たちのご先祖様の中には心ならずもスパイに身を落とした人もいたことでしょう。
闇米に警察官でも手を出していたと言う話しもあったぐらいの時代であったのですから有り得る話しです。
しかし、あの頃は戦争反対、この戦争は負けるかも知れないと言っただけでも、国賊だ赤だと言われて取り締まりを受けると言う時代でしたが今は表面的にしても一応は言える時代です。
またあの頃は大本営発表、大政翼賛報道の時代でしたがそれに比べたら大分変わってきました。この利点を十分活かして私たちの生活と明るい未来を子孫に残していけるようにしたいものだと思います。
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