エッヘン

2007年 04月 12日 の記事 (1件)


私の懐かしい風景
木下サーカスがやってきて、駅の近くの広場に大きなテントの町が出来上がります。サーカスの他に見世物小屋ができ、チンドン屋がラッパと太鼓でチラシを配っています。セスナ機が低空で飛んでビラをまきます、意味も分からず拾い集めて親に持っていったら何故か叱られました。あれは何だったんでしょう。
見せ物小屋では、人魚や蛇女、ろくろ首の看板が原色で描かれてその前では、人間ポンプが、金魚を飲み込みお腹を叩いて丸い金魚鉢に戻します。
何枚ものかみそりを食べて胃の中で糸を通して万国旗のようにして口から取り出します。学校では虫下しの“海人草”を飲まされ、頭から真っ白のDDTの粉をかけられ、腕にはBCGの注射をサイコロの目のようにつけられ、わけも分からず過ごした小学時代でした。
運動会では何故か運動靴から白い足袋に履き替え気合が入った覚えがあります。
運動会で食べる昼食は親が持ってきた巻き寿司で、花でんぷんと たまご焼き、端の大きいのを取るのが狙いでした。
電気は裸電球でその下に蚊帳を吊って中で本読みです、蚊帳の出入りに厳しいルールがあって、入り口の蚊を追散らして潜り込むのですが、失敗して蚊を中に入れると酷く叱られました。寝ながら足で蚊帳の低い所に足で触るのが楽しみでした。
病気で寝ると親は急に優しくなって普段食べられないバナナが出ました。熱が下がらないとミミズの乾燥したものをお湯で戻して飲まされます。
食当たりは全て真っ黒の艶のあるコールタールの様な竹の皮に入った“熊の胆”です。傷は赤チン、洋チンで傷は更にひどく目立つことになります。
牛が農耕の道具で道路には牛の糞がいっぱいです、畑は穴を掘って人糞を処理します、油断して歩くと落とし穴に足を突っ込むことになります。月に1回は人糞運びがあります。
新聞配達店には白黒TVが高い場所にあり力道山のプロレスでは道路まで人があふれます。TVにはドンチョウがあり見ない時は幕が下がっています。正月にはTVに鏡餅を飾ります。電話は呼び出しでひどく緊張するもので、良くない連絡にしか使われませんでした。蝿取り紙がぶら下がり、夏は氷を買いに行き、親父のお酒はビンを持って買いに行きました。そうそう 醤油もビンを持って入れてもらいましたね。
買い物籠はビンも入るサザエさんと同じものです。全て懐かしいです。
懐かしいものは、今、見れないのです、知らない内に変わっているのですね。

始めて乗せてもらった車です。1959年この色が流行でした。軽四免許がありました。
2007 04/12 20:35:34 | 何故の解明 | Comment(0)
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