思索に耽る苦行の軌跡

カテゴリ[ 哲学 文学 科学 宗教 ]の記事 (263件)

たまゆら、私は奴のその存在をほんの僅か感じただけであったが、確かに奴は私の背後にゐたのは間違ひないことであった。奴は私の視界の境に何度か現はれては消えることを繰り返した後、私の虚を突く形で不意に私の背後に奴は現はれたのであった。それが奴の《他》に対する時の礼を尽くした作法なのであらう。





私も奴の礼に応へる形で後ろを振り返ることはせずに、唯奴のその仄かな存在感をじっくりと背中で堪能したのであった。それが奴に対する私の最高のもてなし方だったのである。さう思へたのは奴が私の正面ではなく背後に現はれたことで全てが語り尽くされてゐた。つまり、奴は私との対面は嫌ってゐて私の背後にしか現はれることが出来なかったのである。多分、奴は今尚自分の面を持つに至ってゐないのであらう。





しかし、奴の存在について私が何の疑念も抱かずに奴の存在を認めてゐることを吾ながら訝しく思ふでもないが、しかし、私が奴の存在を認めなかったならば一体誰が奴の存在を認めてやるのか甚だ疑問である。奴は確かに此の世に存在してゐる何かなのであった。多分、奴は《邪鬼》として何処にゐても忌み嫌はれ、未だ存在に至らざる何ものかであったのは間違ひないことであった。そんな奴であったからこそ私は奴の出現を許したのであった。だが、実際奴が私の背後に出現してみると私にはある疑念が湧いたのであった。それは奴が私を喰らふといふ疑念である。最初、たまゆら私の背後に出現した時点では私の腹は決まってゐなかったのである。つまり、奴が私を喰らっても私は別に構はないのかどうかといふ覚悟が私には出来てゐなかったのであった。しかし





――別に奴に喰はれてもいいじゃないか! 





これが私の結論であった。





――奴が私を喰らって仮初にも私の面を被らうが別にいいじゃないか! 





 多分、これが私に出来る唯一の自己変容の形、若しくは私の流儀であったのかもしれぬ……。





――ほら、また奴が私の背後に出現したぞ! 













俳句一句





秋雨の 煙る景色に 吾も消ゆ





                   緋露雪

2008 11/08 03:33:24 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――神か……。神は何故生命を多様なものとして此の世に創造したのであらうか……。





――人間を試してゐるのか? 否、存在を試してゐるのか? 





――何故試すのか? 





――神ならば此の世の全存在物の呻き声、それは例へば「吾は何ぞや」「吾は何故此の世に存在するのか」等の呻き声を知らぬとは言はせぬ。例へば「何故吾は奴の餌となるのか」等の呻き声を聞いてゐる筈だ。神ならば「何故吾は奴に弄ばれて嬲り殺されなければならないのか」等の呻き声を知ってゐる筈だ。それにも拘はらずだ。神は今も存在物を生滅させ続けてゐる。それは何故だ! 





――生々流転……。





――それでも神は吾に此の世の森羅万象を承認せよと言ふのか! 





――もしや吾吾は神に弄ばれてゐるだけなのか! 解からぬ! 





と、其処でまた一つ思考の小さな小さなカルマン渦は霧散したのであった。彼は眼前に拡がる無限を誘ふ闇を相変はらず凝視するのであった。するとまた一つ小さな小さな淡く輝く内発する光点が彼の視界を右から左へとゆらゆらと横切るのを見るのであった。闇はそれがどんなに薄っぺらな闇でも何処まで行っても闇の深淵であった。其処から這ひ出す術など彼にはなかったのである。見渡す限り闇であった。





――悪意に満ちた宇宙の全史……。





――悪意に満ちたか……。何故さう思ふ? 





――存在は存在させ、非在は存在させぬからだ。





――確かに存在が存在するといふことは悪意が満ちてないと出来ないな。しかし、非在が存在しないといふことに悪意はあるか? 





――非在は何時でも存在に取って代はるべくその時をじっと息を殺して窺ってゐるんだぜ。





――存在が存在することで非在を非在たらしめてゐるのか……。





――存在は非在に、未出現の非在物に呪はれてゐる。「早く吾にその存在の席を譲れ!」と。





――呪はれてゐる? 例へば人間一人存在するのにどれだけの精子と卵子が死滅したのか人間は解かって生きてゐるのか。





――簡単に生者は自殺するしな。





――ざまあ見ろだ! 





――確かにこの宇宙は悪意に満ちてゐるぜ。ふっ。また一人死んだぜ。ちぇっ、他を貪り喰らって生者はのほほんと生きてゐやがる。





――例へば一つの存在物が存在してしまったことで、その影で無数の存在出来なかった非在物が泣いてゐるんだとすると、存在はそもそもからして呪はれてゐるな。





――存在物はそれに気付いてゐながら知らん振りを決め込んでゐやがる。





――へっ、だってさうじゃなきゃ、存在してしまった《もの達》は一時もその存在すら出来ないぜ。





――それにしても存在する《もの達》はその事に余りにも無頓着過ぎるぜ。挙句の果ては己の生は己の自由だとぬかしやがる! 





――へっ、それだって構ひやしないぜ。どうせそんな奴は非在に呪ひ殺されるのが落ちさ。





――ふっふっふっふっふっ。非在に呪ひ殺されるか。はっはっ。





――ちぇっ、そいつ等は詰まる所行き場を失って自殺するしかないのか? 





――へっ、当然だろ! 自ら命を絶って非在の仲間入りをして《生者》を呪ふに決まってら。





――ふっふっふっ、自殺も《生者》の《自由》だものな。





――ちぇっ、そもそも生は泡沫の夢か? 





――仮に宇宙が悪意に満ちてゐるとするならば、生は泡沫の夢ですらない! 





――するとだ、生が泡沫の夢ですらないとすると生とは一体何なのだらうか? 





――一時、此の世に現はれて直ぐに消えてしまふカルマン渦の一種さ。





――またカルマン渦か……。





――《個時空》は知ってゐるな。時の流れの上に明滅する生命の若しくは存在のカルマン渦を。





――そして外界といふ《過去》にぽつねんと《現在》たる《主体》が渦巻となって抛り置かれカルマン渦となって《存在》する。そしてその《主体》は《有限》故に《死》を生まれながらに原罪の如くに内包してゐる。





――さう。《個時空》はそれ故に《孤独》だ。周りはすべて《距離》の存在する《過去》だからな。





――《個時空》が動くと外界は仮初にも無限遠を中心とした《時空間》のカルマン渦を巻き始める。その時の孤独といった何とも言へない程深い……。





――やはりこの宇宙は悪意に満ち満ちてゐるぜ。《主体》は未出現の、また無出現の非在に呪はれ、その上に絶望的に深い孤独の中に閉じ込められてゐるんだからな。





(五の篇終はり)









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2008 11/03 02:15:57 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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俳句一句





 朔風に 身を曝しての 夢現





                      緋露雪









和歌一首





ぼんやりと 時を過ごして 彼岸に踏み入る





    その吾 さて 何を見出したのか ふっ









                                          緋露雪









詩 一篇





「憂き身」





何を思ふてか





不意に笑ひが吾が内部から迸り出たのだ





だからといって私が吾を許したことにはなるまい





とはいへ私は独りぽつねんと此の世にその憂き身を曝して





生きる覚悟はとっくに出来てゐると思ってゐたが





どうやら私は未だ吾に未練があるらしい





可笑しいだろ





それこんな時は吾を笑ってみるのだ





これが唯一私に残された清廉なるその生き姿なのだ





あの吾が肩に撓んだ蒼穹を私は独りで支へるしかない





しかも直立不動の立ち姿で





とはいへ私は独りぽつねんと此の世にその憂き身を曝して





生きる覚悟はとっくに出来てゐると思ってゐたが





どうやら私は未だ吾に未練があるらしい





哀しいだろ





それそんな時は吾を笑ってみるのだ





――ぷふふぃ。









ほら其処に逆立ちした儒の吾が私の影から逃げようとしてゐるぜ





私はそいつをひょいっと摘まんで喰らったのであった





――苦い! 





今も儒の吾が私の内部で笑ってら





――ぷふふぃ。









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2008 11/01 03:20:58 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――全存在は己が死すべき存在であることを知ってゐる……。



――それは人間の専売特許じゃないのかい? 



――否、全存在は己が死すべき存在であることを知ってゐる。



――だから子孫を残すのだらう。



――さうかもしれない。しかし、それ以前に全存在は己が死すべき存在だと知ってゐる。お前には存在のあのざわめきが聞こえないのか? 



――ざわめきだと! どうやらお前は幻聴が聞こえるやうだな、へっ。



――けっ、だからお前には何も解からぬのだ。全存在は「吾何ぞや」と呻き声を発しながら絶えず何かに変容することを渇望してゐるじゃないか! 



――何かに変容する? 



――さうさ。完全なる吾への変容さ。



――へっ、完全なる吾だと、こいつは可笑しいぜ。お前が言ふ完全なる吾が唯の一度でも此の世に存在した形跡はあるのかい? 



――神はどうかな? 



――ぷふぃ。神だと。神もまた神であることに我慢してゐるのじゃないかね。創造主としてものを創造してしまったことを後悔してやしないかい? 



――神が後悔する? 



――後悔してゐないとすれば、生物の、或ひは物質の多様性なんぞそもそも必要ないじゃないか! たった一人、完全なる吾なる存在を創造すればそれで神も創造物も満足なんじゃないのかい? それが出来てゐない以上、神もまた迷妄の中に迷ひ込んでしまってゐるのじゃないかね。



――創っても創っても完全なる吾たる存在物が出来ない神か……。



――そもそもお前は神を信じるかね? 



――ある意味では信じてゐる……。仏も同じだ……。



――さて、それはどうしてかね? 



――今もって科学では生体の何たるかを微塵も解からぬからだ。今もって科学は無機物から生物を創れぬからだ。



――……つまり……



――つまり、科学では神の撲滅は不可能だからさ。



――それは何故かね。



――つまり、科学は神の良き下僕でなければそれは既に科学ではない! 



――それは偏見ではないのか! 



――偏見でも構はぬ。しかし、科学はどうあっても神の忠実な下僕でなければ、それは最早科学なんぞではなく、未完成の吾の欲望の発露でしかない。



――それはまたどうして? 



――神が創った此の世が今もって承認出来ないからさ。



――此の世が承認出来ないことと科学とはそもそも関係ないのじゃないかい? 



――否! 科学が描き出す此の世の様相もまた承服出来ぬのだ。お前ははいはいと今現在科学が描き出し、また実現するこの文明社会を承認出来るのかね? 



――うむ。その判断は保留する……。今のところ何とも言ひかねるね。



と、不意に彼は其処で瞼を開け、眼前に拡がる闇を凝視するのであった。闇は黙して何も語らぬ。それ故に問ひを誘ふのであった。



(四の篇終はり)

2008 10/27 03:44:10 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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夜の闇に ぽいっと吾を 捨ててみる



      いっひっひっあっはっはっと 笑ふは誰ぞ





                             緋露雪









2008 10/25 01:46:45 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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 再び思考の小さな小さなカルマン渦が五蘊場に点ったのであった。



――他がなければ吾もなし……。



――すると他とは何ぞや。



――吾でないもの……。



――吾でないと何が判断してゐるのか? それは吾か? 



――免疫の段階ですらも非自己なる判断を吾はしてゐるが、吾はその総体としての吾……なのであらうか? 



――免疫か……。免疫制御機構に異常があると自己に対しても免疫は発動し自己を攻撃する……。



――それって自虐のことか? 



――自己が自己に対して攻撃し、破壊するといふ皮肉。



――それって皮肉か。自己が絶えず行ってゐる行為じゃないかい? 自己憎悪なぞ当り前のことじゃないのかい? 



――するとお前は免疫制御が吾の何たるかの淵源だといふのか。



――吾の一つの発動の仕方だ。『奴は敵だ! 敵を殺せ! 自己を防御せよ!』これがいつも自己のお題目じゃないのかい? 



――免疫によれば他はいつも攻撃する対象だが、しかし、自己は他なくしては生きられない。



――他を喰らはずしては一時も生存出来ない。



――それに水無くしてはな。



――そもそも水が受け入れないものは生物としての組成成分としてはあり得ないのじゃないのかい? 



――するとお前は水が吾の淵源だと? 



――それはどうか解からないが、しかし、一つの考え方ではある。



――けっ、水が諸悪の根源か! 生物が存在してゐるのは水の気まぐれか? 



――うむ。多分、水の気まぐれだらう……。



――初めに水ありきか……。



――初めに水ありきだ。



――水もまた思考する。



――水思ふ、故に吾あり……か……。



――けっ! 



 瞼を彼はゆっくりと再び閉ぢたのであった。見えるは瞼裡の闇ばかりであった。すると突然頭蓋内の闇に



――単細胞



といふ言葉が浮かんだのである。



――単細胞生物は現在も立派に現存する。



――多様性の問題か……。



――うむ。単細胞生物から人間まで現存する生物の多様性……。



――すると生物の進化とは何ぞや。



――へっ、人間は、さて、進化の頂点に君臨するのか? 



――そんな馬鹿な! 



――現存する様々な種は現存するそのことだけでも進化の最先端にゐるぜ。



――お前は単細胞生物から多細胞生物へ、そして最終的には人間まで進化してきたといふ進化論の見方を否定するつもりか? 



――いや、さうじゃない。確かに人間への進化はその様な過程を辿って来たのだらうが、しかし、単細胞生物が今も厳然と現存する事実をお前はどう思ふ? 



――多分、多細胞生物が絶滅してもまた単細胞生物から出直せる余地が今も残ってゐるといふことかな。



――さうさ。生物の多様性といっても、どの種もいつも絶滅といふ危機に曝されてゐる。生息環境の激変に順応出来なければその種は絶滅する。しかしだ、単細胞生物が現存してゐることを考へると、生物は絶えず新たな種の誕生を準備してゐるのじゃないか? 



――しかし、一度絶滅してしまった種は二度と此の世に現はれることはない! 



――だが、新種が生まれる余地はいつも残されてゐる。更に言へば、進化の最先端にある現存する全生物は、全て未完成だ。何故なら激変する生息環境に適応する余地を残してゐなければならないからだ。例へば生物に変容する余地が残されてゐないとすると、それは全生物が唯絶滅を待つ老成した完成品ばかりの世界と言へる。ちぇっ、そんな世界は全剿滅を待つだけのぞっとする下らない世界さ。



――すると、お前は生物といふ存在は未完成でなければならないといふのか! へっ、存在の懊悩は底無しだな。



――存在の懊悩? 



――さうさ。完成品でない存在は絶えず変容することを強要される。すると、必ず自己とは何だとその懊悩は始まるもんだぜ。



――我執……。存在は何としても己が己でないと我慢がならぬ存在だ。しかし、また己が己であることに我慢がならぬ誠に誠に身勝手極まりない存在でもある。その己はといふと絶えず別の何かへの変容を恋ひ焦がれ渇望して已まない存在だ。何とも始末が悪いが、しかし、さうじゃないと一時も生きてゐられぬものだ。



――へっ、それはまやかしさ。存在は己が己であることに安住したがってゐるだけのことさ。己が全的に己であれば存在はそれで大満足だよ。



――さうだとすると、後は絶滅を待つだけだな、へっ。



――この宇宙は、さて、悪意に満ちてゐる……。お前には聞こえないのか? 存在どものうめき声が! 存在はそれが何であれ吾何ものぞと自問自答を徹底的に繰り返さざるを得ないぎりぎりのところで存在してゐるものさ。



――ぎりぎりのところ? 



――さうさ。ぎりぎりのところさ。存在は絶えず死滅に曝されてゐる。これってぎりぎりのところじゃないか! 



――死の恐怖か……。



 すると彼の視界の端から一つの星のやうな小さな小さな光点がゆらゆらと彼の視界を横切ったのであった。



(三の篇終はり)


2008 10/20 03:40:31 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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月影に 吾見失ひ 久しかる 



         分け入っても 在るは濃き闇



                   緋露雪
2008 10/18 16:51:00 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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 この茫洋と何処までも拡がり行くやうに思へる闇をじっと凝視してゐるとこの闇全体が彼の五蘊場であるやうなある錯覚へと彼を導くのを彼は感じずにはゐられなかったのであった。



――主客の渾沌……。



――吾が呼んでゐるこの吾とはそもそも何の事なのであらうか。



――へっ、吾思ふ、故に吾ありか、けっ。



――cogito,ergo sum……。



――自然もまた思考するんじゃなかったっけ? 



――すると、思考する故に吾あり、か? 



――その思考する吾とはそもそも何ぞや。



 彼は再びゆっくりと瞼を閉ぢて自身の闇の頭蓋内を覗き込まうと敢へて視線を内界へ向けるのであった。しかし、そこで見つかるものなどある筈もなく、彼は唯途方に暮れるのが関の山であった。すると再び思考の小さな小さなカルマン渦が五蘊場に明滅するのであった。



――何もありゃしない! 



――へっ、そんなことは初めから解かってゐたことじゃないか、へっ。



――それにしてもだ、これじゃ酷過ぎる。



――吾は何ぞやなどと自問してみたはいいが、その吾が何の事はない、唯の木偶の坊じゃ、仕様がないぜ、ふっ。



――それでも、木偶の坊であったとしてもだ、この俺は此の世に存在してしまってゐるんだぜ。



――だからどうしたといふんだ、けっ。



――ちぇっ、この存在め、何処かへ消えて無くなればいいんだが、ちぇっ。



――はっはっ、最後は尻尾を巻いて降参かな? 



――ちぇっ、それにしてもだ、何故吾は存在してゐるんだらうか? 



――へっ、それは禁句じゃなかったかな、何故って言葉は! 



――それでも問はずにはゐられないんだ。何故吾は存在してゐるんだらうかと。



――けっ、存在証明が欲しいのか? 



――いや、そんなことじゃない! 



――言っとくが、お前は唯の不純物が混じった水じゃないのか? 



――不純物が混じった水? 



――だってさうだらう。お前の七割程は水で後は有機物といふ名の不純物。



――つまりは海水の成分に近いってことか? 



――けっ、水が吾は何ぞやと問ふて可笑しくないかい? 



――自然もまた思考する……。



 ここで思考の小さな小さな一カルマン渦は飛散したのであった。彼は閉ぢてゐた瞼を其処でぱっと見開き、再び眼前の闇を凝視したのであった。



 何処も彼処も闇であった。闇は何故思考を誘ふのであらうか……。



(二の篇終はり)


2008 10/14 05:09:01 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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十三夜 煙草喫(の)みつつ 吾を追ふ



               緋露雪


2008 10/11 17:43:14 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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 悪戯な夢魔に襲はれた彼は、宇宙に数限りなく存在し、今も生成し続けてゐるであらう銀河のその中心部たる巨大Black hole(ブラックホール)の事象の地平面へ、今も星星が砕け滅し断末魔を上げながら飲み込まれ行きつつ、事象の地平面といふ異世界への出立といふ、それを死と名付けてよいのかは解からぬが、その未知への旅立ちを何故かその瞬間、不意にその頭蓋内の闇に思ひ描いて、真夜中の真っ暗な部屋の中でぱっと瞼を開けざるを得なかったのであった。蒲団の中に臥しながら闇の中で瞼を開けるその行為は、しかし、何となく闇自体のその正体を虚を衝いて一瞬でも一瞥出来、その尻尾でも捉へられるのではないかといふ淡い期待を抱かせるといった幻想を誘ふ行為に彼には思はれるのであった。



――ぶぁっはっはっ。



――拡がるは闇ばかりであるが……。



と彼は思ひながらも闇もまたその瞼をかっと見開き彼をじっと凝視してゐるやうな奇妙な感覚に彼は襲はれるのであった。



――ふっふっふっ、闇はその眼で吾が物自体の正体を捕獲したのであらうか。



と、そんなことが彼の頭を過るのであった。



 外界の闇と頭蓋内の闇の交感はどうあっても無限といふものへとその思考を誘(いざな)ふものである。彼の周りは何処も彼処も闇であった。闇の中では何事も確定することなく未定のまま、闇夜に打ち上げられる大筒の花火の閃光を見るやうにぱっと何かが闇の中で閃いてもそれは直ぐ様闇の中に消え、再び別の何かが闇の中にその閃光を発するのを常としてゐた。闇の中では外界も内界もその境を失ってしまふものである。とその時彼の頭蓋内にはまた一つ思考する時間の流れの上に生じたであらう小さな小さな思考の渦巻くカルマン渦の閃光のやうなものが小さな生命の命の宿命のやうに生滅したのであった。



――かうして闇の中に横たはる吾とはそもそも何なのであらうか。



――……さてね。



と、そんな無意味な自問自答が彼の胸奥で生じたのであった。



――闇の中に蹲るもの達のざわめきが聞こえて来るではないか。



――へっ、それは幻聴じゃないのか。



――はっはっはっ。



――ふっふっ、幻聴でも構はないじゃないか! 



――ちぇっ、闇は何ものも誘ふ如何ともし難い厄介ものだな。



 不意にその思考の小さな小さなカルマン渦はぱっと消えたのであった。すると闇がその存在感を増すのである。闇また闇。するとまた一つ思考の小さな小さなカルマン渦が闇の中に明滅を始めたのであった。



――吾は吾の圧政者として吾を統率するが、さて、吾が吾から食み出るその瞬間、吾は何ものかへ変容を成し遂げるのか……。



――ぶぁっはっはっ。



――変容への志向か……。存在は存在に我慢せずにはゐられない存在なのであらうか。



――何? 存在が存在に我慢する?



――ぶぁっはっはっ。 



――すると存在は吾以外の何ものかへの変容を不可能と知りながらも渇望せざるを得ないのか……。



――ぶぁっはっはっ。



――それにしても、へっ、何故吾は哲学が嫌ひなのかな。哲学無くして存在は語れないにも拘はらず……。



――それは論理への不満さ。存在が論理で捉へられる筈はないと端から思ひ込んでゐるからじゃないのかい? 



――ふっ、それはその通りに違ひないが、吾は、多分、西洋的な思考法に疑問を感じてゐるのかもしれない……。



――ぶぁっはっはっ。



――すると、論理的な裏付けがないものは全て虚偽か……。



――けっ、即自に対自に脱自か、笑はせるぜ!



――ふっふっふっふっふっ。



――ぶぁっはっはっ。



――ぶぁっはっはっ。



――ぶぁっはっはっ。



 再び小さな小さな思考の渦巻くカルマン渦が闇の中に消えたのであった。彼はゆっくりと瞼を閉ぢたが闇は相変はらず瞼裡にあった。



――カルマン渦か……。思考も時間上を流れ移ろふのであれば、其処に小さな小さな思考が渦巻く思考のカルマン渦は発生する筈だが……。



――頭蓋内を五蘊が発生する場であると、つまり、五蘊場として看做すと、その五蘊場に思考の小さな小さなカルマン渦は発生してゐるに違ひない。



――すると、思考もまた自然を超越出来ないものの一種なのであらうか? 



――さうだらう……。自然もまた思考する。



 彼は其処で不意に瞼を開け眼前の闇を凝視するのであった。



――自然もまた思考する? すると、自然もまた死滅するカルマン渦の一現象に過ぎないのか? 



――生々流転……。諸行無常……。



 諸行無常とはある種残酷な思想である。万物は生々流転し、生滅を繰り返しながら此の世は移ろひ行く。生あるものは必ず滅するのである。



――万物流転。



――生老病死。



――寂滅……。



(一の篇終り)






※尚、審問官シリーズは本として出版するつもりなのでこのブログでは終了とさせていただきます。悪しからず。


2008 10/06 00:45:24 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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秋月夜 生の位相や 虫の声



           緋露雪


2008 10/03 16:13:37 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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このブログの作品も含めた私の本が11月15日に文芸社より発売されることが決定しました。
本のタイトルは「夢幻空花(むげんくうげ)なる思索の螺旋階段」です。
宜しければ手に取ってお読みください。
2008 09/08 06:22:39 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――お前は何者だ! 



ねえ、君、闇の中では闇に誰もがかう詰問されてゐるに違ひない。へっへっへっ。人間は本当のところでは自問自答は嫌ひな筈さ。己の不甲斐なさと全的に対峙するこの自問自答の時間は苦痛以外の何物でもない筈さ。それはつまり自問する己に対して己は決して答へを語らず、また語れないこの苦痛に堪へなければならないからね。それに加へて問ひを発する方も己に止めを刺す問ひを多分死ぬまで一語たりとも発することはないに違ひない。そもそも《生者》は甘ちゃんだからね。へっへっへっ。甘ちゃんじゃないと《生者》は一時も生きられない。へっへっへっへっ。それは死の恐怖か? 否、誰しも己の異形の顔を死ぬまで決して見たくないのさ。醜い己! 《生者》は生きてゐることそのこと自体が醜いことを厭といふ程知り尽くしてゐるからね。君もさう思ふだろ? それでも《生者》は自問自答せずにはゐられない。可笑しな話さ。



…………



…………



闇といふ自身の存在を一瞬でも怯ます中で人皆疑心暗鬼の中に放り込まれてゐる筈であったが、私はこの闇の中といふ奇妙な解放感の中で、尚も光といふ彼の世への跳躍台といふことの周りを思考は堂々巡りを重ねてゐたのであった。



――……相対論によれば物体は光に還元できる。つまり物体は《もの》として存在しながらも一方では掴みどころのないEnergy(エネルギー)にも還元できる……もし《もの》がEnergyとして解放されれば……へっ……光だ! ……この闇の歩道を歩く人波全ても光の集積体と看做せるじゃないか! ……だが……《生者》として此の世に《存在》する限り光への解放はあり得ず死すまで人間として……つまり……《もの》として存在することを宿命付けられてゐる……光といふ彼の世への跳躍台か……成程それは《生者》としての《もの》からの解放なのかもしれない……



と、不意に歩道は仄かに明るくなり満月の月光の下へ出たのであった。



――……確かに《もの》は闇の中でも仮令見えずとも《もの》として《存在》するに違ひないが……しかし……《もの》が光に還元可能なEnergy体ならばだ……《もの》は全て意識……へっ……意識もまたEnergy体ならばだ……《もの》皆全て意識を持たないか? 馬鹿げてゐるかな……否……此の世に存在する《もの》全てに意識がある筈だ……死はそのEnergy体としての意識の解放……つまり……光への解放ではないのか? 



遂に歩道は神社兼公園の鎮守の森の蔭の闇から抜け街燈が照らし出す明かりの下に出たのであった。雪は相変はらず何かを黙考してゐるやうで、私の右手首を軽く優しく握ったまま何も喋らずに俯いて歩いてゐた。私はといふと他人の死相が見たくないばかりに明かりの下に出た刹那、また視線を足元に置き伏目となったのである。



――……それにしても《光》と《闇》は共に夙に不思議なものだな……ちぇっ……《もの》皆全て再び光の下で私(わたくし)し出したぜ……吾が吾を見つけて一息ついてゐるみたいな雰囲気が漂ふこの時空間に拡がる安堵感は一体何なんだらう……それ程までに私が私であることが、一方で不愉快極まりないながらももう一方では私を安心させるとは……《存在》のこの奇妙奇天烈さめ!



その時丁度T字路に来たところであったので、私はSalonに行く前にどうしてももう一軒画集専門の古本屋に寄りたかったのでそのT字路を右手に曲ったのであった。



――何処かまだ寄るの? 



と雪が尋ねたので私は軽く頷いたのであった。この道は人影も疎らで先程の人波の人いきれから私は解放されたやうに感じて、ゆっくりと深呼吸をしてから正面をきっと見据ゑたのである。



――あっ、画集専門の古本屋さんね?



と、雪が尋ねたのでこれまた私は軽く頷いたのであった。



(以降に続く)

































2008 03/18 04:20:45 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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それはそれは不思議な感覚であった。私が珈琲を一口飲み干すと、恰も私の頭蓋内の闇が或る液体と化した如くに変容し、その刹那ゆったりとゆったりと水面に一粒の水滴が零れ落ちてゆらゆらと波紋が拡がるやうに私の頭蓋内の闇がゆらゆらと漣だったのであった。そして、私の全身はその漣にゆっくりと包まれ、私は一個の波動体となった如くにいつまでもいつまでもその余韻に浸ってゐたのであった。



それは譬へてみると朝靄の中に蓮の花がぽんと小さな小さな音を立てて花開く時のやうにその花開いた時の小さな小さなぽんといふ音が朝靄の中に小さく波打つやうに拡がるやうな、何かの兆しに私には思はれたのであった。意識と無意識の狭間を超えて私の頭蓋内が闇黒の水を容れた容器と化して何かを促すやうに一口の珈琲が私に何かを波動として伝へたのであったのか……。私は確かにその時私が此の世に存在してゐる実感をしみじみと感じてゐたのであった。



――この感覚は一体何なのだらう。



私の肉体はその感覚の反響体と化した如くに、一度その感覚が全身に隈なく伝はると再びその波立つ感覚は私の頭蓋内に収束し、再び私の頭蓋内の闇黒に波紋を呼び起こすのであった。その感覚の余韻に浸りながらもう一口新たに珈琲を飲み干すと再び新たな波紋が私の頭蓋内の闇黒に拡がり、その感覚がゆっくりとゆっくりと全身に伝はって行くのであった。



――生きた心地が無性に湧き起って来るこの感覚は一体何なのであらうか。



それにしてもこれ程私が《存在》するといふ実在感に包まれることは珍しい出来事であったのは間違ひない。私はその余韻に浸りながら煙草に火を点けその紫煙を深々と吸いながら紫煙が全身に染み渡るやうに息をしたのであった。



――美味い! 



私にとって珈琲と煙草の相性は抜群であった。珈琲を飲めば煙草が美味く、煙草を喫めば珈琲が美味いといふやうに私にとって珈琲と煙草は切っても切れぬ仲であった。



煙草を喫んだ事で私の全身を蔽ふ実在感はさらに増幅され私の頭蓋内の闇黒ではさらに大きな波紋が生じてその波紋が全身に伝わり私の全身をその快楽が蔽ふのであった。



――それにしてもこの感覚はどうしたことか。



それは生への熱情とも違ってゐた。それは自同律の充足とも違ってゐた。何か私が羽化登仙して自身に酩酊してゐる自己陶酔とも何処かしら違ってゐるやうに思はれた。しかしそれは何かの兆しには違いなかった筈である。



――《存在》にもこんな境地があるのか。



それはいふなれば自同律の休戦状態に等しかった。自己の内部では何か波体と化した如くにその快楽を味はひ尽くす私のその時の状態は、全身の感覚が研ぎ澄まされた状態で、いはば自身が自身であることには不快ばかりでなく或る種の快楽も罠として潜んでゐるのかもしれないと合点するのであった。それは《存在》に潜んでゐる罠に違いなかったのである。私はその時《存在》にいい様にあしなわれてゐただけだったのかもしれぬ。



――しかしそれでもこの全身を蔽ふ感覚はどうしたことか。



絶えず《存在》といふ宿命からの離脱を夢想してゐた私にはそれは《存在》が私に施した慈悲だったのかもしれぬと自身の悲哀を感じずにはゐられなかったのである。それは《存在》が私に対した侮蔑に違いなかった。



―《存在》からの離脱といふ不可能を夢見る馬鹿者にも休息はは必要だ。



《存在》がさう思ってゐたかどうかは不明であるがその時自己に充足してゐた私は、唯唯、この全身を蔽ふ不思議な感覚にいつまでも浸りたい欲望を抑えきれないでゐた。



――へっ、それでお前の自同律の不快は解消するのか。そんなことで解消してしまふお前の自同律の不快とはその程度の稚児の戯言の一つに過ぎない! 



その通りであった。私は全身でこの不思議な感覚に包まれ充足してゐるとはいへ、ある疑念が頭の片隅から一時も離れなかったのである。



案の定、その翌日、私は高熱を出し途轍もない不快の中で一日中布団の中で臥せって過ごさなければならなかったのである。



あの不思議な充足感に満ちた実在を感じた感覚は病気への単なる兆しに過ぎなかったのであった……。









































2008 03/13 03:47:39 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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この闇と通じた何処かの遠くの闇の中で己の巨大な巨大な重力場を持ち切れずに《他》に変容すべく絶えず《他》の物体を取り込まずにはゐられず更に更に肥大化する己の重力場に己自身がその重力で圧し潰され軋み行くBlack hole(ブラックホール)のその中心部の、自己であることに堪へ切れずに発され伝播する断末魔のやうな、しかし、自己の宿命に敢然と背き自らに叛旗を翻しそこで上げられるblack hole自身の勝鬨のやうな、さもなくば自己が闇に溶暗することで肥大化に肥大化を続けざるを得ぬ自己の宿命に抗すべく何かへの変容を渇望せずにはゐられない自己なるものへの不信感が渦巻くやうな闇に一歩足を踏み入れると、闇の中では自己が自己であることを保留される不思議な状態に置かれることに一時も我慢がならず自己を自己として確定する光の存在を渇望する女々しい自己をじっと我慢しそれを噛み締めるしかない闇の中で、《存在》は、『吾、吾ならざる吾へ』と独りごちて自己に蹲る不愉快を振り払ふべく自己の内部ですっくと立ち上がるべきなのだ。自己の溶暗を誘ふ闇と自己が自己であるべきといふせめぎ合ひ。闇の中では《存在》に潜む特異点が己の顔を求めて蠢き始めるのだ。それまで光の下では顔といふ象徴によって封印されてゐた特異点がその封印を解かれて解き放たれる。闇の中では何処も彼処も《存在》の本性といふ名の特異点が剥き出しになり、その大口を開け牙を剥き出しにする。この欲望の渦巻く闇、そして、《存在》の匿名性が奔流となって渦巻く闇。私も人の子である。闇に一歩足を踏み入れると闇の中ではこの本性といふ名の阿修羅の如き特異点の渦巻く奔流に一瞬怯むが、それ以上に感じられる解放感が私には心地良かったのである。私の内部に隠されてあった特異点もまたその毒々しい牙を剥き出しにするのだ。無限大へ発散せずにはゐられぬ特異点を《存在》はその内部に秘めてゐる故に、闇が誘ふ《無限》と感応するに違ひない。しかし、一方では私は闇が誘ふ《無限》を怖がってじっと内部で蹲り頑なに自身を保身することに執着する自身を発見するのであるが、しかし、もう一方ではきっと目を見開き眼前の闇に対峙し《無限》を持ち切らうとその場に屹立する自身もまた内部で見出すのであった。とはいへ、《無限》は《無限》に対峙することは決してなく《無限》と《無限》は一つに重なり合ひ渾然一体となって巨大な巨大な巨大な一つの《無限》が出現するのみである。私はこの闇の中で《無限》に溶暗し私の内部に秘められてゐるであらう阿修羅の如き特異点がその頭をむくりと擡げ何やら思案に耽り、闇の中でその《存在》の姿形を留保されてゐる森羅万象に思ひを馳せその《物自体》の影にでも触れようと企んでゐる小賢しさに苦笑するのであった。



――ふっ。



確かに物自体は闇の中にしかその影を現はさぬであらう。しかし、闇は私の如何なる表象も出現させてしまふ《場》であった。私が何かを思考すればたちどころにその表象は私の眼前に呼び出されることになる。闇の中で蠢く気配共。気配もまた何かの表象を纏って闇の中にその気配を現はす。それは魂が《存在》から憧(あくが)れ出ることなのであらうか……。パンドラの匣は闇の中で常に開けられてゐるのかもしれぬ。魑魅魍魎と化した気配共が跋扈するこの闇の中で《存在》のもとには《希望》なんぞは残される筈もなく、パンドラの匣に残されてゐるのは現代では《絶望》である。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



彼の人はゆっくりとゆっくりと螺旋を描きながら何処とも知れぬ何処かへ向け飛翔を相変はらず続けてゐた。彼の人はこの闇の中にあってもその姿形を変へることなく徹頭徹尾彼の人であり続けたのであった。



闇。闇は《無限》を強要し、其処に卑近な日常の情景から大宇宙の諸相までぶち込む《場》であった。闇の中では過去と未来が綯い交ぜになって不気味な《もの》を眼前に据ゑるのだ。悪魔に魂を売るのも闇の中では私の選択次第である。ふっ。この解放感! 私はある種の陶酔感の中にあったに違ひなかった。《もの》皆全て闇の中に身を潜め己の妄想に身を委ねる。それはこれまで自身を束縛して来た《存在》からの束の間の解放であった。《存在》と夢想の乖離。しかし、《存在》はそれすらも許容してしまふ程に懐が深い。《存在》からの開放なんぞは無駄な足掻きなのかもしれぬ。闇の中の妄想と気配の蠢きの中にあっても《存在》は泰然自若としてゐやがる。ちぇっ。何とも口惜しい。しかしながら《存在》無くしては妄想も気配もその存在根拠を失い此の世に存在出来ないのは自明の理であった。



(以降に続く)















2008 03/09 04:59:59 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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闇また闇。吾もまた闇。闇はしかし《無限》を誘ふのだ。果て無き闇故、闇の中に今蹲るまた闇の吾は闇に溶け入るやうな錯覚を覚える。



――吾は《無限》なりしや。



ところが吾に執着する吾は途端に身震ひして吾であることを渇望する。



――けっけっけっ、お前はちっぽけなお前でしかない。



と、何処とも知れぬ何処かで闇が吾を嘲笑ふ。と、その刹那吾は闇の中の《浮島》に浮いてゐるのみの吾が置かれた現状を思ひ出し血の気がさっと引き蒼ざめる。



――嗚呼。



眩暈が吾を襲ふ。



――このまま闇の中に投身しようか……。



闇は吾に闇に飛び込むことを強要する誘惑者であった。吾は絶えずええいっと闇に飛び込む吾を想像せずにはゐられぬまま、唯じっと《浮島》の上で蹲る外なかった。この《無限》に拡がるやうに見える闇また闇の中、吾の出口無し。



――矢張り吾に《無限》は持ち切れぬか……。



――けっけっけっ、お前はやっぱりちっぽけなお前さ。



と再び何処とも知れぬ何処から闇が吾を嘲笑ふ。



とその刹那、吾はすっくと立ち上がり闇のその虚空を睥睨する。



――己自身に対峙出来なくて何とする! 



さうである。この闇全てが吾なのだ。吾の心に巣食ふ異形の吾達がこの眼前の闇の中に潜んでゐる。闇は吾の頭蓋内の闇と呼応し吾の心を映す鏡に思はれた。



――異形の吾の気配共が蠢き犇めき合ふこの闇め!



それ故、闇は《無限》を誘ふのか。彼方此方に吾の顔が浮かんでは消え、また、浮かんでは消える……。



――へっ、お前は己の顔を見たことがあるのか? これまでずっと腕に顔を埋め自己の内部に閉ぢ籠ってゐたくせに? 



さうであったのだ。吾は己の顔をこれまで見たことがない。それにも拘らず吾は己の顔を知ってゐる。不思議であった。眼前の闇に生滅する顔、顔、顔、これら全てが吾の顔であった。さうとしか思へない。



――けっけっけっ、どれがお前の顔かな? けっけっけつ、この顔無しめが! お前もまた闇なのさ、ちぇっ。



吾が闇? これは異なことをいふものである。だが、しかし、吾も闇か? 



――闇であるお前が吾なぞとほざくこと自体が笑止千万だ! 



しかしである。吾は吾が《存在》してゐることを感じてゐるし知ってゐる筈だ。これはどうしたことか? 吾は闇? 



――嗚呼、もしかすると吾は闇の鬼子なのかも知れぬではないか。



それは闇における不穏な動きを伝える前兆なのであった。それは闇に芽生えた自意識の始まりなのであったのかも知れぬ……。



――吾は吾である……のか……。ふむ、む! 揺れてゐる? 



さうなのであった。闇全体が何故か突然とぶるぶると震へ出したのであった。闇もまた《自同律の不快》によって何か別の《もの》への変容を渇望する……。



――吾が吾であることのこの不愉快。闇もまたこの不愉快を味はってゐるのか……。



吾は再び眼前に《無限》に拡がる闇の虚空を睥睨する。



――《無限》もまた《無限》を持ち切れぬのか……。



眼前の闇には今も無数の顔が生滅する。



――解らぬ。何もかもが解らなくなってしまった……。そもそも眼前の闇に去来する無数の顔は吾の顔なのか……。吾そのものが解らなくなってしまった……。



次第に意識が混濁し始めた。吾の意識が遠くなる……。



――嗚呼、この吾と感じてゐるこの吾は……そもそも《存在》してゐるのか……何もかもが解らなくなってきた……。



闇また闇の中に一つの呻き声が漏れ出る……。



――嗚呼! 



その呻き声は水面の波紋の如く闇全体にゆっくりとゆっくりと響き渡っては何度も何度も闇の中で何時までも反響を繰り返してゐた。



――嗚呼、吾はそもそも《存在》してゐるのか! 













































































2008 03/03 05:37:29 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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ねえ、君、不思議だね。道行く人々は私の視界にその足下の存在を残し、その殆どの者とは今後永劫に出会ふことはない筈さ。袖振り合ふも多生の縁とはいひ条、今生ではこの道行く人々の殆どと最早行き交ふことは未来永劫ある筈もない。この見知らぬ者だらけが存在する此の世の不思議。ところがこれら見知らぬ者達も顔を持ってゐる。それぞれが《考へる》人間として今生に面をもって存在する。そして、彼等もまた《私》以外の《私》にならうと懊悩し、もがき苦しみ存在する。不思議極まりないね。全ての《生者》は未完成の存在としてしか此の世にゐられぬ。不思議だね。しかも《死》がその完成形といふ訳でもない。全ては謎のまま滅する。此の世は謎だらけじゃないか。物質の窮極の根源から大宇宙まで、謎、謎、謎、謎、謎だらけだ。ねえ、君、《存在》がそれぞれ特異点を隠し持ってゐるとしたなら特異点は無数の《面》を持って此の世に存在してゐるね。人間の《面》は特異点の顔貌のひとつに違ひないね。へっ。特異点だからこそ無数の《面》を持ち得るのさ。己にもまた特異点が隠されてゐる筈さ。だから、此の世の謎に堪へ得るのさ。へっ、此の世の謎の探究者達は此の世の謎を《論理》の網で搦め取らう手練手管の限りを尽くしてゐるが、へっ、謎はその論理の網の目をひょいっと摺り抜ける。だから論理の言説は何か《ずれ》てゐて誤謬の塊のやうな自己満足此処にいたりといった《形骸》にしか感じられない。ねえ、君、そもそも論理は謎を容れる容器足り得るのかね。どうも私には謎が論理を容れる容器に思へて仕方がない……。謎がその尻尾をちらりとでも現はすと論理はそれだけで右往左往し



――新発見だ! 



と喜び勇んで論理はその触手を伸ばせるだけ伸ばして何とか謎のその面を搦め取るが、へっ、謎はといふと既にその面を変へて気が向いたらまたちらりと別の面を現はす。多分、論理は特異点と渦を真正面から論理的に記述出来ない内は謎がちらりと現はす面に振り回されっぱなしさ。《存在》は特異点を隠し持ち、渦を巻いてゐるに違ひない。私にはどうしてもさう思はれて仕方がないのさ。論理自体が渦を巻かない限り謎は謎のまま論理を嘲笑ってゐるぜ、へっ。



…………



…………



不意に私の視界は真っ暗になった。私と雪は神社兼公園となってゐる鎮守の森の蔭の中に飛び込んだのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



彼の人は鎮守の森の蔭に入って視界が真っ暗になった途端、その輝きを増したのであった。街燈が灯ってゐる場所までの数十秒の間、この歩道を歩く人波は皆、闇の中に消えその《存在》の気配のみを際立たせて自らの《存在》を《他》に知らしめる外なかったのである。闇に埋もれた《存在》。途端に気配が蠢き出す闇の中、私は何とも名状し難い心地良さを感じてゐた。私は、それまで内部に息を潜めて蹲ってゐた内部の《私》がさうしたやうに、ゆっくりと頭を擡げ正面をじっと見据ゑたのであった。前方数十メートル先の街燈の木漏れ日で幽かに照らされた人波の影の群れが其処には動いてゐた以外、全ては闇であった。見知らぬ他人の顔が闇に埋もれて見えないことの心地良さは私にとっては格別であった。それは闇の中で自身の面から解放された奇妙な歓喜に満ちた、とはいへ



――《私》は何処? 《私》は何処? 



と突然盲(めし)ひた人がそれまで目の前で見えてゐた《もの》を見失って手探りで《もの》、若しくはそれは《私》かもしれぬが、その《もの》を探す不安にも満ちた、さもなくば、《他》を《敵》と看做してひたすら自己防衛に身を窮する以外ない哀れな自身の身の上を噛み締めなければならぬ何とも名状し難い屈辱感に満ちた、解放と不安と緊迫とが奇妙に入り混じった不思議な時空間であった。闇の中の人波の影の山がのっそりと動いてゐた。それは再び視覚で自身を自己認識出来る光の下への遁走なのか? 否、それは自己が闇と溶け合って兆す《無限》といふ観念と自身が全的に対峙しなければならぬ恐怖からの遁走といふべきものであったに違ひない。若しくはそれは自意識が闇に溶けてしまひ再び自己なる《もの》が再構築出来ぬのではないかといふ不安からの遁走に違ひなかったのであった。闇の中の人波は等しく皆怯へてゐるやうに私には感じられたのである。その感覚が何とも私には心地良かったのであった……。



(以降に続く)























2008 03/02 03:15:48 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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真夜中、電灯を消したまま悠然と煙草を吹かしてゐし時、何者かが



――ぷふいっ。



と咳(しはぶ)く音がせし。



余はそれでも悠然と煙草を吹かすなり。



――ぷふいっ、ぷふぃっ。



――何者ぞ! 



と余は問ひしが沈黙あるのみ。余はそれしきの事には御構ひなしに再び煙草を悠然と吹かすなり。唯この部屋の中では煙草の先端の橙色の明かりのみが明滅するなり。すると、忽然と



――わっはっはっ。汝何者ぞ! 



と問ひし声が響き渡りし。



――何者ぞ! 



と余は再び問ふなり。しかし、この部屋には唯沈黙あるのみ。余は眼前に拡がりし闇を唯凝視するばかりなり。本棚の本等の《もの》は皆全て息を潜め闇の中に蹲るなり。



余は再び問ふ。



――何者ぞ! 其は何者ぞ! 



辺りは矢張り沈黙が支配するのみ。余は無意識に煙草の灰を灰皿にぽんと叩き落とし、その様をぼんやりと見し。すると、ぽっと灰皿が煙草の火で照らし出されし。



――ぷふぃっ。



と再び何者かが咳きし。今度ばかりは余はその咳きには知らんぷりを決め込み、悠然と煙草を吹かすなり。



余の眼には煙草を吸ひ込みし時に煙草の火がぽっと火照ったその残像がうらうらと視界で明滅するなり。余はゆっくりと瞼を閉ぢし。そして、ゆっくりと瞼を開け煙草の火をじっと見し。煙草を挟みし手をゆらりと動かすと、煙草の火は箒星の如く尾を引き闇の中を移動するなり。その橙色の箒星の残像は美しきものなり。その様はAurora(オーロラ)を見るが如くなり。余はその美しさに誘はれて何度も何度も眼前で煙草の火をゆらりゆらりと動かすなり。何処なりとも





(道元著「正法眼蔵」より)





「時節若至(じせつにゃくし)」の道を、古今のやから往々におもはく、仏性の現前する時節の向後(きやうこう)にあらんずるをまつなりとおもへり。かくのごとく修行しゆくところに、自然(じねん)に仏性現前の時節にあふ。時節にいたらざれば、参師問法するにも、辧道功夫するにも、現前せずといふ。恁麼見取(いんもけんしゆ)して、いたずらに紅塵(こうぢん)にかへり、むなしく雲漢をまぼる。かくのごとくのたぐひ、おそらくは天然外道の流類なり。





※註 道……ことば  恁麼見取して……このやうに考へて  紅塵……世俗の生活  雲漢……天の川  まぼる……見つめる





と、何者かが読誦する声が部屋中に響き渡りし。その見下しきが幽玄たる様この上なし。この部屋を蔽ひし闇は煙草の先端の火に集まりしか。不意に闇が揺らめき出した気がし、余は恥ずかしながら僅かばかり不安になりし。



――ぷふいっ。



――其は何者ぞ! 



――ぷふぃっ、汝の影なり。



――余の影? 馬鹿を申せ! 



再びこの部屋は沈黙と闇とが支配するなり。余の視界には煙草の火の残像がほの白く明滅するなり。



――闇中に影ありしや。



と余は問ひし。



――ぷふぃっ、この闇全て吾なり。汝は吾の腹の中ぞ。わっはっはっ。



――これは異なことを申す。影は余に従ふものぞ。



――このうつけ者! 汝が吾が影に従ふ下等な《存在》なり。ぶぁはっはっはっ。



――余が影の従属物? そもそも吾とは何ぞや。



余は何か鈍器で頭をぶん殴られた心地するなり。光無ければ、余は影の腹の中にゐしか。くっ。



――それぞそれ。その屈辱が汝を汝たらしめるなり。



嘲笑ってゐやがりし。影は余を見て嘲笑ってゐるなり。これが屈辱? 馬鹿らしき。だが、しかし、余はこの闇に包まれし部屋でじっとする外なし。



――ぷふぃっ、悩め、悩め! それが汝に相応しき姿なり。



――くっ。



余は歯軋りせしが、この屈辱は認める外なし。



――くっ。光無くても闇はありきか、くっ。



唯闇の中に煙草の火が仄かに輝きし。

























































































2008 02/25 04:35:41 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――もしかすると……物体が存在するとその内部に特異点が隠されているのかも知れぬ……特異点を覆ひ包む形でしか《もの》皆全て存在出来ないとしたなら……因果律も自同律も絶えず破綻の危機に瀕してゐるのかもしれぬ……自同律の不快……これは《存在》の罠でもあり…《存在》を《存在》たらしめてゐる秘儀なのかも知れぬ……すると……中有へ出立した《死者》は自身を徹底的に……ふっ……それは底無しに違ひないが……弾劾する宿命を負ってゐるに違ひない……弾劾に弾劾を重ねた末に残った自身の残滓を更に鞭打って弾劾する宿命……此の世に《存在》してしまった《もの》全てが負ってゐるこの宿命を貫徹した《もの》のみ……未だ未出現の《存在》に出現を促す権利……其処に《魂》若しくは《精神》のRelay(リレー)が辛ふじて辛ふじて行はれるか? ……ふっ……《魂》若しくは《精神》のRelayは……しかし……必ず行はなければならぬのかもしれぬ……此の世にひと度《存在》してしまった《もの》は……先達の《魂》若しくは《精神》を受け取った上で辛ふじて……《存在》に堪へられるのかもしれぬ……未知なる《もの》への変容……此の世に存在してしまった《もの》は《死》を受容し……未来に出現する《もの》へその席を譲る……其処に因縁は生じるのか? ……《死》によって因果律は破綻するのか? ……しかし……破綻した因縁は再び別の此の世に出現してしまった《もの》に託されるのか? さうだとして……ふっ……不連続の連続性……矛盾は《存在》した《もの》には必然のものだが……矛盾を抱へ込まざるを得ない《存在》してしまった《もの》は……しかし……自己を責め苛むことで……もしかすると馬鹿げた自己慰撫をしてゐるだけかもしれぬではないか……自同律の不快と言ひながら実際のところ其処でこの上ない自己愛撫といふ悦楽を味はってゐるのかもしれぬ……自虐が快楽へと変容してしまったならば……最早その自己内部に引き籠って外界に一歩たりとも出ない……自己憎悪が最高の自慰行為……か……



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



――彼の人も今中有で自己に対して弾劾に弾劾を重ねて倒錯した至高の悦楽の境地にゐるのか……この悦楽はまた……地獄の責苦に等しいか……極限……苦悩と快楽の堺に……《死者》は辛ふじて立し……其処で杳として知れぬ漠たる自身といふ茫洋なる面と全的に対峙するか……自身が自身によって滅び尽くされる懊悩を味はひ尽くす以外……《私》は《私》を脱皮出来ぬかもしれぬ……《私》以外の何かへの変容……幽冥への出立……は……《私》が《私》であってはならぬのか……解脱……か……《死》してのみ《私》が《私》を超克するこの《存在》め! ……《存在》よ……呪はれるがよい! ……へっ……へっへっへっ……《私》が《私》を呪縛だけじゃないか……だが……しかし……《存在》する《もの》……この《私》から遁れられぬ! 



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



――それでも……《私》は《私》を超克しようともがき続ける……しか……ない……へっ……何とも不自由極まりない! ……そして《死》からも逃れられぬ……《存在》とは何と呪はれた《存在》なのだ! へっ! と自身の《存在》を嘲笑ったところで矢張り《私》は《存在》する……くっくっくっ……そもそも《私》は《私》であることを望んでゐるのか? ……《私》……この面妖なる《もの》……ちぇっ……心臓は相変はらず鼓動してゐるぜ! 



……ふむ……常に伸縮せずにはゐられぬ……否……鼓動するように命ぜられてゐるこの心臓は……真の自身を知ってゐるのか……へっ……真の自身て何だ? まあよい……しかし絶えずその姿を変容させるこの心臓は……その鼓動を停止した時に初めて己の何たるかを知るのか……それまでは絶えざる変容を強要される……哀れなる哉……吾が心の臓! ……動くことがそもそも《私》を《私》ならざる《もの》へと動かす原動力ではないか……若しくは時が移ろふことがそもそも《私》を《私》ならざる《もの》へと誘ふ魔手なのではないか……ちぇっ……下らぬ……そもそも《私》が《私》と呼んでゐる《もの》は《私》にはなり得るか……《私》は無数の異形の《私》の《存在》を前にして《私》に戸惑ふ……か……《私》の異形は無数に《存在》しやがる……けっけっけつ……例へばこの《私》が意識すればたちどころに全て実現する魔法を手にしたとして……満ち足りるのは最初の一瞬だけに決まってる……寝てゐるだけで全てが実現してしまふ世界なんぞ直に飽き飽きするに決まってゐる……謂はば《私》は《脳体》へと変容してしまふのさ……それは植物状態の人間と何も変はらぬ……すると《私》は《私》の《存在》を滅することを願ひたちどころに此の世から消える……意識の窮極の願ひは自ら滅することに行き着くのが道理さ……しかし……《脳体》は《存在》か……



(以降に続く)















2008 02/24 03:46:19 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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パスカル著「パンセ」(筑摩書房:世界文学全集11〜モンテーニュ/パスカル集:)より





五七一



 なぜ象徴かという理由。――



(略)



 かくして、敵という語は最後の目的いかんにかかっているので、義人はそれを自分たちの情欲と解したが、肉的な人々はそれをバビロニア人と解した。それゆえ、これらの語は不義な人々にとってのみ曖昧であった。イザヤが「律法をわが選びたる者のうちに封印すべし」と言い、また、イエス・キリストのことを躓きの石となるであろうと言ったのは、このことである。しかし、「彼に躓かぬ者は幸いなり。」ホセアはそのことを完全に言いあらわしている。「誰か知恵ある者ぞ? その人はわが言うことをさとらん。義人はそれをさとらん。神の道は正しければなり。されど悪しき者はそれに躓かん。」





人間といふ生き物は、其処に躓きさうな石があるのを知りながら敢へてその石に躓く生き物のやうな気がする。二足歩行を選び取った生き物である以上、人間といふ生き物は、何度も何度も石に躓かなければならぬ宿命を生きるやうに定められてしまったのであらうか。人はそれを修行等と呼んで人間たる者斯くあるべしといふやうに自ら追ひ込む不思議な生き物のやうに思へるのだ。勿論、そんな石は御免蒙ると言って避けて通り過ぎる利巧な輩が殆どであるが、何百人に一人かの割合で必ず敢へて石に躓き其処で立ち止まり呻吟しながらも何とか一歩の歩を進める者が存在する。先づ初めにして終りの躓きの石でもあるのが《私》なる奇奇怪怪な存在である。





パンセより



四七六



神のみを愛し、自己のみを憎むべきである。



 もし足が、自分の身体の一部であり、自分に依存している一つの身体がある、ということをつねに知らずにおり、自己認識と自己愛だけしか持たなかったとして、ひとたび、自分が身体の一部であり、それに依存していることを、知ったならば、その足は、自分の過ぎ去った生活について、また、自分に生命を吹きこんでくれた身体に対して何の役にも立たなかったことについて、いかばかり後悔し、恥ずかしく思うことであろう! 足が身体から離れた場合もそうだが、身体が足を棄て、足を切り離したならば、足は死滅したことであろう! 身体につらなったままでいることを、足はどんなにか祈ることであろう! 身体を律している意志の支配に、いかに従順に足は自己をゆだねることであろう! やむをえない場合には、自分が切断されることにも同意するにいたるであろう! そうでないならば、足は肢体の資格を失うことになるであろう! なぜなら、すべての肢体は、全体のためにあえて滅びることをも欲しなければならないからであり、全体こそすべての肢体がそのために存在する唯一のものであるからである。





《私》は必ず自己憎悪といふ針の筵に座らされる。其処で幾ら苦悶の呻き声を上げようが《私》は《私》から遁れられない。人間とは何と哀れな生き物であらうか……。



――許して下さい。



と《私》に訴へたところで《私》は嘲笑ふのみである。《私》が《存在》してしまった以上、《私》は《私》であることを強ひられるのだ。



――そこで《神》に救ひを求める? 



それも一つの方法であらうが、それでも矢張り針の筵は遁れられない、と思ふ。



――それでも許し給へ。



さう訴へたところで《私》は斯くの如く嘲笑ふのみである。



――へっ、この底無しの深淵の中でもがき苦しみ、それでも自滅せずに生き残るには、《汝自身を知れ》あるのみ、だ! 生き残れ、何が何でも生き残れ、この下衆野郎めが、はっ! 

















































2008 02/18 02:50:20 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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歩道は会社帰りの人や学生等で大分混雑してゐたが、私と雪は肩を並べてその人いきれの人波に流されるままに歩き始めたのであった。しかし、伏目で歩く外なかった私はそれらの雑踏の足しか見なかったのである。雪も何か考へ込んでゐるやうで暫くは黙ってゐた。と、不意に再び光雲が私の視界に飛び込んで来たのであった。その光雲もまた私の視界の周縁を時計回りにぐるりと一回りすると、不意に消えたのであった。と、その刹那、私の視界の中の赤の他人の彼の人は、それまでばっくりと開けてゐた大口を閉ぢ、その面を彼方の方へくるりと向け、彼の人はゆっくりとゆっくりと旋回しながら虚空の何処かへ飛翔を始めたのである。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



彼の人は相変はらず声ならざる音を唸り上げてゐた。



――《生者》と《死者》と《光》といふ跳躍台か……。



私の思考は出口無き袋小路にま迷ひ込んでゐた。



――《存在》とは《生者》ばかりの《もの》ではなく……《死者》もまた《存在》する……か……さて……《生者》から《死者》へと三途の川を渡った《もの》は……さて……中有で苦悶しながら《死者》の頭蓋内の闇で《生》の時代が走馬燈の如く何度も何度も駆け巡る中……さて……《死者》は自ら《生者》であった頃の《吾》を弾劾するのであらうか……ふっ……《光》といふ彼の世への跳躍台に……さて……《死者》の何割が乗れるのであらうか……《死者》もまた《人間》であった以上……それは必ず《吾》によって弾劾される人生を送った筈だ……ふっ……ふっふっふっ……《人間》は全知全能の《神》ではないのだから……《吾》は必ず《吾》に弾劾される筈だ……しかし……《死者》の頭蓋内の闇が……《死者》にとって既に《光》の世界に……つまり……《闇即ち光》と……《生者》が闇に見えるものが《光》と認識される以外に《死者》にとって術がないとすると……ちぇっ……そもそも《光》とは何なのだ! 



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



私は私の視界に張り付いた彼の人を凝視するばかりであった。最早私の自意識から《意識》が千切れて苦悶の末に私の意識が《眼球体》となることはなかったが、私は彼の人の顔貌をじっと凝視しては



――貴様は既に光か! 



と、詰問を投げ掛けるのであった。



――《死者》が既に《光》の世界の住人ならばだ……地獄もまた《光》の世界なのか……《光》にも陰陽があって陰は地獄……陽は浄土なのか……ふっ……さうなら……ちぇっ、そもそも《光》が進むとは自由落下と同じ事なのか……さうすると……自由落下を飛翔と感じるか……奈落への落下と感じるかは本人の意識次第じゃないか……《吾》が《吾》を弾劾して……ふっ……後は閻魔大王に身を委ねるのみ……馬鹿らしい……《吾》は徹頭徹尾《吾》によって弾劾し尽くされなければならぬ! ……さて……光速度が今のところ有限であるといふことは……此の世……即ち此の宇宙が有限の《閉ぢた》宇宙であることのなによりの証左ではないのか……現在考へられてゐる此の膨脹宇宙が無限大に向かって膨脹してゐるとすると……光速度も……もしかすると定数なんぞではなく無限大の速度に向かって加速してゐるのかもしれないじゃないか……特異点……例へば一割る零は無限大に向かって発散する……またBlack hole(ブラックホール)の中には特異点が存在する……さうか! この宇宙にblack holeが蒸発せずに存在する限りに措いてのみ《光》は存在するのではないか……特異点では因果律は破綻する……ふむ……此の天の川銀河の中心にあるといはれてゐる巨大black hole……吾吾生物はこの因果律が破綻してゐる特異点の周縁にへばり付いて漸く漸く辛ふじて《存在》する……つまり際どい因果律の下に《存在》する……ふむ……はてもしかすると特異点若しくはblack holeが存在する限りに措いてしか吾吾も存在しない……つまり特異点とは《神》の異名ではないのか! 



(以降に続く)

























2008 02/17 03:10:41 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――もしや、地震? 



と私は眠りから覚醒した刹那、頭蓋内でさう呟いた。自身が顫動してゐる私を私は覚醒と同時に認識したのである。しかしながらちょこっと開けた瞼の裂け目から覗く外界はぴくりとも揺れてゐる様子は無く、間違いなく自身が顫動してゐると感じてゐる私の感覚は錯覚に違ひなかったのである。



――これが……錯覚? 



それは不思議な感覚であった。自身が高周期で振動する振動子になったかの如き感覚で、それは心臓の鼓動による振動とは全く違った顫動であった。敢へてその感覚を名状すれば、差し詰め私自身が此の世の本源たるモナドの如き振動子として《存在》の根源、否、毒虫となったカフカの「変身」の主人公、ザムザの足掻きにも似た自身の焦燥感に打ち震へた末に自身に自身が打ちのめされて泡を吹き脳震盪を起こして卒倒してぶるぶると震へてゐるやうな、若しくは私が決して触れてはいけないカント曰く《物自体》に触れてしまってその恐ろしさにずぶ濡れの子犬がぶるぶると震へるやうにその恐怖に唯唯慄く自身を、一方でしっかりしろと自身を揺すって覚醒させやうともがいてゐる私自身による震へといったやうな、或いは殺虫剤を吹き掛けられて神経系統が麻痺し仰向けに引っ繰り返って翅をぶんぶんとか弱く打ち震はせてゐる蠅のやうな、兎に角、尋常ならざる状態に私が置かれてゐるのは間違ひなかったのかもしれなかったが、それは未だに定かではない。といふのも、その日以来、特に新月と満月の日とその前後に自身が顫動してゐる錯覚が度度起きるやうになってしまったのだが、病院での精密検査の結果は異状なしであったからである。



それは兎も角、例へばその顫動が私の体躯と意識、若しくは体躯と魂との微妙なずれによって返って私の自意識若しくは魂が私の体躯に無理やりしがみ付くことで起こる異常な意識の振動だとすれば、私は新月と満月とその前後の日にすうっと《死》へ意識の足を踏み入れてしまってゐたのかもしれなかった。或いはそれはもしかすると私の意識若しくは魂が幽体離脱しようとしながらもそれが果たせず私の体躯に縛り付けられもがいてゐる無様な自意識の様なのかもしれなかった。兎に角、私に何か異常な現象が起こってゐるとしか思へぬほど私が顫動してゐる自身を私は確かに確実に認識してゐたのは間違ひなかった。それは錯覚などではない、と私は確信したのである。



私はその顫動を取り敢へず我慢する外なかった。この船頭は、さて、如何したことであらう。一瞬だが私が一気に膨らみ巨大な巨大な巨大な何かに変容したやうな或る不思議な感覚に捉はれるのであった。と思ふ間もなく私は一瞬にして萎み小さな小さな小さな何かにこれまた変容したやうな不思議な感覚に捉はれるのであった。何としたことか! この《私》といふ感覚が一瞬にして急変する事態に私は戸惑ひながらも心の何処かで楽しんでゐた。この極大と極小の間(あはひ)を味はふ不思議。最早《私》は《私》ではなく、とは言へ、結局のところ《私》から遁れられない《私》にちぇっと舌打ちしながらもこの不思議な感覚に身を任せる快感の中にゐることは、敢へて言へば苦痛が快感に変はるSadismMasochismにも似た倒錯した自同律の快楽と言ふ外なかったのであった。しかしながらこの悦楽は危険であると《私》は本能的に感じてゐたのも間違ひなく、その日は私は徐に蒲団から起き上がり立ち上がったのであったが、哀れ、私はそのまま気を失って卒倒してしまったのである。多分、私が気を失ってゐたのは一、二分のことだらうが、しかし、目の前が真っ白な状態から真っ暗な状態へとゆっくりと移ろひゆくその卒倒してゐた時間は私には一時間ほどにも感じられたのであった……。



――見つけたぞ。奴を捕まえた。



さう思った刹那、私は顫動する私を見出し私に気が付いてしまったのである。



――泡沫の夢か……。



一瞬だが私は《私》以外の何かに変貌した自身を仄かに感じたのであった……。そして、後に残ったものと言へば敗北感しかなかったのである……。





















2008 02/11 02:41:13 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――うふ。私、物理学にはそんなに詳しくないから何とも言へないけれど、でも……此の世の全ては《存在》しただけで既に自己に不満足な《存在》として存在する外ないんじゃないかしら……。じゃないと《時間》は移ろはないんじゃない? 《光》もそれは免れないと思ふけれど、どう? 



雪は舗装道路を走る自動車が通る度に巻き起こる風に揺れる公孫樹の葉葉に目をやりながら訊ねたのであった。私は仄かに微笑んで



*******ねえ、つまり、《光》が此の世と彼の世の、つまり、此の世と彼の世の間隙を縫ふ、つまり、代物だと看做すと、ねえ、君、つまり、《光》は此の世の法則にも従ふが、一方、彼の世の法則にも、つまり、従ってゐるんじゃないかと私は思ふんだが、どう思ふ? つまり、《光》が此の世と彼の世の懸け橋になってゐるんじゃないかと思ふんだけれども……、どう思ふ? 



雪は風に揺らめく公孫樹の葉葉を見つめながら、否、葉葉から零れる満月の明かりを見つめながら



――さうね……、あなたの言ふ通り《光》が此の世の限界速度だとしたならば……、うふっ、《光》はもしかすると死者達の彼の世へ出立する為の跳躍台なのかもね、うふっ。



公孫樹の葉葉から零れる月光の斑な明かりが雪の面に奇妙に美しい不思議な陰影を与へて雪の面で揺れてゐた。



*******彼の世への跳躍台? ねえ、君、つまり、それは面白い。つまり、此の世の物理法則に従ふならば、つまり、《光》を跳躍台にして死者が彼の世へ跳躍しても相対論に従へば光速度であることには変はりがない……ふむ。



と、私は思案に耽り始めたのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



ゆっくりとゆっくりと時計回りに彼の人は渦巻きながらも面は私に向けたまま私の視界の中で相も変はらず仄かに明滅してゐたのであった。この視界に張り付いた彼の人もまた、《光》を跳躍台にして彼の世へ出立したのだらうか……。不意に月光の明かりが見たくなって私は頭を擡げ満月に見入ったのであった。この月光も彼の世への跳躍台なのか……等等うつらうつらと考へながら私はゆっくりと瞼を閉ぢて暫く黙想に耽ったのであった。



――ふう〜う。



その時間は私と雪との間には互ひに煙草を喫む息の音がするのみで、互ひに《生》と《死》について黙想してゐるのが以心伝心で解り合ふ不思議な沈黙の時間が流れるばかりであった。



――ふう〜う。ねえ、もう行かなきゃ駄目じゃないの? 



と、雪が二人の間に流れてゐた心地良い沈黙を破ってさう私に訪ねたのであった。私はゆっくりと瞼を開けてこくりと頷くとMemo帳を閉ぢ、煙草を最後に一喫みした後、携帯灰皿に煙草をぽいっと投げいれ徐に歩を進めたのであった。



――もう、待って。



と、雪は小走りに私の右側に肩を並べそっと私の右手首を軽く握ったのであった。私は当然の事、伏目で歩きながらも、しかし、《生》と《死》、そして《光》といふ彼の世への跳躍台といふ観念に捉へられたまま思考の堂々巡りを始めてしまってゐたのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



(以降に続く)





































2008 02/10 02:37:51 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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物心ついた時にはまだ電化製品が物珍しかったが、何時の頃かは解らぬが、今では電化製品に埋もれた生活を送るやうになってしまったことに、私は、常々胸の痛む悲哀を電化製品に感じながら生活してゐる。それでも、私が所有する電化製品は必要最小限度で、なるべくなら所持しないやうに気を使って生活してゐるのである。それといふのも電化製品は切ないのである。何故と言って『人間に《もの》を奴隷として使用する権利があるのか』といふ疑問が何時も私の頭の片隅を過るのである。



――さて、人間とはそれ程に特別な生き物なのか。



電化製品もまだ分解可能な程度の時代であればその《もの》に愛着といふものが湧いたのであるが、今の電化製品は最早分解不可能で愛着なるものが微塵も湧かないのである。これは困ったことで、私は《もの》を消耗品としてはどうしても看做せないので、それ故電化製品は私にとって切ないのである。それでも私は大の音楽好きなので音響機器に関しては愛おしい愛着を持って接してはゐるが、しかし、それも故障してしまへばもうお仕舞ひである。修理するよりも新品を買った方が、結局のところ経済的なのである。私は何時も電化製品が故障してお釈迦になってしまった時は心苦しくもそれを廃棄するのである。これは物凄く切ない行為でどうにかならないかと途方に暮れるが今のところどうにもならないので残念至極である。映像に関しては故・タルコフスキー監督の映画等特別なものを除くと殆ど興味がないのでTelevisionは埃を被って抛ったまま使はず仕舞ひである。



そもそも、この私の電化製品等、《もの》に対するこの名状し難い感覚は何処から来るのかといへば、それは《脳》無き《もの》はそもそもから人間がその特性を見出し奴隷として使ふことに何の躊躇ひがないことに対する抵抗感にある。現状では電化製品を始めとする多くの《もの》が人間の奴隷である。



私の嗜好は手先の延長上の《もの》、例へば手製の道具類等には愛着が湧くが、それ以外は切ないばかりなのである。



嘗ては馬や牛など《脳》あり《意思》ある生き物を何とか馴致し協働で生業を営んでゐたが今は電子機器等の《もの》といふ奴隷が取って代わったので、それが私に嫌悪感を湧き起こすのである。《もの》にもまた《意思》はある筈である。



――何故、《吾》こ奴の為されるがままに作られ機能しなければならぬ? 



等と《もの》が呻いてゐるのが聞こえるやうで、電化製品に埋もれた生活は気色悪いのである。



――何故、人間なる生き物は《吾》にある特性があるのを見出しそれを良いことに《吾》を下僕以下の扱ひをする? 人間も《吾》も同じ《存在物》ではないのか? ぬぬぬ! 人間は何様のつもりなのか! ぬぬぬぬぬ! 



…………



――何故、人間は《便利》といふ《現実逃避》を喜ぶのだ? 《存在》する事とはそれ自体が《不自由》で《不便》な事ではないのか? 



…………



――人間め! 貴様達も此の世の下僕ではないか! ソクラテスのデルフォイの神託ではないが、人間どもよ、汝自身を知れ! 貴様らが《吾》を奴隷として扱ふ《存在》でないことを知れ! ぬぬぬぬぬ! 



…………



――何故、《吾》此処にゐなければならぬ? 何故、《吾》こんな形を強ひられなければならぬ? ぬぬぬぬぬ! 































2008 02/04 00:53:15 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と、その時、私の視界に張り付いた彼の人の瞑目した顔は相変はらず私に正面を向けて音ならざる声を唸り上げながら何やら不気味にさへ見える微笑をちらりと浮かべ忽然とその大口を開けたのであった。それにしても死は物全てに平等に訪れるが、さて、例へば視点を変へて速度をベクトルvで表した



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の時間
Δ<em>t</em>の極限値、つまり、零――ねえ、君、この数式は考えやうによっては物凄く《死》を記号で観念化した代物だと思はないかい? へっ――と看做すと《死者》はベクトルΔxといふ∞の速度で動いてゐると看做せるじゃないか。主体が《観測者》といふ《世界=外=存在》とハイデガー風に看做せば物理学とはそもそも《死》の学問じゃないかい? ふっ。さて、そこで《死》も物理法則に従ふならば《死者》はアインシュタインの相対論から此の世のものは《死》も含めて光速度を超へられないとすると《死者》は光速度で動いてゐることになる。……不図思ったのだが∞とは光の光速度の事で《死》の異名なのかもしれない……。そして、へっ、光が美しいものならば《死》もまた美しいものに違ひない。ふっ、私ももう直ぐ光といふ美しい《死》へ旅立つがね、へっ。ちぇっ、まあ、私のことはそれとして、速度を時間で微分すると加速度が出現するが、この私の論法で行くと加速度とは差し詰め《霊魂》の動きを表現したものに違ひない。その時、私の視界に張り付いた彼の人の《魂》も





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と音ならざる声を唸り上げながら彼方此方に彷徨してゐたに違ひない。《死》の学問たる物理学が此の世を巧く表してゐるならば私の視界に張り付いた私と全く赤の他人の彼の人が蛍の如く私の視界内で渦巻きながら明滅してゐたのは物理学的に見て正鵠を射てゐたのだ。つまり、《死者》とその《魂》は《光》に変化(へんげ)した何物かなのだ。つまり、光が電磁波の一種なのだから《死者》とその《魂》は各人固有の波長をもった電磁波の一種なのかもしれない……。まあ、それはそれとして、天地左右の知れぬ何処の方角に向って私の視界に張り付いた彼の人は向かってゐたのかと考えると西方浄土といふ言葉があるから差し詰め《西方》へ向け出立したに違ひないのかもしれない……。さて、重さあるものは相対論より決して光速度には至れないが、《死者》に変化したものは《重さ》から《解脱》して、さて、此の世の物理法則の束縛から逸脱してしまふ何物なのかなのだ。其処で出会うのが多分無限大の∞なのだ。私も直ぐに∞に出会へるぜ……へっ。





…………





――ねえ、この公孫樹も《気》の渦を巻いて私たちを今その渦に巻き込んでゐるのかしら? ふう〜う。





と、雪が私たちが筆談をしてゐた木蔭であるところの公孫樹を撫で擦り煙草を一服しながらまた呟いたのであった。





*******ねえ、つまり、死後も階級は、つまり、存在するのだらうか? 





――ふう〜う。





と、私も煙草を一服しながら雪に訊ねたのであった。





――勿論、極楽浄土といふんだから当然あるでしょう。でも、……彼の世に階級があったとしても彼の世のもの全て自己充足して、それこそ極楽の境地にゐるから……階級なんて考へがそもそも無意味なんじゃないかしら。





*******すると、つまり、《光》は自己充足した、つまり、自身に全きに充足してしまって自己に満ち足りた、つまり、至高の完全に自己同一した、つまり、自同律の快楽の極致に安住する存在なのかな? 





(以降に続く)























































2008 02/03 04:35:22 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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それは不意を突く地震であった。一歩踏みださうと右足を上げた途端、あれっと思ひも掛けず左足が何かに掬われたかと思ふと、私は途端にBalanceを崩し不格好に右足を咄嗟に地に着け踏んばるしかなかったのである。



――ゆさゆさ、ぐらぐら。



辺りは暫く地震の為すがままに揺す振られ続けてゐたが、私は己の無様さに



――ぷふいっ。



と嘲笑交じりの哄笑を思はず上げてしまったのである。



――何たる様か! 



暫くするとその地震も治まり辺りはしい〜んと夕闇と共に静寂(しじま)の中に没したのであった。



其処は私の普段の逍遥の道筋で或る信仰を集めてゐた巌の前であった。ぐらぐらとその巌も私と共に揺す振られたのである。地震の瞬間は鳥達が一斉に木々から飛び立ったがその喧噪も嘘のやうに今は静かであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



何かがその刹那に咳(しはぷ)くやうに哄笑を上げた。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



私は怪訝に思ひながらも眼前にどっしりと地に鎮座するその苔の生えたごつごつとしかし多少丸みを帯びた巌を凝視したのであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。



間違ひない。眼前の巌が哄笑してゐたのであった。



――ぷぷぷぷぷふぃ。《吾》揺す振られし。ぷぷぷぷふい。



どうやらその巌は自身が揺れた事にうれしさの余り哄笑してゐるらしかった。



――何がそんなにうれしいのか? 



と、私は胸奥でその巌に向って呟くと



――《吾》、《吾》の《存在》を実感す。



と私の胸奥で呟く者がゐた。



――何! 《存在》だと! 



――さう。《存在》だ。《吾》、《吾》から食み出しし。ぷぷぷぷぷふい。



――《吾》から食み出す? 



――さう。何千年もじっと不動のままに一所に居続ける馬鹿らしさをお前は解らないのだ。《吾》には既に《希望》は無し。《風化》といふ《吾》の《滅亡》を堪える馬鹿らしさをお前は解らぬ。



――はっはっはっ。《吾》の《存在》だと! お前に《存在》の何が解るのだ! 



――解らぬか。巌として此の世に《存在》させられた懊悩を! 《吾》風化し《滅亡》した後、土塊に《変容》した《吾》の《屍》から、ぷふい、《何》か《生物》、ぷふい、自在に《動ける》《生物》が誕生せし哀しみをお前は未位永劫解る筈がない。この高々百年の《生き物》めが! 



辺りは今も深い深い静寂に包まれてゐた。



――何千年、何億年《存在》し続ける懊悩! 嗚呼、《吾》もまた《何か》に即座に《変容》したく候。此の世は《諸行無常》ではないのか? 《吾》もまた《吾》以外の何かに変容したく候。



――ぶはっはっはっは。《吾》以外の何かだと! 馬鹿が! 《吾》知らずもの《吾》以外に《変容》したところで、またその底無しの懊悩が待ってるだけさ。汝自身を知れ。



――嗚呼、《吾》また底無しの自問自答の懊悩に飛び込む。嗚呼……。



辺りは闇の中に没してそれこそ底無しの静寂の中に抛り出されてしまった……。































































2008 01/28 07:28:39 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私は雪がぽつりと呟いたその一言に全く同意見であった。私と雪は二人で煙草を



――ふう〜う。



と一服しながら互いの顔を見合い、そして互ひににこりと微笑んだのであった。



*******ねえ、君。つまり、アメリカの杉の仲間の、つまり、巨大セコイアといふ、つまり、巨樹を知ってゐるかい? 



雪は私のMemo帳を覗き込むと



――ええ、もう何千年も生きて百メートルにならうといふ木でしょう。それがどうしたの? 



*******ねえ、つまり、毛細管現象は知ってゐるかい? 



――ええ、知っているわ。それで? 



*******毛細管現象や葉からの、つまり、水分の蒸発による木の内外の圧力差など、つまり、木が水を吸ひ上げるのは、つまり、科学的な説明では数十メートルが限界なんだ。つまり、しかし、巨大セコイアに限らず、つまり、木は巨樹になると数十メートル以上にまで、つまり、成長する。何故だと思ふ? 



――うふっ、木の《気》かしら、えへっ。



*******ふむ、さうかもしれない。つまり、僕が思ふに木は、つまり、維管束から幹まで全て、つまり、螺旋状の仕組みなんじゃないかと思ふんだ。つまり、一本の木は渦巻く《気》の中心で、つまり、その目に見えない摩訶不思議な力で、つまり、科学を超へて垂直に地に屹立する。ねえ、君。つまり、先に言ったが、つまり、科学はまだ渦を説明出来ない。つまり、円運動をやっと直線運動に変換するストークスの定理止まりなんだ。つまり、人間は未だ螺旋の何たるかを、つまり、知らない。つまり、木は人間の知を超へてしまってゐる。つまり、また渦の問題になったね、へっ。



私は雪の何とも不思議さうな顔を見て微笑み更に続けたのであった。



*******ねえ、君。つまり、江戸の町が《の》の字といふ《渦》を巻いてゐるのは知ってゐるね? 



――ええ、山手線がその好例よ。



*******つまり、人間が《水》の亜種ならば《の》の字の渦は天から《気》が絶えず降り注ぐ回転の方向をしてゐる。つまり、低気圧の渦が上昇気流の渦ならば、つまり、《の》の字の渦は、言ふなれば下降気流の回転方向を示してゐる。つまり、さうすると、江戸の町は絶えず天からの目に見えぬ加護を受けてゐたのさ。そこでだ、つまり、江戸時代の階級が渦状の階級社会ならば、つまり、天下無敵の階級社会だったに違ひないのだ。



――ふう〜う。



と私は煙草を一喫みした。



――ねえ、江戸時代の人々は現代人より創造的で豊かな暮らしをしてゐたのかもしれないわね。すると、《自由》の御旗の下の現代の一握りの大富豪と殆ど全ての貧乏人といふ峻険なる山型の階級社会は、うふっ、息苦しいわね。



――ふう〜う。



私は煙草をまた一喫みしながら更なる思案に耽るのであった。



(以降に続く)











































2008 01/27 08:46:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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其処は漆黒の闇に永劫に蔽はれた場所であった。暫くの間、私は全く動かずに何年も何年も其の場の同じ位置で顔を腕の中に埋めながら蹲り続けてゐる外ない程に心身ともに疲弊しきってゐたので、外界が永劫に漆黒の闇に蔽はれてゐた事は長きに亙って解らぬままであったのである。



私は腕に顔を埋めたまま絶えず



――《吾》とはそもそも何か? 



と自問自答する無為の日々を送ってゐたのであった。そんな私にとって外界は無用の長物以外の何物でもなかったのである。そんな底なしの自問自答の中、不意に私の影がゆらりと動き私から逃げ出す素振りを見せた気配がしたので、私は、不意に頭を擡げ外界を眺めたら其処が漆黒の闇に蔽はれ何も見えない場所であったのを初めて知ったのであった。勿論、私の影は外界の漆黒の闇の中に融解してゐて、何処にあるのか解らなかったのは言ふまでもない。



――此処は何処だ! 



さうなのである。私は闇の中の闇の物体でしかなかったのである。つまりは《吾》闇なり。



――闇の《吾》とはそもそも何か? 



それ以降斯くの如き自問自答の無間地獄が始まったのであった。何処も彼処も闇また闇であった。



しかし、闇とは厄介なもので私の内部で何か動きがあるとそれに呼応して何やら外界の闇は異様な気配を纏って私の内部の異形の《吾》となってすうっと浮かび上がった気配を私は感じるのであったが、眼前には漆黒の闇が拡がるばかりであった。



――誰か《吾》の前に現れたか? 



その問ひに答えへるものは何もゐなかったのは言ふまでもない。在るのは漆黒の闇ばかりであった。まさにそれは暖簾に腕押しでしかなかったのである。



――へっ、馬鹿が。お前の内部を覗いたって何もないのは初めから解り切った事ではないか。へっ、《吾》を知りたければ外界を穴が開くほど凝視するんだな! 馬鹿が! 



漆黒の闇の何処とも知れぬ処から斯様な嘲笑が漏れ出たのであった。



さうなのである。私はずっと外界の漆黒の闇に侮蔑されてゐたのであった。私は不意に一歩前へ踏み出ようとしたが、其処に足場は無く、直ぐ様私は足を引っこめざるを得なかった。



――もしや、此処は……深淵の《浮島》なのか……嗚呼……《吾》斯く在りか……。































2008 01/21 04:56:47 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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*******つまり、峻険なる富の山を築いた、つまり、大富豪は、その富の山の途轍もない高さ故に、つまり、エベレストの頂上では生き物が生きられないやうに、つまり、大富豪もまた、つまり、富の山の頂上では、つまり、生きられないとは思はないかい? 



――ふう〜う。



と、雪は煙草を一喫みしながら何やら思案に耽るのであった。



――……さうねえ……マチュピチュの遺跡のやうに……《生者》より輿に乗って祀られる木乃伊と化した《死者》の人数が多い……生死の顛倒した、それこそ宗教色の強いものに変化しないと……峻険なる富の山では人間は生きられないわね……。それにしてもあなたの考え方って面白いのね、うふっ。



*******つまり、するとだ、個人崇拝、つまり、それも死者に対する個人崇拝といふ化け物が、つまり、此の世に跋扈し始める。つまり、さうなると、気色の悪い赤の他人であるその死んだ者に対する個人崇拝が、つまり、人間が生来持つ宗教に対する尊崇の念と結びついて、つまり、巨大な富の山を築いた死んだ者への個人崇拝といふ気色の悪い尊崇が、つまり、峻険なる山型の階級社会を何世代にも亙って固着させ、つまり、貧乏人は末代までも貧乏人じゃないかい? つまり、例へば、キリストの磔刑像に平伏す基督者達は、その教会の教皇が絶大な権力と富とを保持してゐるのも畏れてゐる、つまり、象徴として一生貧乏だったキリストの磔刑像を教会内に安置してゐるが、つまり、しかしだ、基督者達を統べてゐるのは絶大な権力を今も保持してゐる教会であり、つまり、その頂点の教皇だといふことは、つまり、周知の事実だね。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



その瞬間、私の視界から去らうとしない赤の他人の彼の人がゆらりと動き私を凝視するやうに真正面を向いた。そして、相も変はらずに



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



と音ならざる声を瞑目しながら発し続けてゐた。



――不思議ねえ。ねえ、人間って倒錯したものを好んで崇拝する生き物なのかしら? 



*******さうだね、つまり、貧富が顛倒したキリストに象徴されるやうに《欲望》が剥き出しのままでは、つまり、人間は認めたくないんじゃないのかな。つまり、そこに己の卑俗さが露はになるからね。つまり、そもそも人間は自己対峙が苦手な馬鹿な生き物なのは間違ひない……。しかし、つまり、己が卑俗であるが故に《高貴》なものを倒錯した形で崇拝せざるを得ない馬鹿な生き物が、つまり、人間かもしれない。



――何だかまるで建築家のガウディが重力を考慮して逆様にぶら下げた建築物の模型みたいね。



*******つまり、天地が倒錯したものこそ《自然》なのかもしれないね。つまり、所詮人間は重力からは逃れられない哀れな生き物に過ぎないからね。上方を向く垂直軸の不自然さに気付いたガウディは天地を顛倒し建築物を重力に《自然》な形でぶら下げてみた……。つまり……天地の逆転の中に或る真実が隠されてゐるのかもしれない……。つまり、人間はあらゆるものに対してそれが《剥き出し》のままだと自然と嫌悪するやうに創られてゐるのかもしれないね。



私は再び煙草を一本取り出しそれに火を点け一服したのであった。



―ふう〜う。



――木って不思議ねえ。



と、雪がぽつりと呟いた。



(以降に続く)





































2008 01/20 07:28:08 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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無地の白紙の半紙に例へば下手糞だが墨と筆で「諸行無常」と書くとその場の時空間が墨色の「諸行無常」といふ字を核として一瞬にして凝結して行くのが感じられて仕方が無いのである。それは何やら空気中の水分が凝集して出来る雪の綺麗な六花晶を顕微鏡で見るやうであり、高々半紙といふ紙切れに墨書されたに過ぎない「諸行無常」といふ字が時空間を凝結させて私に対峙するが如くに不思議な存在感を醸し出し始めるのである。それを言霊と呼んで良いのかは解からないが、しかし、「諸行無常」と墨書される以前と以降では私の眼前の時空間は雲泥の差で、それは最早別の時空間と言っても良い程に不思議な異空間が出現するのである。



――Fractal(フラクタル)な時空間……。



彼方此方が「諸行無常」に蔽ひ尽くされてゐる……。かうなると最早私には如何ともし難く只管に墨書された「諸行無常」といふ字と対峙する《無心》の時間がゆるりと移ろひ始めるのである。そして、私の存在が墨書された字に飲み込まれて行く心地良さ……。私の頭蓋内の漆黒の闇黒には鬱勃と想念やら表象やらが現れては消えるといふその生滅を只管に繰り返し、私はそれに溺れるのである。



――揺られる、揺られる……。《吾》といふ存在が「諸行無常」といふ墨書に揺す振られる……。何といふ心地良さよ。嗚呼、《吾》が《吾》から食み出して行く……。



不意に私は別の真新しく真っ白な半紙を眼前に敷き、徐に「森羅万象」と息を止めて一気に墨書する。今度は時空間は「森羅万象」といふ墨書を核として一瞬に凝結する……。再び惑溺の始まりだ。



――溺れる、溺れる、《吾》はこの「森羅万象」といふ時空間に飲み込まれ溺れる……。



眼前の「森羅万象」と墨書された半紙は微塵も動かず、只管に「森羅万象」であることに泰然としてゐやがる。



――ふっ、《吾》この宇宙全体を《吾》として支へる《吾》に陶酔してゐるのかもしれない……。この「森羅万象」といふFractalな時空間は宇宙を唯「森羅万象」に凝結してしまひ、そして、彼方此方で時空間が言霊となって囁くのだ。【此の世は即ち『森羅万象』】と。それにしてもこの肉筆の文字と墨の持つ凄まじき力は何なのか? 嗚呼、《吾》お……ぼ……れ……る…………。





春の海終日のたりのたり哉           蕪村





















2008 01/14 04:40:03 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――ふう〜う。



と私は煙草を一服するとその吸い殻を携帯灰皿にぽいっと投げ入れたのであった。



*******つまり、《自由》に身を委ねると、つまり、現状は、つまり、嘗ての、つまりね、Pyramid(ピラミッド)型の階級社会にすら程遠い、つまり、一握りの大富豪と、つまり、殆ど全ての貧乏人の、つまり、大地に屹立した、つまり、峻険なる山のやうな、つまり、階級社会となるのは必然だと思ふかい?



――そうね、《自由》の下ならば一世代位の期間はさういふ階級社会が続くと思ふけれども、でも……、峻険な山が風化するやうにPyramid型の階級社会が長期に亙る《自然》の近似ならば三世代の間位に峻厳な山からPyramid型へと階級の形が移行する筈よ、多分ね、うふ。



と、雪は私との筆談が楽しいのか愛らしい微笑みを浮かべ次に何を私が書くのか興味津津に私の手のPen先をじっと凝視するのであった。



*******すると、つまり、さうすると現在貧乏人は、つまり、一生貧乏人かい?



――……さうね。一握りの《成功者》を除くと殆ど全て貧乏人は貧乏人のまま一生を終へるわね……残念ながら……。士農工商のやうなPyramid型の或る種平安な階級社会が《自然》に形作られるには最低三世代は掛かる筈よ。だって、貧乏人が《職人》といふ他者と取り換へ不能な一廉の人間になるには最低三世代のそれはそれは血の滲むやうな大変な苦労が必要だわ……。



*******それじゃね、つまり、市民といへば聞こえは良いが、つまり、単刀直入に言って市民といふ貧乏人は、つまり、士農工商の何れかの階級の《職人》に、つまり、三世代掛かってなるんだね?



――う〜ん、……さうね、多分。だって、現在生きてゐる人類の多くは貧困に喘いでゐて、その貧困から脱出する術すら未だに見つけられずにゐるじゃない。人間が社会に寄生して生きる外ない生き物で、しかもそれが《自由》の下ならば、人類の現状がそのままこの国の社会にも反映され、そして《自然》は必ずさう仕向ける筈よ。《自由》が《自由》を束縛するのよ、皮肉ね。あなたもさう思うでしょ、一握りの先進国が富を独占してゐる世界の現状が《自然》ならば、この国の社会もそれを反映した《自然》な世界の縮図にならなければ神は不公平だと。つまり……この国の国民の殆ども貧困に陥らないとその社会は嘘よ。



雪はさう言ふと不意に満月を見上げ



――ふう〜う。



と煙草を一服したのであった。



…………



社会に不満を持つのは舌足らずな思考をする青年の取り柄だが、当時の彼女もまた当然若かったのである。ねえ、君、攝願と比丘尼になった今の雪の考へをもう一度聞いてみたいがね。



…………



*******ねえ、つまり、多様性は、つまり、さうすると、どうなる?



私は満月を見上げる雪の肩をぽんと叩き筆談を続けたのである。



――Paradigm(パラダイム)変換が必要ね。市場原理による《自由》な資本主義にたかって生きるならば一握りの大富豪とその他殆ど全ての貧乏人といふ《多様》に富んだ階級構造は受け入れるしかないわね。でも、擬似かもしれないけれども封建制度の復古等等、Paradigm変換は必ず訪れるわ。峻険な山が風化するやうにね。



*******でも、君、つまり、峻険な山が、つまり、風化してPyramidのやうになったとしても、つまり、その社会は活力が減衰してゐないかい?



――さうね、あなたの言ふ通りね、でも、地球を《自然》の典型と見るならば、或る日突然地殻変動が起きてヒマラヤの山々のやうな大地に峻険と屹立する途轍もなく高い山が再び此の世に出現する筈よ。それがParadigm変換じゃない? 



と言ふと



ふう〜う。



と、雪は煙草を一服したのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



相変はらず私とは全く面識のない赤の他人の彼の人は私の視界で明滅しながら音ならざる声を上げ続けてゐるのであった。



(以降に続く)





















































2008 01/13 07:04:40 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――ほらほら、無といふ文字や零といふ記号で封印されたものたちが、蛇が外界の状況を把握する為にちょろちょろと舌を出すやうに己の場所から逃げ出さうとしてゐるのが見えないかい? 



――ふっ、それで?



――奴等もまた己が己であることに憤怒してゐる《存在》の虜囚さ。身の程知らずったらありゃしない……へっ。



――さういふお主もまた自同律の不快が持ち切れずに己を持て余して《他》に八つ当たりしてゐるじゃないかい?



――へっへっへっ。さういふお主もつんと澄ました顔をしてゐるが、へっへっへっ、自同律の不快が持ち切れずに《他》に八つ当たりしてゐるじゃないかい?



――はっはっはっ。馬鹿が……。あっしは己の翳の深さを思ひあぐねて七転八倒してゐるだけさ。



――ふむ。お主はProgramerなら誰でも知っているハノイの塔を知っているかね?



――それで?



――そのハノイの塔の翳は、さて、その中心部が最も濃いと思ふかい?



――ふむ。多分さうだらう。それで?



――お主は翳の深さがあの厄介者の《存在》と紐帯で結び付いてゐるとしたならどう思ふ?



――さうさねえ……、……翳もまた翳で己から逃げ出したい《存在》の虜囚じゃないか、へっ。



――ふっ、さて、そこで己の己からの遁走が可能として、その己は何になる?



――へっ、それは愚門だぜ、己は《他》になるに決まってらあ!



――ふっ、それで、己が《他》に変化できたとしてその《他》もまた己といふ《存在》の虜囚じゃないのかい?



――へっ、大馬鹿者が! 己は《他》に変化できたその刹那の悦楽を存分に喰らひたいだけなのさ。その《虚しさ》といふ快楽が一度でも味はへれば馬鹿な《己》はそれで満足するのさ。



――へっ、それが生きるための馬の眼前にぶら下げられた人参といふ事かね。阿呆らし。



――さう、人生なんぞ阿呆らしくなくて何とする?



――ははん。他人の家の庭はよく見えるか、様あないぜ、ちぇっ。







































2008 01/07 10:58:55 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――もしや、この眼前の全く面識のない赤の他人の彼の人は……、もしや、恍惚の中に陶酔してゐるのかもしれぬ……。



《眼球体》と化した私は眼前に横たはる彼の人をまじまじと凝視しながら不意に何故かしらさう思ったのであった。否、実のところ、さう思はずにはゐられなかったのである。これは実際のところ私の願望の反映に過ぎないのかもしれないが、しかし、生き物が死すれば



――皆善し!



として自殺を除いて全ての死したものが恍惚の陶酔の中になければならないとしか私にはその当時思へなかったのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



この絶えず彼の人から発せられてゐる音ならざる苦悶の呻き声は、もしかすると歓喜の絶頂の中で輻射されてゐる慈悲深き盧遮那の輝きにも似た歓喜の雄叫びなのかもしれぬと思へなくもないのである。否、寧ろさう考へたほうが自然なやうな気がするのである。自殺を除いて死すもの全て



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



と、ハイゼンベルクの不確性原理から解放された完全なる《一》たる己を己に見出し歓喜の雄叫びを上げて吾が生と死に祝杯を捧げてゐるに違ひない。生きてゐる間は生老病死に苛まれ底なく出口なき苦悶の中でもがき苦しみやっとのことで未完の生を繋いで来たに違ひない生者達は死してやっと安寧を手にするに違ひないのだ。ところでそれはまた死の瞬間の刹那のことでその後の中有を経て極楽浄土へ至るこれまた空前絶後の苦悶の道程を歩一歩と這い蹲るが如くに前進しなければならないのかもしれない来世といふ《未来》に向かふ巨大な巨大な巨大な苦難の果てといふ事からも一瞬、解放されてゐるに違ひない……。と、不意に《眼球体》と化してゐた私は吾の自意識と合一して、私はゆっくりと瞼を開けたのであった。そして、私は雪の美しい相貌を全く見向きもせず天空で皓皓と青白く淡き輝きを放つ満月を暫く凝視するのであった。この一連の動作は全く無意識のことである。ところが、瞼を開けても最早私の視界から彼の人の明滅する体躯の輪郭は去ることがなく、満月の輝きの中でも見えるのであった。



――ふう〜う。



と私は煙草を一服し月に向かって何故か煙草の煙を吐き出したのであった。煙草の煙で更に淡い輝きになった月はそれはそれで何とも名状し難い風情があった。と、不意に私の胸奥でぼそっと呟くものがあった。



――月とすっぽん。



私はその呟きを合図にそれまでの時間の移ろひを断ち切るやうにMemo帳を取り出し雪と再び筆談を始めたのであった。



*******つまり、自由を追い求めるならば、つまり、月とすっぽん程の、つまり、激烈な貧富の格差は、つまり、《多様性》の、つまり、現はれとして、つまり、吾々は、つまり、それを甘受しなければならないと思ふが、つまり、君はどう思ふ?



と、全く脈絡もなく視界の彼の人を抛り出してとっさに雪に書いて見せたのであった。満月の月光の下ではMemo帳に書いた文字ははっきりと見えるのである。すると雪は美しく微笑んで、しかし、何やら思案するやうに



――う〜む。難しい問題ね。あなたの言ふ通りなのは間違いないわ。しかしね、社会の底辺に追いやられた人々はその《多様性》といふ《自由》を持ち堪へられないわ……、多分ね。でも……、残酷な言い方かもしれないけれども《自由》を尊ぶならばあなたの言ふ月とすっぽん程の格差といふ《多様性》は受け入れるしかないわね……。



と切り出したのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



(以降に続く)





































2008 01/06 09:24:21 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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エジプトやギリシア、そしてイタリア等の古代遺跡跡に今も立つ円柱を思ふと巨大な石造りの建造物が権力や富の象徴として君臨してゐたことが窺ひ知れるが、さて、其処でその巨大な石造物を支へてゐた円柱群の林立する写真等を目にすると、其処に人間の浅墓さと共に何やら構築せずにはゐられない人間の性のやうなものが去来する。



地に屹立する円柱群。そして、その上にあったであらう石造りの豪奢な天井若しくは人工天上。それら円柱群が時空間を人間の思ひのままにぶった切り人造の絢爛豪華な時空間を支へる円柱は、その淵源を辿ると母胎を支へる子宮に通ずるやうに思へるのだ。つまり、地に屹立する円柱の長さ分、神の坐す天上界を人間界にずり下げ、母胎内で無意識に思ひ描いてゐたであらう理想郷を人間は築かずにはゐられないのだ。それは正に泡沫の夢である。何故ならば円柱が地に屹立する遺跡の写真は建築物が永遠のものではなく《崩壊》した事を如実に示してゐる。それはまるで、人間もまた何時までも子宮内に留まれずに此の世に出生させられるのと同じやうに……。それは何とも儚く諸行無常といふ言葉を思ひ起こさせるのである。



――さて、自然もまた自己崩壊する運命にあるのであらうか……。



ところで、建造物は何時の世も人間が思ひ描く《宇宙》の縮図である。私にとって今のところ最高の《宇宙》の縮図は私の幼少時の私の祖父母の家である。それは茅葺屋根の家であったが其処にゐる心地良さは今もって味はったことのない至福の時間であった。そして、もう一つ《宇宙》の縮図を挙げればそれは法隆寺の五重塔である。カフカが生きてゐた迷宮のやうなプラハやブダペストなどオーストリア・ハンガリー帝国の都市を除くと石造りの西洋の街はどうも私の性に合はないが、木造建築で現存する最古の法隆寺の五重塔は諸行無常にあって何やら微かではあるが恒常不変にも通じる深遠なる何かを指示してゐるやうで、私は五重塔を見る度に感慨に耽るのである。



さて、法隆寺の五重塔や建築については後の機会に譲るとして、しかし、塔と言へば私は即座にノーベル文学賞受賞者でアイルランドの詩人兼劇作家のイェーツの「塔」といふ作品が思ひ起こされるのである。それは螺旋にも通じるものでそれはまた後の機会で改めて取り上げるとしてイェーツの「塔」はかうである。



W.B.Yeats



The Tower





I



WHAT shall I do with this absurdity -



O heart, O troubled heart - this caricature,



Decrepit age that has been tied to me



As to a dog's tail?



Never had I more



Excited, passionate, fantastical



Imagination, nor an ear and eye



That more expected the impossible -



No, not in boyhood when with rod and fly,



Or the humbler worm, I climbed Ben Bulben's back



And had the livelong summer day to spend.



It seems that I must bid the Muse go pack,



Choose Plato and Plotinus for a friend



Until imagination, ear and eye,



Can be content with argument and deal



In abstract things; or be derided by



A sort of battered kettle at the heel.



II



I pace upon the battlements and stare



On the foundations of a house, or where



Tree, like a sooty finger, starts from the earth;



And send imagination forth



Under the day's declining beam, and call



Images and memories



From ruin or from ancient trees,



For I would ask a question of them all.





Beyond that ridge lived Mrs. French, and once



When every silver candlestick or sconce



Lit up the dark mahogany and the wine.



A serving-man, that could divine



That most respected lady's every wish,



Ran and with the garden shears



Clipped an insolent farmer's ears



And brought them in a little covered dish.





Some few remembered still when I was young



A peasant girl commended by a Song,



Who'd lived somewhere upon that rocky place,



And praised the colour of her face,



And had the greater joy in praising her,



Remembering that, if walked she there,



Farmers jostled at the fair



So great a glory did the song confer.





And certain men, being maddened by those rhymes,



Or else by toasting her a score of times,



Rose from the table and declared it right



To test their fancy by their sight;



But they mistook the brightness of the moon



For the prosaic light of day -



Music had driven their wits astray -



And one was drowned in the great bog of Cloone.





Strange, but the man who made the song was blind;



Yet, now I have considered it, I find



That nothing strange; the tragedy began



With Homer that was a blind man,



And Helen has all living hearts betrayed.



O may the moon and sunlight seem



One inextricable beam,



For if I triumph I must make men mad.





And I myself created Hanrahan



And drove him drunk or sober through the dawn



From somewhere in the neighbouring cottages.



Caught by an old man's juggleries



He stumbled, tumbled, fumbled to and fro



And had but broken knees for hire



And horrible splendour of desire;



I thought it all out twenty years ago:





Good fellows shuffled cards in an old bawn;



And when that ancient ruffian's turn was on



He so bewitched the cards under his thumb



That all but the one card became



A pack of hounds and not a pack of cards,



And that he changed into a hare.



Hanrahan rose in frenzy there



And followed up those baying creatures towards -





O towards I have forgotten what - enough!



I must recall a man that neither love



Nor music nor an enemy's clipped ear



Could, he was so harried, cheer;



A figure that has grown so fabulous



There's not a neighbour left to say



When he finished his dog's day:



An ancient bankrupt master of this house.





Before that ruin came, for centuries,



Rough men-at-arms, cross-gartered to the knees



Or shod in iron, climbed the narrow stairs,



And certain men-at-arms there were



Whose images, in the Great Memory stored,



Come with loud cry and panting breast



To break upon a sleeper's rest



While their great wooden dice beat on the board.





As I would question all, come all who can;



Come old, necessitous. half-mounted man;



And bring beauty's blind rambling celebrant;



The red man the juggler sent



Through God-forsaken meadows; Mrs. French,



Gifted with so fine an ear;



The man drowned in a bog's mire,



When mocking Muses chose the country wench.





Did all old men and women, rich and poor,



Who trod upon these rocks or passed this door,



Whether in public or in secret rage



As I do now against old age?



But I have found an answer in those eyes



That are impatient to be gone;



Go therefore; but leave Hanrahan,



For I need all his mighty memories.





Old lecher with a love on every wind,



Bring up out of that deep considering mind



All that you have discovered in the grave,



For it is certain that you have



Reckoned up every unforeknown, unseeing



plunge, lured by a softening eye,



Or by a touch or a sigh,



Into the labyrinth of another's being;





Does the imagination dwell the most



Upon a woman won or woman lost?



If on the lost, admit you turned aside



From a great labyrinth out of pride,



Cowardice, some silly over-subtle thought



Or anything called conscience once;



And that if memory recur, the sun's



Under eclipse and the day blotted out.





III



It is time that I wrote my will;



I choose upstanding men



That climb the streams until



The fountain leap, and at dawn



Drop their cast at the side



Of dripping stone; I declare



They shall inherit my pride,



The pride of people that were



Bound neither to Cause nor to State.



Neither to slaves that were spat on,



Nor to the tyrants that spat,



The people of Burke and of Grattan



That gave, though free to refuse -



pride, like that of the morn,



When the headlong light is loose,



Or that of the fabulous horn,



Or that of the sudden shower



When all streams are dry,



Or that of the hour



When the swan must fix his eye



Upon a fading gleam,



Float out upon a long



Last reach of glittering stream



And there sing his last song.



And I declare my faith:



I mock plotinus' thought



And cry in plato's teeth,



Death and life were not



Till man made up the whole,



Made lock, stock and barrel



Out of his bitter soul,



Aye, sun and moon and star, all,



And further add to that



That, being dead, we rise,



Dream and so create



Translunar paradise.



I have prepared my peace



With learned Italian things



And the proud stones of <country-region wt="on">t="on">

Greece

</country-region>,



Poet's imaginings



And memories of love,



Memories of the words of women,



All those things whereof



Man makes a superhuman,



Mirror-resembling dream.





As at the loophole there



The daws chatter and scream,



And drop twigs layer upon layer.



When they have mounted up,



The mother bird will rest



On their hollow top,



And so warm her wild nest.





I leave both faith and pride



To young upstanding men



Climbing the mountain-side,



That under bursting dawn



They may drop a fly;



Being of that metal made



Till it was broken by



This sedentary trade.





Now shall I make my soul,



Compelling it to study



In a learned school



Till the wreck of body,



Slow decay of blood,



Testy delirium



Or dull decrepitude,



Or what worse evil come -



The death of friends, or death



Of every brilliant eye



That made a catch in the breath - .



Seem but the clouds of the sky



When the horizon fades;



Or a bird's sleepy cry



Among the deepening shades.





何とも味はひ深い作品であるがイェーツについても何れかの機会に改めて書かうと思う。

2007 12/24 04:52:25 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――しゅぱっ。



雪がもう一本煙草に火を点けたやうだ。



――はあ〜あ、美味しい。



私は雪のその心地良ささうな微笑んだ顔が見たくて《眼球体》の吾から瞬時に私に戻りゆっくりと瞼を開け、雪の顔を見たのであった。



――うふ。私ももう一本吸っちゃった。あ〜あ、何て美味しいのかしら。……どう? 死者の旅立ちは。



私はおどけた顔をして首を横に振って見せた。



――そう。三途の川を超へた者皆、その道程は艱難辛苦に違ひないけど……そして彼岸から先の極楽までの道のりが辛いのは簡単に損像できるけど……実際……さうなのね?



私は雪の問ひに軽く頷き煙草を美味さうに喫む雪の満足げな顔につい見蕩れてしまふのであったが、その雪の顔は美しく美貌といふ言葉がぴったりと来るのである。その顔の輪郭が絶妙でこれまた満月の月光に映えるのであった。



そして、私は雪の美貌を映す満月の光に誘はれるやうに南中へ昇り行く仄かに蒼白いその慈愛と神秘に満ちた月光を網膜に焼き付けるやうにじっと満月を凝視し続けたのであった。



――科学的には太陽光の反射光に過ぎないこの月光といふものの神秘性は……生き物全てに最早その様にしか感じられないやうに天稟として先験的に具へられてしまったものなのかもしれぬ……。



――ふう〜う。



私は煙草を身体全体にその紫煙が行き渡るやうに深々とした呼吸で喫みながら暫く月光を凝視した後にゆるりと瞼を閉ぢたのであった……。



その網膜に焼き付けられたらしい月光の残像が瞼裡の闇の虚空にうらうらと浮かび上がり、あの全く面識のない赤の他人の彼の人の仄かに輝きを放つが今にもその虚空の闇の中に消え入りさうなその死体へ変化し横たわったままの体躯は、ゆるりと渦を巻く瞼裡の闇の虚空にAurora(オーロラ)の如く残る月光のうらうらと明滅する残像に溶け入っては己の《存在》を更に主張するやうに自身の姿の輪郭を月光の残像から孤立すべく、月光の残像の明滅する周期とは明らかに違ふ周期でこれまた仄かに瞼裡の闇の虚空に明滅しながら月光の残像の中で蛍の淡い光の如くに輝くのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



私は再び瞼裡の闇の虚空の渦に飲み込まれるやうに自意識の一部が千切れ《眼球体》となる狂ほしい苦痛の呻きを胸奥で叫び、とはいへひょいっと《眼球体》となった私は渦巻く瞼裡の虚空に投身するのであったが、最早瞼を閉ぢると眼前で渦巻く瞼裡の闇の虚空に吸い込まれるのは避けやうもないらしい。



それにしてもこの眼前に拡がる瞼裡の渦捲く闇の虚空は一体何なのであらうか。



――中有。



とはいへ、其処が中有とは今もって信じられ難く懐疑の眼でしか見られずに、しかも《眼球体》となって瞼裡の渦捲く闇の虚空に《存在》するこの私の状態は、さて、一体なんなのであらうか……。



唯、《眼球体》の私は自在であった。例へてみれば、そのAuroraの如き月光の残像の中に飛び込めば其処は眩いばかりの光しか見えない《陽》の世界であり、一度月光の残像から飛び出ると彼の人の闇の中に消え入りさうな体躯が闇の虚空にぽつねんと浮かび上がるのが見える《陰》の世界であった。そして、《眼球体》の私は多分月光の残像の中では陽中の陰となり、月光の残像から飛び出ると《眼球体》の私は陰中の陽となり、其処は陰陽魚太極図そっくりの構図に違ひないとしか思へなかったのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



相変はらず彼の人は声ならざる声をずうっと発し続けたままであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



(以降に続く)















































2007 12/23 09:04:44 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私は、脊髄が痺れ、脳髄の芯が麻痺するが如く我慢ならない頭痛にしばしば襲はれるが、しかし、この異常にも思へる頭痛は、此の世に私が確かに存在してゐる事の呻きのやうに思へ、私はこの異常な程の苦痛を伴ふ頭痛を偏愛してもゐる、或る種Masochist(マゾヒスト)なのだらう。勿論、脳波やらCT-Scanやら病院で徹底的に頭痛の原因を精査したが、現代医学ではその原因すら皆目解らず鎮痛剤を処方されて仕舞ひである。



頭痛の時は睡眠時に既に私はそれを感知してゐるらしく何とも不思議な夢ならざる夢もどきの虚ろに移ろい行く支離滅裂な表象のSlow motionに何やら不安を感じて覚醒するが、成程、頭痛かと何時も覚醒時に合点するのが常であった。さうして私は布団の中に暫く横たはったまま脳髄の芯から発してゐるであらうその頭痛を我慢しつつも或る種の快楽の中に溺れてゐる自身をじっと味はっては



――吾、此処に在り!



と感嘆の声を胸奥で独り叫ぶのであった。さうした後に徐に立ち上がり途轍もなく濃い珈琲を淹れ、気休めにその途轍もなく濃い珈琲を一杯出来るだけ早く飲み干すのである。それでも異常な頭痛は治まる筈もなく、しかし、途轍もなく濃い珈琲の御蔭で鮮明になった意識は頭蓋内の闇に手を突っ込むが如くに私の内部で増大しつつある不安を手探りで探し出してはその不安を握り潰して、更に頭痛の苦痛といふ快楽に溺れるのであった。



――吾、此処に在り!



その数十分の時間は胸奥で快哉を上げる或る種至福の時間でもあったのだ。普段であれば鎮痛剤を飲んでそのまま通勤し、一日中その頭痛と格闘しながら仕事に励むのであるが、それが休日であれば、私は鎮痛剤は飲まずひたすらその異常な頭痛の狂おしい痛みといふ快楽に溺れ続けるのが常であった。間歇的に胸奥で叫ぶ



――吾、此処に在り!



といふ快哉は頭痛の苦痛に苛まれながらも爽快なのである。不安といふ快楽は私にとって麻薬同然のものなのかもしれない……。この不安と快楽とに大きく振幅する私の意識の状態は何やら私といふ《存在》を揺すってゐるやうに思われ、さうして揺すってゐる《存在》から、例へば



――許し給へ。



等といふ言質を取れればもう私の喜びは言はずもがなである。それは私を悩まし続ける《存在》といふ観念をふん縛って持国天の如くその《存在》を邪気の如くに踏み付ける憤怒の形相の《吾》を想像する快楽である。とは言へ、それは一時の妄想に過ぎない。狂おしい頭痛は休む事を知らず、直ぐ様私を襲ひ



――へっ、阿呆の戯言が!



と私の内部でさう発する声に私は一瞬で打ちのめされるのであった。さうやって私は日がな一日絶望と歓喜の間を振幅しながら独り己といふ《存在》と格闘するのであった。



――吾、此処に在り!



…………



…………



――其、《存在》を吾ふん縛る!



…………



…………



――へっ、阿呆の戯言が!



…………



…………











































2007 12/17 07:22:57 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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ねえ、君。人間とは《存在》といふ魔物に囚はれる虜囚たる事を宿命付けられた哀れな生き物だね。もし仮に正もせずに《存在》に無頓着なそれこそ能天気な輩がゐたら、さういふ輩には哀れな微笑みを送ってやるしかないね。何故って、さういふ輩は既に自身を馬鹿者として積極的に肯定した阿呆に違ひないからさ。先づ、自身の存在を全肯定出来る事自体が馬鹿の証さ。そいつ等の話を聞いて御覧。薄っぺらな内容に終始して、そのくせ小心者ときたならば、もう目も当てられないね。そういふ輩は愚劣極まりなく醜悪さ。私はそいつ等の放つ悪臭――勿論、これは幻臭だがね――に堪へられず、いつも反吐を吐いてゐたがね。



ねえ、君、そもそも《存在》とは何ぞや。いつ何時も、さう、睡眠中に夢を見てゐる時さへ、自身の《存在》に懐疑の眼を向けざるを得ない《私》といふ《存在》はそもそも何ぞや。吾と己に《ずれ》が生じる故に《生存》といふ変容に身を置ける原動力になってゐるのは当然として、さて、其処に介在する《時間》といふこれまた魔物の流れに取り残され絶えず《現在》に身を置かざるを得ないこの《私》とはそもそも何ぞや。つまりは、身体の細胞Levelで考へてみると、身体を形成してゐる数十兆もの細胞群は分裂、増殖、そしてApoptosis(アポトーシス)を繰り返して何とか《私》を存続させてゐるが、この絶えず変容する《私》は過去の《私》に未練たらたらで現在の変容する未完の《私》をどうあっても《私》として受け入れなければならない宿命を背負ってゐて、もしもそれを拒否したならば《私》は死ねない細胞たる癌化するしかない哀れな《存在》でしかない……。するとだ、生物は絶えず不死たる癌細胞への憧憬を抱いてゐて、不死たる《私》でありたいと心奥では渇望してゐるに違ひないのさ。つまりは神。近代までは人間はそんな傲岸不遜な考へを断念しひた隠して来たが、現代に至ってはその恥知らずな神たらうとする邪悪な欲望を隠しもしない侮蔑すべき《存在》に成り下がってしまったが、しかし、それが《存在》の癌化に過ぎない事が次第に明らかになるにつれ、人間は現在無明の真っ只中に放り出されて、唯漫然と生きてゐる――それでも「私は懸命に生きてゐる」と猛り狂う輩もゐらうが、それは馬鹿のする事さ――結果、現世利益が至上命題の如く欲望の赴くままに生き、そして漫然と死すのみの無機物――ねえ、君、無機物さへも己の消滅にじっと堪へながら自身を我慢しながら存在してゐるのさ――以下の生き物でしかない……。その挙句が過去への憧憬となって未来は全く人間の思考の埒外に置かれる事になってしまったが、さて、そこで現在がどん詰まりに気付いて慌てて未来に思いを馳せてみると人類は絶滅するしかないことが闡明になってゐて、さてさて、現在、人類は滅亡に恐れをなして右往左往してゐるのが現状さ。



自同律の不快。人類は先づ生の根源たるこの自同律の不快に立ち戻ってパスカルの言ふ通り激烈なる自己憎悪から出直さなければならないと思ふが、君はどう思ふ? 倒木更新。未だ出現せざる未来人を出現させるためにも現在生きてゐる者は必ず死ななければならない事を自覚して倹しく生きるのが当然だらう。へっ。文明の進歩なんぞ糞喰らへ、だ。人類は人力以上の力で作られたものは全て人の手に負えぬまやかし物である事に早く気付くべきさ……。へっ。ねえ、君。一例だが、科学技術が現在のやうに発展した現代最高の文明の粋を結集して、茅葺屋根の古民家以上に自然に馴染んだ家を、つまり、朽ちるにつれてきちんと自然に帰る家が作れると思ふかい? 無理だらう……へっ。





《眼球体》と化した私の意識は中有の中に飛び出し私の瞼裡に仄かに輝き浮かぶ誰とも知れぬ赤の他人の彼の人の顔貌をまじまじと凝視したが、すると彼の人は消え入りさうな自身の横たはる身体を私の眼前に現はしたのであった……。



(以降に続く)













2007 12/16 09:39:35 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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マラルメ詩集(【岩波文庫】鈴木信太郎訳)「エロディヤード」より





               おお 鏡よ、



倦怠により その縁の中に氷れる冷かなる水、



幾たびか、またいく時か、数々の夢に悶えて、



底知れぬ鏡の淵の氷の下に沈みたる



木の葉にも似し わが思出を 探し覚(もと)めて、



汝の中に杳かなる影のごとくに われは現れぬ。



しかも、恐し、夕されば、その厳しき泉の中に



乱れ散るわが夢の裸の姿を われは織りぬ。



(一部旧字を当用漢字に変換)





影に一旦魅せられると最早其処から去れぬなり。何故か。それは将に影即ち《物自体》の影を映す鏡也故。



吾、今宵もまた闇の中に埋まりし吾部屋で和蝋燭を点しける。Paraffin(パラフィン)で出来し西洋蝋燭は炎が殆ど揺らがぬ故に味気なし。脈動する陰翳の異形の世界に浸るには之和蝋燭に限るのみなり。



――ゆあゆあ……ぽっぽっ……ゆあゆあ……



と点りける和蝋燭がこの吾部屋の心臓なりし。和蝋燭の炎の強弱絶妙なりし。和蝋燭の炎が弱まりそれ故一瞬の闇に包まれし吾部屋の静寂、ぱっと和蝋燭の炎が強まりしと同時に物皆その面を此の世に現はしきらりと輝きし。其の様、何とも名状し難き趣あり。



――吾、此処ぞ。



――吾も此処ぞ。



――吾もまた此処ぞ。



と物皆、己の存在を無言で表白するなり。さはあれ、然りしも、物皆の陰翳、ここぞとばかりに深き闇に変貌するなりしが、其の闇に溺れし異形の物達もまた無言の煩悶する呻き声を彼方此方で発するなり。



――無限の物の相貌が和蝋燭で生じし陰翳の深き闇の泉の中に生滅しては



――吾、何ぞや。



と哀しき哀しき無言の嘆きに満たされし吾部屋の中、独り、吾もまた



――吾、そもそも何ぞや。



と深き懊悩の中に沈みける。



唯唯、明滅する和蝋燭の揺らげき炎を凝視する中、吾の頭蓋内の深き深き闇に異形の吾が無数に生滅するなり。



――これも吾。あれも吾……。



と、思ひながら、吾、不意に吾暗き頭蓋内に独り残され、怯え顫へる侏儒の哀れなる吾を見つけし。その侏儒の吾が不意に此方を振り向きし時のその面、醜悪なる美といふか、紊乱し醜と美と煩悩とが渾然となりし無様な異形の吾の面に魅入られし吾に対する不快、これ名状し難きなり。



――自同律の不快……。



其の刹那、吾、不敵な嗤ひを浮かべ、侏儒の吾に向け罵詈雑言の嵐を浴びせし。



――ふっふっふっ。



と侏儒の吾も不敵な嗤ひを浮かべ吾を侮蔑するなり……。



吾部屋では独り、和蝋燭のみ恬然と点り続けし……。



――ふっふっふっ。



――ふっふっふっ。



…………



…………















































































2007 12/10 10:20:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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瞼裡に仄かに輝き浮かぶ瞑目した全く面識のない赤の他人の彼の人は、ゆるりと瞼裡全体が渦を巻き始めたときに口元が仄かに微笑んだやうに見えたのはもしかすると私の気の所為かもしれぬが、しかし、それを見た刹那彼の人は地獄ではなく極楽への道を許されたのだと思った。



――それにしてもこの瞼裡の光景は私の脳が勝手に私に見せる幻視なのか……。



と、そんな疑問も浮かぶには浮かんだが



――へっ、幻視でも何でもいいじゃないか。



と更に私の意識は瞼裡の影の虚空に引き込まれて行くのであった。さう、私もまた、瞼裡の渦にそれとは知らずに巻き込まれてゐたのであった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



それにしても中有は彼の人以外ゐないところから徹底的に孤独でなければならぬ場らしい。瞑目した彼の人は、さて、この孤独の中で何を思ふのか。既に死の直前には自身の人生全体が走馬灯の如く思ひ出された筈である。



――そもさん。



――説破。



と、彼の人は自己の内部に、否、魂の内部に沈潜しながらその大いなる《死》の揺籃に揺られながら既に《物体》と化した自己を離れ《存在自体》若しくはカント曰く《物自体》と化して自問自答する底知れぬ黙考の黙考の黙考の深い闇の中に蹲りながら《存在》といふ得体の知れぬ何かを引っ掴んで物珍しげにまじまじと眺め味はひ、そして、その感触を魂全体で堪能してゐるのであらうか……。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



その証拠が瞼裡の影の闇の虚空に仄暗く浮かび上がる彼の人の顔貌の輪郭なのではないか……と思ひながら私はまた煙草を



――ふう〜う。



と、喫むのであった。すると、私は何やら名状し難い懊悩のやうな感覚に包まれたかと思ふと源氏物語の世界の魂が憧(あくが)れ出るが如くに私の自意識の一部が凄まじい苦痛と共に千切れるやうに瞼裡の闇の虚空に憧れ出たのである。私もまた其の刹那



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



と、呻き声に成らぬ声を私の内部で発したが、しかし、それは言ふなれば私といふ《眼球体》――それはフランスの象徴主義の画家、オディロン・ルドンの作品「眼は奇妙な気球のように無限に向かう(1882年)のやうなものであった筈である――がその闇の虚空へと飛翔を始めた不思議な不思議な感覚であった。何もかもがその闇の虚空では自在であったのだ。私の思ふが儘、その《眼球体》と化した私は自在に虚空内を飛び回れるのである。それはそれは摩訶不思議な感覚であった。



――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜



《眼球体》と化した私は瞑目して深い深い黙考の黙考の黙考の中に沈潜してしまった彼の人にぴたりと寄り添ひ今更ながらまじまじと彼の人の顔貌を凝視したのであった……。



(以降に続く)







































2007 12/09 07:21:43 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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この頬を掠め行く風の群れの中にもしや鎌鼬達が身を潜め今直ぐにでも私の頬を切り裂くやうな朔風が断崖絶壁のこの崖の壁面を這ふやうに登って来る中で、多少高所恐怖症気味の私は崖の際に打ち付けられた手摺りに掴まって漸く下界の景色が味はへるのであったが、その下界はといふとすっかり冬支度を始めた木々達の紅葉が誠に美しかったのである。一方この朔風の上昇気流を上手く利用して鳶達が天空をゆっくりとゆっくりと輪を描きながら上昇し悠々と飛翔してゐるのであった。



――地球の個時空の《現在》たる地表もまた波打ち起伏に富んだ《ゆらぎ》の下でしかその形象を保ち得ずか……。



さうなのである。《現在》とはのっぺりとした《平面》である筈は無く、高峰から海淵までの《現在》のずれが自然を自然たらしめる重要な要素なのは間違ひない。



――それにしても宇宙全体から見れば全く取るに足らぬこの地球の個時空の《現在》のずれは、しかしながら、人類にとっては最早畏怖すべきものであって人類は自然外では一時たりとも生きられない羸弱極まりない生き物にも拘はらず、未だ反抗期の子供の如く自然に反発してみたはいいが、しかし、その結果人類は人類自身の手で滅亡する瀬戸際に人類自ら追いやったその馬鹿らしさに漸く気付き始めたが、ところが、それは最早手遅れかもしれないのだ。



山上には古からの山岳信仰と仏教が絶妙に習合した地獄に見立てられた地も極楽に見立てられた地もあるが、成程、下界から見れば山は《過去》でも《未来》でもあり得る聖地に違ひない。死者達の魂が集ひし所でもあり神が棲む、否、山そのものが神たる霊峰として崇められてゐる。



と、突然と突風が私の身体を持ち上げんばかりに吹き付けて来たのである。



――ううっ。このまま眩暈の中に私自身が飛び込んだならば、さて、私は神の懐に潜り込むことで、私が神に成り果せるかな、ふっ。馬鹿らしい。ところが、人類は神に成らうと目論んでゐたのは間違ひない……。その結果が、巨大な墓石の如き鉄筋Concreteで出来た群棟に住む摩訶不思議な《高層族》が出現し、日々其処から誰かしらが飛び降り自殺をするどん詰まりの生活場に人類は引き籠ってしまった……。さて、千年後、さう、高々千年後、この崖から私が今見てゐる景色を見る未来人は、さて、存在するのであらうか……。





私の心には巨大な穴がぽっかりと開いたのか、下界から吹き付けて来る朔風が私の心に開いたその巨大な穴をも吹き抜けて、私は何やら物凄く薄ら寒い不安の中に独り取り残されたやうに、下界の誠に美しい木々の紅葉を眺めながらも途轍もなく重苦しい孤独の中に独り沈潜して行くのであった……。



しかし、



――だが……



と、この暗澹たる思ひを全て飲み込むと私は顔をくっと上げ次第に強まる朔風に真っ向から対峙するが如くに鳶が悠然と飛んでゐる虚空を睨み付けるのであった。



――ふっ、千年後に生き残ってゐるのは何も人類でなくても良いじゃないか。



























2007 12/03 06:22:53 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と閉ぢられた瞼裡の闇の虚空に仄かに輝きながらその輪郭を浮かび上がらせた私と全く面識のない赤の他人のその顔貌の持ち主の彼の人は、咆哮とも慟哭とも嗚咽とも歓喜の雄叫びとも、または断末魔とも解らぬたった一声を心の底から思いっ切り叫びたいのであらうが、既にその彼の人は恒常の《現在》といふ時間の流れに飛び乗って、つまり、彼の人にとっては時間が全く流れぬ彼の世へと既に旅立ってしまった故に、凝固したままぴくりとも動かぬ自身、つまり、《<em>x</em><sup>0</sup> = 1(<em>x</em> > 0):0より大きい数の 0乗は 1》のxたる《主体》は0乗たる《死》といふ現象により《完全なる一》たる《存在体》へと変化した故に最早その一声すら上げられぬまま《完全なる一》たる《存在体》として凝固してしまった自身に対して観念せざるを得ないことを自覚させる永遠の黙考の中に沈潜してしまった彼の人は、音若しくは声ならざる音未満の





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





といふ《声》を発してゐるのであった。それを例へてみれば超新星爆発後にエックス線など通常では観測されない電磁波などを発する星の死骸に似てゐた。





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





瞼裡の闇の虚空に仄かに浮かび上がった彼の人は、さて、《完全なる一》たる《存在体》に封印されてその頭蓋内の闇の虚空に何を思ひつつ彼岸へ旅立ったのだらうか。彼の人は死と共に《完全なる一》たる《存在体》に己が成り果せた事を束の間でも自覚し、歓喜したのであらうか。多分、その瞬間に彼の人は全てを悟った筈である。だが、それでも納得できない彼の人は





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と《声》ならざる《声》を発せざるを得ない底知れぬ哀しさの中に封印され凝固してしまったのであらうか。私は彼の人に





――存在とは何ぞや。





等等問ふてみたが答えは全て





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





であった。多分、彼の人は既に《完全なる一》たる《存在体》から堕して腐敗といふ《完全なる一》たる《存在体》の崩壊へと歩を進めてしまったのであらう。





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





は彼の人の崩壊の《音》成らざる《音》なのかもしれない。





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





と、不意に瞼裡の闇の虚空に仄かに浮かび上がった彼の人の顔貌はゆらりゆらりと揺らぎ始め私の視線の先に忽然とゆるりと時計回りに旋回する渦の中心が現れたのであった。





――これがもしや中有なのか。





私の瞼裡に仄かに浮かび上がった彼の人の顔貌はそこでゆるりとゆるりと渦の動きのままに旋回し始めたのであった。





――ふう〜う。





私は何故かそこで煙草を一服したのである。正直なところ





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





といふ《音》成らざるその《声》は悲痛極まりなく私には煙草でも喫まなければ最早堪えられなかったのであった。





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





私はゆっくりと瞼を開け雪の純真無垢な顔を見ずにはゐられなかったのである。雪は全てを既に了解してゐたのかにこっと私に微笑み掛け





――存分にその苦悩を味はひ尽くしなさい。それがあなたの安寧の為よ。





と私に無言で語り掛けてゐた。





私は雪の頬笑みを見てほっとしたのか軽く微笑み再び瞼を閉ぢたのであった。





――うぅぅぅぅあぁぁぁぁああああ〜〜





(以降に続く)



2007 12/02 12:59:06 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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隧道(Tunnel)は閉所恐怖症の為かどうも苦手であるが、或る日、壮観な大瀑布が見たくなって或る滝を見に出掛けたのであった。





時空間が円筒形に巻き上げられ《現在》の中のみに身を曝し唯唯隧道の出口に向かって進むのみの或る種《一次元》世界に閉ぢ込められたやうなその隧道の入口に立つと、さて、これは産道を潜り抜けて此の世に《生》を授けられたその瞬間の遠い遠い記憶を呼び起こすのか、または茅の輪くぐりの如く厄を祓ひ《新生》する儀式にも似た《生まれ変はり》を無理強ひするのか、或る種の異界への入口のやうな暗い隧道に対して或る種の恐怖心が不思議に沸き起こって来るのである。



それは《現在》のみに身を曝すことが即ち《不安》若しくは《猜疑心》を掻き立てるといふ事でもあった。





ええい、儘よ、と、私はその隧道の中へ歩を進めた。





隧道に溢れ出た地下水が岩盤がき出しのままのその隧道の壁面を伝って流れ落ちる様を見るにつけ、矢張り隧道の中は気味が悪い、が、しかし、《現在》とはそもそも気味が悪いものである。ほんの百メートル程しかないその隧道の明るい出口からは水が流れるせせらぎの音が聞こえて来るのを唯一の頼りに私は足早にその隧道を通り抜けたのであった。



――ふ〜う。



眼前には別世界が拡がってゐた。其処は渓谷の断崖絶壁の上に築かれた細い道で渓谷の底には清澄極まりない美しい水が渓流となって流れてをり、彼方からは滝壺に崩落する水の音が幽かに聞こえて来た。



くねくねと曲がったその細い道を歩き続けて行くと忽然と一条の垂直に水が流れ落ちる滝が視界に出現する。それはそれは絶景である。



さて、滝壺のすぐ傍らまで来ると滝壺に叩き付けられ捲き上がった水飛沫が虹を作り、さて、百メートル程の落差があるその大瀑布たる滝を見上げると、私はたちどころに奇妙な感覚に捉はれるのだ。普段は水平に流れる川の流ればかり見てゐる所為か巨大な垂直に流れ落ちる水の流れに愕然とし、その感覚は或る種の《敗北感》に通じるものである。それはドストエフスキイ著「白痴」の主人公、ムイシュキン公爵が病気療養で滞在してゐたスイスの山で見た滝に対した時の感覚にも似てゐるのかもしれない。



其の感覚は言ふなれば無気味な《自然》に無理矢理鷲掴みにされ何の抵抗も出来ぬ儘唯唯《自然》の思ふが儘に弄られた羸弱なる人間の限界を突き付けられ、唯唯茫然と《自然》に対峙する外無い無力な自身を味はひ尽くさねばならない茫然自失の時間である。



――他力本願。



といふ言葉が巨大な滝を見上げながら不意に私の口から零れ出たのであった……。



――この自然を文明に利用出来、支配出来ると考へた人類は馬鹿者である。



私の眼には絶壁を自由落下する水の垂直の流れがSlow motionの映像を見るが如くゆっくりとゆっくりと水が砕けながら流れ落ちる様が映るばかりであった……。





パスカル著「パンセ」(【筑摩書房】: 世界文学全集 11 モンテーニュ/パスカル全集)より





四五五





自我は嫌悪すべきものである。ミトンよ、君はそれを隠しているが、隠したからといって、それをしりぞけたことにはならない。それゆえ、君はやはり嫌悪すべきものである。



――そんなわけはない。なぜなら、われわれがやっているように、すべての人々に対して親切にふるまうならば、人から嫌悪されるいわれはないではないか?



――それはそうだ。もし自我からわれわれに生じてくる不快だけが、自我の嫌悪さるべき点だとすれば、たしかにその通りだ。しかし、私が自我を嫌悪するのは、自我が何ごとにつけてもみずから中心になるのが不正であるからであるとすれば、私はやはりそれを嫌悪するであろう。



 要するに、自我は二つの性質をもっている。それは何ごとにつけても自分が中心になるという点で、それはすでにそれ自身において不正である。また、それは他の人々を従属させようとする点で、他の人々にとって不都合である。なぜなら各人はの自我はたがいに敵であり、他のすべての自我に対して暴君であろうとするからである。君は、自我の不都合な点を除き去りはするが、その不正な点を除き去りはしない。それゆえ、自我の不正な点を嫌悪する人々に対して、君は自我を愛すべきものとさせることはできない。自我のうちに自分たちの敵を見いださない不正な人々に対してのみ、君は、自我を愛すべきものとさせることができるにすぎない。それゆえ、君は依然として不正であり、不正な人々しか悦ばせることができない。





四五八





「おおよそ世にあるものは、肉の欲、眼の欲、生命の誇りなり。感ぜんとする欲、知らんとする欲、支配せんとする欲。」これら三つの火の川がおしているというよりも燃えたっている呪われた地上は、何と不幸なことであろう! これらの川のうえにありながら、沈まず、まきこまれず、確乎として動かずにいる人々、しかもこれらの川のうえで、立っているのではなく、低い安全なところに坐っている人々、光が来るまであえてそこから立ちあがろうとせず、そこで安らかに安息したのち、自分たちを引きあげて聖なるエルサレムの城門にしかと立たせてくれる者に、手をさしのべる人々は、何と幸福なことであろう! そこではもはや傲慢が彼らを攻め彼らを打ち倒すことはできないであろう。それにしても、彼らはやはり涙を流す。それは、すべての滅ぶべきものが激流にまきこまれて流れ去るのを見るからではなく、その永い流離のあいだたえず思いつづけてきたなつかしい彼らの祖国、天のエルサレムを思い出すからである。





四五九





 バビロンの河は流れ、落ち、人を引き入れる。



 ああ、聖なるシオンよ。そこにおいては、あらゆるものが永存し、何ものも落ちることがない。



 われわれは河の上に坐らなければならない。下でも、中でもなく、上に。また、立っていないで、坐らなければならない。坐ることによって、謙遜であるために。上にいることによって、安全であるために。だが、われわれはエルサレムの城門では立ち上がるであろう。



 その快楽が永存するか流れ去るかを見よ。もしも過ぎ去るならば、それがバビロンの河である。











































































2007 11/26 05:52:24 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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と不意にまた一つの光雲が私の視界の周縁を旋回したのである。私は煙草によって人心地付いたのと、また光雲が視界の周縁を廻るのを見てしまった私を敏感に察知しそれに呼応する雪の哀しい表情が見たくなかったのでゆっくりと瞼を閉ぢたのであった。瞼裡に拡がる闇の世界の周縁を数個の光雲が相変はらず離合集散しながら左に旋回するものと右に旋回するものとに分かれぐるりぐるりと私の視界の周縁を廻ってゐた。



――死者達の託けか……、それとも埴谷雄高曰く、《精神のリレー》か……。



勿論死んで逝く者達は生者に何かしら託して死んで逝くのだらう。私の瞼裡の闇には次々と様々な表象が浮かんでは消え浮かんでは消えして、それは死者達の頭蓋内の闇に明滅したであらう数多の思念が私の瞼裡の闇に明滅してゐるのだらうかと考へながらも



――それにしても何故私なのか?



と疑問に思ふのであるが、しかし、一方で



――死者共の思念を繋ぎ紡ぐのがどうやら私の使命らしい。



と妙に納得してゐる自分を見出しては内心で苦笑するのであった。



と不意に金色の仏像が瞼裡の闇の虚空に浮かび上がったのである。



――ふう〜う。



とそこで間をおくやうに煙草を一服し、もしやと思ひ私は目玉を裏返すやうに瞼を閉ぢたままぐるりと目玉を回転してみると、果たせるかな、血色に燃え立つ光背の如き業火の炎は私の内部で未だ轟轟と燃え盛ってをり、再び目玉をぐるりと回転させて元に戻すと未だ金色の仏像――それは大日如来に思へた――が闇の中空に浮かび上がって何やら語り掛けてゐたのであるが、未熟な私にはそれを聞き取る術が無く静寂のみが瞼裡の闇の世界に拡がるばかりであった。



と忽然と



――存在とは何ぞや。



といふ誰とも知れぬ声が何処からともなく聞こえて来たのであった。



――生とは何ぞや。



とまた誰とも知れぬ声が聞こえ



――そもそも私とは何ぞや。



とまた誰とも知れぬ声が聞こえた。と、そこで忽然と金色の仏像は闇の中に消えたのである。



これが幻聴としてもどうやら彼の世に逝くには自身の存在論を誰しも吐露しなければならないらしい。ふっふっ。



すると突然、左右に旋回してゐた数個の光雲が無数の小さな小さな小さな光点に分裂離散しすうっと瞼裡の闇全体に拡がったのである。すると突然



――何が私なのだ!



と誰とも知れぬ泣き叫ぶ声が脳裡を過ったのである。そこで漫然と瞼裡に拡がってゐた無数の光点はその叫び声を合図に何かの輪郭を瞼裡に仄かに輝きを放ち浮かび上がらせるやうに誰とも知れぬ面識の無い他人の顔の輪郭をぼんやりと浮かび上がらせたのであった。私は一瞬ぎょっとしたが、それも束の間で、



――うう……



とも



――ああ……



とも判別し難い声成らざる奇怪な嗚咽の如き《声》を、瞼裡に浮かび上がったその顔の持ち主が発してゐるのに気付いたのであった。



――ふう〜う。



と、この現前で起きてゐる意味を解かうとしてか再び無意識に私は煙草を一服し、そして、意味も無くそこで瞼をゆっくりと開け月光に映える雪の顔をまじまじと凝視したのである。



――何?



と雪は微笑んだ、が、直ぐ様私の身に起こってゐる事を直覚した雪は



――また……誰かが亡くなったのね……、大丈夫?



といふ雪に私は軽く頷き満月が南中へ向かって昇り行く奇妙に明るい夜空を見上げてから再び瞼を閉ぢたのであった。果たせるかな、瞼裡の闇の虚空には相変はらず誰とも知れぬ面識の無い他人の顔の輪郭がぼんやりと輝きを放って浮かんでをり、私は最早声に成らざる嗚咽の如き奇妙奇天烈なその《声》にじっと耳を澄ませるしかなかったのであった……。



(以降に続く)

































































2007 11/25 04:54:32 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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   註 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』のレーザーの項目を参照



   簡単に言へばウィキペディアによるとレーザー光は、レーザー発振器を用ゐて人工的に作られる光である。





時折河原を宵闇の中逍遙してゐる時に天空に向かってLaser光が発振されてゐるのを目にすることがあるが私にはそれがとても切ないのである。



それは何故かと考へるのだが、どうやら人間によって無理矢理に此の世に出現させられた上に光共振器内で増幅されつつ二枚の鏡の間を何度も何度も往復するといふ、それを例へて言ってみれば合せ鏡の中に突然置かれ二枚の鏡に向かって全速力で突進し、鏡にぶち当たる度に『定常波』といふ平準化される宿命を負ひ、其処で目にするものと言へば唯唯《己と仲間の哀れな姿》のみであるといふ切なさ、更に言へば光共振器から発振されてからも《直進》することを運命づけられた哀しさ等等、Laser光は哀しさに満ちてゐる。



一度Laser光が発振されると反射、散乱させる物質がその進路に存在しなければ《無限》に向かって進むことがLaser光の宿命である。その中には一緒に発振させられたが直進することから《脱落》する《仲間の光》の《宿命》さへをも背負ひ続け唯只管に《無限》の彼方に向かって進まざるを得ない哀しい《宿命》、これは《永劫》に長い直線道路をマラソンする人々に似てゐる。その虚しさは計り知れないのだ。



尤も、この宇宙が閉ぢてゐるとすると一度発振され《脱落》せずに《無限》に向かって進み続けたLaser光はあはよくば何百億年後かに元の場所に戻って来る筈であるが、さて、しかし、その時既に発振された場所、つまり、人類も太陽系も此の世から消滅してゐるとすると尚更Laser光は哀しい存在である。さう、一度発振されたLaser光は《永劫》に此の世を《直進》しなければならない何とも何とも哀しい存在なのであるる





またLaser光の一条の閃光が天空に向かって発振された……。



――底なしの哀しさとは彼らLaser光の為にあるのか……。





そもそも職人の手以外に強制的に人間の愚劣な《便利》のためにある機能を背負はされ此の世に生み出される電化製品等はLaser光のやうに哀しい存在である。その製造段階では金型職人等の何人かの職人は関わるには関わるが、それは極々少数で、例へば徹頭徹尾職人の手になる万年筆や陶磁器などに比べると工場で生産された製品には愛着といふ《魂》が宿らず哀れである。それら工業製品はDesign(デザイン)といふ意匠を仮面の如く付せられるが、その薄っぺらさがまた哀れを誘ふのである。



人工物は職人の職人気質といふ《魂》が籠ってゐなければそもそもが哀しい存在である。



すると、此の世の現代的で先進的な生活は悲哀に満ちてゐることがその前提といふ誠に誠に哀しい現状に人間は置かれてゐるのであるが、それに気付かぬ振りをしてか人間は《現代》の哀れな存在物の中で《文明的》に生活するこれまた哀れな存在である。つまり、極端なことを言へば他者が考へた製品や建築物や街並み等等といふ《他者の脳内》に棲むのが人間といふ哀れな生き物である。



――さて、ドストエフスキイ著「罪と罰」の主人公、ラスコーリニコフが接吻した《大地》は何処に消えたのか……。



――ふふ。人間は既に《他者の脳内》といふ世界を造り上げ其処に引き籠ってしまったのさ。生の《大地》といふ《現在》からの遁走が人間には心地良いのさ。



――そんな馬鹿な事が……。



――実際、生の《大地》といふ《現在》とは距離が生じた《文明的》である《過去》へ逃げ込んだのさ。ふっ。考へてもみ給へ。面倒臭い《不便》な《現実》を誰が好む? 《便利な生活》といふ《現実逃避》こそ人間の《夢の世界》なのさ。



――そんな馬鹿なことが……。それでは尋ねるが《現実逃避》した《現代》に生きる実感はあるのか?



――ふつ。人間はもう既にそんなものなど望んでなぞゐない。何しろ《文明》といふ甘い蜜の味を、それが失楽園とも知らず知ってしまったからな。



――それでは人間は生きることをとっくに已めた哀れ極まりない生き物に成り下がってしまったのか……。



――ふつ。さうさ。人間は生きながら死ぬといふ離れ業を生きる奇妙奇天烈な生き物に《進化》したのさ。嗚呼、哀れなるかな、人類は……。



またLaser光の一条の閃光が天空に向かって発振された……。

















































2007 11/19 09:24:46 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――本当に煙草が好きなのね、あなたみたいに煙草を美味しさうに吸ふ人、私、初めて見たわ。うふ、筋金入りのNicotine(ニコチン)中毒ね、ふふ。



と既に自身の煙草はとっくに吸ひ終はってゐた雪は私が煙草を喫む毎に生気が漲る様でも敏感に感じたのかほっとしたやうなにこやかな微笑みを浮かべては私を見続けてゐるのであった。私はと言へば照れ笑ひを軽く浮かべて雪に微笑み返すのである。さうさ、二人に会話はゐらなかったのだ。顔の表情だけで二人には十分であった。



君も知っての通り、私にとって必要不可欠なものは煙草と日本酒と水とたっぷりと砂糖が入った甘くて濃い珈琲、そして、本であった。私の当時の生活費は以上が殆どで食費は日本酒と砂糖を除けば本当に僅少であった。Instant(インスタント)食品やJunk food(ジャンクフード)の類は一切口にすることは無く、今もってその味を私は知らない。



ねえ、君。私の嗜好品は全て鎮静か興奮かの刺激物だといふ事がはっきりしてゐるだらう。それは、私の思考が当時、一度思考が始まると止め処無く堂堂巡りを繰り返し《狂気》へ一気に踏み出すのを鎮静するのに煙草は必需品だったのだ。煙草を一服し煙草の煙を吐き出すのと一緒に私は《狂気》へ一気に驀進する思考の堂堂巡りも吐き出すのさ。そして、不図吾に帰ると私の内部に独り残された吾を発見し《正気》を取り戻すのだ。。古に言ふ《魂が憧(あくが)れ出る》状態が私の思考の堂堂巡りだった。私が思考を始めると吾は唯《思考の化け物》と化して心此処に在らずといった状態に陥ってしまふのさ。これも一種の狂気と言へば狂気に違ひないが、この思考が堂堂巡りを始めてしまふ私の悪癖は矯正の仕様がない持って生まれた天稟の《狂気》だったのかもしれない……。



《死》へと近づく哀惜と歓喜が入り混じったこの屈折した感情と共に煙草を喫み、そして、私の頭蓋内で《狂気》のとぐろを巻きその《摩擦熱》で火照った頭の《狂気》の熱を煙草の煙と一緒に吐き出し吾に帰る愚行をせずには、詰まる所、私は《狂気》と《正気》の間の峻険の崖っぷちに築かれたインカ道の如きか細き境に留まる術を知らなかったのだ。何故と言って、私は当時、《狂気》へ投身することは《私》に対する敗北と考へてゐた節があって、それは《狂気》へ行きっぱなしだと苦悩は消えるだらうがね、しかし、それでは全く破壊されずに《狂気》として残った全きの生来の《私》が《私》のまま《狂気》といふ《極楽》で存在することが私には許せなかったのだ。《狂気》と《正気》とに跨り続けることが唯一私に残された《生》の道だったのさ。



…………



…………



其の時の朗らかに私に微笑み続ける薄化粧をした雪の美貌は満月の月光に映え神秘的でしかもとてもとても美しかった……。



(以降に続く)


2007 11/18 04:36:00 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私はそもそも生き物の殺生は嫌ひであるが、御勝手のゴキブリとぶ〜んと私の血を求め私を襲ふ雌の蚊だけは罪悪感を感じながらも駆除してゐる。



ところが或る初秋の日に御勝手からは少し離れた所にある私の書斎を兼ねた部屋に一匹の多分雄のゴキブリが潜入して来たのであった。水もなければ食料もないので直ぐにそのゴキブリは私の部屋から去るだらうとそのまま放って置いたがそのゴキブリは一向に私の部屋から去らうとせずゐたのであった。そもそも昆虫好きの私にはゴキブリもまた愛すべき昆虫の一種に違ひなく、御勝手にさへゐなければ別段駆除すべきものではないのである。むしろ、私はそのゴキブリをまじまじと凝視しては



――成程、ゴキブリは神の創り給ふた傑作の一つだ。素晴らしい。



等とゴキブリの姿形に見惚れるばかりなのであった。ところがである。



――何故このゴキブリは逃げないのか。



実際、このゴキブリは私が凝視しても全く逃げる素振りすら見せず、触覚をゆらゆら揺らしながらむくりと頭を上げ、ゴキブリの方も私を観察してゐるのみでその場から全く逃げずにむしろ何やらうれしさうにも見えるのであった。この時私は胸奥で



――あっ。



と叫んだがそれが正しいのかはその時は未だ解らなかったのでそのゴキブリの覚悟を見届けやうとそのゴキブリをそっとして置いたのであった。



そして、矢張りであった。そのゴキブリはその時以来私から付かず離れずの絶妙の間合ひで私から離れやうとはしなかったのである。



私はその部屋に布団を敷いて寝起きをしてゐるが、そのゴキブリは私の就寝中は私の頭の周辺に必ずゐるらしく、私はゴキブリの存在を頭の片隅で意識しゴキブリの気配を感じながら何時も眠るのであった。



――全く!



そのゴキブリは難行中の僧の如く勿論飲まず喰はずの絶食を多分愉しんでゐた筈である。例へてみればそれは難行を続ける内にやがては薄れ行く意識の中、或る種の臨死体験にも似た《恍惚》状態に陥り、その《恍惚》を《食物》にしてその《恍惚》に更に耽溺してゐるとでもいった風の、死を間近にしての《極楽》を思ふ存分に心行くまで味はひ尽くしてゐた悦楽の時間であった筈である。



そんな風にして数日が過ぎて行った。



そして、そのゴキブリと出会ってほぼ一週間経った或る夜、就寝中の私の脳裡に忽然と巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭が出現したのに吃驚して不図眼を醒ますとゴキブリは私の右腕に乗りじっと私を見てゐるらしいのが暗中に仄かに解るのであった。



――入滅か……。



と、私はその時自然とさう納得したのであった。そして、あの脳裡に出現した巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭が何を意図したものなのかを考へながらもそのまま再び深い睡眠に陥ったのである。



朝、目覚めると最早あのゴキブリの存在する気配は全く感じられなかったのであった。



それから数日経った或る日、何かの腐乱した異臭が雑然と雑誌やら本やらが平積みになってゐる何処からか臭って来るのであった。果たして、雑誌の下で仰向けになって死んでゐたあのゴキブリが見つかったのであった。私はその亡骸を鄭重に半紙にに包んで塵箱の中にそっと置いたのであった。それ以来、私は昆虫もまた小さな小さな脳で思考する生き物と看做したのである。一寸の虫にも五分の魂とはよく言ったものである。



さて、ところであの死の間際の巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭を現時点で私なりに解釈を試みると、私に対する自慢、恍惚、憤怒、清澄等等が一緒くたになった言葉無き昆虫の《思考》の形と看做せなくもないのである。実際のところ、私自身が死ぬ間際にならないと本当のところは解らないが、さてさて、あのゴキブリはしかしながら見事に私の脳裡に巨大な巨大な巨大なゴキブリの頭を刻印して、その存在の証を残すことに成功したのであったが、私はそれに多少なりとも羨望してゐるのは間違ひない……。


2007 11/12 06:31:59 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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――鎮静剤か……。



成程、雪の言ふ通り《死に至る病》に魅入られた私には《生》に帰属する為に一方で煙草といふ《毒》を喫んで《死》を心行くまで満喫する振りをしながらも私の内部に眠ってゐる臆病者の《私》を無理矢理にでも揺り起こし、煙草を喫む度に《死》へと一歩近づくと思ふ事で《私》が今生きてゐるといふ実感に直結してしまふこの倒錯した或る種の快感――これは自分でも苦笑するしかない私の悪癖なのだ――が途端に不快に変はるその瞬間の虚を衝いて、私は一瞬にして《死》に臆する《私》に変容するのかもしれない。さうして《死》を止揚して遮二無二《生》にしがみつく臆病者の《私》は煙草を喫むといふ事に対する悲哀をも煙草の煙と共に喫み込み、内心で



――くっくっくっ。



と苦笑しながらこの《死》をこよなく愛しながらも《生》にしがみつく臆病者の《私》をせせら笑ひ侮蔑することで《生》に留まる《私》を許し、やっとの事で私はその《私》を許容してゐるのかもしれないのだ。



――鎮静剤……。



これは多分、私が《私》を受け入れる為の不愉快極まりない《苦痛》を鎮静する《麻酔薬》なのだ。《死》へ近づきつつ《死》を意識しながら、やっとの事で《生》を実感できるこの既に全身が《麻痺》してしまってゐる馬鹿者である私には自虐が快楽なのかもしれない。ふっ、自身を蔑み罵ることでしか《吾》を発見出来ない私って、ねえ、君、或る種、能天気な馬鹿者で



――勝手にしろ!



と面罵したくなるどう仕様もない生き物だろ。へっへっへっ。何しろ私の究極の目標は自意識の壊死、つまりは《私》の徹底的なる破壊、それに尽きるのさ。そこで



――甘ったれるな! ちゃんと生きてもいないくせに!



といふ君の罵倒が聞こえるが……、そこでだ、君に質問するよ。



――ちゃんと生きるってどういふ事だい?



後々解ると思ふが私は普通の会社員の一生分の《労働》は既に働いたぜ。ふっ、その所為で今は死を待つのみの身に堕してしまったが……。それでもちゃんと生きるといふ事は解らず仕舞ひだ。そもそも私には他の生物を食料として殺戮し、それを喰らひながら生を保つだけの《価値》があったのだらうか。私の結論を先に言ふとその《価値》は徹頭徹尾私には無いといふことに尽きるね。



――人身御供。



私の望みは私が生きる為に絶命し私に喰はれた生き物たち全てに対しての生贄としての人身御供なのかもしれないと今感じてゐるよ。



ねえ、君。君は胸を張って



――俺はちゃんと生きてゐる!



と言へるかい? もしも



――俺はちゃんと生きてゐる!



と、胸を張って言へる能天気な御仁が此の世に存在してゐるならば、その御仁に会ってみたいものだ。そして、その御仁に



――大馬鹿者が!



と罵倒する権利がある人生を私は送ったつもりだが……、これは虚しいことだね、君。もう止すよ。






――ふう〜う。



と、また私は煙草を喫み煙を吐き出しながら、何とも悲哀に満ちた《生》を謳歌するのであった。



――ふう〜う。



(以降に続く)


2007 11/11 03:19:41 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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※ 註 太虚(〈広辞苑より〉【たいきょ】:?おおぞら。虚空。?宋の張載の根本思想。窮極なく、形なく、感覚のない万物の根源、即ち宇宙の本体または気の本体。)
















激烈で豪放磊落なる稲妻の閃光を何度も地に落とし轟音で地上を震はせた末にやっと巨大な雷雲が去り往く其の時、吾は南の太虚を見上げし。其処には未だ黒雲が地を舐めるが如くに垂れ籠め、北へ向かって足早に流れし。其の様、将に太虚が濁流の如き凄まじきものなり。巨大な大蛇の如くとぐろを巻く其の濁流が如き上昇気流は地に近い程流れ行く其の速度は遅くなりし故、一塊の山の如し黒雲が其の気流より取り残され、更に其の黒雲の一部が千切れ、そして、それが取り残され、其の場に留まりし。あな、不思議なりや。其の取り残されし黒雲、見る見るうちに半跏思惟像の菩薩に変容せしなり。すると


――悔い改めよ、悔い改めよ。


と其の菩薩が説法せし声が吾に聞こえるなり。


――すは。


其の黒雲の菩薩、忽然と吾に向かって動き出しや。


――悔い改めよ、悔い改めよ。


其の黒雲の菩薩、凄まじき速度で吾の上空を駆け抜けるなり。と、突然、辺りは漆黒の闇に包まれ、吾もまた其の闇に溶けしか。其処では既に自他の堺無く、唯、漆黒の闇在るのみ。


――あな、畏ろしき、畏ろしき。


吾、瞼を閉ぢ、只管に祈りしのみ。


――吾を許し給へ。吾、唯の凡夫なり。吾が生きし事自体罪ありと日々懺悔セリなり。あな、吾を許し給へ。


――莫迦め。はっはっはっ。


と、其の刹那、一陣の風が吹きしか、吾の頬を慈悲深く温かき御手が優しく優しく撫でし感覚が体躯全体に駆け巡るなり。そして、閉ぢし瞼の杳として底知れぬ闇に後光が射す幻影を覚え、遂にその後光、佛顔に変はりし上は、吾、既に不覚にも卒倒せしやもしれぬ。




さうして、漸くにして吾、瞼をゆるりと開けるなり。太虚を見上げると、既に雲は晴れ上がり半月の月光が南中より吾に射せり。


さて、太虚、吾の頬を撫でしや。さてもしや、吾、夢の中にて彷徨ひしか……。


2007 11/05 08:59:45 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私は一本目の煙草を喫めるだけ喫めるぎりぎりまでしみったらしく喫むと間髪を置かず二本目を取り出し一本目の燃えさしで二本目に火を点け、身体全体に煙草の煙が行き渡るやうに深々と一服したのであった。雪は私のその仕種を見ながら


――うふ、あなたは本物のNicotine(ニコチン)中毒ね、うふ。


と微笑みながら私が銜へた煙草の火の強弱の変化と私の表情を凝視めるのであった。そんな雪を何とも愛おしく思ひながら私は私で雪に微笑み返すのであった。勿論、この時の煙草は格別美味かったのは申すまでもない。


――ねえ、あなたをこれまで生かして来たのはその煙草と、それと、うふ、お酒ね。それも日本酒ね、うふ。


と正に正鵠を射たことを雪が言ったので私は更に微笑んで軽く頷いたのである。


――ふう〜う。


とまた一服する。すると私に生気が宿る不思議な快感が私の身体全体に走る。と、また


――ふう〜う。


と一服する。その私の様が雪には可笑しくて仕様がないらしく


――うふうふうふ。


と私を見ながら飛び切りの笑顔を見せるのであった。すると、雪は偶然にも


――煙草とお酒があなたの鎮静剤なのね。


と言ったのであった。




ねえ、君。君は「鎮静剤」といふ詩を知ってゐるかな。高田渡も歌ってゐるがね。




  「鎮静剤」


 マリー・ローランサン




 退屈な女より もっと哀れなのは 悲しい女です。




 悲しい女より もっと哀れなのは 不幸な女です。




 不幸な女より もっと哀れなのは 病気の女です。




 病気の女より もっと哀れなのは 捨てられた女です。




 捨てられた女より もっと哀れなのは よるべない女です。




 よるべない女より もっと哀れなのは 追われた女です。




 追われた女より もっと哀れなのは 死んだ女です。




 死んだ女より もっと哀れなのは 忘れられた女です。






 訳:堀口大學


 詩集「月下の一群」より










といふ詩なんだが。自分で言ふのもなんだが、私にぴったりの詩だね。堀口大學の訳詩の《女》を《私》に換へると、へっ、私自身の事だぜ、へっ――。


(以降に続く)


2007 11/04 09:14:17 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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私個人の身に起こった或る出来事と相前後する数年間、我が家の屋根裏に先づ、多分、雄の蝙蝠が棲み付き、そして、翌年、雌の蝙蝠も棲み付き、それから数年間、私を見守るやうにその番の蝙蝠が屋根裏に棲み付いたのであった。その番は毎年、子を育み時折私の様子を窺ふ為にか私の部屋に何度も潜り込み暫く私と蝙蝠の追い駆けっこを愉しんだ後に私が素手でその、多分、雄の蝙蝠を捕まへるのを常としてゐた。



私の素手の中のその愛くるしい蝙蝠は思ひの外温かくビロードのやうなその毛並みがとても心地良く、また、素手の中でその蝙蝠は逃げやうとも、暴れることもなく、抛って置けばずうっと私の素手の中に居続けてゐたかのやうな具合で、私とその蝙蝠の番とは人知れぬ絆のやうなものが芽生えて行ったのであった。



例へば夕刻、燕と入れ替はるやうに田圃へ補虫しに行く時等は埴谷雄高著『死霊(しれい)』の登場人物である運河沿ひの屋根裏部屋に住む黒川健吉と蝙蝠の関係を思はずには居られないのであった。我が家の屋根裏に棲み付いた蝙蝠の番は「挨拶」はしなかったが、がさごそと屋根裏で物音を態と立てて捕食に飛び出して行くのであった。



――今日も餌を捕りに出掛けたか。



と、毎日その蝙蝠の番の動向を気に掛けながらの何とも愉しい日々が続いたのであった。そんな日々の中には蝙蝠の番の子育ての奮闘の日々も当然含まれてゐる。それは不思議なことであるが子が生まれたからといって屋根裏の物音は変はらないにも拘はらず《気配》で子が生まれ今乳を飲んでゐる等眼前でその様子を見てゐるが如く解ったのであった。今考へてもそれは摩訶不思議なことである。



さて、さうかうする内に私の身に運命を左右するほどの重大至極な出来事が起こったのである。その時期私は心身共に疲弊困憊の状態に陥ったが、蝙蝠は時々私の様子を窺ひ愉しませる為にか私の部屋に潜り込んでは私を元気付けてくれたのである。



そんな日々が数年続いた後、この地方では珍しく十二月に大雪が降った在る日のことであった。



真夜中にその雪明りの白黒の荘厳美麗な世界が見たくて南側の窓を開け一面の銀世界に目を遣ると蝙蝠の番が何やら求愛のDanceのやうな情熱的ながらも華麗で優美に飛翔し舞ってゐるのであった。それはそれは一面の銀世界に映えて美しいの一言であった。



その時、私はそれはこの天の川銀河と何億年後かには衝突する筈のアンドロメダ銀河の輪舞を見るやうな錯覚に陥ったのである。そのアンドロメダ銀河との衝突時には既に太陽系も人類も此の世から消滅してゐる筈だが、しかし、星々が爆発的に誕生するStar burst(スターバースト)で生まれた何処かの恒星の水の惑星で再び生命は誕生し、死滅した人類の外、此の世に存在した全生物の意思若しくは思念を受け継ぐ形で生命が新生する世界が出現する筈であらう等等想像しながら蝙蝠の番の美しい舞ひに見入ってゐたのである。



すると、その蝙蝠の番は互ひに旋回しながらゆるりと上昇し、不意に雪明りの闇夜の中に消えたのであった。それは私への別れの舞ひだったのである。



私はといふと蝙蝠の番が消えた闇夜の虚空を凝視するばかりであった……。


2007 10/29 07:57:24 | 哲学 文学 科学 宗教 | Comment(0)
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